先生に出会う
朝日新聞の夕刊に連載されていた氏岡真弓さんの「先生に出会う」(ニッポン人脈記)の連載が終わった。
連載のタイトルを上げると、「いのちの授業」ふたたび/カタカナ学ぼう競馬新聞/「死の縁」で抱き留める/子どもの心にも「赤チン」 /心震わせ、書くんだよ/働き 上を向き歩こうよ/挑め「2千年前の米作り」/教科書に見えない沖縄 /「愛国心」ゆえ起立やめた/改革反発 ブログに本に/泣いてもいいじゃないか
私が話を聞いたり、仕事でお世話になった先生も登場する。
教育というのは、結局、子どもと教師の相互関係によって成り立つものにほかならない。個性がぶつかり、試行錯誤のうえにこそ成り立つ人間的な営みなのだ。そうしてこそ人間としての〈発達〉がある。教師が子どもに人として向き合い、子どもの声を受けとめてこそ、教育が成り立つ。
そこから、豊かな授業もつくられる、総合学習、作文(綴り方)、進路教育、体験学習…。だからこそ、その自由な空間を傷つけ、教師の人間としての尊厳を奪う行為は、教育そのもの=子どもと教師の営みへの干渉となるのではないのか。だからこそ、いま教師は人間としての発言こそ求められる。
ラストの今日は、北星余市のいまを義家氏との対比で描く。いま教師に何が求められているのか。氏岡さんはそのことを問い掛ける。
もちろん、教育は1人の教師のみの活動ではなく、教師集団と子ども集団としての学校、そして地域や父母をふくめての営みでもある。そのことへの批判はあろう。だけど、その核には、1人の顔のある教師の、子どもの、人間としての悩みや葛藤があることも事実だと思う。そして、この連載で紹介されたような教師たちの営みは、全国どこにでもある。子どもと教師の人間的な営みだからこそ、形はちがっても、もっともっと正当に評価され、大切にすべき日本の教育の成果や遺産は、限りなくあるのではないだろうか。
教育の自由そして人間としての尊厳、そんなことを感じながら読んだ連載だった。
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