学童保育法制化から10年…
早いもので、学童保育の法制化から10年がたとうとします。そうですよね、うちの長男が小学生の高学年のときに法制化があったわけですからねえ。そういう意味では、法制化の前後10年ほどを学童保育の運動のなかですごしたことなります。法制化で何が変わったのか、いろいろ考えさせられることがあります。
最近、学童の指導員の先生のすぐれた実践を読む機会がありました。1つは、先日紹介した『貧困と学力』のなかの、埼玉の飯能市の河野先生の実践です。もう1つは、『人間と教育』54号という雑誌にのった岡村美由紀先生の「子どもの後ろに見える経済的困難」というリポートです。ラーメンを食べながら、思わずほろりとしてしまいました。いずれも、経済的な困難を抱える家庭の親子と向き合い、支える実践です。学童保育には、こういう家庭との強いむすびつきがあるのです。そこにこそ、私たちが困難な中で何とか維持・発展させようとした、学童保育固有の役割、指導員の専門性というものがあります。こういう実践を読むと、私の子どもが通っていたクラブの指導員や親、子どもたちの顔が浮かんできます。
もう5年近く前になりますが、学童保育を離れる送別会のあと、私は恥ずかしながら大泣きをしたことがあります。周りから見れば寂しさというように見えたかもしれませんが、そのときの気持ちは悔しさというものでした。何も解決できなかったという無力感が私の心をしめていました。
もちろん、設置形態の変更をめぐる当時の運動(争議にまで発展した)のなかで、指導員もがんばったし、後継者も生まれたし、少なくない前進もありました。しかし、指導員の仕事のふさわしい安定ということにまで、展望を切り開けなかった悔しさです。
あれから5年たち、学童保育も、さまざまな前進があり、厚生労働省がガイドラインをつくるにまでいたりました。私が学童保育に”直接”かかわっていた時代から見ても、格段の前進のように見えます。しかし、その前進のなかでも取り残されているのが指導員の仕事にふさわしい安定ということができるかもしれません。この5年、私のかかわった先生たちが働き続けていることが救いであり、喜びでもありますが。そして、いまでも切ないほどの個々のがんばりでこの学童保育の事業は維持されているという事実は、多くのところではかわらないのだと思います。
先の文章を読んでいて、ああ自分のなかで、学童保育の問題は、決着がついていないのだなあと、改めて気づかされました。もちろん私は当事者ではありません。しかし、外部から、本職の仕事のうえでも、地域でも、まだしなければならないことは少なくないのかもしれません。そんなことを考えながら、今週の日曜は、久しぶりに、全国研究集会に参加してみようかなとも思っているのですが。
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