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2009/02/05

小林多喜二―21世紀にどう読むか

S1169 少し前に読み終えた、この本の感想を読んでいなかったので、簡単に紹介しておく。ものすごくおもしろく読んだ本。
 まず、共産主義や共産党などに偏見がない。いま若い人が「蟹工船」をとうして、小林多喜二や共産主義というもをどうとらえていくのだろうかということと、少し重ねながら、彼女の語りを聞いてみた。

 この本でおどろいたのは、1つは、小林多喜二というものに対する理解の問題。先入観を廃して、多喜二がどんな状況の中で、何に向き合い、何をいかになそうとしなのかという人間像をまるごとつかもうとしている。先入観がないというのは、ありのままその時代に生き、変化した多喜二の人生を丁寧におっていると言えばいいのだろうか。ある意味で、新しい多喜二像を提示しているということができるのかもしれない。

 もう1つは、政治と文学の関係の提示の仕方。多喜二をとおして、政治と文学を対立的にとらえるのではなく、人間の尊厳を大切にするという立場からの正義の問題として、考えようとする。これは単に、多喜二にとどまらず、人間として生きるうえでの政治という問題を芸術がどうとらえるのかという評価の問題に参考にある視点のような気がして、大切なことを学ばされたという気が漠然としている。

 そういう意味ではたくさんの宿題も提示してくれた気がする。今後、もう少しこの点は、このブログでも考えていきたいですよね。

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コメント

「政治と文学」という構図を立てる人というのは、基本的に、日本共産党を批判するために論立てするというのが、戦後から現在までの文学史的な見取り図です。最初の平野謙による提起も、そうした文脈でしたから。
そこに妙にひっかかってしまったところに、戦後文学運動の悲劇があるようにも思います。
なかなか、ネット上でも、そうした意見は異端視されているようで、さびしいのですが。

北海道放送のドキュメントや、映画「時代(とき)を撃て・多喜二」の感想も、書き込もうと思います。戦後文学運動の悲劇というものの本質が何かのか、最近の文壇や文化界の変化――これは思想の世界も同じだと思いますが――をどう見るか、など興味深い問題だと思っています。

ご無沙汰してます^^

この本、おもしろかったですよね。党今日に出張の時にみつけて、一気に読みました。多喜二そのもののを生の人間として描く、という問題意識を強く感じました。多喜二にはじめてふれる人には難しいかな、と思いつつ、いろいろ考えさせられました。

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