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2010/02/19

教員の生きづらさと”希望”

 『教育』という雑誌を読んでいたら、綿貫先生が「中学生と『大学生』の間を生き来しつつ」という文章があった。大学生を論じたものだけれど、綿貫さんは、自身の学生時代をふり返る自分史も語っている。そのことと重ねながら、生の若者の生きづらさにせまろうとしている。いちばん最後に、東京の高校教員の大能先生の「私の教師人生を支えるもの・支えたもの」という文章が載っていた。

 教師の誇りや生きがいということを考える。子どものつらさや「傷」は、実は自分のそれでもあるのだろうか。だから、共感があり、迷いあるのか。そんなことを考えながら読んだ。

 とにかく、東京の教育は異常であろう。教員が親と近づくのを嫌う。それだけではなく、たとえば、教職員組合でなくても、研究者が調査をすることそのものを嫌う。教育実践についてあれこれ語られることだけではなく、子どもや親の実情などがそとにでることをも嫌う。客観的に、教育がどうあるべきかが議論されることそのもを嫌っているように思う。ものすごく排他的で、一部の人の主観によってのみ動かそうとしている。でも、ほんとうに、子どもや親の姿に接近しようとしない、その営みを密室に封じ込めてしまう場で、教育ということが成り立つのか?

 親たちはといえば、いろいろな人と話していても、現実の競争的な社会環境に、少しでも、対応できるようにしてあげないと、子どもにちっては大変という思いが充満する。どんなに子どもによりそうとしている人のなかでも、正直、本音では、そんな思いがあるのだと思う。実は、それは、ちっとも子どもの幸福にはつながらなくても。子どもの声を聞くというのは、そのぐらい難しいのだろうか。教師にとっては、それはなかなかしんどい状況でもあろうか。

 そんな閉塞した東京の教育現場で、それでも、”語る”教師たち。それ自体が希望なのかもしれない。

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