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2008/02/15

学習指導要領改訂案発表――「授業時間、30年ぶり増=理数は来春から」文科省

 学習指導要領の改訂案が発表された。幼稚園(教育要領)、小学校、中学校の3つであわせれば300ページを超える膨大な量だ。もちろん、すぐに全部を細部にわたって読んだわけではないが……。改訂案は、パブコメをへて、3月末には決定。4月から周知徹底がすすめられ、2009年から移行実施、小学校は2011年度、中学校は2012年度から新しい教科書による完全実施となる。教科書などのないものについては、即時、移行と説明されている。

授業時間、30年ぶり増=理数は来春から-新学習指導要領案・文科省(時事通信)

 文部科学省は15日、幼稚園から中学校までの新学習指導要領案を公表した。「ゆとり教育」を掲げた現行指導要領が学力低下の一因とされた点を踏まえ、理数や国語などの主要教科で小中学校の授業時間を1割増、学習内容も増やした。小学5年から英語が必修となるほか、改正教育基本法を受け、伝統文化の学習と道徳教育を充実させる。1977年の改定以来、減り続けた授業時間は約30年ぶりに増加に転じる。
 …学習内容の増加分は時間数に換算すると、小中合わせて算数・数学が約15%、理科(実験、観察を含む)は約23%となる。仮分数の計算や台形の面積の求め方、イオンや遺伝など現行要領が削除、高校に移行した内容の多くを元に戻す。

 改訂案の実物は、ここにある

 現行のものは1998年に告示され、2002年から実施された。授業内容の三割削減などが話題になり、総合的学習の時間が議論の対象になった。折からの「学力低下」問題に火がつき、2003年12月には一部改正され、学習指導要領の位置づけは「最低基準」となってしまい、範囲を超える発展的内容を教えることもできるようになるなど、「ゆとり教育」の見直しが進むことになった。
 今回の改訂は、その三割削減がほぼ復活する方向だ。しかし現行の改訂の際に、完全学校5日制に移行している。したがって、小学校1年生から毎日5時間授業になるなど、学校は詰め込み・過密の再現となる。

 問題は「学力低下」ということを言いながら、改訂の内容が、本当に国民の間にある子どもの学力に対する不安・要求というものに真にこたえるものになっているか、ということだ。今度の改訂は全国学力テストというものに対応したものになっている。ここから「基礎」「基本」の獲得という名で、ドリルづけの学校が広がらないのか。それはすぐに危惧されることでもある。
 もちろん、鍛錬学習が子どもの学力回復に簡単につながらないことなど、ちょっと考えればだれにもでわかる。子どもの実態に即して考えれば、情報と消費の氾濫のなかで、いまや子どもたちは、小学校に入学する前から、その主体となることを求められている。そんな子どもたちに、鍛錬などをおしつけても、それは苦役にしか映らない。子ども一人ひとりの生活体験や関心にできるだけ即して、学習の面白さが実感できるような授業を組み立てる。ここがいまの教育のきわめて難しい点の一つであるころは、明らかだと思う。
 しかも、学力の”世界標準”は、いまやOECDのPISAテストの時代である(もちろん、それが標準にふさわしいかはまた別の議論だが)。だから文部科学省も学習指導要領の改訂にあたっては思いっきり、このPISAを意識していることがうかがえ、「学力」に対する考え方の転換を行おうとしている。それが「生きる力」だとか「活用力」という言葉に表れている。もちろん、学習指導要領のこれらの考え方が、「基礎」や「基本」の習得ということと完全に分離した二重構造になっていることに、その限界というか、薄っぺらさがあらわれていると言えるんだろうけれど。

 ただ、学習指導要領の総則に、「言語活動」という言葉が出現する。すべての教科を横断したものとして位置づけられている。この「言語活動」は、教科のところへ行けば、たとえば、「算数・数学」では、「算数的活動」という形で、学習内容に横断する課題として位置づけられる。たぶんにリテラシーということを意識したものにも感じれる。学習指導要領全体をとおしては、前回改訂の目玉だった「総合的学習の時間」は後景に追いやられ、ほんとうにどこに行ったのだろうという状況だが、今度は、こういうことで、子どもの関心や学習態度の育成に取り組もうとしているようにも思える。
 しかし、こうした子どもの実態や関心に即した活動を、全国規模で一律に学習指導要領にこと細かく書き込むことにこそ、矛盾があらわれているのではないかと、つくづく思ってしまう。戦後の教育基本法が想定した、教育活動の自由を奪うだけ奪って、型にはめた授業を押し付け、そのもとで、豊かな教育「活動」なるものが成立するのかどうか。そのことが最も問われている1つの点だと思う。今回の改訂を期に、学習指導要領を大綱的なものにとどめ、現場での教育の自由を広げる、そのことにこそ足を踏み出すべきではないのか。

 にもかかわらず、今回の学習指導要領の改訂案は、こと細かく教育内容を指示する。今後、文部科学省が定める「重点指導項目」とあいまって、ますます、教育内容の統制的な側面が強くなる危険性はかなり強いと言える。
 そこで、注視しなければならないのか、今回の改訂案の「道徳」についての記述である。わざわざ「改正」教育基本法の二条の文面を引きながら、その基盤として、道徳性を養うことの必要性をのべ、これを学校の教育活動全体をとおしておこなうという。その要として道徳の授業を位置づけ、すべての学校に「道徳推進教師」を置くようにするというのだ。
 問題は、この学習指導要領改訂案の想定する道徳というものには基本的人権や子どもの権利条約の視点がまったくというほど欠落していることにある。ボクは、学校教育のなかに道徳というものが位置づけられることそのものについては否定しないが、大事なことは、子どもを学校生活の主人公として、参加・参画を広げる、そして子どもを人間として尊重する――学校教育には、そのことが求められているのではないのだろうか。

 先日、足立区で、中小企業を営む父親が、自身の母親と妻、そして、中学生の二男を道ずれに自殺する事件があった(二男は重体)。その二男は、給食費を払えず、給食の時間は、「払ってないから」と、あまり食べなかったという。いま、学校教育全体を、深刻な貧困と格差が覆っている。学習指導要領は、学校の教育課程の基準になるものだと言われる。教育課程とは学校の教育活動の全体計画にほかならない。ならば、まず学校の教育活動をすすめるうえで、いまいったい、どんな困難が広がっているのか。そのことについて1つひとつ向き合うことを抜きに、はたして学習指導要領の改訂は生きたものになるのだろうか。
 同時に、教育行政に求められるのは、こと細かく学校に、教育活動の内容を指示することではなく、豊かな教育活動が現場で展開されるために、どんな条件を整備すればいいのか、どのように現場を支援すればいいのかについて真剣に検討することではないのか。
 今回の改訂には、その評価は別として、小学校の英語や、体育に武道やダンスを必修にすることが書き込まれるなど、新しい点も少なくない。にもかかわらず、そのための財政出動などなんら検討された気配はない。総合的学習の時間にしろ、少し次元はちがうけれど、特別支援教育にしろ、新しいことを提起をするさい、文部科学省は、なんら財政的な措置をとらなかったことが、現場の困難をより大きなものにしてきたと思う。その愚行をふたたびくり返さないことが、大人の、政治の最低限の責任ではないのだろうか。

 ちなみに、文部科学省の担当者の言い分は、このHPに詳しい。http://www.kknews.co.jp/maruti/2008/news/080202_2.html

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