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2009/06/27

日本の教師 その歴史的・国際的特徴

Img00028200906271111_2 早朝、一仕事で、汗びっしょり。そして、午前中は、学びをつくる会での、久富善之さんの表題の講演を聞いてきた。教育学者のなかでも、とても意識させられるというか、この人の議論は絶対に押さえておかなくてはと思う人の一人。今日の話もおもしろかった。

 まず、人類史のなかの「学校教師」と題して、近代学校の教師の特徴として、数が多いことを指摘。この指摘だけでも意表をつく。難しさに対応した高い処遇をあたえることはできない矛盾があるというわけだ。もともと、藩校、寺子屋などは、日本は多い区広がっていたといっても、すべての子どもが行っていたわけでない。リテラシーをもっている層と持ってない層を乗り越える近代学校という制度の前面に学校教師たったわけだが最初からそういう矛盾があったと。
 そして、そもそも教師の「教える」という仕事はもともと(意外と?)難しいことを指摘。教師の仕事は、自分の満足ではなく、学んでいる人のなかで生きるということがないと意味がない。しかも学校は、勉強好きと限らない子どもがきていて、ある意味で無理矢理集めている。その大多数に集中してもらわなければいけない。集団規律も必要で、この先生のところで勉強したらいいことがあるというような何か「成果」を感じてもらわないといけない。とこrが教育というのは、その成果ははっきりしない。イギリス・ハーグリーブスという研究者は、教師には3つの課題=「関係課題」、「地位課題」、「能力課題」があるという。
 だから、これまで「難しさ・課題」の乗り切りを支えてきた工夫・仕組みが、文化としてあったという。ここで中内敏夫さんの研究を紹介する。たとえば1920代の「殉職教師顕彰ブーム」で、教師は子どものためには命を捨てるほど愛し、仕事をしている、そういう聖職的教職像を押しつけられたとう。久富さんは、教師たちもうけいれたのではないか、それで、「難しさ」が容易になるという。その後、50年ぐらいは教職倫理のなかで、それが内面化していたのではないかという。その証拠に、15年前、退職教師について聞き取りをしたとき、その多数が、自分の読んだ本、みた映画でいちばん感動したものに「24の瞳」をあげたという。教師像の理想として、熱心な教師というものがかつてあったという。教員文化のなかで教師同士も「せんせい」とよびあう、ここにも特別な存在としてのとらえ方があり、実際に研究熱心という文化があったという。
 教師には、「教師としての誇り(=教職アイデンティティ)」があり、「自分は教師として、何とかやれている、そういう力量もある」と思いたいし、思わないとやってられないという面があるという。教師は、不信に囲まれると傷つき易いし、それれ攻撃誘発的でもある。またその誇りが、肯定から否定に崩れると、バーンアウトすると。そして現在でも、教師としてのやりがい、自分はあっているという意識をもつ教師は圧倒的に多く、これだけ困難な現在も減らないという。
 近年の「教師受難時代」の性格について、家族や子どもの変化に見合うように学校、教師がなりきれていないのではないかと指摘しつつ。もともと教師は難しいが、なんとか乗り切る工夫をやって、それが文化、慣習になって、それほど難しいことでないかのうように思えていたが、70年代のなかばからその支えが弱くなってきたと指摘する。後期戦後といわれる時期に、いじめ、不登校、暴力が拡大し、あまり解決されないまま続いている。その間、子どもや親のあいだには、学校で傷ついて、それを教師が助けてくれなかったという不信蓄積が相当ある。しかも事件がおこるたびのマスコミの洪水のような報道があいr巨大な宣伝で不信が広がった。その結果、理想の教師であってほしいが、目の前にいる教師はそういう教師だとは思わない目で見ている、と。そのもとで、教師は、力があるということを見せなければいけないが、そういうことが1人ひとりの教師、学校の肩だけにおわされている。
 しかも官製の調査でも教師忙しすぎることは明らかだと。しかもその忙しさは、スウェーデンなどのように熱心で、忙しいのが教師であり、忙しいことが誇りにつながるようなものではなく、忙しさが教師としての自信を失っていくことに関係していると指摘している結果が、精神疾患の広がりであり、新採一年目での退職の増加であると。
 最後に、教育改革における教員政策は、愚劣であり、あまりにも教師としての仕事への無理解がある。しかもそれは学校や教師への不信を追い風にしているだけに教師のとりくみに、民衆的基盤を広げることが大事だと提起された。

 これはあくまでもボクのメモ。教師論としてもとてもおもしろかった。いまの生きづらさとの関係で、アイデンティティの問題というのはとても大事だとは漠然と思っている。
 同時に、自分の仕事のことをいわれているようにも思えた。自分というのはかなり歪み、うろたえているなあ(苦笑)。

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