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2010/11/03

与那原飛行場も検討 1950年代米海兵航空隊配備、文書発見

 もう1つ昨日のニュースをクリップ。

与那原飛行場も検討 1950年代米海兵航空隊配備、文書発見(琉球新報)

 林博史関東学院大教授がワシントンの米国立公文書館で一連の公文書を発見した。公文書によると、配備先をめぐり、使い勝手の良い広大な基地を求める海軍(海兵隊)と、新たな軍の駐留で沖縄の基地が手狭になることを嫌がる空軍、住民反発を懸念する国務省などの間で意見が対立。計画が二転三転した。
 55年5月の第3海兵師団の沖縄移駐発表後、ヘリ部隊(第1海兵航空団)の配備先に那覇基地やボーロー飛行場などが候補に挙がったが、空軍などが反発。海軍は与那原飛行場の拡張計画を進め、那覇基地を上回る1855エーカーの土地と、それに伴う6245人の移転が必要だとした。
 しかし米国民政府(USCAR)は56年10月「極めて好ましくない」と反対。その理由に(1)住民の移転先がない(2)基地には農業ほどの雇用がない(3)西原村長が社大党で、村は反基地運動が強い―などを挙げ、「アジア全域に反米感情をあおることに利用される」とし、反米感情の拡大を恐れた。
 那覇総領事や駐日大使から上がった地元報告を受け、国務省は、国防総省に計画変更を要求。国防総省はこれをのみ56年12月、海、空軍の両長官に対し、普天間の共用を指示した。…

 与那嶺路代ワシントン特派員が解説記事を書いている。

世論注視し政治判断 米海兵航空隊普天間配備の経緯
 事態の経緯はどこまでの政治的である。それはそのとおりなのだ。だからこそ、いまも問われているのは政治である。そして、その政治は世論こそが動かす。「辺野古移設計画が政治的に限りなく実現不可能であることは、歴史が証明している」ということでもあるのだ。


 ところで小沢さん。国会に出ることは拒否したようだ。司法で扱っているからと言うのが理由。政治の責任ということを全く理解していない発言でもあるのだと思う。

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