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2008/12/13

今、教育委員会の在り方を問う

 最近、いやなことがいくつが続く。納得できないことも続き。まあ、叩かれているなあ。いろいろと。

 でも、あんまり細々したことを気にしても仕方がないしね。自分を支えるのは、人間の尊厳を踏みにじることへの怒りである、抗ないであるわけだしね。気をとりなしてね!

 さて今日は、午後から表題の研究会に参加した。こんな話は、本当は教育委員会とはいったい何なのかというところからはじめないといけないのだろうけれども、そこはすっとばして、いま、教育委員会は本当に必要なのかという議論がなされている。ボクはもちろん、必要だというふうには思うけれども、これはなかなか難しい問題もたくさんある。
 教育委員会というものを考えるさい、現在の教育行政の分野では、よく一般政治、教育政治の区別ということが言われる。そして、教育政治は教育のいとなみのなかで教育実践とは区別される。このカテゴリーの区別が、どこまで有効だったのかということは、それはそれで議論もあるだろうけれど、でも、この分析に対応して、いまの教育行政のあり方を考えるというのは、自分なりに整理になったのも事実。

 そこで問題意識をもったのは次の3点。

 こうした議論をするとき、どうしてもその対象は学校教育が中心になる。ほんとうにそれでいいのか。たとえば、高校教育にしても、よくいわれるようにいわゆる底辺校は、半分近くが中退をする現状がある。その若者たちは、実態として社会から排除される現状がある。ところが、そうした若者が自立していくための、社会教育の分野の施策は、ほとんどないといっていいような現状がある。社会教育に関する委員会の設置が義務でなくなったいま、教育委員会の役割をもっと広く議論する必要はないのか。

 2つめに、地方に行けば、教育委員会以前に地方そのものの存立の危機という問題がある。一般政治と教育政治というものをそのもとで、どう考えればいいのか。少し狭く考えても、教育政治というものは、財政的な権限が法的にはほとんどない。そのときに教育政治というもの役割はいったいなんなのか。

 3つ目は、教育政治と教育実践をつなぐものとして、教育実践における親や子どもの学校参加という課題が提示される。この開かれた学校づくりの実践は、それはそれで、その意義は大きいものがあるとは思うけれど、それに比して、教育政治における政治的な正統性をどう考えるのか。教育委員会の公選制が廃止された以後、この教育政治の正統性については的確な回答を見いだせているとは思えない。実践的にも、この分野での、住民の参加と共同のシステムが必ずしも明らかではない。

 なんてことを考えながら、結局、もっと勉強しないと答えはないなあなどとね。

 へこたれません。明日もがんばりますから(苦笑)。

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麻生内閣のこれまでの仕事についてまとめて下さった方がいたので貼っておきます。 一応、見ている人は大いに見ているという証左になりはしないかと。 でき得る限り麻生首相と側近の方々に届くといいですね。 86 名前: らっきょう(京都府)[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 20:27:41.58 ID:fwoTPW60 【麻生が首相になってやったもの】 &nb... [続きを読む]

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