ひろがる貧困の中で、期待される生活保護制度の本来あるべき姿を考える
今日は、全国公的扶助研究会がおこなった表題のシンポジウムに行って来た。
最初に、生活保護をめぐる情勢の報告。雇用情勢悪化のもとで、反貧困の運動、派遣村のとりくみのなかで、貧困が大きな社会問題となり、いくつかの重要な変化がある。実施要領の大幅な改訂など、政府としても対応せざるをえない。また新たなセーフティネットもつくられたが、これが果たして有効に機能するのか? 住宅手当は給付で使えるだろうが、3年時限であり、簡単に評価はくだせない。
派遣村をうけ 入り口の部分では生活保護は受けやすくなった。次は、果たして出やすいことが問われる。そのときに自立支援がどうすすめられるのか。ケースワーカーの専門性、人権支援という立場での取り組みがとわれる。
しかし全体としては生活保護の引き締め変わっていないのも事実。社会保障削減路線は続いている。生活保護の総量規制政策は 運用面でのしめつけ――移送費の問題などで、基準切り下げ――最低賃金、生活福祉資金などにもリンク、制度の変更――有期保護という形で、すすめられたり、議論されたりしている。などなど。
引き続いて、
「有期保護制度について」 を吉永純さんが、「自立支援について」を松崎喜良さんが、「CWの委託と専門職性について」を渡辺潤さんが報告された。
討論がおもしろかった。
自立支援、自立助長をどうすすめるのかということが議論されたけれど、権利として、制度に最低生活保障に位置づけるということの取り組みの意義や内容がよくわかかった。
一方で、現場では新規の受給者がふえ、その対応におわれている実態がよくわかる。
そのなかで、豊かな実践の数々も、はじめて聞いてよくわかった。自立支援プログラムの意味も。
現場はいっそう困難になっているだけに、都政新報の5月12日付で、湯浅誠さんが自治体労働者にむけて語っている「『派遣村』の教訓とは」の指摘が思い。私たちは「悪いのは国」ということで、引き下がることはできないと。知恵を絞って、とりくむことが求められている。
あるCWの方が言っていたが、「忙しいからできない、忙しいなかでどうするのか? CWが忙しかったら高校にいけなくともいいのか」と。
たしかにそうだ。そして、根底には、25条への理解、人間として生きる権利の根底にある、豊かな人間関係のなかで、安心して生きるということこそが幸福であるという人間観というものがあるように思った。
現場の話はおもしろかった。
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