先週の土曜日31日に表題の集会「学校に言論の自由をもとめて Part II」に参加してきた。
職員会議:都教委の挙手禁止通知 三鷹高校校長の支援集会に1000人/東京(毎日新聞)
都教育委員会が職員会議で教職員による挙手・採決を禁止した06年の通知の撤回を求めている都立三鷹高校(三鷹市)の土肥信雄校長(60)を支援する集会が31日、杉並区内で開かれ、約1000人が参加した。同様の集会は昨年9月にも開催されたが、多くの人が会場に入り切らなかった事情もあり、改めて企画された。…
なかなかいい集会だったということを前提に、感じたことを2、3。
それはなかなか難しい運動だなあということ。それは、校長の主張をめぐって市民がそれに支援するという極めて特殊な形態で運動がとりくまれているということ。もともと教育運動というのは、その主体の大きな部分は、やはり実際に学校で教育実践を行う主体である教員であることが多いし、そういう必然性もある。が、そういう教員との連帯の独特のむずかしさはある。この集会でも、裏方は別として、集会の舞台には教員は登場しない。
ここから問題の焦点が、校長のイニシアと、そのことと表裏一体の教育委員会の役割ということに焦点化されることになる。が教育委員会の問題は、これはなかなかむずかしい(以前に、少し教育委員会については書いたことがあるが)。
もう1つは、これは集会で世取山氏が言っていたことでもあるが、言論の自由というスローガンについてである。ボクも集会ではまずその点が気になった。つまり、問題の本質は、言論の自由と言うよりも、学校での子どもたちの人格の発達をすすめるための教育活動の自由をめぐって存在しているのだし、そういう活動になっていかないと教員や父母との共同が広がっていくのかとう問題でもある。がそれはそれで、たぶん土肥さんも含め、みんな自覚はしているのだろう。実際の議論はそのようにすすめられていたのだから。とりあえず、社会的な注目を集めたり、とっかかりの一致点をつくるうえで、わかりやすいということなのだろう。それが正解かどうかはボクにはわからない。
世取山氏の発言はよかったけれども、少し、不満も感じた。それは、教育の自由だとか、子どもの人格の発達の権利ということが抽象的にとどまっているということ。自由や権利を、現実の政治的な諸関係のなかで、担い手がだれで、どのように実現していく方向が必要なのかという形で位置づけることをしていないということなのかあ。だから、今後の課題という点で、突然、公立高校の民営化などとやや論理的な飛躍がおこってしまうのだろうかとも感じたが、参加した人はいかに感じただろうか?ちょっと議論してみたい問題だ(笑い)。
高校OBの話はよかったし、あと、尾木さんの話はうまかったなあ。
hpに動画がアップされています。
集会でも紹介された、「土肥校長と共に、学校に言論の自由を求める保護者&市民の会」が、2008年12月、一般教職員対象に都立約200校にアンケートを送っておこなった調査の回答の集計は興味深い。問1では9割の人が職員の発言数が減少した、問2では8割の人が発言しにくくなったと回答している。
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