多元化する「能力」と日本社会(再読その1)
2年ほど前、この本が出されたとき、1度取り上げたことがある。そのときは、本そのものは、ちょっと違和感をもちながら、自分とちがうところが多いなあと感じて、全部読みとおすことができたわけではなかった。だから、取り上げ方も、全然、不正確だった。とにかく話題になった本である。その後も、必要に応じてパラパラと目を通すということをくり返してきた。
今回、とにかく一度通読をしてみた。相変わらず、共感と違和感を併せ持たされる、結構、やっかいな本である。
まず、第一に、「ハイパーメリトクラシー」ということについて、ここでも、なるほど、最近の財界主導による「生きる力」だとかの横行を考えたとき、なるほどなあという思いはある。コミュニケーション能力などは、ほぼ、通説のように日常生活を支配するようになっている。が、一方で、これは、PISA型学力などを考えたとき、どう位置付くものなのだろうかという疑問がよぎる。結局、こうした「能力」の捉え方というのは結構、曖昧なものだ。もっといえば、ボクら、人間の発達という問題をとらえるとき――その捉え方はもちろん時代によって変わるものだとは思うけれども――、その文脈のなかで、どうとらえればいいのか。
では、いったん「ハイパーメリトクラシー」を受け入れたとして、なぜそれが生まれるのか。それを社会の変容(と進歩)という文脈のなかではどう捉えればいいのか。もちろん、これはこの本の仕事ではないのだろうけれど、「ハイパーメリトクラシー」という問題は、どう考えても、社会の「構造」と不可分のものなのだろうから、そこへの疑問なり、問題関心はそのまま残される。
統計の分析を駆使した子ども、高校生、家庭(母親)の分析は、ちょっと、ついていけないところが多い。分析の角度も、その分析そのものも、ちょっと恣意的な印象はぬぐえない。が、もちろん、筆者の仮説そのものを否定するものでは決してないのだけれども。
その結果、だされる結論はどうだろうか。筆者は、気分的には、「ハイパーメリトクラシー」は、新自由主義と親和的であり、その対抗を構想していると読めないわけではない。その立場、そのものも、共感するところは少なくはない。が、たとえば、筆者が対抗軸として打ち出す、「専門性」(ゆるやかな)なるものも、ほんとうに対抗軸になるのかという違和感を感じる。たとえば「専門性」なるものは、人と人との関係、社会的な集団の営みのなかで、形成されるものではないのか。その視点を欠いた「専門性」は、結局は、個人の能力に閉じられたものになりはしないのかなどなどと。
結局、ざっとした通読では、なかなかこなせない一冊だったというのが結論でもある。より、読み進めることが必要なのだろうと思った次第。
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