学校から見える子どもの貧困
ここ数年、学校事務職員の方たちの貧困の集会というものが開かれ、参加することがあった。少なくとも教師が見えない子どもの実態の側面を、事務の方たちは的確につかみ、発信してきた。この仕事の独自の専門的な役割と、それが学校づくりにはたす役割というものを痛感させられる。
主題は貧困である。格差と貧困が広がり、そのうえに経済危機が襲いかかるという状況のもとで、教育費の問題は、かなり深刻な問題となる。しかし、学校で扱われているお金というものが実はどうなっているのかということなど、あまり知られていない。義務教育は無償だと言いながら、中学などへの公的なお金の支出は、人件費と箱が中心で、日常的な教育活動のかなりの部分が父母の負担でまかなわれていることなど、ほとんど意識されない。教育・子どもとはお金がかなるもの、そのために苦労するのが愛情だという神話が、まだまだ圧倒的な支配力をもっているということなのだろうか。
高校にいくと、より深刻になる。公立でも高い。しかも、公立にいけない子どもたちもいる。しかも、現在の日本では、中卒という選択に未来は開かれていない。それを自己責任だといいきって何とも思わない”知事”が存在する。ボクはそれを決して許すことはできない。
これらのことがどれだけ子どもを傷つけ、子どもの未来をふさいでいるのかということをどれだけ社会は自覚しているのだろうか。それが社会のあり方を根底から脆くしていることを。
もともと、子どもによりそい、子どもの貧困をみつめ、子どもの成長をねがったとりくみが日本にあった。たとえば50年代の給食費未払いのとりくみがそうだったという。6~70年代の香焼町の教育無償化のとりくみだってそうだ。そして、現在でも、そんな努力は各地に見られる。
それでも「構造改革」の名で、一部の人たちの特権にふみつけられた教育の現場は、無力感がただよっているというのは正直なところだろう。「子どもの貧困」が注目を浴び、文部科学省は教育への公的支出の増大で、安心・安全の学校を訴える。問題は、その子どもの実態にあった規模と内容の政策を実現することができるかにある。そのために、教育と福祉が一体となったような、垣根を越えた現場のとりくみと子どもへの社会的な費用の支出の内容への幅広い合意を広げること。そのことを基礎に、1つひとつ政治を揺り動かすことなのだろうけれど。
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