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2007/08/20

「パール判事は何を問いかけたのか~東京裁判・知られざる攻防~」と『パール判事』

070814_a 14日の夜、通夜の番をしながら、この番組を見ていた。個人的には、前夜のA級戦犯を題材にしたものより、こちらのほうが面白かった。

 日本の戦争責任を問い、A級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判。連合国を中心とした11カ国から派遣された判事団の多数意見により、25人が有罪とされ、東条英機元首相をはじめとする7人が死刑となった。そんな中、多数意見よりも長い反対意見を書き、「被告全員無罪」を主張した裁判官が、インドのパール判事である。東京裁判から60年以上たった今も、国内では東京裁判をめぐる議論が続いているが、パール判事が出した「全員無罪」についても、日本の戦争を正当化するものだなど様々な解釈がなされてきた。今回、NHKは、パール判事の故郷であるバングラディシュやインド、さらにヨーロッパ各国を取材、そこでパール判事を知る関係者を直接取材するとともに、パール判事と他の国々の判事とのやりとりを明らかにする資料を発掘した。こうした中から、これまで語られることのなかった、知られざるパール判事の実像やその思想、そして「全員無罪」に至る背景が明らかになった。絶対的な平和主義者、頑固なまでに正義と法を守るパール判事。その真実を明らかにする。

 注目されるのは、東京裁判の結論が、最初から予定されていたものではなく、審理の過程でさまざまな議論がなされていること。そのなかで少数意見を主張することを決意したパールとレーリンクが、最終的に、国際法の理解には、まったく違った判断をしたこと。大事なのは、パールの意見書は、あくまでも、彼の国際法の理解として、被告に無罪の判断をしたということであって、彼自身は、日本の侵略戦争と残虐行為にきわめて批判的な態度をとっていたことである。

21rdhtontl たまたま中島岳志さんの『パール判事』という本を読んでいた。これもなかなか面白い。
 ちょうど、紙屋研究所さんが、この本のレビューを書いているので、紹介しておく。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/Pal.html

 まあ、内容の紹介は紙屋氏にゆずるとするけれど、著者は、かなり丹念に、絶対的平和主義者で、反植民地主義者であったパールの思想をたんねんに追う。東京裁判後の、日本のアメリカへの従属のもとでの再軍備を批判し、9条を支持したあたりの紹介は圧巻でもある。あくまで、日本の侵略行為に批判的であったことを明らかにする本書からは学んだことが多かったし、それだけに、遊就館の前にパールの像までつくって、いまだパールを利用しようとする日本の右派のおろかさも鮮やかになる。

 ただ、いくつか課題も残った。たとえば、パールの国際法の理解をどう考えるのか。パールへの批判として。彼の国際法の理解は「古かった」というものがある。先の紹介したレーリングは、少数意見書に、平和に対する罪の積極的な評価をおこなっている。パールは、平和に対する罪や人道に対する罪は、当時はまだ国際法で確立していなかった事後法だと判断し、それによる裁きを拒否した。国際法とは、あくまでも国家間の条約によって確立したものだと見る。当時は、国際法そのものは大きな過渡期にあった(それはパールも認識している)。その画期はいうまでもなく、パリ不戦条約である。同時に、国際機構そのものをどう考えるかという問題もあるのだとも思う。つまり、国際司法は、国際法の前進に寄与する独自の判断をもているのか。私は、個人的には、直感的に、パールの国際法の理解には同意できないと感じたわけだけど、それは、これからの課題として勉強したいとも思った。

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コメント

国際法とは何か。
条文法だけが方ではない、でしょう。でしょう、というより、でなかった、ということです。さらに、東京裁判は戦争の一部、とみなしてよいとおもいます。完璧な正義の実現を国際法にのみ任せるわけにはいきません。。というより、いかなかった、という歴史的事態があったころの出来事であるしいまだに世界は、そういう枠組みから逃れてはいません。それに異議を差し挟めるモノが何人いるでしょうか?イラク戦争で、そのひとが何を発言しましたか?東京裁判に異議を称えるならばイラク裁判など話にもならないでしょう。

 古井戸さんの意見の真意ははかりかねています。国際法は、国内法とちがって、世界政府も存在しないし、国際司法も限られています。しかし、一方で、歴史的には、立憲主義をめざした長い積み重ねがあると思っています。だから、歴史のなかで、その意義をつかむの大切だと思っています。その意味で、パールの国際法理解は、解釈学的すぎて、正しいとは思えないということです。東京裁判は、同じ意味で限界はありますが、歴史的に画期的な意義があると思っています。国際司法は、ルワンダにしても、ユーゴにしても、安保理という政治的な組織がつくったという限界はありますが、それが、国際刑事司法裁判所の設立につながりました。その意味は大きいと思います。

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