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2010/08/11

もうひとつの学童疎開:光明学校の障害児たち

 毎日新聞で、興味深い連載が行われている。昨年、NHKが障害者と戦争というテーマの番組を放映したけれども、清水先生の本も、絶版になっていて、このテーマは充分掘り起こされているとは言えないのだと思う。

もうひとつの学童疎開:光明学校の障害児たち/1 空襲、校庭の壕でしのぎ(毎日新聞) ◇「将来の戦力でない」…行政支援なく東京居残り

 標高約600メートルの城山(じょうやま)を登り切ると、木々の間から緩やかな弧を描く千曲川が見えた。その流れに沿うように温泉宿が連なる。
 「どの子も不自由な足で、よくここまで登ってきた……」。2年前の夏、長野県千曲市の上山田温泉を訪ねた並木君江さん(58)は60年以上前の出来事に思いを巡らせた。
 並木さんが勤める東京都立光明(こうめい)特別支援学校(旧光明学校、東京都世田谷区)は全国初の肢体不自由児の学校として設立され、太平洋戦争末期、この温泉地に疎開。城山は歩行訓練の場となり、子どもたちは松葉づえをつき、体をひきずりながら頂を目指した。傍らには励まし、支えた引率教諭や保母がいた。
 戦争が終わると学童疎開した健常児たちのほとんどが親元に帰ったが、光明の学童はその後も4年間戻ることができなかった。約60人の疎開の歴史は、地元や東京都の公的資料にはほとんど残されていない。
 戦後校内にも知る人はいなくなり、並木さんは「誰かが語り継がねば」と同僚らと現地を訪れた。きっかけは、一人の元教諭がまとめた記録。そこには最も守られるべき子どもたちの戦争があった。…

 連載二回目はこれ。
 連載はまだつづく。

 障害児は戦争にどう動員され、一方で、排除されたか。注目して、読んでいきたい。

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