教科研全国集会
朝から、地域での仕事で、大汗をかき、シャワーを浴びてから職場に向かう。もう仕事はする気はないぞって感じ。しかし、たまった仕事を追いかける。昼過ぎまで仕事をして、町田にある和光大学へ向かう。
今日から3日間、和光大学で、教科研集会です。はじめの全体集会はパス。大分科会から参加。会場につくなり、T先生に遭遇。「ささやかな思考の足跡」を読みましたと言われて、かなり焦る。このエントリーも心して書かなければ。会場で、大学時代に同じゼミにいた(しかも同級で)Sくんと実に28年ぶりぐらいで会う。向こうは、すぐにはわからなかった様子。少し話をすると何とか思い出したようだ。まあこちらがあまり大学には行っていなかったしね。いまは私立大学の教授先生のようだ。
大分科会は、「憲法・四七教育基本法・子どもの権利条約」に参加する。最初の報告が、安倍内閣の教育政策の分析にあてられたこともあり、討論の大半は、もっぱら、教師の仕事ということに焦点があたる。なかなか教師が自分の仕事を深めるような話し合う場をもてない。父母とむすびつきがもてないなどの討論を聞いていて、感じたのは、先生からはなかなか、父母の姿が見えないのだなあということ。
以下は討論の内容ではなく、私の思い。
東京都立の高校の保護者でつくる保護者ねっとわーくというところが「都立学校保護者のつぶやき」というブログをやっている。そこで、ある保護者の方が、中学校での高校への推薦と服装指導に付いて書いている。PTAの懇親会で、管理主義的な主幹が、ちゃんとズボンをはいていない生徒には推薦は出さないと発言したことで、その先生とやってしまった話である。
なぜ、この話を紹介するかと言えば、われわれ、普通の父母が接する教師の少なくない部分が、この主幹のような面を少なからずもっているということだ。つまり、いくら民主的な教師ががんばっていても、普通の父母からは、先のような教師を通して、不信をもってしまうということ。民主的な教師の発信はそれを乗り越えるようなものでないと、父母には伝わらない。
しかし、同時に、その父母たちは、教師不信と動揺に教育政策への不信をもっているのも事実である。今度の参議院選挙の結果だって、そういう意味では、「美しい国」をかかげ、「教育再生」を掲げた安倍内閣の強権的な教育政策に対してノーの声をあげたという側面があるのは否定できない。実は、父母は、民主的な教師たちがかかえる思いと、かなりにかよったような教育政策への視点をもっているという部分も多分にあるということも言えるのだ。たぶんそれは教師が考える以上に強く(もちろん潜在的流動的でもあるのだが)。ただ、教師不信の大きさを前にして、そうした父母の教育要求を教師の側が十分に評価することができなくなっているのではないのだろうか。大切なこと、そして重要な課題は、どう教師と父母がつながるのかだ。そんな感想をもった討論だった。 たぶん研究者の人たちにも、同じことは言えなくもない。
分科会終了後、今年は、交流会はパスをして、そのまま帰路に。分科会の報告者でもあったK先生と鶴川まで歩き、そして新宿から赤羽まで、おしゃべりをする。途中、院政のOくんも加わって、最近の関心や、情報の交換なども行う。
暑い一日でした。疲れた・・・。
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