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2010/08/12

旧日本軍の防衛拠点、済州島に120か所

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旧日本軍の防衛拠点、済州島に120か所(読売新聞)

 太平洋戦争末期、旧日本軍がいわゆる本土決戦に備えて、日本統治下の済州島(チェジュド)(韓国)に建設した特攻艇基地などの戦争遺跡が120か所以上も残っていることが、日韓の研究者らの調査で明らかになってきた。
 韓国では歴史・平和教育に活用する取り組みが進み、日本でもアジアを巻き込んだ戦争の実相を示す遺跡として関心が高まっている。
 済州島は香川県ほどの面積で、長崎県・五島列島の西約200キロにある。軍事施設建設は1945年3月から、日本兵7万人余と朝鮮人を動員、急ピッチで進められた。終戦後は多くが放置されてきた。調査は地元の済州大の趙誠倫(チョソンユン)教授と日本の高校教諭塚崎昌之さん(大阪府吹田市)らが2005年から進めた。
 島東部の世界自然遺産の小火山、城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)(182メートル)には特攻艇「震洋」の基地があり、第45震洋隊の約190人が駐屯。海岸沿いのがけで幅・高さ2~4メートルの横穴18本(総延長526メートル)が確認された。資料や規模から50隻の艇を隠したとみられる。
 南西部の松岳山(ソンアクサン)には16本の横穴(同379メートル)があった。配備はされなかったが、人間魚雷「回天」の基地として建設されたらしい。その北の内陸部の釜岳(カマオルム)では要塞(ようさい)用の横穴17本(同1・9キロ)が確認された。
 松岳山の近くのアルトゥル飛行場があった場所には、幅20メートル、高さ4メートル、奥行き10メートルほどの軍用機掩体壕(えんたいごう)(格納庫)19基が残っていた。近くのセッアルオルムには洞窟(どうくつ)陣地が築かれ、高射砲台跡も見つかった。済州歴史文化振興院の李允?(リユンヒョン)研究員によると、島内には約400の小火山があり、その地形を利用して建設された軍事施設は120か所余りにのぼるという。
 これらの一部では、個人が平和博物館を開いたり、住民グループが平和ガイド活動をしたりしており、平和公園整備の構想も進む。ガイド養成講座も開いている趙教授は「記憶を持つ人がいるうちに、植民地支配や戦争の実相を語り継ぐことが必要」と話す。…

 観光地で知られるチェジュは一度はいってみたなあ。ここでの日本軍の支配は、井筒さんの「パッチギ ラブアン土ピース」でも描かれていた。そして、この日本軍の支配が、4・3事件と無関係だとは決して言えない。そういう意味でも、よく知りたいこの島の歴史である。行きたいなあ。

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