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2010/06/25

安保改定時から密約認識 核持ち込み「明確に理解」

 今日は、ただただ、ワールドカップの日でしたね。よくがんばったと思います。あれだけ、急造のチームで、短期間でよくシステムが機能するようになったなあと思う。直前までは、バラバラなように見えたチームが一体となっているのがすごい。監督と選手のあいだに感じていたような隙間も、監督の決断が、解決したのかな?
 直前のイタリアの試合で、ああやっぱりワールドカップで勝ってことは、どれだけたいへんなのかということを痛感させられただけに。日本は、得失点差の優位と、先取点は大きかったね。

 さて、大きなニュースが入ってきた。でも、テレビニュースは、ワールドカップばかりだけれども。

安保改定時から密約認識 核持ち込み「明確に理解」(共同通信)

 米軍核搭載艦船の日本領海への通過・寄港を容認した核密約に関連し、1960年の日米安全保障条約改定時に、藤山愛一郎外相が米国と交わした「秘密議事録」について、岸信介首相と藤山外相が密約だと認識していたことを示す米国務省文書が25日までに見つかった。同議事録には、通過・寄港を日米間の事前協議の対象外としたい米側の意向を反映した条項が盛り込まれており、文書は岸、藤山両氏がこの意味を「明確に理解していた」と記している。
 安保改定時に日本側に密約の認識があったことを示す文書の発見は初めて。日米密約に関する報告書を3月に公表した外務省有識者委員会は、安保改定の3年後の63年4月、ライシャワー駐日米大使が大平正芳外相に「寄港は核持ち込みに当たらない」と伝えて以降「暗黙の合意」が固まり「広義の密約」になったと認定した。今回の文書はこれを覆す内容だ。…

 ちなみに、その文書の要旨はこれ。

米公文書館で発見の秘密書簡要旨(共同通信)

 在日米大使館のアール・リッチー1等書記官が1963年3月15日付で、国務省の日本担当官ロバート・フィアリー氏に送った秘密書簡の要旨は次の通り。

 一、フィアリー氏は62年2月12日付の書簡で、日米安全保障条約改定交渉の時、岸(信介首相)、藤山(愛一郎外相)が秘密議事録2項Cの意味を明確に理解していた、と記している。
 一、事前協議に関連する条約交渉記録をすべて調べたが、協議用資料や会談記録など、いかなる種類の記録も見つけられなかった。
 一、(日本への米軍)配置や戦闘作戦行動という、事前協議に関する他の問題点について文書が残っている点を考えると、(2項Cをめぐる)記録が欠如していることは重大な意味を持つ。
 一、米大使館が当時、2項Cの解釈をめぐって日本政府との間で将来トラブルが起きる可能性を予見していた事実を踏まえると、なぜ岸、藤山両氏との協議記録がきちんと保存されなかったのか、理解に苦しむ。
 一、(米軍)第7艦隊の艦船や航空機に搭載された核兵器の問題は、安保改定交渉時、あまりにも政治的に機微だった。そのため日本政府とのいかなる協議も、マッカーサー駐日大使と岸、藤山両氏の間に限定され、記録が残されなかったと(この時点で)結論付けざるを得ない。

 政府は、密約調査の報告を再度検討すべきだし、はっきりと密約の破棄という態度をとるべきだろう。

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