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許されることなら、参加したかった集会。沖縄で、教科書検定の撤回を求める「島ぐるみ」の県民大会が29日開かれた。残念ながら私は、親父の49日のために午後から関西の実家に向かう。
検定撤回へ結集/宜野湾・宮古・八重山で県民大会(沖縄タイムス)高校歴史教科書の検定で、文部科学省が沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」から日本軍の強制を示す記述を削除させたことに抗議する「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(主催・同実行委員会)が、二十九日午後三時すぎ、宜野湾海浜公園で開かれた。数万人が会場を埋め、実行委員長の仲里利信県議会議長らが登壇し、文科省に検定意見の撤回と記述回復を求めた。開会前、平和への思いを訴える読谷高校生の創作ダンスや渡嘉敷村の「集団自決」犠牲者を慰める鎮魂歌「白玉の塔」などがささげられた。宮古、八重山でも同時刻、郡民大会が開かれた。同日午前、沖縄戦終焉の地・糸満市摩文仁で「平和の火」が採火され、三十四キロ離れた会場まで百人以上が走り継いだ。…
およそ11万人が結集したと言われている。この集会に向け、たくさんの人々が、新たに証言をはじめている。こうした貴重な証言を受け止めたい。
この沖縄戦の記憶は、日本の軍隊による加害と被害をつなぐ貴重な意味を本来はもっている。ウチナーとヤマトで、温度差があるのは残念でもある。それだけに、連帯を強く表明したい。
GAKUさんが紹介していた、琉球新報の号外をここのでもアップしておく。「20070929.pdf」をダウンロード
沖縄からのボールは投げられた。検定撤回へ。われわれの声が問われているのだと。
『論座』の11月号に、浅尾大輔くんが「失われた『連帯』を求めて」という一文を寄せている。広がる若者の非正規労働の実態とたたかいを論じている。
「もはや右だとか左だとか、悠長なことを言っていられる状況ではない。私たちの生きているこの時代は土砂降りの雨だ。髪は濡れ、足場はぬかるんで一歩も前に進むことはできない。そのときに私たちがしなければならないことは天下国家を論じるkとではなく、労働条件の最低ラインを会社に守らせるという”ブルーシート”の端をともにつかんで一面に敷きつめることではないのか」
なかなか過激で刺激的な言葉だ。
こうした論には、いろんな反論も予想される。たしかに、現存の労働法を守らせるだけでも、若者の働かされ方の多くの問題は、かなり改善する。だから、まず、そのたたかいが重要なことには意義はないが、しかし、現在の非正規雇用の拡大が、労働法制の規制緩和や、正規労働者もふくめた雇用ダンピングという状況のもとでつくりだされている以上、その大本を変えなければ解決にならないのではないかと。そして、そういった社会に認識が広がらないと、彼の言う、若者の間に広がる「誇りの破壊」や「未来の破壊」は、回復しないのではないのかと。
たぶん、そんなことは浅尾くんは一〇〇も承知で書いているのだと思う。彼が問いたいのは、こうした若者の「絶望」に誰が寄り添い、裏切らずにたたかいきるのかということにあるのだと思う。今、求められているのは、この「絶望」に共感し、ともにその打開の筋道を考えることだと。
実は、共通するようなテーマについて、この雑誌は、今年に入って一貫して取り上げている。話題になった「赤木問題」などは、その典型例でもある。フリーターでもある赤木氏は、今年一月号の「『丸山真男』をひっぱたきたい」という論文で、「希望は、戦争。」と書き、物議を呼び起こした。ロストゼネレーションと呼ばれる三一歳の氏の世代にとって、働きたくとも、生きていけるような仕事にはつけず、人間の尊厳すら最初から奪われている。戦争になれば、社会が流動化し、国民が平等に苦しむと。
これに対し、四月号で、佐高信、奥原紀晴、若松孝二、福島みずほ、森達也、鎌田慧、斎藤貴男という論客が、応答を書いている。そして、六月号で、赤木氏が再反論を掲載している。
実は、この応答も、みごとなほどすれ違いに終わっているというのが、私の感想でもある。七氏の応答は、ここには異論がないわけではないが、かならずしも間違ったことを書いているわけではない。たとえば「戦争」というものに対して、語りかける言葉は、それはそれで考えさせられるものでもある。
ではなにが、それ違っているのか。それは、この社会であれ、政治であれ、いまある若者の「困難」や、痛め続けられてきた「絶望」に、どう向き合おうとしているのかという問いである。「たたかえ」と呼びかけるのならば、上からものを言うのではなく、まず、若者の「絶望」に分け入って、そこに共感し、連帯し、解決策を提示すべきだという問いではないのだろうか。
実は、これはそんなに簡単なことではない。では、浅尾くんのいうところでとどまっていていいのか。そこにある社会認識は、やはり限界があるし、そこに押しとどめようとする力が働いていることも、まだ事実でもあるからだ。その力に対抗する力をもたなければ、やはり、生存の破壊からも、誇りの破壊からも、未来の破壊からも回復はない。
そのとき、考えるべきことは2つある。1つは、どう押しとどめようとする構造に向き合うような道筋をつくるのかという問題。もう1つは、その構造が、最初から若者を排除するという仕組みをもっているのではないかという点。排除からの回復という2重の課題を抱えているのではないかという問題だ。
この問題は、案外新しく考えなければならない問題なのかもしれない。たとえば浅尾くんはもともと、かなりの文化資産をもった人だし、赤木氏自身、そのプロフィールはよく知らないが、書いているものから見れば、文化資産の持ち主だと思える。そうではない、大きな困難や抑圧にさらされた若者たちの視線に立ち、若者たち自身が社会から排除されずに、社会に参画していくような姿というのが大事なのではないかというのが、第2の点の問題意識。
とりあえず、今日は、ここまでで、今後の課題としていきたい。
日本の社会で生じている問題を端的にあらわしている数字である。この9年連続というのが大きな意味をもつ。
年収200万円以下、1千万人超える 民間給与統計(朝日新聞)民間企業で働く会社員やパート労働者の昨年1年間の平均給与は435万円で、前年に比べて2万円少なく、9年連続で減少したことが国税庁の民間給与実態統計調査で分かった。年収別でみると、200万円以下の人は前年に比べて42万人増え、1023万人と21年ぶりに1000万人を超えた。一方、年収が1000万円を超えた人は9万5000人増加して224万人となり、格差の広がりを示す結果となった。 …
9年という期間の格差の拡大は、1つの社会の形をつくり出す。今日本には、どんな社会がつくり出されようとしているのか。そんなことを考えながら、二宮先生の『格差社会の克服 さらば新自由主義』を読み始めた。いま三分一ぐらい。
つらつらと格差という問題と貧困という問題を考える。この問題にかかわって、本屋で膨大に積まれている、さまざまな本について考える。すべてを読むことはできないが、どうもうさんくさい本も多そう。たとえば、『ニートってよぶな』の後藤和智さんが三浦展『下流社会 第2章』について批判している。http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2007/09/tryspecial_2_9ffd.html
まあ、三浦氏の議論は、後藤さんの言うとおりである。同時に、こうした議論がなぜ生じるのかについて、少しメスも入れたいところ。格差という問題のとらえ方、貧困という問題の角度、それを単に社会現象ということではなく、社会の構造の問題、運動の側から見えれば、労働の問題と人権の問題、もう少ししぼれば社会参画の問題など、ちょっと議論を整理してみたい。まずは、上記の統計結果を、各方面はどう受け止めるのだろうか。さて、どこから手をつけようか。
とにかく、今度は首相にまで「政治とカネ」の集中砲火である。首相の政治団体、政党支部への献金疑惑が続く。今日は、こんなニュースが飛び込んできた。
首相の選挙区支部 寄付を返還(NHKニュース)福田総理大臣が代表を務める自民党の選挙区支部が、おととしと4年前の衆議院選挙の時期に、国と清掃作業の契約を結んでいた群馬県内の業者から寄付を受けていたことについて、町村官房長官は記者会見で「誤解を生じさせてはならない」として、福田総理大臣が寄付を業者に返還すると説明しました。
そういえば、数日前にはこんなニュースもあった。
福田氏の自民支部、パチンコ業者に献金20万円返す(読売新聞) 福田康夫・元官房長官(衆院群馬4区)が支部長を務める自民党群馬県第4選挙区支部が、外国人が過半数の株式を持つ企業から寄付を受けていた問題で同支部は21日、献金をした群馬県高崎市のパチンコ店経営会社に計20万円全額を返金した。…
町村官房長官は「正直に言って、寄付を受ける側が把握するには限界がある。寄付をするほうに考えてもらわないと率直に言って困ってしまう」と開き直る始末だ。寄付をする業者などが国と契約を結んでいるかどうかなどを候補者側が把握することには限界があるというのだ。でも、ルールをまもれないのなら、最初からゲームに参加する資格はない。そもそも企業献金などうけなければいいのだ。日本には、企業から献金を受けていない政党や政治家はいくらでもいるのだ。こんな態度が、日本の政党政治を衰退させていることがなぜわからないのだろうか。露骨な支配者意識、特権意識が見え隠れする。
1週間も前になるが、ピースデポの梅林さんが、表題の記者会見をおこなった。その要約は以下の通り。
海上自衛隊の補給艦「ときわ」が03年2月25日に米空母キティホークに間接給油したことが、同年5月6日に空母が横須賀に帰還したとき明らかになり、国会でも論争された。しかし、当時は検証可能な情報が不足しており真相は解明できなかった。本報告は、この時の給油の真相を米海軍公文書の調査によって明らかにする。 調査された海軍公文書は、米給油艦ペコス、空母キティホーク、イージス巡洋艦カウペンスの航海日誌とキティホークの2003年司令官年次報告である。 「ときわ」が給油をした相手の船は、給油艦ペコスであり、同じ日にペコスから空母キティホークと巡洋艦カウペンスに給油された。「ときわ」が給油した燃料油は、約80万ガロンであり、キティホークが得たと発表された全量と一致する。給油を受けた場所、その後のキティホークの航跡は、空母が「不朽の自由作戦(OEF)」に従事したという説明は、ほとんど成り立たないことを示している。給油された燃料の大部分はペルシャ湾内でのイラク「南方監視作戦(OSW)」のために使ったと結論づけることができる。これは、「対テロ特措法」に違反する。 日本政府のもつ第一次情報の公開と、少なくとも違法に給油された燃料の返還が必要である。
この問題は、すでにイラク戦争のはじまる前から指摘されていた。当時、イラク戦争の準備のためにアラビア湾に配置されていた米艦船に給油されていたという指摘である。イラク戦争がはじまる数か月前に、そんな企画を、国会の関係者と相談しながらすすめたことを思い出したりしたが、アメリカ側の資料で、そういったことが証明されたわけである。
明らかに違法な行為であり、国税の違法な支出である。なかなか明らかにされない自衛隊の行動ではあるが、地道でしっかりした調査でその壁を崩すことこそ求められている。そこには、アメリカ軍と一体になっている自衛隊の姿を見ることができる。
テロ特措法のいわゆる「新法」の議論で、どこまでせまれるか。相手は石破氏である、氏は、恒久法を持論として掲げる政治家でもある。おそらく、通常国会にまで持ち込まれる可能性も強いこの問題。本質に迫る審議を期待したいものでもある。
福田首相の『一国は一人を以って興り、一人を以って滅ぶ』をとりあえず読み終えた。きわめて自民党政治の枠内に生きている政治家だという印象は強まった。「ふくよかな」と氏が表現する政治も、財界本意の思考の中にしかない。外交でもアジア重視を主張しても、それはアメリカとの強い同盟関係が前提になっている。
さて、その福田新政権が、まず何よりも問われることになるのは、安倍政権が厳しい批判にさらされた「政治とカネ」の問題であろう。今日は、次のようなニュースが流れた。
渡海文科相、寄付金を返却「疑義は不本意」(朝日新聞)渡海文部科学相が代表を務める「自民党兵庫県第10選挙区支部」が03年と05年の衆院選公示日の当日と前日に、国の公共事業を施工中の建設会社からそれぞれ100万円の寄付を受けていた問題で、渡海氏は27日、両年にこの会社から受け取った計290万円の寄付金を返却した、と明らかにした。渡海氏は理由について「公選法違反ではないとの認識だが、疑義が生じるのは不本意。けじめとして、当該年の寄付を返却するように指示した」と述べた。
…公職選挙法は、国と契約関係にある企業などが国政選挙に関連した寄付をしたり、候補者が寄付を受けたりすることを禁じている。
この間の報道を見ても、14日には、同種の補助金をうけていた企業からの献金が指摘された。環境対策の補助金をうけていた企業21社から、自民党と民主党の政治団体に1億2000万円の献金がおこなわれていたとNHKが報じていた。とにかく「カネ」の問題での政治家の感覚は、民主主義本来のあり方からはかなり遠いところにあると言えそうだ。
だから自民党が、今回打ち出そうとしている、政治資金規正法の改正なるものも、どうもずれている。第三者機関によってチェックするというが、はたして、そのチェックの対象の疑惑なるものを誰が認定するのか? 第三者機関は誰が選ぶのかということを考えたとき、衆院で圧倒的に議席を自民党が有する限り、限りなく自民党に有利な役割しか果たしようがない。
「政治とカネ」の問題を考え始めると、とめどもなく闇ばかりだと実感する。政治資金規正法では、政党は議員個人に寄付することができることになっている。いわゆる組織活動費だとか政策活動費だとか言われているお金で、それ以上は明らかにはされないものだ。しかし、その根本の政党の収入は、企業からのひも付きのお金とともに、圧倒的には政党交付金であったりする。税金であるにもかかわらず、お金の流れは先に行くほど、わからなくなる仕組みになっている。
また、政治団体でも支出が、明らかでないものは、繰越金として処理されているという。では、なくなった松岡さんのころに流れ込んだお金は、たくさんの繰越金として残っていることになっているのだが、今後はどうなるのだろうか?
国民が主人公の政治のためには、政党が国民とむすびつき、国民の浄財により政党が運営されるべきである。その原点から、政党の活動が離れ、それが国民と乖離した政治につながっていく。ここにメスを入れて、透明性を確保する。この国会では、そこまでしっかり議論をすすめなければならない。
昔、学生のころ、自治会室だとか学生談話室なんかにいくと、自治会の文書だとか、ゼミの報告を書く学生がみんなペン回しをしていた。不器用なぼくは、このペン回しがなかなかできず、いつもペンを落としてはイライラしていた。そのペン回しが、なんだかすごいことになっている。NHKの熱中時間という番組で、やっていたのだが、あっという間にインターネットの世界に広まり、いまではフリースタイルという新しい形のものをふくめて、協議になっているというのだ。ちょっとびっくり。
さて、ここのところ、少し、勉強不足というか、ちょっと頭の栄養が枯渇している感じ。この9月最後から10月は、少し、系統的に勉強したいなあ。系統的でなくても、少し自分が納得をする時間をかけた勉強をしたなあ。ペン回しはできないけど、あまりイライラせずに、読書のほうに集中したいという次第。
すっかり大臣の椅子が嫌われたものだ。農林水産大臣はなかなかなり手がみつからないという。もともと、自民党の総裁選と言えば、現生が飛び交ったという時代があったという。そう考えれば、日本の政治は進歩したのか。
これだけ政治家のお金の使い方がクローズアップされるようになったのも大きな進歩といえるのだろう。それだけに、幹事長に伊吹さんを登用する福田さんの感覚は、庶民とはかけ離れている。伊吹氏の2005年の事務所費は実に4146万円にのぼる。これに対し、伊吹氏は東京と京都市内の事務所の賃料、会合費、秘書の車のガレージ代などなどで約2000万円と説明した。しかし、それでも、全容を明らかにしたわけではない。しかも、9月に公表された伊吹氏の2006年の事務所費は3335万円。しっかり説明していただきたいものだ。しかし、伊吹氏は内閣を離れたため、国会で追及されることはない。
そういえば、安倍さんの辞任表明の当日には、こんなニュースが流れていた。
公共工事業者から寄付 若林農水相の政党支部(朝日新聞)若林農水相(参院長野選挙区)が代表を務める「自民党長野県参議院選挙区第1支部」が、若林氏が立候補した04年7月の参院選投票日の直前、国の公共工事を受注している長野市内の建設会社から25万円の寄付を受けていたことが分かった。公職選挙法は、国と契約関係にある企業などが国政選挙に関連した寄付をしたり、候補者が寄付を受けたりすることを禁じている。…
直前の6日には、若林正俊農水相の政治団体代表を農水省の補助金を受けている団体のトップが務め、パーティー券を購入していたことが分かった」ということもあった。その若林氏が留任である。はたして、この内閣に、政治とカネの問題を解決する能力はあるのかは疑わしい。
内閣として正式に発足するのは明日だそうですが。今日の国会で、福田康夫氏が内閣総理大臣に選出された。新内閣の顔ぶれは、と言えば、石破氏と渡海氏以外は、全員留任ないし横滑りである。前日には、幹事長に伊吹さんをはじめ、谷垣、二階、古賀氏の新四役が決定している。この陣容には、いろいろな解釈ななされている。伊吹、谷垣というのは、ディベート要員といえばそうだろうし、麻生氏に集まった「靖国」派との融和対策と言えば、そうなのだろうと思う。結局、この福田氏というのは、どういう政治思想をもった人なのだろうか。調整型という人という人もいれば、頑固な決断型という人もいる。
どうもつかみきれないので、福田氏の唯一の著作である、『一国は一人を以って興り、一人を以って滅ぶ』を手に入れて読み始めた。衛藤征士郎との対談である。基本的に、自民党の政治家らしい発言がちりばめられている。構造改革にしても、憲法改正にしても、その推進をうたっている。日米関係にくわえて多極的友好関係が必要だという主張であるが、しかし、その前提として、強固な日米同盟が前提となっていることは伺える。どうも、福田さんは、アメリカとの関係には自信が見え隠れする。
安倍内閣との違いは、「靖国」派的かどうかといえるのかと思えば、内閣の陣容を見れば、必ずしもそうとも思えない。アジア外交を重視しながら、「靖国」派との融和もはかる、バランス内閣とも読める。はたして、したたかな戦略家として、この自民党の難局を乗り越えようとしているのか。それとも凡庸な保守政治家として、オーソドックスな守りの政治で、民主党との妥協をさぐるのか。「背水の陣」内閣と自称するが、その先は、わからない。
とりあえず、テロ特措法は、新法へとすすみそうだ。多くのメディアも、新法を掲げることで、国際社会に派兵継続にむけた努力をしめしつつ、結局、通常国会にまで先延ばしされる公算も高そうだ。それが通用するのか。すべては世論が決める。はたして、特措法が切れた段階の11月に、世論は福田内閣jに、どんな評価を下すのか。そのためにも、この内閣が、あまりにも、はっきりしたアメリカ追随内閣であり、財界べったりの内閣であること、審判を受けた自民党政治の枠内にとどまる内閣であることを国民の前に明らかにする必要があるのだと思うのだが。
映画としては、残念ながらもう3つぐらいのできで、たぶんテレビ・ドラマのほうがおもしろかったと思う。でも、篠原涼子は、あいかわらず括弧いいし、こちらの方が色っぽい。テレビドラマをより荒唐無稽にしたわりには、ドキドキとあっと驚きの展開がないなあ。
でも、笑えないのがこの事件の背景。警視庁の裏金だって。警察の裏金は、北海道や愛媛は有名で、地方紙が告発して、どうも最終的には曖昧になった感じ。でも、県警の幹部は、警察庁から派遣されるわけで、裏金なのは警察庁が知っていたもの、当然お膝元の警視庁にも存在するということがよくいわれていた。財界や政界とのかかわりの強い、東京のメディアは、この問題は決して追わなかったという話もあるぐらい。
それを知ってか知らずか。しかし、ストーリーは人間不信に満ちていて、主人公の姿以外は救われません。これまでのフジのドラマシリーズのなかでも突出しています。いまの時代を反映しているのでしょうか。
でも、篠原涼子はかっこいい。
今日の東京新聞の夕刊に次のような記事が載っていました。
憲法映画『日本の青空』晴れぬ空? 後援拒否の自治体次々(東京新聞)憲法の制定過程を描いた映画「日本の青空」の上映会に対し、主催の住民団体の後援申請を自治体が拒む事例が東京都内などで相次いでいる。判断のポイントは、「政治的中立を保つ」という視点だ。安倍政権で成立した国民投票法で改正への手続きが整った憲法。その在り方を考えさせる映画への自治体の姿勢は、政権の顔色をうかがって憲法改正問題を敬遠しているようにも映る。
…都内の上映会のうち、あきる野、東大和、狛江や清瀬市は「改憲の賛否に関係なく、憲法について考えるきっかけにするという開催趣旨に賛同した」などとして後援をした。一方、国分寺市と同市教委は「映画制作の趣旨が改憲反対に偏っている」として、後援申請を拒否。調布市や中野、練馬、大田、目黒各区なども「改憲論議がなされている中で、政治的中立を保つ」として後援をしなかった。
都道府県レベルも同様だ。宮崎県教委は「教育の中立性」を理由に後援を拒んだが、鈴木氏が地元大学の教授を務めた静岡県教委は「憲法学習の一教材になる」と優良推奨映画に指定。判断は二つに分かれる。
ご承知のように、この映画は、憲法学者鈴木安蔵を中心とする民間人グループ「憲法研究会」の物語です。同会の案も一つの参考として、GHQが憲法草案を作ったという史実を、もとに映画がつくられている。憲法を守るという行為ははなして。いわゆる”政治的な行為”といえるのでしょうか。ましてや公務員は憲法を守る義務があります。なぜ、自治体が後援を拒否するのでしょうか。
記事も、こう訴えます。「『政治的中立』について、自治体から納得できる説明はない。改憲についてさまざまな意見はあるが、政治的中立を掲げて憲法論議に背を向ける自治体の姿勢は、本当に正しいのだろうか」
続けて、教育の話題です。この記事も十分にいじめの問題の背景にはなっているのだと思います。
大学生5人に1人 高3時『勉強せず』 東大研究グループ『1日3時間超』32%(東京新聞)大学進学者の五人に一人が高校三年の時に家でほとんど勉強せず、二人に一人は勉強時間が二時間以下-。「大学全入時代」が目前に迫る中、高校生の深刻な勉強不足の実態が二十二日、二〇〇五年度時点で高校三年生だった生徒を対象に、東大の研究グループが実施した全国的な追跡調査で分かった。
少子化や大学定員の増加に加え、推薦入試、アドミッション・オフィス(AO)入試の拡大などで受験競争の激しさが緩和されたことが、高校生の学習意欲の低下に影響しているとみられる。
〇五年秋の第一回調査で、一年の時、平日に家や塾、図書館などで勉強した時間を振り返ってもらったところ「ほとんどしなかった」と答えた生徒が59%と最も多く、「約三十分」13%と「約一時間」17%を加えた「約一時間以下」が89%を占めた。
次に調査した三年時の勉強時間を質問したところ「ほとんどしない」は41%に下がったが依然、最も割合が高かった。
一方で「四時間以上」は一年時の1%から19%に増加。「約三時間」13%を合わせると32%となり、勉強する層としない層に二極化していた。
…調査を担当している東大の金子元久教授は「高校の学習内容が生徒の学習意欲に合致していないのではないか。教育再生会議や中教審の議論は小中学校や大学に目が行きがちだが、高校生のこの状況は深刻だ」と話している。
昨晩、たまたま宇浦冴香の「休憩時間10分」という歌を聴いて、それを聞いて思ったことが、金子さんの言っているのと同じ「高校の学習内容が生徒の学習意欲に合致していないのではないか」ということ、いじめの問題にも関係するけれど、高校生たちが切実に感じている悩みや葛藤と、学習内容が乖離をしているのではないかということ。
しかし、この状況にたいして、おそらく相変わらず、教え込みをすすめようという反応がでるだろう。民主主義の主人公として育ち、消費者社会の主人公と生きてきた子どもたちに教え込みが成立することは困難です。教育は変わらなければならないのは、はっきりしています。
先のいじめの続きと思って読んでもらえればいい。
国立教育政策研究所が、「教育に関するアンケート」調査結果なるものを発表した。
現物は、http://www.nier.go.jp/seisaku/mailmagazine/chousakekka.pdf
さすがに文部科学省の初等中等教育ニュースの読者を対象としたWEB調査なので、きわめて恣意的というか、現在の教育政策を進めるためんの調査だとしかいいようのないものにはなっている。
ただ、気になることはある。そこでも、問題になっているのは、家庭の教育力の低下と、社会的なモラルの低下ということだ。単純に、恣意的な調査だとみすごしていいのだろうか。さきのいじめの問題ともあわせて、少なくとの教育という問題のなかで、道徳だとか徳育という問題は避けて通れないテーマになっていることは否定ができないと思う。
もちろん、私は、単純に子どもたちのモラルが低下しているという考え方には与するものではない。しかし、現実には、この面で子どもたちが抱えている課題が大きいということも否定ができない。
2つのことを漠然と考える。
1つは、問題の本質がどこにあるのか。それは子どもたちの問題なのかと。政治家のモラルなってあげればきりがないが、少なくとも子どもたちの生活において、学校以外の、消費文化を中心とした社会が存在し、そこではルールがないような世界がくりひろげられている。それを支配しているのはだれなのか。問われているのは明らかに大人社会のありようであり。
もう1つ、でもあ子どもが教育をつうじて、いかに市民的モラルを形成していくのか。結論からいえば、それは理念的には、知的な能力の形成とともに、子どもの参加経験をとおした自由な学校における活動(こういう表現はあまり正確ではないのかなあ)にあるのだろうが。ではそれがいまの学校でになえるのか。痛めつけられた教師や学校の現状で、そういった活動が可能なのか?
正直、暗い気持ちになっている。もちろん、いまの学校にも、戦後積み上げてきた成果のうえに、底力は十分あると思うし、父母もそんなに馬鹿ではない。その答えに光をあてるのが、われわれの仕事といえば仕事なんだから。
この事件には、かなりダメージを受けている。心に深くつきささった棘のように、今日一日、私を支配し続けたような感じがする。もちろん、まだまだ事実は、定かでない部分が多い。しかし、たくさんの問題を投げかけてはいる。
自殺の生徒宅でサイト作成 神戸、実名や住所も掲載(中国新聞)神戸市の私立高校で自殺した三年の男子生徒(18)に同級生の少年(17)が金を要求し逮捕された恐喝未遂事件で、男子生徒の下半身の写真などが掲載されたインターネットサイトは、逮捕された少年を含むフットサル仲間が、男子生徒の自宅にあるパソコンで作っていたことが二十一日分かった。
また、サイトには男子生徒の実名や住所、メールアドレスも掲載されていたことが判明。男子生徒は七月二日にメールアドレスを変更し、翌日、飛び降り自殺した。
…学校関係者によると、発端となったサイトは約二年前、フットサル同好会の情報交換の場として開設。今春閉鎖されたが、フットサル仲間が再び作り直した。
その後、男子生徒の裸の下半身の写真や、強引に開脚させた姿を撮影した動画を載せるなど、次第に「いじめの場」に悪用されていった。同校の多くの生徒がこのサイトの存在を知っていた。
サイトは各メンバーの個人ページなどで構成。男子生徒のページは仲間が作っていたが、男子生徒自身が作成・更新したように偽装していた。兵庫県警少年捜査課もこのサイトの存在を把握。サイト上でのいじめや嫌がらせが、男子生徒を自殺に追い込む一因になったとみている。
たぶん高校生のいじめ自殺というのは、ここのところの新しい特徴でもある。そこには携帯やインターネットが常に介在し、いじめのツールとなっている。
この間、いじめの問題は、何本か企画で担当し、いろいろな角度から追求してきた。でも、まだ自分で理解しきれにでいることは少なくはない。
たとえば、今年の夏の教育研究の集会でもいじめの問題は、やや論争にもなっている。教育学者の折出健二さんは、自身のHPで、次のように問題を提起している。
わたしとしては、竹内氏に象徴される、いじめもまた子ども時代のつきあいかたであり、問題はそれが迫害に転化するのはなぜかを解明することだ、といういじめ観は80年代のものだと思います。いまや、90年代以降、新自由主義的な競争と孤立化、排除と不信が広がる中では、いじめは明らかに相手の拒否・否定・抑圧・攻撃という暴力性をおびて行為化されているのです。
…「いじめも子どもの付き合い方の一種。それしかつきあえない」というのは、一見もっともらしいのですが、結局は、それによって傷つくかどうかは、それを受け止める側の「感性の違い」になるおそれがあります。つまり、いじめの攻撃性、外傷体験の惹起が、どこか不問にされる、あるいはつきあい行動の中に解消されるおそれがあるのです。そういういじめ認識で今後も通用するのかどうか、子どもたちのメッセージはそれを果たして認めるものであるかどうか。
…一定の地歩を築いておられる教育学者の「いじめ観」の中に、どこか、いじめ・いじめられ関係を上から見下ろしているところはないか。結局は、いじめという「付き合い」を通して集団を知り他者を学ぶほかないのだ、といった家父長的な見方はないのかどうか。
ここを一端突き抜けないと、教育学者のいじめ論は、いじめの現場を生きている子どもたちにとっては無力だと思います。いやそれどころか、現にいじめで悩む子どもにとっては、教育学をやるひとでさえそのようなとらえ方か、と絶望感さえもつのではないでしょうか。
たしかに、明らかに、いま私たちの目の前にある”いじめ”は、きわめて攻撃性を帯びている。最近、TVドラマでも、たとえば菅野美穂が主演した「私たちの教科書」だとか、「ライフ」といったものがあったが、いずれも目を覆いたくなる激しい暴力の世界であった。ライフは、長男が高校のとき読んでいたマンガでもある。はたして彼はどのような暴力の世界に生きていたのだろうか、聞いてみたい気がする。
自殺に追い込むようなことは、絶対に許されない。いじめで打撃を被った子どもの傷を、曖昧にすることは決して許されない。しかし、だからといってそれを”犯罪”という言葉だけでかたずけることは何の解決の用意しない。暴力を暴力だと批判するだけでは解決はしない。暴力が支配力を持つ世界にわけいって、子どもとともに、そこから解き放たれるような道筋を、ともにもがき、探すことなのだろうか。
そんなことを考えながらふと、黒沼さんがいきていたら、いまならどんな仕事をしただろうと考える。私たちがやらなければならない仕事も小さくはないと、そう思う。(つづく)
民主党の説得の材料にと、外務省の官僚がいろいろ動いたようですが、どうも裏目に出てしまったようです。浅はかというか。
もう1点、アフガニスタンはイラクと違い国際社会は一致しているということがよく言われるのですが、ことはそう簡単ではないようです。明らかに、アフガニスタンの戦争にいたる経過は、議論が不足していた。そのことが、現在の国際社会の対応への合意作りに、影を落としているのは否定できないと思いますが。
決議分裂「日本のせい」、安保理各国に反感 給油謝意(朝日新聞)テロ対策特別措置法に基づくインド洋での海上自衛隊の給油活動を継続するため、日米が目指した「国連決議によるお墨付き」は、ロシアの棄権という想定外の結果に終わった。
ロシアのチュルキン国連大使は決議の本来の目的である国際治安支援部隊(ISAF)の任務延長を、米国主導の対テロ作戦「不朽の自由」(OEF)からはっきり区別。「(OEFの有志)連合の活動は国連の枠外のものだ」と言い切った。
背景には「安保理の一員でもない特定の国」(チュルキン大使)の国内事情を、安保理決議の交渉に持ち込んだ米国への反発がある。米国は前文をいじるだけなら全会一致に持ち込めると踏んだが、読み違った。
全会一致が崩れた原因が「これまでなかった海上阻止活動への言及」(同大使)にあるのは明らかだ。各国は「分裂は日本のせいだ」と見ている。賛成した中国の劉振民・国連次席大使も「全会一致を目指す努力を怠ってはいけない。これが前例とならないことを願う」とくぎを刺した。
…チュルキン大使は採択後、記者団に「議論が尽くせなかった。全会一致にはもう1日必要だった」と強調した。ロシアの協力を取り付ける時間が与えられないまま、不完全な成果と日本への反感だけが残った。
さて、そのテロ特措法とアフガニスタンの現状について、毎日新聞でひじょうに興味深い対談が掲載されていました。『武装解除』の伊勢崎さんと、『ドイツ再軍備』の岩間陽子さんの対談です。これがなかなか面白い。五十嵐仁さんがそのエッセンスをブログで紹介しています。一読の価値があります。
これは情報だけ、
学力テスト不正で成績反映予算を廃止へ…足立区教委(読売新聞)東京都足立区の区立小学校で起きた学力調査(テスト)の不正問題を受け、区教育委員会は来年度から、学力テストの成績の伸び率に応じて学校予算を配分する制度を廃止する方針を固めた。
成績を予算に反映させることが過度の競争意識をあおり、今回のような不正を招きかねないと判断した。
廃止されるのは、区立小中学校の予算の一部(今年度約2億6000万円)について、前年度の学力テスト結果の伸び率などの基準を反映して配分する制度で、今年度から始まった。
…学力テストを巡っては、今年7月、区立小学校校長らが区の学力テスト(昨年4月実施)で児童に正解を誘導するなどの不正を行ったことが発覚。都の学力テスト(昨年1月と今年1月実施)でも同様の不正があったことが判明している。
学力テストについては、根本的な見直しが求められているはずだ。
内閣府が「国民保護に関する特別世論調査」という世論調査をしている。現物は、http://www8.cao.go.jp/survey/tokubetu/h19/h19-hogo.pdfにある。
8割以上が大規模テロを不安視 内閣府調査(産経新聞)他国からの武力攻撃や大規模テロの発生に不安を感じている人が8割を超えることが20日、内閣府がまとめた「国民保護に関する特別世論調査」で分かった。昨年の北朝鮮によるミサイル発射や核実験が国民心理に影響しているとみられる。
それによると、弾道ミサイルやゲリラ特殊部隊などによる武力攻撃に対し「非常に不安がある」と答えた人は34・0%。「少しは不安がある」は46・2%で、合計80・2%に上った。
また、原子力発電所を狙った攻撃や生物化学兵器の使用についても、「非常に不安がある」が38・0%、「少しは不安がある」は43・4%と計81・4%に達した。
政府は平成16年、武力攻撃や大規模テロの発生時の国、地方自治体、関係機関の対処方針を定めた国民保護法を制定している。だが、同法の内容については「ほとんど知らない」と「全く知らない」を合わせると70・2%に上り、周知徹底は不十分だといえそうだ。…
見れば、いかにもという感じの誘導的な世論調査ということは言えなくはない。この点では議論をよびそうだ。ただ、国民の間に、そういった種の不安感が広がっていることも事実だとは思う。しかし、その不安は、きわめて漠然とした不安にとどまっていることを見ておく必要があるだろう。それが実際に国民保護法などを知っているかどうかということにあらわれているのだと思うがいかがだろうか。
問題は、こういった点についても、しっかりした具体的な社会認識を広げることにあるのだと思う。まどわされてはならない。
沖縄戦研究の第一線で活躍してきた大城将保さんの新著『沖縄戦の真実と歪曲』を読んだ。この人とは、何度か仕事をさせていただいたことがある。
今年春、高校日本史教科書のおける沖縄戦「集団自決」についての記述から”日本軍の強制”を削除する検定意見がついた。その動きは、侵略戦争の歴史を否定する勢力による、大江・岩波「集団自決」訴訟と軌を一にしている。文部科学省は、林博史さんの『沖縄戦と民衆』を、恣意的に利用したが、訴訟の中心になっている弁護士は、実は、この大城さんのん過去の著作などを悪用している。本書は、その沖縄戦研究の第一線で活躍してきた著者による渾身の緊急レポートである。
第一部は、なぜ教科書検定で「集団自決」の真実を歪めるのかを問いながら、歪曲勢力の言い分に一つひとつ反論する。そこからは、都合のいいことがらだけを恣意的に利用し、軍の強制を消し去る構造が見えてくる。第二部は、軍隊のない沖縄に軍が配備された結果をふり返る。過剰な軍民一体思想の持ち込みと防諜の名による住民監視が、住民虐殺と「集団自決」に至る経緯が示されている。
なぜ、沖縄が怒るのか、そして我々は沖縄の問題を通して、何を学ぶべきなのかがよくわかる。9・29は県民大集会である。
安倍さんがやめるとなると、安倍さんを強く推していた御手洗さんの求心力も弱まって、しばらくは財界はおとなしくする――という観測もありましたけど、実は、財界もここのところ安倍さんのやり方にはじりじりしていて、首相が変わるこの時期に、言いたいことを言ってしまおうということなのだろうか。日本経団連のHPに、18日、2つの提言がアップされた、1つは、「国・地方を通じた財政改革に向けて」であり、2つは、「今後のわが国税制のあり方と平成20年度税制改正に関する提言」である。
前者のほうは、財政の無駄づかいとっても、私たちの感覚と財界の感覚はこうもちがうのかとつくづく思ってしまう。見ていただければすぐわかるが、ようは社会保障の支出を見直して、もっと経済活動のほうに税金を使えというのが第一の主張にほかならない。そして道州制を強く押し出す。後者は、よりおどろきの消費税増税のすすめであり、いっそうの大企業減税の主張である。
先の選挙での、審判の大きな1つに「格差と貧困」がある。こういった状況をつくりだすうえで、経済財政諮問会議などを通じて財界が果たした役割も否定することはできないだろう。
ほんとうに、ふざけるな財界と言いたい。
今日の長官には、各紙で次のような記事が掲載されていた。
公的支出ワースト2 教育費、OECD調査(東京新聞)経済協力開発機構(OECD)は18日、加盟30カ国の教育環境を比較した調査結果を公表、2004年国内総生産(GDP)に対する日本の公的な教育費の支出割合は3・5%で、ギリシャの3・3%に次ぐ最低水準だったことが分かった。03年調査では3・7%で、加盟国最下位だった。
調査では各国平均は5・0%。上位はアイスランドの7・2%を筆頭に、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーなど北欧各国が名を連ねた。
私的支出を含む教育費全体のGDP比でも、日本は平均以下の4・8%。公私の支出割合では、日本は私的支出が25・8%でオーストラリアや米国に次いで高かった。
中でも、日本では幼稚園など就学前の教育費で50%、高等教育で58・8%が私的支出になっており、いずれも各国平均の倍以上と高い割合を示した。(共同)
報告書そのものは、冊子になっているようだ。OECDの本部のホームページには概要がアップされている。英文を、つらつら読んでみたりするが、いかんせん、私の英語力では.…。ちゃんと勉強しておけばいいなあ、時間があれば英語も勉強したいなあなどとは思うのだけど。
他の新聞をくってみても、この報告書には興味深い記述は少なくないようだ、日本の特徴として(1)初等教育で1学級28.4人は、韓国に次いで2番目に多い(2)教員の給与は比較的高い(3)小学校教員の授業時間が最も少ない一方、労働時間は最も長い――などを挙げているという。
教育再生会議は、安倍さんがやめて、完全にとまるのかとええば、実は、辞任表明があった12日に合同分科会が開催されていた!(笑い)。まあ、いずれにしろ、本来、もっとやるべきことがあることは、この報告書も示しているようでもある。
肝心の新聞を持って帰ってくるのを忘れて、うる覚えて書いているので、間違いがあれば、明日、訂正する(苦笑)。何についてかといえば、今日の朝日新聞の4面に、コラムが載っていた。たぶん星浩さんあたりの筆によろものだったろうか。政治の「もしも」について書いていて、論旨はもう自民党には「もしも」はない。というものだったけど。
そこで、少し、私の意識にひっかかったのが、福田さんが昨年の総裁選で立候補をやめたくだりのところだ。彼は、自民党のなかで大きな力をもっていた「靖国」支持勢力からの攻撃をおそれて、やめた、靖国問題で自民党が2分することを心配してやめたというようなことが書いてあった。
これは結構大きな問題だと思う。とりわけ、この問題は、日本の外交と進路にとってきわめて重要な争点であったからだ。当時は、対中、対韓をはじめ、福田さんが主張するアジアとの外交関係にとって抜き差しならない問題として、この問題があったはずだ。そのときに、自らの主張を引っ込める政治家というのは、どういう政治家なんだろうかとつくづく思う。これは政治家としての資質にかかわる問題でもある。こんな政治家にはとうてい日本の舵取りをまかせることはできないと思うのだけれど。(もちろん、”靖国”的なものにかぎりなく近い=そのもの?の麻生さんでも困りますけど)
教育再生会議で、誰かさん(中嶋嶺雄氏)が固執していたという9月入学。これが国際化のポイントだという。
大学「9月入学」来年度にも解禁、海外の人材呼び込む(読売新聞)文部科学省は18日、現在は「原則4月」と定めている大学の入学時期について、年内にも完全に自由化し、各大学の判断に委ねる方針を決めた。日本の大学は、海外の大学に比べて外国人教員や留学生の受け入れが遅れており、「4月入学」がその最大の要因とされている。
同省では、この規定を撤廃することで、欧米などで一般的な9月入学の大学を増やし、優秀な学生や研究者を日本に呼び込む環境を整えたい考えだ。 …
でもねえ。ほんとうにそうでしょうか。国費留学ならまだしも、私費留学でアジアから来ている学生の最大の困難は何かわかりますか。そうです学費と、生活費です。異常な高学費と、これまた異常なほどの生活環境の悪さです。高等教育費の無償化は世界の流れでしょう。少なくとも諸外国の学生の学習環境はもう少しまともでしょう。
まず、解決すべきことはあるのではないのかなあ。
手塚さんの「戦争漫画」についての2冊目の作品集。今度は、その多くの作品がベトナム戦争を背景とした物語。私が、子どものころ読んだ作品も少なくありません。その時代時代のおこった戦争・暴力について正面から向き合おうとした作者の姿勢が伝わってきます。
漫画というもののひとつの特性はデフォルメということにあると思います。きわめて単純化した物語のテーマはストレートで、しかも、絵そのものは衝撃的です。子ども心に、恐怖心や、強くインパクトを受けた記憶は今でも残っています。しかも、そのテーマは、たとえば虐殺であり、化学兵器であり、そのものが現代的でもあります。氏がいま生きていたら、対テロ戦争は、どのように描いたでしょうか。
インパクトのある作品で、問題意識は残りますが、それそのものは、社会認識を深めるものとは言えません。絵画が記憶で、写真が記録なら、漫画というものは歴史の断面としてどんな価値を発揮するのでしょうか? そんなことをつらつら考えながら、手塚さんの思いや思想を伝えていく上でも、現代の(第二次世界大戦より後の)戦争を若い人に伝えるテキストって、あまりないなあということを感じた次第。
今日は、敬老の日である。高齢者の貧困の問題が社会的に注目されているにもかかわらず、はたしていまの政治はこのことにどれだけ、光を当てているのだろうか。後期高齢者医療制度の導入の問題をはじめ、医療制度の改悪で、病院から追い出されるお年寄りは相次いでいる。たとえ、見てもらえる病院が見つかったとしても、どれだけ継続した医療が受かられるのかは定かではない。介護保険は負担だけが増え、十分な介護を保障できずに、民間業者の問題だけが拡大している。年金が老後歩支えるものになっていないことが、多くのお年寄りの孤立と困難を大きくしている。そして最後の命綱である生活保護は、水際作戦で、申請を拒否され、捕捉率は20%ていどだという。その上で、老齢加算の打ち切りがお年寄りを襲う。しかし、そのどれだけが総裁選なるもので、この敬老の日に論じられたのか、メディアはどれだけそのことを報じたか。
ほんとうは、今日は仕事に出て、たまった仕事をコツコツ処理しようと思っていたのだけど、いやはや疲れがドッと出た状態で、なんと、ずっとねていました。ほんとに寝ていた。少しは元気になったかなあ。
さて、自民党の総裁選挙がはじまりました。この連休のテレビは、いつもの総裁選と同じように自民党に乗っ取られた感じ。福田さんと麻生さんの対決になった、この総裁選。それをどう見るかは、たとえば、五十嵐先生のブログだとか、松竹さんのブログだとか、GAKUさんのブログとかに書かれていて、それ以上に、私がコメントすることもないとは思う(みなさん優秀だから)。
ただ、ある人が言うように、後で感想を書いてもしかたがないので、少しだけ感想を書いておくことにする。
この候補者たちの政策や主張は、自民党のHPにも出されていましす、とくに福田さんは、自身のHPで詳しく書かれている(ただ、紹介したり、宣伝したりする義理はないので、リンクははならい)。
2人は、政策で共通して競い合うのは、構造改革をどう修正するのかということ。麻生氏は最低賃金の引上げに言及しているし、非正規雇用対策を掲げる。一方、福田さんは、後期高齢者医療制度の凍結の検討を打ち出したり、障害者自立支援法の抜本的見直しを掲げる。ただ、何をどこまでやるのかは、2人ともはっきりしない。麻生氏は相変わらず、成長戦略の継続を掲げるし、2人とも、いずれ消費税増税は必要だと考えている。
政治的な立場としては、麻生さんは”靖国”派であることは隠さないが、福田さんはもともと”靖国”派とは距離を置く。しかし、2人とも、生粋の改憲はであることは否定しようがない。
演説は、どうも麻生さんのほうが評判は良いようだ。しかし、新聞などで、麻生さんと福田さんをならべるとどうも、福田さんのほうがよりましという印象を一般的にはもたれる。
何を言いかたいのかといえば、先の参議院選挙で、有権者が感じ始めた、政治の方向性の探究(模索)というものを、この総裁選ではたして問われることはあるのだろうかという問題。たとえば地域格差の問題、テロ特措法の延長の問題、その根底にある政治のあり方をどうもメディアは問うことがなく、ただ麻生さんと福田さんを並べるという報道の現状は、やや歯がゆい。
一方の民主党は、議員にテレビ出演の自粛を求めているという。自民党の政局に変に巻き込まれたり、言質を取られないためなのだろう。いずれ新政権への太い対抗軸を打ち出して、解散総選挙持ち込む腹か?。 ただ、その対抗軸は、どうも見えてこない。
少なくとも、国民の政治的な関心は高まる時期である。こうしたときにこそ、政治の枠組みをどうするかというものが国民のあいだで議論されるような状況がつくられるべきだと思う。さて、そのための発信や情報提供は、どうあるべきか。
2本目は、ホタル。もう少し前に、見直す予定だったけど、時間がとれず断念したもの。ストーリーは、http://www.toei.co.jp/hotaru/で。
この映画も降旗さんらしく、ていねいにわかりやすくつくられている。それだけに、人物の作り方など、物足りなさを指摘する人もいるとは思う。しかし、この物語の真骨頂は、特攻の物語に朝鮮人を絡ませたこと。後半の、韓国を訪ねるシーンは圧巻だ。
まだ、私たちが受け取っていない歴史がある。そのことを問いかける映画でもあった。
今日は、ちゃんと休もうと思って、とにかく8時間はがんばって寝た。起きてから、少し家事をして、午後は、2本DVDを見た。映画館に行くまでの元気はまだ出ないけれど、DVDを見るぐらいまで、元気は回復しているということか。
さて、1本目は、前から見たかった韓国映画のヒット作。「風の丘を越えて~西便制」。
物語は、芸に厳しい父親ユボン(キム・ミョンゴン)は,養女ソンファ(オ・ジョンヘ)と義理の息子トンホ(キム・ギュチョル)にパンソリを教えながら旅回りを続ける。前半の見せ場は、この親子三人が田舎の美しい風景をバックに、「珍道アリラン」を唄い歩く場面。5分40秒もの長回しでこの、貧しく苦しい生活の中で、幸福な光景を映し出す。しかし、父親に反発するトンホは,家を飛び出し、その生活は終える。 ソンファは,パンソリにハン(恨)を刻み込もうとして,父親から知らないうちに薬(ブシ)を飲まされ,失明してしまう。やがでソンファは、ハンを刻み込んだ見事な歌い手に育つ。そして、父親は「恨に埋もれず,恨を超えろ」といい残して死ぬ。弟トンホは,姉ソンファを探し出し,再会するが・・・・。ここからが、この物語の最大の山場。
パンソリというのあ、日本では何に当てはまればいいのだろうか。ハンとは日本語に訳せば何になるだろうか。字幕では、”恨””情念””過去”と場面で、使い分けられている。父親が刻み込めと語るハンは”恨”で、最後jに超えろ言い残すハンは”情念”で、最後の弟との山場でのハンは”過去”。パンソリやハンを描くことは、民族や歴史の積み重ねを描くことでもあろう。そこがすごいのだろうか。
まったく圧倒される映画であった。
足立区の問題がクローズアップされている、いっせい学力テスト問題ですが、かなり広く、深く教育への歪みをもたらしていることは否定のできないようです。
八幡市教委、学力テストで事前学習を指示 共産・山本市議追及ことし4月に、小学6年、中学3年を対象に行なわれた全国学力・学習状況調査(学力テスト。国語と算数・数学)で、京都・八幡市教育委員会が市内各小中学校に、事前学習をおこなうよう指示し、各校が取組計画を提出し実施していた問題で、日本共産党の山本邦夫市議が9月議会の一般質問で、「子どもに過当な競争をおしつけるもの」と追及しました。
山本市議が、情報公開制度で入手した各校の「学力テストに向けた取組計画」によると、4月24日実施の学力テストに向けて、市内15の小中学校すべてで予備テストや各種プリントを使った予備学習がくりかえし実施され、学力テストに向けた過剰な事前対策が実施されました。
4月10日は入学式にもかかわらず、2つの中学校の計画書では、予備テストなどがおこなわれ、山本議員は「これでは、在校生にとっても、新入生を迎え入れる入学式に心から集中できない」と厳しく批判しました。ほかにも、始業式からテストまでの約2週間に、国語・数学の各教科で、1週間にわたる終礼補習、宿題テスト・実力テスト各1回、予備テスト3回、さらに学力テスト直前には宿題とプリント総復習という計画が組まれた学校もあります。…
ちなみにこの山本市議は、彼が10代のころからの友人です。
ことしは、教育研究集会にもいけなかったの、なかなか情報を持てずにいるのですが、全国でのこういった実態について、情報が書かれているサイトがあれば、ぜひ誰か教えてください!
ポスト安倍は、すっかり麻生vs福田の様相です。安倍内閣のしっぽをひきずる麻生さんと、ほとんどの派閥の支持をとりつけた福田さん。うーんと考え込む選択ですね。まあ、細かいところをみれば、興味深い問題も少なくはないのですが。福田さんが分がよそうというのがメディアの予想ですが、福田さんになれば、たぶん思い切って提案を民主党にしてくるでしょうね。さて、民主党は?
では、解散総選挙はどうなるのでしょうか。こうした政党内、政党間の抗争もまったく興味がないわけではないのですが、案外、政局もっとも左右するのは世論だということが言えます。たとえば今日は次のような世論調査が出ています。
衆院「解散すべきだ」59% (毎日新聞)毎日新聞が12、13両日に実施した緊急の全国世論調査で、衆院解散・総選挙を行うべきかどうかを尋ねたところ、「解散すべきだ」が59%に上り「解散する必要はない」の37%を大きく上回った。「衆院選で自民党と民主党のどちらに勝ってほしいか」という問いには、43%が民主党と答え、自民党の39%を上回った。
総裁選の結果はどうあれ、こんな政権を許すことができないという解散総選挙を求める声が、国会を囲むようになれば、政局は大きく転換するに違いありません。メディアは、興味本位で総裁選を報道するのではなく、こうした国民の声にも注目した報道をしてほしいと思いますね。
二日酔いというわけではないけど、腰が調子が一気に悪くなって、今日は家でシコシコ仕事をしていました。ほんとに仕事のペースが狂っていて、体調管理がここんところほんとうに不十分です。結局、体重も減らないしねえ。夜、遅くブログを書いていたのがよくなかったのかなあ(笑い)。ついでに、電気屋に来てもらって、こわれた照明を直してもらったり、それはそれで、いろいろ家事もこなしました。夕食の買い物を近くのスーパーでしていると、近所のお母さんから、怪訝な?顔で見られたり、我が家では普通のことですけどねえ。
さて、実は、この映画も見逃していて、やっとDVDで見た。職場でも、さっさと映画を見に行く人がいるけど、なかなか時間も金もなく、です。ストーリーは、ご承知のとおりだと思います。舞台は西アフリカのちいさな国シエラレオネ。世界でも有数の良質ダイアモンド産出国でありながら、世界で最も貧しい国の1つです。その原因は、外国勢力がバックについた内戦です。この映画では、内戦の大きな原因がRUFというゲリラ組織であり、少年兵がその担い手であるという形で描かれています。
マガジン9条のHPで、伊勢崎賢治さんが、「ブラッド・ダイヤモンドが語らなかったこと」という連載を書いていました。伊勢崎さんは、NGOの現地所長として、この地で平和復興の活動にかかわっていたのです。
映画とはちがい、実際のRUFは、もともとは、腐敗した政府への抵抗(革命)運動としてはじまり、一定の支持もないわけではなかったようです。それが内戦のなかでゲリラ化していく。そのため、復興の過程もきわめて複雑で、あやまりもたくさんあったことが、伊勢崎さんの文章からわかります。平和のためにしなければいけないことは、たくさんあるということが言えるのです。
映画からは、こうしたアフリカの内戦の背景にある、先進国の役割が見え隠れします。いろいろなことをかみしめたい映画でした。
今日(昨日)は、驚くべき事件が起きて、まあ仕事の手に付かないというか、正確には、われわれの仕事にとっては、なかなかハンドリングがうまくいかない落ち着かない日でしたね。夕方には会議があって、予告通り飲み会の、たんなるのんべの世界でしたが、これだけの事件ですから、ちゃんとエントリーしておかないと、これはブログの存在意義が問われると思い、遅い時間に書いています(笑い)。
安倍さんの辞任の背景はいろいろ推測できます。記者会見でもテロ特措法の行方と、小沢さんに会談を拒否されたということを涙ながらに語っていましたが、その背景には、この間うまく言っていない安倍政権とアメリカとの関係がうかがえます。かなり、アメリカからの圧力があったことは推測できます。『週刊現代』での安倍さん自身のスキャンダルや、鬼門の農相(若林)のスキャンダルも要因になったかもしれません。
ちなみに、首相の辞任会見の内容はすでに、首相官邸のHPにアップされています。官僚組織ってけっこう律儀なんですね。http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/09/12press.html
たまたま上杉隆さんの『官邸崩壊』という本を読んでいました。もともと権力闘争の焦点ともいえる官邸で、官邸主導が問われるもとで、あまりにも稚拙な官邸運営のもとで崩壊していく過程が描かれています。私は、上杉さんのそんなに信頼すべきジャーナリストだとは思っていませんが、それでも、理念的首相である安倍さんが、官邸の政治的統治を失っていく過程は、なるほどと面白く描かれています。
最近話題の井上秘書官の問題をふくめ、安倍ファミリーの右往左往はくわしくはこの本を読んでいただくとして、よく考えてみれば、ことの発端は、小泉内閣にあることは否定できません。極端な大企業中心の「構造改革」と、アメリカ一辺倒の外交がつくりだした矛盾こそ、その根底にありそうです。小泉「改革」は、自民党政治を変えるものではなく、これまでの自民党政治の本質的な路線を、より極端におしすすめるということにこそその本質があったのではないでしょうか。
安倍さんは、その矛盾を、いわば古い自民党勢力とをつなぎ軌道修正をすすめながら継承しながら、破たんしていったということが言えるのではないでしょうか。
その際には、ある種、伝統的であり、ある意味で新しい保守主義という理念を掲げることを必要としたのかもしれません。それが「戦後レジームからの脱却」という言葉に象徴されていたのでしょうか。
しかし、結局、噴出する問題の本質を彼は理解できていなかったのでしょう。もともと、乗り切れると思っていたから、参院選のあとも続投を表明したのでしょうが、矛盾の大きさは、彼の予想を超えるものだったのです。
だからこそ、いま問われているのは、自民党政治にわかる政治の姿です。今後の政局は、どう展開するかは未知数です。自民党は、福田さんや、谷垣、麻生、古賀という旧宏池会勢力を中心に、民主党への揺さぶりをかけてくるでしょう。片や民主党は、解散総選挙をめざした動きをすすめるということはまちがいないでしょう。まあ、自民党の揺さぶりのもと民主党がどれだけ、一枚岩でいられるかはわかりませんが(笑い)。での民主党は主導的な政局運営をめざすでしょうね。そうなればよけいに、ポスト自民党の政治のありようこそ問われます。そうした国民の関心にどうこたえていくのか。新しい国民の政治選択に、大いに貢献できるような発信をしたいなあと、つくづく感じた一日でした。
日にちが変わって今日は、飲み会もあるので、疲れて夜にはエントリーできないかもしれないので、今夜はもう一本書き込みます。
安倍改造内閣では、いちばんの人気の舛添さん、彼もそろそろ化けの皮がはがれそうだという話です。
「家庭だんらん法」に言い換え指示=「残業代ゼロ法」で舛添厚労相(時事通信)舛添要一厚生労働相は11日の閣議後記者会見で、一部事務職を割増賃金の支払い対象から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション制度(WE)」について、「名前を『家庭だんらん法』にしろと言ってある」と言い換えを指示したことを明らかにした。その上で、「残業代が出なければ、早く帰る動機付けになる」と評価、働き方の改革の一環として取り組む考えを示した。
WEは厚労省が先の通常国会での法制化を目指していたが、「残業代ゼロ制度」と批判を浴び法案提出を見送った。
これってないですよね。結局、働きすぎは、労働者の側の意識にもともと問題があると言っているのと同じじゃないですか。規制をよりとっぱらい際限のない労働時間をつくりだす、しかも、そこには賃金は払われない、ここにこそ問題の本質があるはずです。労働者は自由な働き方を現実できるでしょうか。そのためには、労働者の権利がより擁護されることこそが必要なのではないのでしょうか。舛添さん! 国際政治学者だというのなら、ILOやEUなどでは労働時間をめぐってどんな議論がなされてきたのかについて、しっかり見てほしいと思いますね。
9・11から、6年たちました。この6年間は、仕事のうえでもものすごく忙しかったと痛感します。この事件から、アフガニスタンへの侵攻とすすみます。9・11の事件がリアルタイムで多くの人が目撃し、あまりもの衝撃的だっただけに、アフガニスタンへの侵攻は、国際的にも十分な議論がなされてすすんだというわけではなかったように思います。それが、ある意味では、イラク以降の国際社会の議論の反省的契機になっているのかもしれません。私たちは、もう一度、この国際社会の議論をたどるなかで、日本の外交、対テロ戦争と日本というものを考えるばきだと思います。
教科書の記述をめぐる問題にまで発展した沖縄の集団自決。実は、検定で文科省が、書き換えの検定をおこなったことは、大きな矛盾をつくりだしたといえるかもしれません。
旧島民「妹らを手にかけた」=沖縄で非公開尋問-集団自決記述訴訟・大阪地裁(時事通信)太平洋戦争末期、沖縄県の渡嘉敷島などで住民に集団自決を命令したと書籍に記載され名誉を傷つけられたとして、旧陸軍少佐らが発行元の岩波書店と作家の大江健三郎氏を相手に出版差し止めなどを求めた訴訟で、大阪地裁は10日、福岡高裁那覇支部で、集団自決の場にいた男性の出張尋問を非公開で実施した。
証言したのは、当時渡嘉敷島に住み、集団自決を体験した沖縄キリスト教短大名誉教授の金城重明さん(78)。妹ら肉親を自らの手に掛けざるを得なかった当時の状況を生々しく証言した。
金城さんは閉廷後、那覇市内の集会で訴訟の支援者らを前に証言内容を報告した。
それによると、16歳だった当時を思い出し、「兄と2人で母、弟、妹に手を掛けた。以心伝心でみんな愛するものに手を掛けた」と法廷で語った。「軍隊なしには集団自決は絶対に起こらない。日本軍が駐留した島でしか集団自決は起こっていない」と陳述したという
この金城さんをはじめ、これまで沈黙を続けていた人たちが、改めて証言をはじめています。戦争の記憶を、次の世代に継承しておく必要にかられての勇気ある発言です。私たちは、こうした証言に正面から向き合いたいものです。
いっせいの学力テストというものが教育にふさわしくない不正を生むだけではなく、教育活動そのものをいかに歪めるのかということが次々明らかになります。
試験前、校長に問題用紙配布=都の学力テストで足立区教委(時事通信)2005年1月に実施された東京都の学力テストをめぐり、足立区教育委員会が試験前に区立小中学校長の集まる校長会で問題用紙の一部を配っていたことが11日までに分かった。区教委は同日記者会見し、「通常の(校内の)試験とは違うので、円滑に実施するため、教員向けにサンプルとして配布した。実害はなかった」と釈明した。
区教委によると、都の学力テストを控えた04年12月に校長会を開催。その際、区教委が校長に問題用紙の一部を封筒に入れて配布した。これに対し、校長の一部から「誤解を招く恐れがある」との声が上がり、区教委は「鍵の掛かる所で管理するように」などと指示した。…
何度もいいますが、テストということ一般の問題ではありません。個々の学校で学力を点検するテストは必要だし、全国的な学力の到達を抽出こそがデータとしては意味があります。それをいっせいで、全員参加のテストを実施すれば、個々の生徒同士そして学校間の競争を生み出します。結果を競うことが何よりの目的にならざるを得ないです。
これがいっせいテストが本質的にもつ問題です。足立の例は、その象徴にしかすぎません。すでに、全国で過去問を授業でやったり、宿題でドリルが出されたりしているではありませんか。それが、「学力」の本質とどれだけ乖離をしているか。一地方の事件では済まされない重大な問題を警告しているのではないでしょうか。
岩川直樹さんたちがつくった『貧困と学力』を読んでいます(あともう少しです)。とても、面白い一冊です。キャプションには、「この本には、真摯に子どもたちに向き合い寄り添おうとするおとなこそがとらえることができる子どもたちの姿・声が描かれている。そのまなざしは、最も困難な教育の課題に希望の灯をともす。今、「貧困と学力」という問題設定こそ社会の価値判断の枠組みを変える」。くわしくは後日、書こうと思いますが、問題設定にしても、実態をとらえる視点にしても、たいへん勉強になります。実践では、学童保育の河野さんのものが秀逸。泣きました。
ただ、正直、教師が書いたものには、ガッカリ。この貧困の問題は、学校は地域に開いて考えるしかありません。そのとき、親たちは、一生懸命生きているという共感こそが基底になければなりません。そこが、なかなか開けないのです。教師には教師の困難があるのでしょう。ならば、学校が開かれないことが、この問題をより困難にしているということを告発するべきではないか。
なによりも、共感というのが大事だ。ここから、いま社会でいいのかという思いを広げることができる。そんな思いを、最近強く感じています。
この本の目次は、
序 章 「貧困と学力」という問題設定
貧困と学力(岩川直樹)
――状況への感受性と変革のヴィジョンを呼び覚ます
第1章 奪われる教育の機会・排除される子どもたち
生活保護世帯の子どもの高校進学を支える(湯浅克人)
――子どもと親の心の声を聴く江戸川中3勉強会
無償のはずなのに、お金のかかる義務教育(松山潤子)
――親子の切実な願いに応え、わかりやすい就学援助制度を
だれもが安心して学べる小・中学校を(小宮幸夫)
――教育の機会均等を支える就学援助
高校授業料を無償に(清水 裕)
――家計で振り分けられる子どもの進路
友だちを退学させたくない(小久貫登/坂本雅則)
――私学助成削減反対・学び主張する高校生たち
第2章 子どもと貧困と教育への視座
子どもの貧困とライフチャンスの不平等(小西祐馬)
――構造的メカニズムの解明のために
貧困と学力の再検討(小貫 仁)
――とらえ直しから再生への一考察
第3章 今、足立の子どもと学校は…
東京下町の子ども・学校と教育の原点(大谷猛夫)
――就学援助率日本一と報道されて
広め充実させてきた就学援助(村上 武)
――保護者・市民とともに
子どもの夢をあきらめさせる学校選択(児玉洋介)
――足立区の新自由主義教育改革を検証する
第4章 学びをつくる・関係を編み直す
学びの土台の編み直し(稲富三夫/木部久子/中村麻由子)
――教師と子どもの向き合いからの出発
対話し深め合う仲間をきずく(島田晶子)
――豊かさのなかの貧しさを見きわめる
願いを聴きとどけ関係をつなぐ(河野伸枝)
――学童保育の場での人間信頼の取りもどし
いのちの連鎖(湯澤直美)
――学び始めた母親たち
第5章 貧困問題への教育からの回答・試論
“エリートでない者”がエンパワメントされる教育(伊田広行)
――貧困から脱出する学びと援助のしくみをつくる
補 論 巨大な遠隔操作システムの浸透
顔を奪うシステム(岩川直樹)
――全国一斉学力テストの忌まわしき作用
あとがき(岩川直樹/伊田広行)
今日から、臨時国会がはじまりました。冒頭。安倍首相の所信表明です。もともと、昨日の首相の記者会見での、「私からは、日本として、テロとの闘いを継続していく意志について説明をした。これは、ブッシュ大統領との日米首脳会談においても、説明をしたところである。国会の状況は大変厳しいが、このように国際的な公約となった以上、私には大きな責任がある。テロとの闘い、現在行っている自衛隊の補給活動を継続させるためには、あらゆる努力を行わなければならない、このように決意をしているところである。民主党をはじめ、野党の皆様のご理解をいただくために、職を賭して取り組んでいく考えである」という言葉が、大きな波紋を呼んでいるだけに今日の首相の所信表明も注目された。
所信表明は、ここにあります。http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/09/10syosin.html
この所信表明をどう受け止めればいいのでしょうか。たしかに、反省という言葉を繰り返します。「改革」路線も一定の修正をすることがうかがえます。ところが、肝心の「格差」という言葉は1回のみ、「貧困」に至っては、一度も使われていません。どうも、参議院選挙での審判の意味を考えていないようなのです。
「政治とカネ」に至っては、まるで他人事のようで、自らの任命責任にはまったくふれることはありません。
それでいて、「戦後レジュームからの脱却」「テロとのたたかい」「教育再生」「憲法改正」などについては、相変わらずの固執ぶりです。
聞いていて、自分の演説によっているような感じで、どうも気持ちが悪いのです。自分の演説の酔っているという点では、小泉前首相も同じようなところはあったと思いますが、それでも、小泉さんの演説はあるしゅ権力的なリアリズムがありました。安倍さんはまるで、自分の理念(理想)に酔っているところが気持ちが悪いです。
昨日の記者会見の発言も、どうも意図がよくわかりません。解散総選挙をねらう民主党にとっては、職を賭す安倍さんに対して徹底して抗戦するのは常識的な展開です。この安倍さんの発言には、政治判断というのが感じられません。ここにも自分の理念(とても狭い理念)にひたすら酔う姿しか見えないのです。これでは、国民はいいめいわくでしょう。納得できるわけがありません。そもそも国際的な十分な議論もなく、ただ9・11への反発から自衛の名のもとに強行されたアフガンへの攻撃、それに憲法を無視して軍事的な支援をおこなうテロ特措法など、即刻なくすべきでしょ。だからこ、安倍首相にはやめていただくしかないでしょうね。
昨日と今日、テレビ朝日で黒澤明の「天国と地獄」「生きる」のリメイクを放送していました。名作中の名作ですから、映画は、どこかで見たことがあります。映画のハラハラ、ドキドキの緊張感などとテレビとは、どうも違います。
でもドラマのほうのそれなりに見せるものに仕上がっています。考えてみたら時代も違います。いまの時代は、人というものを丁寧に描かなければドラマとしては成り立たないのかもしれません。それだけに、なんともいえないストーリーとしての甘さということを感じます。そういう違いを生かしながら、よくできた作品ということは言えるのかもしれません。佐藤浩市にしても、妻夫木くんにしても、松本幸四郎にしても、さすがの演技です。
映画の主題はそれぞれ、現代でも通用するものがあることは事実です。リメイクの意図はわかります。しかし、なぜ、同じテーマでオリジナルができないのかということのほうが、大きな疑問でもあるのです。こうしたテーマにせまった、オリジナルのドラマははたしてどれだけつくられているのかということが問題なのかもしれません。
全部、ちゃんと見たわけではありませんが、感動半分で、正直納得がいかない。そんなドラマだったような気がします。いかがでしょうか。
今日は、朝から取材で京都です。仕事で、京都に行く時は、たいていはとんぼ返りです。今日も、そう。泊まることがあるのは、出身の左京区周辺に少し長期の仕事があるときぐらいかなあ。せっかく京都にいってとんぼ返りというのは何ともさみしい限りですね。でも、今日は、久しぶりの御所の近くでの取材でした。京都御所なんて何年ぶりぐらいかなあ。学生のころはほんとうに庭みたいなところだったけど。
京都の街もずいぶん変化しています。東京みたいに高層ビルがいっぱいというわけではないけど、それでも、ずいぶんコンクリートの街になりましたね。でもでも、ところどころに町屋の風景も残っていて、心を和ませてくれます。京都時代の友人たちとは、ずいぶんご無沙汰してしまっています。それもしかたがないことだけど、そのうちゆっくりおしゃべりする機会があればいいんだけどねえ。そんな懐かしい街ですよね。
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歴史教科書をめぐる動きです。もう知っている方も多いでしょうが。
つくる会:「自由社」から中学社会科教科書発行(毎日新聞)「新しい歴史教科書をつくる会」は7日、次回の教科書検定(実施時期は未定)で執筆する中学校社会科教科書を、出版社「自由社」(東京都文京区、石原萠記社長)から発行すると発表した。
つくる会は現在、扶桑社から教科書を発行しているが、扶桑社側から継続発行を拒否され、新たな出版社を公募していた。藤岡信勝会長は「戦後の保守言論界の草分けの位置を占めてきた出版社なので、我々の教科書を出すのに一番ふさわしい」と話した。
さて、つくる会のほうは、すっかり少数派になってしまって、「靖国」派の本流は、教育再生機構と、そして教科書改善の会のほうに移りました。こちらのほうは、扶桑社の子会社である育鵬社で教科書がつくられるといいます。
くわしくは、http://kyoukashokaizen.blog114.fc2.com/で、どうぞ。
この会の設立宣言も載っています。
内閣府の「国民生活に関する世論調査」が発表されました。まだ、内閣府のHPにはアップされていません。明日か明後日でしょうか。
69%が生活に「不安」 内閣府の国民生活調査(中日新聞)内閣府が8日付で発表した「国民生活に関する世論調査」で、「日常生活で悩みや不安」を感じている人が69・5%に上り、昨年10-11月実施の前回調査を1・9ポイント上回って過去最高を更新した。具体的な悩みや不安の内容(複数回答)でみると、「老後の生活設計」が53・7%と半数を超えて最も多く、「自分の健康」の48・3%を上回った。…
ここにもなぜ、自民・公明政権が参院選で審判を受けたのかが、はっきりあらわれているようです。
今日は、憲法会議の学習会に行ってきました。そこで、いろいろな人に会いました。まず大阪のUさん。久しぶりの再開で、いっしょに煙草を吸い交流しました(笑い)。知り合いのAさんからは、「このブログを読んでいます」と言われました。この夏、何人かの人から、声をかけられましたが、お世辞でも、このブログについて語りかけていただけるのは、うれしいことです。できれば、コメントもつけてください(笑い)。でも、このごろ、夏に少し休んだことのあり、アクセスがずいぶん減っていますよね。
さて、学習会の内容は、渡辺治・一橋大学教授が「集団的自衛権と改憲問題」、吉田裕一橋大学教授が、「靖国派の戦争・憲法観と安倍内閣」、笠井亮衆院議員が「参議院選挙後の政局と改憲阻止の展望」と題して、講演。それぞれなかなか面白かったです。
治さんは、いつもの渡辺節で、安倍内閣の明文改憲と解釈改憲の2本立ての改憲構想とその破たん、巻き返しとして大胆予測、通常国会での派兵恒久法が焦点と! 全体としてわかりやすい分析ですが、はたしてこの予測は正解でしょうか。政治はそれなりに制御不能な事態でもありようですが。
吉田さんの話も、吉田節でおもしろかったです。少し体調が悪そうなのが気がかりです。「靖国」派のもつ矛盾、限界を、学者らしい落ち着いた議論で解明してくれます。
笠井さんの話は、とくに9条をめぐる世論や、論壇の変化に焦点を合わせます。危険性にも向き合いながら、この変化をどうとらえるかが大事だという指摘は納得がいきます。
帰りは、M先生と遭遇。障害児教育が専門の先生の関心はまだまだとどまるようにはないようです。そして、電車のなかでは、Y先生とおしゃべり。そんな一日でした。
このニュースにもあらためて驚いた。産科の医師不足。産めない病院というのはこれまでの言われてきたけど、ここまでというのは。
19病院に断られ自宅出産 昨年7月、大阪市の女性(東京新聞)大阪市で昨年7月、産気づいて救急搬送を依頼した30代の妊婦が19病院に受け入れを断られ、病院が見つからないまま自宅で出産していたことが7日、分かった。
大阪市消防局によると、妊婦は昨年7月24日午後8時10分ごろ、陣痛とみられる腹痛で自宅から119番。かかりつけ産科医がいなかったため、駆け付けた救急隊員が大阪府内の病院に順次、受け入れを要請した。
しかし「満床」などの理由で19病院が受け入れず、女性は救急車内で待機。陣痛が激しくなり自宅のトイレに戻った際、救急隊員2人の介添えで出産した。母子ともに健康で、約2時間後、受け入れ要請に応じた大阪市内の病院に運ばれた。…
このケースも、先日と同じでかかりつけ医がいないケースだ。もしかしたら、制度設計そのものにも無理があるのかもしれない。「大阪市で昨年1年間に産科に搬送されたのは2673件で、かかりつけ医がいないなどの理由で救急隊が受け入れ先を探したケースが135件あったという」のだから。医療の制度は詳しくないけれど、命にかかわる制度の根本が問われていることは確かなようでもある。
ブログの更新を滞っていた時に、気になる調査結果が、いくつかあった。
その一つが、いわゆるネットカフェ難民調査なるもの。正式には、日雇い派遣労働者の実態に関する調査及び住居喪失不安定就労者の実態に関する調査と言っている。これは、若者たちが粘り強くすすめている運動をうけての国会議員の要求に厚労省が応えてはじめて実施したもので、調査がおこなわれたこと自体は、貴重な前進であるということができる。内容的には、多岐にわたっているし、数字の根拠はいま一つよくわからない推定値が多かったりで、やはりよくわからないというのが実際だけれども、それでも東京のネットカフェ難民を2000人と推定しているあたりは、実は、ずっとフィールドワークをすすめてきた人たちの実感よりより多い数字で、ショッキングな内容になっているということも、できる。
たた、ここで気になる調査だと言ったのは、「住居喪失不安定就労者」という新しい用語。厚労省自身、ホームレスという言葉は、通常に使われている。それと区別するという意図が込められている。当然、その対策も区別するという立場であることは容易に推測できる。
もともと、厚労省による、ホームレスの定義は、きわめてせまいものだ。もともと、野宿状態にある人の少なくない部分は、あるときは、ネットカフェに泊まったりもしている。ヨーロッパなのでは、ドヤぐらしなどもふくめ、定住の通常の住居をもたない人はすべてホームレスとして定義されている。社会保障の対象として狭めようという意図が見え隠れする。
なぜ、こんなことを書くのかといえば、もう1つの気になった調査である保育料の滞納問題。発表された22日に簡単な書き込みをしたけれど、その実物は、http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/08/h0822-3.htmlにある。
しかし、この調査を見ても、実は、実際の滞納の原因はよくわからないのである。どれほど自治体はその原因を調べたのだろうか。たとえば、多重債務は、国の政策として、自治体がその発見や解決をすすめることをもとめている。ならば、この保育料の滞納者には、多重債務の被害者はいないのだろうか。
憲法25条には、
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と定めらている。この条文の解釈は、政府はまだまだ、歪んだ立場に立っているとは思うけれども、そうであったとしても、行政や自治体には、努力することが求められていることがある。
つまり、「貧困」に向き合う姿勢が、政治や行政に求められている。ここが、あまりにも欠如しているのではないのか。当り前の話だけど、それが当たり前でないのが現実の政治である。この変革が求められている。
中教審の教育課程部会の審議がすすんでいます。全体の動きは、ジャーナリストの知里保氏のホームページで詳しく紹介されています。
最近では、5日に教育課程部会の会議で、「これまでの審議の概要」(いわゆる中間報告に該当)の検討素案が出されています。それで今日の新聞では、各紙がダンスと武道の必修化が話題になっていたわけです。
パラパラと、その内容を眺めていて感じることがいくつかあります。
その大きな点は、改定教育基本法のもとでの新しい教育法の体系づくりがすすめられているという点です。参議院選挙では、安倍さんの「戦後レジームからの脱却」の路線は、きびしい審判を受けたわけですが、そんなことはお構いなしに、すすんでいることがあるようです。
改定教育基本法と言えば、大きな正確的な枠組みとしては、新自由主義と国家主義(新保守主義)の奇妙な妥協と結託だと言えるでしょう。そのことが、この中教審の議論にも反映した形で、学習指導要領の問題が議論されているということでしょうか。
議論の発端となったPISA型学力の問題である、キーコンピテンシーなどが、日本型の生きる力、人間力というような言葉に読み替えながら学力が議論されています。そこからは、どうも体系的な議論がなされているようには思えません。財界流の労働力の育成という視点でも、疑問が多いように思えますが、その辺は財界はどのようにみているのでしょうか。その出発点から、どうも疑問を感じます。
具体的に出される教育課程の内容も、整合性は見当たりません。これまでの場当たり的な学習指導要領の改訂に対して、きっちりした総括的検討がなされてこなかったことのつけが積み重なっているのでしょうか。
そこに、しっかり、愛国心や道徳が入り込んでいるのでしょう。そこに武道なども持つ込まれる。
正直、うんざりの内容ですが、こんなに子どもたちの成長や、学校の困難から乖離したものが教育現場にもつこまれたら、いったいどうなるのか。改定教育基本法という前回の学習指導要領の改訂の際にはなかった条件のもとで、この問題をどう考えるのか。よく見ていかなければなりません。
この間読んだ本のなかで、とても面白かったのが、岩波新書で吉田裕さんが書いている『アジア・太平洋戦争』です。
この本でいうアジア・太平洋戦争は、シリーズ本の制約から、対英・米戦争の開戦、アジア諸国への戦争の時期に限っています。しかし、このわずか5年の期間の記述ですが、この間の歴史研究の成果に十分なめくばりがされていて、読み応えがありました。
目次はと言えば
はじめに
第一章 開戦への道
1 三国同盟から対英米開戦へ
2 戦争の性格
3 なぜ開戦を回避できなかったのか
第二章 初期作戦の成功と東条内閣
1 日本軍の軍事的勝利
2 「東条独裁」の成立
第三章 戦局の転換
1 連合軍による反攻の開始
2 兵力動員をめぐる諸矛盾
3 「大東亜共栄圏」の現実
4 国民生活の実状
第四章 総力戦の遂行と日本社会
1 マリアナ諸島の失陥と東条内閣
2 戦時下の社会変容
第五章 敗戦
1 戦場と兵士
2 本土空襲の本格化と国民
3 戦争の終結へ
おわりに
あとがき
ですが、開戦をいたる経過のなかでは、日本の戦争がいったいどんな名目でおこなわれた戦争だったのかということが示されます。軍事オタクと言っても決して失礼ではない(笑い)吉田さんならではの記述で、この戦争がどのようにすすめられたのか、そのあまりにも貧しい内実が明らかにされています。そして、その戦争が、もらたしたこと。「大東亜共栄圏」を掲げながら、アジアにどのような苦難をもたらしたのかは、その背景や要因も含めて、なるほどという説得力があります(アジアの経済関係を破壊したという問題など)。日本の兵士たちにもたらした問題も鮮やかです。
総力戦の時代の日本は、戦後の日本の現代史を考えるうえでも、貴重な論点がたくさん紹介されています。
兵士たちの死についての吉田さんの議論は、しっかりうけとめたいとも思いました。
ぜひ、おすすめの一冊です。
最近見たテレビでおもしろかったのが、このNHK・ETV特集。これまでも、この毒ガスについては、 吉見義明さんの研究や北坦村の調査団のものなどは読んだことはあったけど、映像で示され、とくに東京裁判の段階で、これだけの事実が明らかになっていたことには驚いたし、整理にはなった。
近年、中国で日本軍が遺棄した毒ガス兵器による被害が相次ぎ深刻な問題になっている。日中戦争から70年。なぜ遺棄毒ガス兵器は今日まで放置されてきたのか、なぜ日本軍の毒ガス作戦は忘却されてきたのか。 その背景に、東京裁判でアメリカが毒ガス戦を免責した事実がある。当初、日本軍の毒ガス使用は、国際法違反として裁かれるはずだった。戦争中から日本軍の毒ガス使用を非難してきた中国国民政府とアメリカは、その証拠をつかんでいた。しかし、アメリカ軍内部で化学戦の研究・作戦立案を担っていた化学戦統轄部の強硬な反対を受けた。化学戦統轄部は、戦争中、日本本土への毒ガス攻撃を研究していた。1945年11月に予定されていた九州上陸作戦では、福岡や長崎など、毒ガス戦の標的が選定されていた。化学戦統轄部にとって日本軍の毒ガス作戦を裁くことは、みずからの手を縛ることに他ならなかったのである。そして東京裁判での毒ガス作戦が免責されたことは戦後世界に大きな影響をもたらした。 番組では、アメリカに残る調査報告や尋問調書、旧日本軍兵士の証言から毒ガス作戦の全貌を明らかにする。またアメリカ軍の毒ガスの実験映像など新資料を駆使して知られざる対日毒ガス作戦と免責の構造を描いてゆく。
東京裁判の起訴状には、乗せられながら、米本国からの強い指示で、裁かれなかった毒ガス。東京裁判というものの性格や到達やいい意味でも、悪い意味でも示している材料でもある。これは引き続き勉強したいテーマでもありそうだ。
改造内閣以降も、政治とカネの問題が続きます。農水大臣の交代は、どう考えても犯罪ですから、論外ですが、続いて鴨下環境相の資金団体の鴨下氏個人から借入金について記載の訂正がありました。そして、
高村防衛相、収支報告書の費目訂正 05年の900万円(朝日新聞)高村防衛相は4日、自らが支部長を務める自民党山口県第1選挙区支部の05年政治資金収支報告書で、高村氏への寄付として計上していた計900万円の支出について、実際には支部が、高村氏の政治活動のために支出していたとして、8月29日付で費目を寄付から政治活動費に訂正したことを明らかにした。 …
この記事の範囲では、詳しいことはよく分かりません。高村氏の政治活動という形での支部支出なら、細目が必要になると考えるのが常識です。ところが、政治団体から、政治家個人への政策活動や組織活動費の提供というのは、政治資金の側からは細目は問われていないというのが現状のようです。一方で、個人の収入として国税がチェックするという仕組みも内容です。そうなると、このお金の支出というのはまったくの「闇」ということなのでしょうか。
自民党から政治か個人への政策活動費の支出は、実は億単位に及んでいるのですから。
ここで何を言いたいかと言えば、実は、政治資金の支出という面でも、「闇」は、あまりにも大きいということです。自民党の活動は、この「闇」によって支えられているということも言えるのです。そして、最近、忘れ去られている、「官房機密費」という政治の「カネ」の闇も忘れてはいけません。あらためて、自民党政治における「カネ」の問題は、大きく問われるべきでしょう。そのうえで、この自民党政治というものを終わりにするべきではないでしょうか。
暑苦しい? 長男が、いろいろありながら? 結局、帰省中です。連れ(!)といっしょの帰省で、昨日は、近所の居酒屋に飲みに行きました。ところが、その後、いっしょに帰省していたハムスターが急死して…。ちょっと、大変でした。
今日は、お二人でディズニーランドのようですね。
まあ、明るく、楽しくというのが何と言っても、彼のいいところでしょうけど、親としては、もう少し大人としての自覚や、見通しをもってほしい(早く自立してほしい)と思うところですね。甘い親ですから…。
生活保護の問題を詳しく知りたくて、いろいろ読んでいる。そのなかの1冊がこの本。90年代以後の、生活保護裁判をリードしてきた弁護士さんだ。朝日訴訟は、少しは知っていたが、堀木訴訟をはじめ、その後の訴訟はあまり知らないでいた。柳園訴訟、林訴訟、高訴訟、佐藤訴訟…。実は、現在の「貧困」の問題で出されている論点は、ここですでに提示されている。
日本初の全盲の弁護士はいかにして誕生したのか.点字の六法全書もない状況から,司法試験の点字受験を実現させ,その最初の合格者となったのは,多くのボランティアに支えられながら奮闘を続けた竹下義樹という男だった.盲人のかかえるハンディキャップを乗り越え,社会的弱者のために闘う弁護士の,感動のドキュメント
本そのものは、この弁護士の反省を丁寧に追ったものだ。割合といい加減なところから、はじまって、どんな障害をも前向きの思考で乗り越えていく竹下さんの姿には、やはり頭が下がる。自分なんて、まだまだひよっこだ。
そんな本のなかで、わりあい身近な人物も登場していた。竹下さんが司法修習生のとき、竹下さんを支えともに歩んだ弁護士は、私が予備校に通っていたときの友人だった。京都らしい予備校における自主的な活動で、討論会をしたり、数学の勉強会をしたりしていた。弁護士になって、活躍していたのは知っていたが。そして、その彼や竹下さんと同期の修習生に、あの青山元弁護士がいて、親しかったことも驚きだった。
んなわけで、うつうつとした日々でしたが、いろいろありましたねえ。ニュースネタもいっぱいたまっています。政治は超低空飛行。本も数冊は読んでいます。でも、映画やDVDを見てれいなのが気分をあらわしているでしょう。ドキュメンタリーは面白いものがありました。ぼちぼち、明日から書き込んでいこうとは思いますが。
沖縄の友人にも、メールを送らなければなりません。では。
なぜか精神的にも肉体的にも最悪の状態が続きました。ちょっとオーバーワークのうえに、いろいろあったせいでしょうか。まあ、なかなか苦しさからは解放されませんがね。
そんななか少し元気をもらったのがこの番組です。
ドラマは
「名古屋の高校教師・橋口順平(32)は、ある日突然、養護学校への異動を命じられる。かつて陸上短距離のオリンピック候補にまでなった運動エリートで、『やれば出来る!』がモットー。だが、赴任先で命じられたのは『病院訪問教育』。いままでとは勝手が違う現場で、いたみを抱えた子どもたちを相手に、順平の新たな挑戦の日々がはじまる」
あらすじは、http://www.nhk.or.jp/dodra/benkyou/index.htmlで、みていただくとして、最終回は、教え子の死に、直面するストーリーです。わたっているようなストーリーなのですが、それでも引き込まれていきます。学ぶとは、教えるという何なのかということを問い掛けている内容です。
この数カ月は、知人の教員が辞職をしたり、知人の知人が、退職届けを出したりという話が聞こえてきたりします。いま、学校現場は、大きな世代交代に直面していながら、一方で、若い教師は、現実にショックをうけ、3割が辞めると言います。そして、ベテランの教師たちも職場をさっていっています。そこには、同僚性というものを、破壊する大きな力が働いているのだと思います。
そんななかで、教育とは、子どもが学ぶとは、教師とは、そんな原点を照らし出しているような実践のドラマでした。
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