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2009/06/21

無償教育を考えるフォーラム

Img00021200906211324_2 今日は、人に会うために表題の集会に行ってきた。「無償教育をめざす学校事務職員の会」が主催する集会である。

 三輪定宣さんが、「憲法に謳われた、ひとしく教育を受ける権利を実現するには―無償教育の展望―」と題して、報告。そのあと、6人の人がパネラーとして報告した。
 東京の保護者のKさんが、「日頃に感じる教育費への疑問」を発言。
 埼玉の青砥先生が高校中退の問題について、東京の私学(高校)の事務の方が、私学の現状について。この2つは、深刻な実態にせまったもので、ものすごく考えさせられる。
 つづいて、東京の高校の事務、名古屋の義務制の事務の方の発言。事務の方は、現状では教員より、はるかに子どもたちの貧困を見ている。が、自分たちができることが限られているということに苛立っているような発言だった。
 最後に、東京の教員の方から見た発言。これまで、子どもの貧困や教育費について教員がどう無関心であったのかという、自己批判、反省の発言。きまわて正直な発言で、なるほどと思っておもしろかった。ここまで、教員というのは、学校でのお金の問題に無関心なのかというのは今さらながらに驚いた。

 いま高校生に将来の不安を聞いたとき、まず就職、その次に、学費を払い続けられるのかという不安がある。それは親とて同じである。「貧困」に直面するという問題は、たんに一部の子どもたちだけの問題では決してない。しかし、同時に、子どもの「貧困」の問題は、どう考えても、学校だけで向き合える問題ではない。そういう意味では、今日の議論を聞いていても、学校はまだまだ開いていないなあ、社会とつながっていないなあと強く感じてしまうことも事実。
 無償化という課題も、それが自己目的としてあるわけではない。子どもの「人格の完成」にこそ教育の目的があるとすれば、その目的を達成するための条件として、提起されていることだ。では、その子どもたちの発達の現状がどうで、どんな支援がいま求められているのか。子どもの「貧困」の問題は、そんなことも突きつけているわけだし、現在の教育の現状は、そのための多くの課題を掲げている。そういうなかで、無償化ということが、どういう位置をもっているのか。子どもたち全体の、安心した「子ども期」の発達の保障のために、なぜ必要なのか。そんな議論が必要な気がした。

 三輪先生も最後に言っていたが教育費をめぐって、政府も含め、いろいろな議論がはじまっている。だからこそ、子どもというところに、軸足をしっかりおいて議論をしたいと思う。

 討論では、なかなかシャープな親の意見もあり、なかなかおもしろかった。

 会場で、知りあいの人と何人かに会って、話をする。
 Hさんと会ったけど、いつも元気で、バリバリ仕事をしているのは頭が下がる。雑誌編集者というのは、結果が求められるというか、まわりがそんなに求めていなくても、自身にはかなりリアルに結果がつきつけられる。だから、いつも、仕事に追い立てられるというかなり因果な商売である。なかなか結果がトータルには出ないご時世だけれど、自分なりに満足する仕事ができたり、それなりの結果がでることはある。それでも、その仕事をしたのは、執筆者なわけで、編集者にとっては、ちょっと厳しい言い方では、「たまたまうまくいった」という感覚で、次の仕事に向かうという気持ちの処理をすることになる。ボクはずっと、「しんどいなあ」という思いを抱え続けて、仕事をしているわけだけろ、書籍の編集者にはそういうことはないのかなあなど聞いてみたい気がする。書籍に編集者は、自分の仕事という感覚がボクらよりあるのだろうか?

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