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2008/02/24

消される歴史の現場から

Okinawa20baner 午前中は会議。何とも落ち込む会議(苦笑)。午後、焦りながら仕事をして、四時から、明治に「消される歴史の現場から」というJVJAの報告会に行ってきた。おつきあいの多い、フォトジャーナリストさんたちの団体だ。森住卓/山本宗補/國森康弘の三氏が報告。国森さんは、「日本兵が語る沖縄戦」~歴史認識の空白を埋める~と題して、実際に沖縄戦に参加した兵士からの聞き取り。これまで沖縄戦を語ってきた多くが、沖縄の地元住民だったことを考えれば、これは重要な視点だと思う。が、仕事は正直、半ば。山本さんは、沖縄戦からは国民を棄てる軍隊がよく見えると題して、八重山諸島の戦争マラリア、伊江島の壕での集団自決そして敗戦間際、日本軍によって満州の荒野に切り棄てられた満蒙開拓民27万人のたどった惨劇をかさねあわせ、軍隊は誰のために存在したのかを考える。ていねいな取材。聞き応えはあったけれど。森住さんが、ヤンバルの森から「集団強制死」の現場へと、沖縄海兵隊の姿、東村高江へのペリパット移転問題、そして座間味の「集団自決」を報告。森住さんが最後に紹介していた、金城さんの言葉がつきささった。ジャーナリストは、なぜそのことが起きたのかという歴史的な背景にせまるべきだと。
 最初の国森さんにしろ、山本さんにしろ、取材は丁寧だし、仕事も貴重なものがある。が、何か物足りなかった。いまさら、そのことを聞かされてもと感じたのは深みがもう1つだったから。歴史の背景に迫らないからだ。こんな仕事は歴史家とのコラボがいいのかもしれないし、もっと歴史を学ぶべきだ。自分の仕事のあり方も問われたような気がした。

 つづいて、もう1つ集会の取材をはしご。それは明日、報告します。

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コメント

なんと!です。私もあの集会に参加していました。
「対面」しそこないましたねぇ・・。
冷たい強風の道を歩きながら、そしていままで、ずっと「何か物足りない」気持ちでいました。
なるほど、YOUさんのご意見、考えてみます。

 そうですね。「対面」しそこないましたねえ。きっとどこかで会っているんでしょうけど。
 さて、「歴史」の記述の仕方や語りかたの難しさというものを感じます。歴史の世界でも、最近は、社会史的な研究が主流です。その社会にあった事実全体を、ていねいに明らかにする研究には意味があるとは思います。ボクはこうした歴史家の書いたものは好きでよく読みますが、同時に、そのとき、歴史家が、その歴史をどういう歴史の流れのなかで、どのように立体的にとらえているのかということは、それはそれで、案外、出てくるような気もします。

 ジャーナリストの取材も同じようなところがあるのかもしれません。沖縄戦というのは沖縄戦単体であるのではなく、明治以降の近代日本の一つの帰結でもあります。ときに、日本の軍隊というものがどのようにつくられてきたのかと、きわめて強いむすびつきがある。その日本の軍隊をつくった日本社会とはどういうものかということとも。直接、言葉にするかどうかは別として、それが、どこまで、取材するときに深められているのかということも大事なようにも思えたりします。

 ただ、日本のジャーナリズムの場合、とくに個人のフリーのジャーナリストが取材するには、経済的にもかなり限界がありますから。そのぐらい、個人のジャーナリストはお金がありませんから。そういう意味で、日本社会が、この沖縄の問題に、どれだけ関心を払ってきたのかということを、見事に反映しているのかもしれません。「物足りなさ」というものは、日本社会の反映なのでしょうね。

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