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2009/05/30

母子加算の廃止をめぐって

 今朝、サタズバを見ていると、母子加算の廃止をめぐって議論になっていた。公明党の高木が必死で弁明をしていた。その論点は、大きく言って、2つだった。

 1つは、北海道の例を出して、月25万も生活保護を受けていて、足りないなどおかしいというもの。
 しかし、一般的に、25万というだけで、どのような支給をされているかなどについて、ちゃんと検証しようとしない。たとえば、ある北海道の母子家庭の生活保護費は、母子加算が廃止される前は、月額26万5820円。中学2年の長男、小学6年の二男、同4年の長女の4人家族だ。内訳は、食費・被服費などの生活扶助1類費が13万5030円、光熱水費など生活扶助2類費が5万200円、母子加算2万4230円、教育扶助1万9360円、住宅扶助3万7千円。年間300万の収入だが、実際に自由になるお金などほとんど存在しない。しかもこのお母さんは、強いうつ症状があり、入退院を繰り返し、今も服薬を欠かせないという。長男の宿泊学習と、二男の修学旅行が重なり、約4万円。「長男が小学6年の時から修学旅行の費用が出なくなり、苦労したことを思いだすと、ゾッとします」という。
 つまり、高木さんの発言には、最低限の文化的な生活を、政治の責任でどう保障していくのかという発想はないと言ってもいい。ただ、ここには難しい問題があって、年越し派遣村に対して、生活保護の申請に、報道がつめたくなったという話にしめされているように、生活保護への理解は、かならずしも社会的にしっかりした合意にはなっていない問題ある。『子どもの貧困』で、阿部さんが書いていたけれど、社会が何をどこまで保障するのかという点では、日本では、まだまだ自己責任という意識が強いことが否定できない。
 そのことをふまえ、そのための議論が必要なのだと、つくづく思うけれど、しかし日本の場合、生活を保障する制度が生活保護以外ない以上、この生活保護が、ナショナルミニマムとして機能するかどうかが決定的でもある。だから、高木さんの発言は、ボクは政治家としての姿勢を疑う。

 もう1つは、ほかにさまざまな制度をつくってい、そこで支出しているというもの。しかし、この間つくってきた制度は、もっとも困難な母子家庭を直接支援する制度ではない。就労支援制度などのすべてを否定するわけではないけれど、病気で働けない世帯は最初から除外される。

 福祉の党はここまできたのかとつくづく思ったのは、ボクだけではないと思うがどうだろうか。怒りもそうだが、恐ろしさと、哀れさも同時に感じてしまう。

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