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2008/06/30

自己責任という壁

 今日は、朝から実務的な仕事をして、お昼休みには学習会、それから少し打ち合わせをして、それから午後は、ひたすら原稿書きに没入する。

 昨日の、研究会に引き続いて、今日の原稿書きの際にも、自己責任論という問題が、大きく頭のなかをしめている。これをどう考えるか。
 たとえば、貧困という問題を考えるにしても、自己責任論を考える際に、では、貧困とは何なのかということが問題になる。相対的貧困というとらえ方をして、貧困の再発見をということが言われる。では、相対的貧困とは何なのか?
 何で、こんなことを言うかといえば、実際には、昨日の子どもの貧困の際にも語られることだけど、実際の現場の福祉の方や、研究者の認識と、社会一般の認識とにはかなりの差がある。いま、仕事でとりくんでいる若者の問題にしても、これだけ非正規の問題がクローズアップされても、あいかわらず「甘えている」「努力がなりない」という若者バッシングはとまらない。どうすれば、そういう議論を乗り越えて、合意を広げることができるのか?

 でも、なぜ、こんなに不寛容といえるような社会認識の状況が広がったのだろうか。なぜ、あたりまえのように「バッシング」ということが行われるようになったのか。80から90年代に何がおこったのか、小泉「改革」はそれにどのような作用をおよぼしたのか。メディアが何かしらの役割をはたしたのならば、そのメディアには何があったのか。

 たとえば若者の問題1つをとっても、現実におこっていることは、胸の押しつぶされそうなことにほかならないのだけれど、なぜ、そのことが社会の共通した痛みにならないのか。そんなことを考え始めると、ちょっと「暗い」気分になる。
 変化の兆しは確かにある。ボクはそんなに楽観的な考え方がどうしてもできないでいるのだけれども、それでも変化の兆しには、励まされはする。しばらく、悶々と考え続ける。

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