« 跡地利用新法 恒久法の整備は当然だ | トップページ | インビクタス‐負けざる者たち‐ »

2010/09/14

宮森小学校

Img00154201009141231Img00153201009141213_2 バスに揺られて2時間、いまから51年前にジェット機墜落事故があった宮森小に行ってきた。なかよし地蔵の前で、事件の重さを考える。でも、630会のうるま市石川庁舎に常設されている、資料を見ながら、生き残った人の手記に思いをはせる。多くは当時30代前後の非常勤教師たち。彼らは、沖縄戦を子ども時代に体験をしている。そこにあるのは、なぜ子どもたちを助けられなかったのかという思いだった。
 沖縄の思いは、たぶん、深く蓄積している。たぶん。簡単に解決しない、米軍の占領支配。復帰後も続く、軍事優先の基地の存在。宮森小に行くまでの道。キャンプキンザー、普天間飛行場。そしてキャンプフォスター。沖縄はいまだ基地のなかにある。

 それから、バスを乗り継いで、勝連城址に寄る。そこから見える風景は、基地と開発。勝連の先には、ホワイトビーチがある。なぜ、沖縄の一等地には基地があるのか。

 そんな風景を見ると、沖縄に、いったい政治は何を押しつけているのかを考えさせられる。重い現実を垣間見た一日だった。

« 跡地利用新法 恒久法の整備は当然だ | トップページ | インビクタス‐負けざる者たち‐ »

平和」カテゴリの記事

政治」カテゴリの記事

沖縄」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 宮森小学校:

« 跡地利用新法 恒久法の整備は当然だ | トップページ | インビクタス‐負けざる者たち‐ »

無料ブログはココログ
2025年5月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31