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2007/08/01

忘れられた島の闘い~沖縄返還への軌跡~

 予想以上によかったです。そうNHKの「そのとき歴史は動いた」です。瀬長亀次郎のたたかいを正面から描いていました。

 太平洋戦争末期の沖縄戦以降、アメリカ施政下に27年間置かれた沖縄。あまり知られていないその実状と復帰までの長い道のりに迫る。  戦後、本土から切り離されアメリカの直接統治下に置かれた沖縄は、東西冷戦下、反共の拠点として基地化を進められる。沖縄では、何よりもアメリカ軍の軍事利益が優先し、人びとの土地は基地建設のために強制収用されていった。戦後に本土の人びとが得た基本的人権の保障とはほど遠い状態が続いた。  しかし、やがてそうした状況を打開しようとする模索が始まる。その一人が、のちに那覇市長を勤める瀬長亀次郎だった。瀬長は軍事優先のアメリカの政策を非難し、沖縄に平和と人権を取り戻すために「祖国復帰」を訴えた。  そんな瀬長をアメリカは逮捕や政界追放などで追いつめる。しかし瀬長の姿は沖縄の人びとの心をつかみ、アメリカへの抵抗は「島ぐるみ」の運動へと発展。そして沖縄の人びとの声は本土で高まっていた反戦運動と結びつき、ついに日米両国政府を動かし、沖縄の日本返還が実現する。  番組では、祖国復帰への道を開いた沖縄の人びとの知られざる闘いの道のりを描く。

 ぼくは、正直言って、95年の事件まで、沖縄の歴史などについては、あまりよく知りませんでした。とくに戦後、銃剣とブルドーザーで、沖縄の人の土地が奪われたことなどは。瀬長の本は、若いころ読んだはずですが、あまり頭のなかには残ってはおらず、むしろ95年以降に、本を読み直し、沖縄に関係する人に会ったりするようにもなりました。そう言えば、このブログの最初のほうには、沖縄に取材にいったときのことがアップされています。あのときは、宜野湾の伊波市長にお会いしました。

 95年にもりあがった、沖縄のたたかいは、SACOなどを作り出しますが、それは大枠としては、結局、日本がよりいっそうアメリカとの同盟関係を一体化させる道へとすすむこととといったいにすすみ、沖縄の問題を解決することにはつながりませんでした。ここに、日本の政治の一つの特質があらわれていると思います。そして、それが、いまなお私たちに突きつけられた大きな課題でもあるのではないでしょうか。

 番組では、瀬長の国会での発言を紹介していました。

 「この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する。基地となることを拒否する。あの紺碧の空、サンゴ礁に取り囲まれて、あの美しい海。沖縄県民の手に返って初めて平和な島が、沖縄県の回復ができるんだということを二十六年間叫び、要求し続けてきた。」

 いまなお、それは、糸数さんの大差の勝利にしめされた沖縄と日本の課題にほかなりません。

 ちなみに、現在、琉球新報で、「不屈 瀬長亀次郎日記」が連載されているそうだ。ネットでは読めないので、図書館で探して読んでみようと思った。

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コメント

こんばんは。私もこの特集を見ました。こんなに、望んで本土に返還されたのにヤマトは、沖縄の人を今なお裏切りつづけています。基地を押し付けたまま。
瀬長さんのことを、私は良く知りませんでしたがあらためて、考える機会を得ました。

 瀬長さんを知らない世代などと聞くと、自分の年を感じてしまいます(笑い)。でも、直接、お話ししたりする機会はありませんでした。NHKがNHKらしいのは、瀬長さんは復帰前は沖縄人民党の委員長、復帰後は、日本共産党の副委員長。公党の役職にあるのにその肩書きがまったくでてこないこと。本当は、一週間前に放映予定だったという話もありそうですが、選挙を意識したとか。
 でも、番組はよかったですよね。瀬長さんの生きざまが伝わってきました。私のような世代の人間には、獄中の日記の「これからは大衆のために生きなければならない」というような言葉に揺さぶられます。

日本愛国者として瀬長亀次郎を持ち上げる為に冒頭から非科学的に歴史をねじ曲げるNHKのTV(2007.8.1.夜10時) 瀬長亀次郎特集

歴史を見れば明らか、琉球人の祖国が日本であるものか、「琉球の風」も放映したではないか、確かに現在の琉球人は国籍はニッポンだ
しかし、日韓併合と同様に琉球国600年の歴史からすればむしろ短い、つい最近の事。DNA調査でも日本と朝鮮の方がむしろ近い。
元々日本語も喋っていなかった、文化、風俗習慣も違っていた。

NHKは沖縄独立論や保守の復帰反対などを意図的に隠している、日本復帰といえども当時は選択肢として独立論や現状維持論、信託統治論、
米国の一州論などもあった、その中で何故日本復帰に多数が傾いていったのかを解説すべきであった。

人民党は余りの強大な米軍に恐れをなし、独立すべきだと言う事を解っていながら日本の平和憲法の下に保護されるという幻想を抱いて、
楽な方日琉併合へと傾いていったのではないか。考えてみれば簡単に解る事、アメリカの意のままにに占領されている日本に併合したって
沖縄の基地が無くなる訳はない。100万人対1億人、合法的民主的にに1億人の利益優先に決まっている、これが政治というものだ。

瀬長も共産主義者のはしくれなら「全沖縄民族の解放」を貫徹して欲しかった。さすれば琉球の歴史に英雄として永遠に記録されただろう。
今となっては琉球の人民と膨大な琉球の領土、資源を日本帝国に差し出した売国奴として琉球1000年の歴史に刻まれる事だろう。

番組は全く瀬長の表面をなぞるだけで掘り下げる事なくつまらないものであった。

終戦後は当然のごとく沖縄共和党、沖縄社会大衆党や沖縄人民党、日本共産党も独立を打ち出していた。

以下ウィキペディア引用------------------
人民党の結党当時は「全沖縄民族の解放」を謳い、米軍に対する感謝決議すら行っていたが、1949年10月の党大会で「自主沖縄の再建」と改められ、やがて1951年4月、本土復帰方針に変わっていく。

突然の書き込み失礼致しました。

マスコミを鵜呑みにしないこと、反対側の考えも知る事、これが全体主義を防ぐ道です。

 こんばんは。
 おっしゃるような、琉球独立の意見は、その存在も知っていますし、そのご意見については、私は私なりの、意見ももっています。ただ、あの時期に、多くの人たちが、本土復帰を掲げるにいたる経緯には、客観的な根拠もあったとも思っています。このブログでは、そこの議論までするのには、ちょっと手に余りますけれど、機会があれば、自分なりにも整理はしたいとは思っていますが。

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