あの日から13年
あの阪神大震災から13年の日がすぎた。いまの小学生たちは、震災後に生まれた子どもたちだ。あの日の朝、テレビをつけ、ときが経つにつれ、どんどん被害の報告が拡大していったことは、昨日のことのように覚えている。ボクの実家は、同じ関西でも少し離れているから、そんなに被害はなかった。
記憶 教訓かみしめて 阪神大震災13年(中日新聞)6434人が犠牲になった阪神大震災は17日で発生から13年を迎えた。早朝に小雪がちらついた神戸市をはじめ兵庫県内の各地で、地震の発生時刻に合わせて犠牲者の冥福を祈った。現在の小学生はすべて震災後に生まれており「新市民」にどうやって記憶と体験をつなぐかが大きなテーマ。ろうそくの明かりを囲み「あの日の記憶」をかみしめ、忘れてはならない未来への教訓を語り継いだ。
をかみしめ、忘れてはならない未来への教訓を語り継いだ。
神戸の中心部・三宮にある公園「東遊園地」で行われた追悼行事には夜明け前から約四千五百人が参加。午前五時ごろから、「1・17」の形に並べた約七千本の竹灯籠(とうろう)のろうそくに次々に点灯し、地震が起きた午前五時四十六分の時報に合わせ黙とうした。
引き続き行われた「神戸市震災13年追悼の集い」で、神戸市の矢田立郎市長が「教訓と経験を次の世代に伝えていくことが使命。被害を最小限に食い止めるための減災に取り組む」と決意を表明した。…
その後、いくつかの大きな地震があった。いま、ボクは地域の自主防災会などの活動にも参加をしているが、そのつど、そして、もし身近で地震がおきたときのことを考えたとき、ほんとうに大丈夫なのかと、もどかしさを感じる。いちばんのもどかしさは、いま明らかにわかっていること、多少の調査をすればわかること、などの情報が、十分に共有されないことだ。たとえば東京や神奈川で地震が起きたとき、火災はどう広がるのか。たぶん、火災のため、帰宅難民と呼ばれる人たちは、歩いても埼玉や千葉方面にも帰ることは不可能になる。そんな情報も共有されていない。
震災の経験から、ボクらは何を学べばいいのか。13年たっても、学びきれていないことはたくさんあるようにも思える。
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