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2008/04/29

それでもすっきりしない日々

 ちょっと、こだわっている光市母子殺害事件。弁護団の冊子は、読了した。個々の弁護士の発言は、政治的なニュアンス――裁判所批判――とがあって、本人たちは中立のつもりであっても、なかなか説得力をもちえなかったのだろうか。ただ提示されている論点は、それはそれで重要だと思うことはすくなくない。何が真実なのかボクには判断できず立ち往生。

 すっきりしない点を、よく整理してくれているのが、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会が出した報告。光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見
メディアの報道が、いかに、偏ったものであったかを中立の立場で検証してくている。メディアは、ただ、被害者・検察と弁護団とを対立的に描き、弁護団の主張を荒唐無稽にように報道したが、そこには、検察がどのように今回の事件を立件し、最高裁が、なぜ差し戻しで死刑について審理をするように命じたか、それにたいし、弁護側はどのように主張したのかということについて検証するような報道はなかったと。この報告は「大いなる凡庸」といい、凡庸報道ほど、刑事事件の報道で危険なことはないと指摘している。結局、ボクらには、何も正確なことが届けられていないのだろう。

 メディアの報道のありように批判があつように、裁判自身のありようや、そして弁護団の弁護方針にも批判はありうるとは思う。現実に、多少冷静に議論する人のあいだでも、弁護団についての批判はあるようだ。

 ボクが弁護団の冊子を読んでいていちばん気になったのは、精神鑑定をめぐる問題。鑑別所や家裁段階での証言や判断との関係でも、この野田さんによる鑑定は非常に重要なポイントをなしているような気がするのだけれど、そのことがなぜ、裁判官にも、メディアにも受け入れられなかったのかということ。
 神戸連続児童殺傷事件で少年審判を担当した元裁判官の井垣康弘弁護士が時事通信の取材で、次のように言っている。「法が犯行時18歳以上の少年に死刑を認めているのは、成人と同程度に成熟していることをイメージしている。しかし、元少年は父から虐待を受け続け、中学1年時には実母が自殺し、 人格の正常な発育が止まった。体は大人でも「こころ」は中学生程度であるとすると、 死刑判決は全くの間違いだ。法律家は心理の専門家(少年鑑別所技官・家裁調査官・大学の心理学ないし精神医学の教授)の説明を理解する基礎的能力がない。全くの素人という前提でよほどかみ砕いて説明し直さないと、最高裁も危ない。心理学者はこの際、家裁の記録も含め社会に開示して理解されるかを試し、『素人にも分かってもらえる説明の仕方』を勉強してほしい」。

 もちろん前提に、18歳以上の死刑という基準をどう理解するかということがあるけれど、「こころ」は中学生程度という立証がないと、その議論もなりたたかい。井垣さんは、この点で、弁護団の方針は成功していないと言いたいのだろうか。鑑定書と、それに判決がどうこたえなのか――ちょっと読んでみたいと思った。

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