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2008/11/20

田母神問題をさらに考えた

 今日は、いろいろな仕事のなかで、少し田母神問題について、いろいろ資料や文献を読みながら考えていた。

 論文の核心は、「自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」とあるように、憲法解釈の改変、もしくは改憲にあると読みとれる。アメリカと一体になって海外で戦争ができる「軍隊」に自衛隊を変えていく、その障害となる憲法に攻撃をかけることにこそあるのだろう。
 問題は、その見解が、田母神氏個人の突出した議論であるのではなく、その内容を訓辞でのべ、また田母神氏がすすめた自衛隊の幹部教育の内容として取り入れられているということだ。それは福地氏の講義が、「現憲法体制は論理的に廃絶しなくてはならない虚偽の体制であると断言できることを論ずることであります」という言葉にも表れている。いわば改憲が、自衛隊と言うところで公式に教育されているわけである。

 近年の海外派兵体制の強化のなかで、自衛隊の内部で軍事的価値判断を優先する傾向が大きくなっている。そのことは、それは、もちろん単純な制服の暴走ということにとどまらない、外交的な問題を軍事的に解決することを優先する政治勢力の動きとむすびつき、それが後押ししていることは言うまでもない。

 その結果の、今回の問題は、いわば、政府の解釈に立ったとしても自衛隊の活動は憲法の枠内であるべきだという点と、文民統制の本質である、国民のコントロールに服さなければならないという国民主権の立場からの2重の逸脱ということができるのだはないのだろうかと思った。

 ただ、この間の、保守政治の改憲の策動が、いわゆる「靖国」派とよばれるような偏狭な歴史観をもった勢力をテコに推進せざるをえなかった(これは、破綻局面にあるわけだけれど)ことと対応して、この自衛隊内の軍事優先の推進も、「靖国」派の政治とむすびついて、こうした偏狭な歴史観を背景とせざるをえなかったということにその最大の矛盾・弱点があるとも言える。そのことが、この動きの歯止めになる可能性もあるとも言えるのだろうが。

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