官僚批判について、あれこれ、考えたりする
なかなかショッキングな事件がおこる。元厚生事務次官ないしその家族が連続して刺されたという事件だ。
都内で元厚生次官妻刺される=重傷、自宅に刃物男-埼玉事件と関連捜査・警視庁(時事通信)東京都中野区の元厚生事務次官吉原健二さん(76)宅で18日夜、妻靖子さん(72)が男に刺される事件があった。板橋区内の病院に運ばれたが、重傷を負った。警視庁など警察当局は、さいたま市で起きた元厚生事務次官夫婦殺害事件との関連を調べるとともに、連続テロの可能性も視野に捜査している。…
この事件の背景などはまったくわからない。が、昨今は、厚生労働省は、年金問題をはじめ何かと恨まれている。そんなことの関係しているのだろうか。
で、少し、官僚批判という問題について考えてみた。
官僚批判ということはいつから議論されはじめたのだろうか。戦前の国家体制を議論するとき、当然出てくる問題である。それが、戦後の社会でも温存されたわけだけれど、これは、単純な温存ではない。戦前の高級官僚は、文字通り天皇制のもとでの官僚であった。が、戦後は、その天皇制が実質的には解体されていくことになったはず。戦後、彼らは、政治家が公職追放されたときに、政界に進出し、保守政党の担い手となる。いわゆる吉田学校である。ここで、戦前の天皇の官僚から、政官財の癒着のもとでの官僚制が形成される。これは、前史。
この官僚制が、言うまでもなく、日本の開発型政治とでも言えばいいのか、利益誘導型の政治の担い手となる。この政治体制のゆきづまりから現在の官僚批判が生まれるということであろう。
ならば、官僚批判の文脈には、戦前からの遺産を解体する民主化という批判が存在するはずだし、利益誘導政治を批判する文脈も存在するはずでもある。
ところがいまの官僚批判というものは、なかなか単純ではない。これは、批判の言説でも、実際の国民の意識のうえでもそうなのだろうけれども、官僚批判は、どういうわけか、官僚組織のムダからはじまって「小さな政府」論に行き着く。結局、新自由主義的な改革志向にむすびついている。
たぶん、こんな議論は80年代ごろからはじまったのだろうが、小沢の登場から、細川、橋本などに流れていく議論は、これが貴重となっているのだろうか。それが、小泉改革で頂点に達する。そして、自民党では現在、中川(秀直)や渡辺よしみあたりがそのことを主張し、小泉改革を批判しているはずの民主党の主張もこの点では同じである。
では、こうした議論の何が欠落しているのか。
いうまでもなく、政官財の癒着へメスを入れようとしないことだろう。それは「国民が主人公」の政治のあり方を問いかけている。つまり、国民が国家機構をどうコントロールするかという問題を含んでいる。官僚機構が、内包しているある種の国家機構としての専門性というものも洗い流し、ただ縮小へと向かうことは、国家の解体ということ以外何者でもなくなってしまう。ただ単純に公務員を○○人減らせという議論は、かなり危ういものをうちに孕んでいる。
官僚批判という、本来、民主的な要素をもつ議論が、そういう危うさを乗り越えていくのには、やっぱり、どんな国、どんな政治をつくることが大事なのか、だれがそんな国や政治をになっていくのかという議論が必要だということなんだろうな、などと、少しおおざっぱな、つまらないことを考えたりした。
やっぱり、ちゃんと、歴史をふり返りながらの勉強が必要かな。
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