教育再生懇談会のもとに、「子どもと若者総合支援勉強会」というものがつくられ、実は、最終まとめが10月に出されている。ほとんど報道されなかった。
もともと、安倍内閣の時代に、教育再生会議がつくられ、官邸主導で「教育改革」がすすめられようとした。そこでは政治主導で、とくに教育内容に介入することを通じて、新自由主義的な改革のほころびを、国家主義的に再統合しようとしたと考えられる。ところが、安倍内閣があっけなく崩壊すると、福田内閣の時代に、教育再生懇談会に衣替えした。福田内閣の時代には、舵取りをかなり修正しようと考えたと思われる。それでも、この時代の教員増の議論にみられるように、従来の枠の中での修正にすぎず、あまりふかまった議論にならなかったように思える。ところが、福田内閣も倒れ、麻生政権の誕生になる。麻生さんは、どうも教育再生懇談会を、閉じようとしているようだ。
この勉強会の「早急に確立されるべき子どもと若者総合支援策」は、あとでのべるような問題はあるとは思うけれど、内容と比較的に真面目なものと思う。すべての若者を対象に、包括的な支援をおこなう、それもアウトリーチという手法を採用しようというところにも意味がある。とも思う。
ところが、おそらくこの最終報告は、ほとんど政治には、影響を与えないかもしれない。
なぜなら、麻生さんは、こうした国民のもつ困難には、まともに関心をもっているとは思えない。福田さんはそれでも、議論の土俵にはのせたのだろうけれど、麻生さんはとにかく選挙のパフォーマンス以外には関心をもっているとは思えない。ニートやフリーターの問題も、「たらたら遊んで、食べて、何もしない人の金を何で私が払うんだ」という声が聞こえてきそうな気がするがどうだろうか。
もう1つは、この課題の独特の難しさがある。その難しさに、この報告が十分に応えているとは思えないからだ。このブログでも、子どもの貧困の問題をとりあげてきたが、どう困難な事態にある子どもの支援するのかという点では、国民のコンセンサスというのはなかなか難しい。それでも、子どもの場合は、まずは機会は平等であるべきだという前提は共有されている。ところが、若者の問題については、出発の時点で、「自己責任」が幅を利かす。若者の困難にどこまで支援するのかのコンセンサスはいまだない。
だからこそ、若者の困難そのものを、国民的な議論にしていく方向性そのものが必要なのではないのかとも思われるのだけれど、そうした役割を報告が十分はたせているとは思えないというのが第一点だ。
では若者の困難とは何なのか。もともと、若者が学校教育から、社会に出ていく過程そのものが日本では十分社会化されていないという問題がある。言ってみれば、若者の教育だとか、若者支援という角度からの政策がないという問題がある。そこに、経済のグローバル化のもとで、新自由主義的な政策が展開され、労働の規制緩和のもとで、若者の労働というものがもののように扱われるようになったという状況が重なる。ボクは、この2つの角度というのがとりあえずは大事かなあと思っているのだけれど、いずれにしても、そうした若者の困難がなかなか国民の間で共通されていないという事情がある。
だからこそ、現実におこっている若者の問題に、無関心であってはならない。たとえば、報告を読んでいると、現実におこっている問題との落差を感じてしまう。だいたい、これだけ重要な課題を、たぶん政治の迷走に影響をうけ、短い期間と短い時間で報告をつくってしまうところのほうに問題があるとも言えるのだと思う。
非正規労働者、3万人が失業 新卒内定取り消し300人(日経新聞)
景気後退による企業のリストラで、今年10月から来年3月までの間に失業したり、失業する見通しの派遣などの非正規労働者が全国で3万67人に上ることが28日、厚生労働省のまとめで分かった。採用内定を取り消された来春の学卒者も331人と2002年3月卒以来の高水準で、雇用環境の厳しさが一段と増している実態を裏付けた。…
よく考えてみれば分かるが、この首切りという事態は、若者のあいだにまんべんなく起こっている問題ではない。やはり、相対的には、報告が対象としている困難を抱える若者が、その厳しい事態におかれていると考えた方がいいと思う。だからこそ、こうした事態に無関心、そして無力であってはいけない。
もちろん、これは大企業の責任が最も問われる問題だ。だからこそ政治の責任が問われなければならない。報告の中には、大事な議論が反映しているだけにまず、政治はちゃんと、そのことに耳を傾けるべきだ。同時に、社会の構造にメスを入れるような議論も求まれていると思うのだ。
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