終電後
仕事は山場を越えたはずなのに。仕事が終わったのは終電後。電車でいけるところまでいってあとは。トホホの毎日が続きますね。〓
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仕事は山場を越えたはずなのに。仕事が終わったのは終電後。電車でいけるところまでいってあとは。トホホの毎日が続きますね。〓
今日、内閣改造がありました。仕事の山場で忙しい中でしたが、それでもテレビをつけて見ていました。
ちょっと驚いたのが、自民党三役ではあいかわらず、石原さんがよこ滑りしたこと。それから…。
地方格差是正を重視、派閥会長らベテラン配置 安倍改造内閣発足(山陽新聞)安倍改造内閣が27日夜、発足した。安倍晋三首相(52)は、地域間格差の問題への批判が参院選惨敗の要因となったことから、「地方・都市格差是正担当相」を新設、総務相との兼務で民間の増田寛也・前岩手県知事(55)を起用。外相に町村信孝前外相(62)、防衛相に高村正彦元外相(65)を処遇、文部科学相は伊吹文明氏(69)を留任させるなど、前内閣の側近重用・論功重視の手法を転換、派閥会長クラスのベテラン議員を幅広く並べる重厚な布陣を敷いた。
年金記録不備問題を抱える厚生労働相には初入閣の舛添要一参院政審会長(58)を抜てき、内閣の要の官房長官に与謝野馨前経済財政担当相(69)を充てた。…
どんな感想をもったか。まず、麻生幹事長が最初の記者会見で、自民党をぶっつぶすといった人の後のあとの、立て直しということを言っていましたが、一定、小泉路線から距離を置くという表明でしょうか。たぶん、安倍さんも先の参院選の敗北の原因は、小泉「改革」と個別政治家の不祥事が原因とでも考えているのでしょうね。
ただ、小泉「改革」から本当に離れるのかと言えば、そういうわけでもなさそうです。増田元岩手県知事などが入っているのはその典型ですが。与謝野官房長官の起用なんていうのは消費税増税の布石でしょうか、どこかで、民主党に対して反転攻勢をねらっているんでしょうね。太田弘子さんも留任したし。憲法という点でも、自民党案の起草委員会の事務局を担っていた舛添さんをはじめ、推進者で固めていますし、伊吹さんの留任の微妙ですね。伊吹さんは、教育再生会議に対抗していたという評価もありますが、文部科学省を再生会議の下請け化した張本人とも言えるわけですから。
なによりも麻生幹事長、町村外相と、内閣の中心にタカ派=「靖国」派のベテラン議員を配置しているは特徴です。日本会議議員懇の大臣も少なくなさそうですね。でもお得意の補佐官はどうなるんでしょうかあ。
ベテラン大臣をそろえて今度はうまくやるぞって思っているでしょうね。でも、反省がないというか、そういう内閣だということでしょうか。
今日は、昼から生活保護問題対策全国会議の東京集会に行ってきました。
1部では、北九州の餓死問題と、北九州市小倉北区福祉事務所長に関する告発状の提出、福岡地方法務局北九州支局に対して人権侵犯救済申告などのとりくみの報告、大阪での水際作戦の実際の録音テープの公開、そして、ネットカフェ難民や生活保護受給者の声など。
2部では、岩田正美さん(日本女子大学教授)の講演、そして3部では、「労働運動と、社会保障運動・消費者運動の共同を目指して」と題して、暉峻淑子さん、菅井義夫さん(中央労福協事務局長)、鴨田哲郎さん(弁護士・日本労働弁護団幹事長)、宇都宮健児さん(弁護士・日本弁護士連合会多重債務対策本部・本部長代行)
、尾藤廣喜さん(弁護士・生活保護問題対策全国会議代表)によるパネルディスカッション、そして、各団体の発言ということが続きました。とても内容の濃い4時間ほどのとりくみでした。
「共同」とか「連帯」ということがキーワードになっているわけですが、その際に、生活保護というものの、その受給者の生活実態や、水際でおこなわれているとの実際をとおして、この問題の性格を共有することの大切さを痛感しました。また、人と人とのつながりが崩される中でおこっている問題だけに、「連帯」ということのもつ特別の重要性なども感じました。政治をゆりうごかすとは実はたいへんな課題です。主催者の運動は、民主党や自民党の一部の人たちをも視野に入れてのとりくみだとして考えられているようです。このあたりでも、いろいろなむずかしさはありそうですが、いずれにしろ、核心は、さまざまな問題をのりこえるような運動の強さをどうつくりだすのかという点にあるということはよく伝わってきました。
たくさんの資料が配布され、それだけでも私にとってが、たいへんな勉強になりそうです。
話は変わりますが、中央労福協というのは連合の元会長が会長をしている団体です。事務局長の菅井さんも連合出身の方です。クレ・サラ問題では、この団体が大きな役割をはたしたということなのですが、今度の連合の大会では、非正規労働者の労働条件の改善が大きなテーマとなっています。民主党躍進下の政治のなかで、連合のいまの要求や主張もよく見ていくことは大事なのかもしれません。
昨日は、午前中は家の近くでの仕事をこなし、午後からは、団地の夏祭りです。1時から準備、そして本番は4時から。でもものすごく暑かったから、準備の段階からビールをいっぱい飲みました。ダラダラと結局11時頃まで飲んでました。最後はリクエストもあり、政治談義も。政治的な考えは、かなり違う人たちも少なくはありません。もちろん、人生経験も、違う人たちの集まりですが、そんなおつきあいも大事であるのでしょうね。
みなさん、お疲れさまでした!
しっかり暑い日が戻ってきてしまいましたねえ。仕事のほうは、いまがピークです、忙しいです。体調は、もうバテバテで…。最悪です(笑い)。つかれた、つかれた、つかれた。
さて、今日は、こんなニュースです。
世帯の所得格差、過去最大に…厚労省調査の05年ジニ係数(読売新聞)厚生労働省は24日、世帯ごとの所得格差の大きさを表す2005年のジニ係数が0・5263で、過去最大になったとする「05年所得再分配調査」の結果を発表した。
同省は、一般的に所得が少ない高齢者世帯の増加が主な要因と見ているが、「非正規社員と正社員の所得格差などが影響している可能性も否定できない」としており、次の臨時国会などで格差問題を巡る議論が活発化しそうだ。
同調査は、3年ごとに実施されている。ジニ係数は0~1の間の数字で表され、格差が大きいほど1に近づく。
今回の調査では、ジニ係数が前回を0・028ポイント上回り、初めて0・5を超えた。例えば、全体の25%の世帯が所得総額の75%を占めた場合などに、ジニ係数は0・5となる。
公的年金など、若い世代から保険料を徴収し、高齢者に配分する社会保障の効果を加えると、ジニ係数は0・3873で、前回を0・0061ポイント上回って過去最高だった。ただ、前々回や前回とほぼ同水準であることから、厚労省では「社会保障の効果も加味すれば、格差に大きな変化はないとも言える」としている。…
実物は、ここにあります。http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/kouhyo/indexkk_6_9.html
しかし、なかなか、こういった数字を飲み込んで、使ったりできません。どうも苦手です。ただ、厚生省の格差に変化はないっという説明は、正しくないというのが感じます。
一方、世帯の所得額は465万8000円で、前回調査の510万8000円から約45万円減少した。世帯の種類別でも、一般世帯578万2000円(前回609万5000円)、高齢者世帯84万8000円(同92万円)、母子世帯191万1000円(同201万3000円)と、いずれも減少した。たとえば「07年度経済財政白書によると、欧米各国のジニ係数はドイツが0・26(2000年)、フランスが0・278(同)、アメリカが0・37(同)などとなっている」からです。政府系の学者である慶応大の樋口美雄教授でさえ、「日本で格差が拡大しているのは間違いない。低所得者をサポートする政策や30代のフリーターが正社員になれるような能力開発などが必要だ」と指摘しているぐらいです。
この問題は、いまの政治の最大の課題の1つであることはいうまでもありません。ちょっとがんばって、取材と勉強を重ねたいと思っています!
とてもわかりにくい、計画である。「教員が多忙すぎて1人1人の子どもの指導に手が回らない」などと増員を求める声が強まっていることから――それは教育再生会議の議論にもある程度反映はさえているのだが――文部科学省が。教員増員の計画をぶちあげた。
3年で教職員2万1千人増員、文科省が計画…折衝は難航か(読売新聞)文部科学省は23日、2008年度から3年間で、全国の公立小中学校の教職員を2万1362人増員させる定員計画をまとめた。
計画に沿って、来年度予算の概算要求で、現場教員のリーダーとなる主幹教諭や事務職員など、計7121人の増員を求める。教員が子どもと向き合う時間を確保するための措置だが、計画通り増員するためには、教職員定数の削減を規定した行政改革推進法(2006年6月施行)の改正が必要となる見込みだ。年末の予算編成に向け、財務省との折衝は難航が予想される。…
実は、その内訳はもっとややこしい、7121人の増員の内訳は、主幹教諭3669人、事務職員485人、特別支援教育の充実903人、栄養教諭157人、習熟度別少人数指導の充実1907人などなど。どうも、学校に基礎的に配置する教員の底上げをするというものではなく、賃金で傾斜をつけたり、特色をつけたりという意向がうかがえる。うがった見方をすれば、どこまでも新自由主義的であろうというのか。しかも、年5000校を対象にした不登校の児童・生徒への対応などを行う非常勤講師の配置(約77億円)や、学校事務の外部委託のための地域での体制作り支援(約204億円)なども概算要求に盛り込む方向。これで、どこまで学校が元気になるというのだろうか。
効率性を優先させようという予算の使い方で、はたして教育がよくなるのか。これさえも、はたして財政当局に通用するのか(「骨太方針」を見よ)。どこまでも矛盾は大きそうである。
実は、最近まで、ぼくはよく知らなかったのだが、日本弁護士連合会は、昨年10月の人権擁護大会で、「貧困の連鎖を断ち切り、すべての人の尊厳に値する生存を実現することを求める決議」というものをあげている。
当連合会は、生活保護の申請、ホームレス問題等の生活困窮者支援の分野における従前の取り組みが不十分であったとの反省に立ち、今後、研究・提言・相談支援活動を行い、より多くの弁護士がこの問題に携わることになるよう実践を積み重ね、生活困窮者支援に向けて全力を尽くす決意である。
本書は、この宣言をうけた同会の決意に満ちた内容になっている。
貯蓄ゼロ世帯の増加、生活保護受給世帯の増加、非正規雇用の増加、多重債務者の増加などに象徴される貧困と格差拡大問題。餓死、生活保護申請の実態、多重債務のデータなどをはじめ日本の貧困にかかわる基礎データを踏まえあぶり出す。日本のセイフティーネットの問題点を外国の事例も紹介するなかで示すとともに、「貧困の連鎖を断ち切ること」こそが国と地方自治体の責任との視点から人の尊厳に値する生存権が保障されるための諸政策を提言する。
貧困の全容にせまり、その根絶にむけた日弁連の厚い思いがこもっている。そして、日弁連がこのようなとりくみをすすめていることは、クレ・サラのとりくみが政治を大きく動かしたことから見ても、とてつもなく大きな一歩につながるに違いない。
本書は、貧困問題・生活保護に関するバイブルとして、活用が望まれる一冊になっている。
今日、学校選択制にリンクした形での学校統廃合が、全国で急速に広がっています。本書では、Ⅰ部でこの問題に一貫してかかわる山本由美さんが、「東久留米の学校統廃合の今日的な意味」を論じ、Ⅱ部では、関係者が「親・教師からみた学校統廃合」を報告しています。
反対するとりくみからは、豊かな教育実践を基礎にした父母、教職員、地域の共同の力を学ぶことができ、同時に、統廃合がなされた教育現場が、どのようなダメージをうけているかも報告されています。Ⅲ部の田中孝彦さんによる「学校統廃合が子どもに及ぼす影響」と題した、子どもの声をよく聞きとりながら、子どもの発達にそくした教育や地域のあり方の提起は、この問題の議論の核心をついた提起として、議論されることが望まれます。
今月号の『現代思想』は、東京裁判が特集のテーマ。第一人者の粟屋憲太郎さんのインタビューや内海愛子さん、小森陽一さん、成田龍一さんによる座談会など読みごたえのあるものになっている。
職場の友人との会話で、ちょっとした話題になり、高橋哲哉さんの「もう一つの『東京裁判史観』」という論文(インタビュー)を読んでみた。なかなか、おもしろい論文だ。つまり、天皇を免責し、かつての戦争の責任のすべてを軍部におしつけた史観が、「もう一つの『東京裁判史観』」として戦後の日本社会を支配しているという指摘である。論文の趣旨そのものは、なるほどとかなり同意をするものである。この間、東京裁判にかかわるような本を少し読んだりしても、この天皇の免責という問題は、日本の戦争責任との向きあい方をある意味決定づけたという性格を持つし、この点が、東京裁判の、他のさまざまな問題と比べても決定的に裁判を特徴づける点となっているとつくづく思う。
高橋さんの論文では、この「史観」を現在の靖国をめぐる問題や、憲法、沖縄をめぐる問題とむすびつける。日本の戦争への向きあい方が、現在の日本政治を特徴づける大きな骨格になっていることは否定しようがない。ただ、現在の政治を貫くナショナリズムの復権というもののなかで、「天皇」というものの位置づけはいたって微妙だ。つまり、「もう一つの『東京裁判史観』」なるものは、きわめて不貫徹の形で、現在の政治に影響を与えていると考えたほうがいいのではないかとも感じる。この「史観」と、現在の政治現象をつきさして論じるには、もう一つも、二つも中間項を用いた議論がなされる必要があるのだろうな、なっていう感想をもった。
給食費に続いて、今度は保育料を問題にするというようです。そして、どうしても保護者のモラルの問題にしたいようです。なんとか再生会議が、議論するように、親のモラルの教育が、こうした問題の解決の最大のポイントだと言いたいようなのです。
保育料滞納90億円 06年度 8万6000人、保護者の3.7%(東京新聞)全国の認可保育園で二〇〇六年度に保育料の滞納が八十九億七千万円に上ることが二十二日、厚生労働省の初の全国調査で分かった。保護者の3・7%に当たる約八万六千人が滞納しており、滞納が増えたとする自治体のうち65・9%が保護者のモラルの低下を原因に挙げた。
厚労省は同日付で対応強化を求める通知を各自治体に送付。滞納の初期段階での家庭訪問や悪質なケースへの差し押さえ徹底などを要請している。
保護者数は保育園に通っている子ども一人に対し一人と計算。滞納額は本来の保育料総額の1・9%だった。
滞納額の割合が滞納者の割合に比べて低いのは、保育料は所得によって決められることから、低所得の保護者の滞納が多かったためとみられる。…
調査の結果にあらわれているように、低所得の保護者の滞納が多いのは事実なようです。であるならば、その家庭の生活の実態がどうなっているのかについてのていねいな調査が必要です。ここには、当然、極端に収入の低い母子家庭の「貧困」の問題や多重債務による「貧困」がゆえの滞納が予想されるからです。ほんらい、こうした「貧困」の発見は、行政の役割であるはずです。にもかかわらず、「保護者のモラル」を最初にあげ、効率的な集金こそが行政の役割だというのでしょうか。
まずは、実態をていねいに明らかにするような調査と、実態に見合った対策を求めたいものです。
市川市の動植物園のレッサーパンダ・次郎が、熱中症で死亡したというニュースが駆けめぐりました。
動物までもが熱中症で死亡する暑さです。今日は、職場のみんなも、だいぶまいっていましたね。温度計をもってきて、この位置は30度だとか、いろいろいって、いちばん涼しい場所を探すのですが、そのいちばん涼しい場所に人が集まりますから。ぼくが働きはじめたころ、その職場にはエアコンなんてなかったですよね。そんな話をしていると、昔は、山手線にもクーラーはなかったぞなどという話に。ほんとうに暑くなってしまっているのですね。
そんな職場がもりあがったのは、甲子園の八回ウラ。普段はついていないテレビを、だれかが何となくつけたら八回ウラ。その瞬間からドラマがはじまったのですから。ことしの高校野球は、あまり見ていませんが、なかなか面白かったようですね。
さて、この市川市動植物園には思い出があります。家からそんなに遠くなく、近くにフィールドアスレティックなどもあって、子どもが小さな頃、何度か連れて行きました。いちばん覚えているのは、二男がこの場所に、小学校の遠足で行く予定だったのが、風邪をひいていけなくなったため、後日、行きたいというので、連れて行ったことかな。だいたいこういう日は、朝から夫婦げんかをして、わたしだけで連れて行くのがわが家の習わしです(笑い)。近場で、電車で行けるような場所には、わたしが連れて行くというのが役回りなのですから。まあ、そんなこと、子どもたちは覚えていないでしょうけど。
レッサーパンダはあまり記憶はありませんが、たぶん、その思い出のどこかに、あるのでしょうねえ。次郎は、人間にすれば90歳ほどの大往生というのですから、きっと会ったことがあるはずです。何となく、そんなことも思い出しました。
学生時代の友人から、ずいぶん久しぶりに電話があった。就職してから、職場でいろいろトラブルがあって、何度か仕事を変えて、それから困った相談があったのが、数年前。また、音信不通になって、久しぶりに電話があった。この数年のあいだにも、いろいろなことがあったようだ。生活のうえでも、ほんとうに苦しい思いを積み重ねたようだった。
やはり、ぼくは、学生時代の友人などに対しても、とっても不義理を積み重ねてきたタイプだから、懐かしさと申し訳ない思いと。共通する友人の近況も何人か教えてもらう。みんなに幸あれとも思うし、いろんな苦労や、困難を背負いながら、それでも、ギリギリ、ふんばって生きているのは、すごいなあなどとも思う。
ただ、こういう身近なところにも、貧困を襲う、ハイエナのような社会のありようの反映は確実にあって、いろいろな身近な問題についても、しっかり考えなきゃいけないなど、いろいろな思いを持つ。
仕事に本格復帰して2日目。ここにきて一気に夏の疲れが出た感じで体調は最悪。
つれ合いは、職場の同僚のお通夜に。親しい人の悲しい知らせは続くものか…。二男は、部活の合宿で、箱根に旅立った(なんとサンダルで)。そんな一日であった。
洋さんのブログを読んでいたら、「アフガンでの米国の軍事行動は安保理決議にもとづくものか?」という書き込みをしていた。20日毎日新聞の社説にひっかかったようだ。
問題なのは社説の以下の部分。
9・11テロの翌日、国連安保理は「必要なあらゆる措置」を取る用意を表明した決議1368を採択した。同月20日、ブッシュ米大統領がテロの首謀者ウサマ・ビンラディン容疑者らの引き渡しをアフガニスタンのタリバン政権に要求する。同月28日には、国連憲章に基づく個別的及び集団的自衛権を再確認し、テロ資金を封じる国際協力などを盛り込んだ安保理決議1373が採択された。 そして10月7日のアフガン攻撃に至るのだから、個別的自衛権の発動とはいえ、国際的な根回しはあったと思う。民主党の小沢一郎代表は、米国の攻撃が国際社会の明確な同意(国連決議)に基づかないとしてテロ特措法の延長に反対しているが、この論法で押し通すのは無理だろう。
洋さんの疑問は、彼のブログを読んでいただくとして、なるほど彼の疑問は正当だし、あらためて決議1368などがいま引っ張り出されているのかということに正直おどろいた。だいたい、アメリカのアフガン攻撃の根拠は、いたって簡単で、個別的自衛権の発動である。個別的自衛権の発動である限り、安保理決議はまったく必要にはならない。当時の国際社会は、この個別的自衛権の発動について、テロという事件の衝撃があまりにも大きかったため、十分な議論がなされなかったという印象が強い。NATOの参戦も集団的自衛権の名で行われている。
日本がインド洋に行く際などに、日本政府は、何らかのお墨付きを求めるためんび、くり返し出してきたのがこの決議1368であったと記憶している。かなり、恣意的に日本政府の手によって語られた決議1368の解釈?が、また復活しているということなのだろうか。もともとの原型は、「米国における同時多発テロへの対応に関する我が国の措置について」――ここにある。
もちろん明確な形とは言えないにしても、国際社会は、このときの教訓を学びながら、平和の秩序を、どう法と正義によって、うち立てていくのかということについての模索を一歩、一歩、すすめている最中にあるのだと思う(それはイラクの事態もふくめ。そして、北朝鮮でのとりくみもふくめ)。
こうした、日本の政治や大手メディアの流れのお粗末さには、正直、驚いてしまう。テロ特措法の延長問題は、たんなる政局ねたではなく、国際社会のありように日本がどうかかわっていくのかという問題――そういう視点で、秋の国会も見詰めていたいとは思うが。
14日の夜、通夜の番をしながら、この番組を見ていた。個人的には、前夜のA級戦犯を題材にしたものより、こちらのほうが面白かった。
日本の戦争責任を問い、A級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判。連合国を中心とした11カ国から派遣された判事団の多数意見により、25人が有罪とされ、東条英機元首相をはじめとする7人が死刑となった。そんな中、多数意見よりも長い反対意見を書き、「被告全員無罪」を主張した裁判官が、インドのパール判事である。東京裁判から60年以上たった今も、国内では東京裁判をめぐる議論が続いているが、パール判事が出した「全員無罪」についても、日本の戦争を正当化するものだなど様々な解釈がなされてきた。今回、NHKは、パール判事の故郷であるバングラディシュやインド、さらにヨーロッパ各国を取材、そこでパール判事を知る関係者を直接取材するとともに、パール判事と他の国々の判事とのやりとりを明らかにする資料を発掘した。こうした中から、これまで語られることのなかった、知られざるパール判事の実像やその思想、そして「全員無罪」に至る背景が明らかになった。絶対的な平和主義者、頑固なまでに正義と法を守るパール判事。その真実を明らかにする。
注目されるのは、東京裁判の結論が、最初から予定されていたものではなく、審理の過程でさまざまな議論がなされていること。そのなかで少数意見を主張することを決意したパールとレーリンクが、最終的に、国際法の理解には、まったく違った判断をしたこと。大事なのは、パールの意見書は、あくまでも、彼の国際法の理解として、被告に無罪の判断をしたということであって、彼自身は、日本の侵略戦争と残虐行為にきわめて批判的な態度をとっていたことである。
たまたま中島岳志さんの『パール判事』という本を読んでいた。これもなかなか面白い。
ちょうど、紙屋研究所さんが、この本のレビューを書いているので、紹介しておく。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/Pal.html
まあ、内容の紹介は紙屋氏にゆずるとするけれど、著者は、かなり丹念に、絶対的平和主義者で、反植民地主義者であったパールの思想をたんねんに追う。東京裁判後の、日本のアメリカへの従属のもとでの再軍備を批判し、9条を支持したあたりの紹介は圧巻でもある。あくまで、日本の侵略行為に批判的であったことを明らかにする本書からは学んだことが多かったし、それだけに、遊就館の前にパールの像までつくって、いまだパールを利用しようとする日本の右派のおろかさも鮮やかになる。
ただ、いくつか課題も残った。たとえば、パールの国際法の理解をどう考えるのか。パールへの批判として。彼の国際法の理解は「古かった」というものがある。先の紹介したレーリングは、少数意見書に、平和に対する罪の積極的な評価をおこなっている。パールは、平和に対する罪や人道に対する罪は、当時はまだ国際法で確立していなかった事後法だと判断し、それによる裁きを拒否した。国際法とは、あくまでも国家間の条約によって確立したものだと見る。当時は、国際法そのものは大きな過渡期にあった(それはパールも認識している)。その画期はいうまでもなく、パリ不戦条約である。同時に、国際機構そのものをどう考えるかという問題もあるのだとも思う。つまり、国際司法は、国際法の前進に寄与する独自の判断をもているのか。私は、個人的には、直感的に、パールの国際法の理解には同意できないと感じたわけだけど、それは、これからの課題として勉強したいとも思った。
なるほど、いまの時代をよく現しているニュースであるような気がします。
地方公務員に「心の病」急増 職員数3000人以上では約8割(読売新聞)社会経済生産性本部が全国の自治体を対象に実施したアンケート調査によると、最近3年間で半数近くの地方自治体で、うつ病などの「心の病」を抱える職員が増加傾向にあることが分かった。
調査は4月、全国1874の自治体に実施され、727自治体が回答した。「この3年間で(職員の)心の病が増加した」と答えた自治体は47・7%に達した。職員数が1000人~2999人の自治体では64・7%、3000人以上では78・6%と、規模が大きい自治体ほど、その割合は大きくなっている。
「心の病」による「1か月以上の休業者」がいる自治体は53・4%だった。年齢別では、「30歳代」が34・4%と最も多く、次いで「40歳代」が30・8%、「50歳代以上」が16・6%と続いている。…
実は、社会経済生産性本部のHPに詳しい調査結果がアップされている。この団体は、一貫して職場のメンタルヘルスに警告を発してきた団体である。http://activity.jpc-sed.or.jp/detail/mhr/activity000827.html
調査では、「進む仕事と職場の変化 ~住民の行政を見る目が厳しくなっている」と指摘する。「1.9割以上の自治体(94.6%)で一人当たりの仕事量がかなり増え,7割の自治体(71.8%)において,個人で仕事をする機会が増えている.さらに約5割の自治体で,職場のコミュニケーションの機会が減り(52.4%),職場の助け合いが少なくなっている(48.8%).その一方でほとんどの自治体(97.6%)で,住民の行政を見る目が厳しくなっていると感じている」というのだ。
そして何よりも「職場での助け合いやコミュニケーションが減少している自治体ほど増加傾向」と警告する。「職場での助け合いが減少したという自治体においては,[心の病]が増加傾向にある割合が56.3%にのぼっている.職場での助け合いが減少していない自治体においては[心の病]が増加した割合は39.7%にとどまっており,その差は16.6ポイントである.また,職場でのコミュニケーションの機会が減少したという自治体においても,[心の病]が増加傾向にある割合が54.3%で,減少していない自治体(40.7%)との差は13.6ポイントになっている」という。
提言は以下の内容だ
[心の病]の増加傾向を抑えていくためには,今後の自治体行政のあり方をどういう方向で地域住民とともに創り上げていくのか,そのビジョンを全員でしっかり共有していくこと,組織内外の人のつながりの構築と,それを含めた意味での一人ひとりの働きがいに焦点を当てた活力ある風土づくりをいかに進めていくかが喫緊の課題である.
実は、これらのことは、公務労働の本質にもかかわるような気がする。公務員の労働の「質」が、いつのまにか本来のあるべき姿かた、かけ離れてしまってはいないのか。「効率性」「成果」の名で、住民の生活や福祉の向上に貢献する公務労働の専門性や公共性が削られてはいないのか。職場ごとの詳しい実態にも目を向ける必要があるが。重要な警告であるような気がした。
長い期間、休んでしまって、昨日から少しずつ仕事をはじめている。政治の世界の動きにもしっかり反応しなければならない日々に戻ります。気になるようなニュースはいくつもあります。
「文民統制に服すべきだ」石破氏が防衛次官を批判(産経新聞)
石破茂元防衛庁長官は19日午前のフジテレビ番組で、混乱した防衛事務次官人事について「人事権は大臣が持っている。事務次官も自衛隊員であり、次官はシビリアンコントロール(文民統制)に服さなければいけない」と述べ、小池百合子防衛相の人事に異を唱えた守屋武昌事務次官を批判した。
守屋氏を退任させて警察庁出身の西川徹矢官房長を後任に充てるとした小池氏の人事案については「思い付きでやった人事なのかといえば、ある意味でよく考えている人事かもしれない」と一定の評価を示した。
たとえば上記のニュースは防衛庁事務次官人事にかかわるものです。守屋氏の動きとシビリアンコントロールの問題が、とりざたされています。たしかに、石破氏の指摘は一見正論ですが、もっと問題は根深いような気がします。
つまり、もともと国民がコントロールができなくなっているのではないかということ。はたして、軍事的な対応に傾斜する政治家のもとに、自衛隊があったとしても、それがシビリアンコントロールということができるのかということだ。ことは米軍再編や、アメリカとの軍事一体化の進行のもとでおこなわれていること。問われる本質は、軍事に傾斜する政治のあるようなんだと思う。
そんなおり、今夜は「出口のない海」をテレビでやっていた。以前に感想は書いたけど、ただただ軍隊というものがどういうものかを考えた。
関西に戻る前日にテレビでやっていたのがこの番組。BBCばりの再現ドラマ仕立てである。
東京裁判で「平和に対する罪」で起訴された28人の被告。このA級戦犯はどのようにして選ばれたのか――。その経緯を物語る2万6300ページに上る尋問調書がアメリカ国立公文書館に眠っている。東条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二……日本の中枢にいた政治家、軍人、官僚ら、錚々たる顔ぶれが並ぶ。 当時、アメリカ、イギリス、ソ連、中国などからなる国際検察局のスタッフは、100名を超える容疑者の中から、尋問、調査によって「被告」を選び出していった。昭和20年12月から、翌年の4月にかけて、巣鴨プリズンの密室で厳しい質問を浴びせられる。その一問一答が克明に記録されていた。戦犯容疑者と検察官の攻防からは、連合国と日本の戦争観、責任論の違いが浮かび上がってくる。 さらに去年、国立公文書館で法務省が保管してきた戦犯関連の資料4000冊が公開された。文書からは当時、日本側がどのような弁護対策を立てて、裁判に臨もうとしていたのかが明らかになってきた。 番組では巣鴨プリズンの取調室を再現。記録に忠実な再現ドラマによって密室の攻防を描く。また、当時の関係者を世界各国に取材。A級戦犯選定の過程を明らかにし、戦争責任をめぐる議論の出発点を浮き彫りにしていく。
まじめな番組なんだろうが、見ていてどうにもすっきりしないところがあった。なぜだろうと考えた。このドラマで中心的に描かれているのは広田弘毅と東条英樹。広田は、軍部のほんろうされ、軍部の犯罪をせおった政治家として描かれる。そして、東条は、戦争の責任を軍部の責任として、すべてを背負った人物として描かれる。これを見ていた人が東条がかわいそうで泣けてきたと言っていた。
けっきょく、東京裁判では、ほんとうの意味で、日本の戦争の責任に向き合えなかったということなのだろうか。そんな気がしてきた。それは、なぜか。あの戦争でのさまざまな犯罪は、天皇の名によっておこなわれた。このドラマでの、東京裁判で天皇が裁かれなかったことの意味。そんなことばかり考えてしまった。
実家に帰って、通夜、葬儀と続き、そのあとは、役所などへの提出物の処理をすすめた。そして、遠い道のりを、今度は、自動車で自宅へ帰ってきた。
中学から高校までは、一言も話すことはなく、その後、私は家を出ているから、そんな父親との別れも、強い悲しみもあるわけではない。しかし、自分のルーツでもあるわけで、何か不思議な気持ちであることは、変わりはない。遺体をぼーとしばらくながめていた。
ずいぶん疲れるのは、「別れ」のせいではない。通夜や葬式で、親戚の人たちとあう。関西をはなれてもう23年もたつわけで、親戚と言っても、20年、30年会っていない人たちがほとんどだ。懐かしさ、いろいろ話したい思いもたくさんあるけれど、同時に、聞きたくもないような話もある。そして、親戚もさまざまで、その間の軋轢なども少なくはない。
結局、自分は求められるような生き方や暮らし方をしているわけではないし、申し訳のない思いとともに、そうではなく、自分はそんなに恥ずべき生き方をしているのだろうかといろいろ考える。そんな、複雑な思いを抱えて、2~3日の日が過ぎた。
親戚というものは不思議なものだ。600キロも離れて生きているのだから、自分の日常の生活のなかに親戚などはいっさい登場するわけではない。むしろ、地域のつながりのほうが遙かに大きい。しかし、日本では、社会保障をはじめ、生活を支えるシステムという点では、地域というのはそれほど熟成していない。家族というものにすべてを押しつけ、さらに、親戚という、実際には機能しないようなものに、何かしらを求めるような考え方はまだまだ強く残っている。そこには、日本社会における人間関係の不安定さと複雑さが、浮き彫りになっていりょうな印象さえうけるのだ。
やたら人間関係のむずかしさというものを痛感し、疲れた期間だった。
今朝、入院中の父が逝った。いま新幹線で実家にむかう。この半年ほどの間に四度ほど見舞いに帰っている。今年いっぱいはもつかなあ、あと二度ほど見舞えるかなと思っていた。突然の死だった。
あまりにも葛藤が激しかったから何をどう思えばいいかよくわからない。はっきりしない気分で西に向かう。
今夜は東京裁判のNHKスペシャルがあって、テージセーの最終回があって、忙しい夜です。ビデオをセットしたりして、何とかみたいものを網羅したいと。東京裁判は、もう1つ、物足りなかったけど、テージセーはビデオで見ます、2つともそれぞれ感想は後日です。
まあ、二男のことをブログに書くと、本人はきっとかなりいやがると思うけど、二男にまつわる話題を2つ。
一つは、昨日のこと。二男は、つれ合いのいる北陸の実家にいくために、新幹線に乗った。切符は私が手配したが、新幹線は指定とれたが、ほくほく線はとれなかった。いちおう予定は17時2分着。ところが、その時間になっても現地にはつなかい。電話での連絡のない。一人旅などしたことのないやつなので、あれ、どこかで迷ったか?
実は、ゆっくり座るために、ほくほく線の自由席を1時間半ほどまっていたようだ。
私はこんなことはできない。とにかく早く現地に着きたいというタイプ。というより、過程でもたもたするのが嫌いで、すぐ答えを出したがる。息子からみるとこんな親や、ぼんやりと時間をすごすことのできないダメに人間というふうに映るようだ。むかし、せこせこ何かをしていかければ気がすまない、私に、休みはぼーっとするのが休みで、そこが父のいけないところだと言われたことがあることを思い出した。
さてもう一つは、今日、地元の警察から電話があった。先月に、塾の行事でおそくなったとき、少し、ある場所でたむろしていて、警察の方が注意したことを伝えてきた。なんでも、青少年健全育成条例かなにかで、高校生以下は11時以降の外出は補導の対象になるという。まあ、大きなお世話って感じがするが、単に親に伝えるだけという発想も、いかがなものか。後は、家庭の問題だというのだ。しかし、子どもの行動を管理の対象とし、その「育成」なるものを家庭の責任として何が改善されるというのだろうか。そんなことをして、いっそう問題が深刻となるケースも多数あろうに、警察からの電話は、そんなことはまったく関心なさそうだった。何か、まちがっていると少々腹が立った次第。
先日、エントリーした東京の特別支援教育の推進計画についての続報です。11日の「東京新聞」の夕刊に、次のような記事が載っていました。
都障害児学校で段階廃止へ 自立の寄宿舎奪わないで(東京新聞)自宅が遠く通学できない障害児のため、東京都内の特別支援学校(盲・ろう・養護学校)に付設された寄宿舎の段階的な廃止が進んでいる。十一の寄宿舎のうち、三月末に一つが廃止され、二〇一五年度末までにさらに五つがなくなる。年齢の違う生徒たちが集団生活をする寄宿舎は、自立に向けた教育的効果が大きく、通学圏の生徒も通ってきた。保護者らは「五輪を開く予算があるなら廃止しないで」と訴えるが、都は「通学困難の子供が少なくなった」として廃止を貫く方針だ。…
この時期では、世田谷区の都立光明養護学校高等部に通う近藤紗世さん(17)の生活を追う。彼女は週二回、授業を終えると、車いすで隣接する二階建ての寄宿舎に向かう。
夏の初めのある日。寄宿舎には、自宅通学の生徒も含め小学生から高校生まで男女九人が泊まっていた。車いすの子がほとんど。伊豆大島出身の高校生は、ここから毎日学校に通っている。 寄宿舎に着くとまず入浴。風呂は障害の程度に対応して使いやすいように工夫され、スロープもある。トイレも形や大きさの違うものが三種類あった。指導員に車いすを押され、さっぱりとした表情で風呂から出てきた紗世さん。この日は夕食前の放送当番で、メニューを読み上げ「手を洗って集合してください」とマイクに向かった。 一階の食堂では生徒と指導員五人が集まり、にぎやかな会話が続く。自分では食べられず、指導員の介助を受ける子も多い。夕食が終わると、宿題やゲーム、合唱やカラオケをして過ごす。 紗世さんの母親の真紀さん(43)は「寄宿舎での時間は、自立生活の予行演習。食事と排せつの自立は、精神的なものが大きい。紗世は後輩がトイレに行くのを見て、自分もトイレを使うようになった」と話す。 三十年以上、障害児の世話をしてきたという指導員の女性は「家では子供が何かを言う前に、親がすべてをやってしまう傾向があるが、寄宿舎では自分でやることが増える。他人に意思を伝えることも覚える」と、集団生活の効果を挙げた。記事は、問題の核心へと向かう。
学校教育法は一九七四年の改正で、特別支援学校に寄宿舎の併設を義務づけた。もともとは離島や遠方に住む通学困難な生徒のためだが、都教育庁学務部によると、従来は通学可能でも「生活習慣を身につける」という理由で受け入れてきた。 ところが、都は〇四年度に寄宿舎の段階的廃止を決め、今年三月末にまず世田谷区の青鳥養護学校の寄宿舎を閉鎖した。大幅な定員割れをしているというのが廃止の理由だった。都側は否定するが、十一あった寄宿舎全体で年間約十七億円かかった運営費を節減する目的もあったとみられる。 都は昨年末、寄宿舎の管理運営規則を変更。入舎の基準から「家庭の事情」「教育上の必要」の二項目を削除し、さらに門戸を狭めた。 学校教育法に反するとも思われるが、文部科学省特別支援教育課の担当者は「『特別な事情のあるとき』は寄宿舎を設けなくてもよく、生徒が自宅通学できる場合は、これに当てはまる。寄宿舎を設けるかどうかは、地域のニーズや設置者の判断」とすげない。 存続を求める保護者らは一昨年、「寄宿舎で身につく力は大きく、代わりの施設もない」と、約一万五千人の署名を添えて都議会に存続を請願した。審議は今も続く。真紀さんは「指導員のノウハウは、障害児の自立にとても貴重なのに、閉鎖で散逸してしまう。ノウハウはお金で買えないのに」と悔しそうだ。 障害児が自立へのステップを踏む場を、こんなふうに狭めていいのだろうか。都には、障害児や家族の立場に配慮するよう再考を促したい。
「特別支援」だとか、「自立支援」だとか、どうも行政は、「支援」という言葉が好きだ。ここにごまかしがある、支援するという美名で、自己責任を押しつける。その姿が浮き上がってくる。
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昨日も今日も、これ以上仕事するなって暑さだけど、昨日も取材、今日も取材の日々。昨日は、「ここまでわかった!日本軍「慰安婦」制度 ~今、戦後責任をどう果すか~」という集会に行ってきた。夏休みもまっただなかで人が集まるのかなあと思ったけど、さすがに米下院決議の直後で、会場は満員だった。
3人が報告。ま吉見義明さんが「日本軍の加害責任はどこまで明らかにされたか?」と題し、きわめてすっきりした報告。いつもながらわかりやすい。続いて、林博史さんが「『慰安婦』制度はどのように裁かれたのか?」と題し、東京裁判とBC裁判について。東京裁判で何が裁かれたのかということを、しっかり見ることはなるほど大事。そして、BC裁判のとらえ方も、東京裁判との関係でポイントとなる。最後に、西野瑠美子さんが「被害者の証言は何を明らかにしているか?」。はやり、証言というものの重みをいまさらながら考えさせられるいい報告。
暑い中ではあったが、知的な刺激もふくめ、たくさんのことを学ばされた集会。栄養にもなったこともいくつかあります。
NHKのBSで昨日まで、BBCが制作したニュルンベルク裁判のドラマをやっていた。原作そのものが、歴史修正主義の側からも一定評価?を受けたと言うほど、ナチの主張もふくめ再現したリアルなドラマになっているようだ。1回目は見逃したが、2回目のゲーリングと3回目のヘスの回は、しっかり見ることができた。
このシリーズでは3人の人物がどのような尋問プロセスを経て判決に受けるに至ったか、史実に基づき忠実に再現した。ドラマと裁判の記録映像を織り交ぜて構成。今も生存している当時の検察官、弁護人、通訳などの証言を交え、それぞれ異なる判決を受けるに至った3人の被告の苦悩の様子を描く人間ドラマとなっている。
実は、歴史の流れのなかで、この裁判のことを知識としてはもっていたとしての、そもそもこの裁判自身については、ほとんど知らないことにはじめて気がついた。だれが、どのように裁かれたのか。
戦争犯罪を裁くにあたっては、当然、その戦争の実相について事実をとおして向き合うことがその前提となる。残虐な戦争であればあるほど、その事実と向き合うことは容易でない。そんなことを含め、このドラマは、被告であるナチの幹部と、被告を担当した心理分析官などとの心理劇としてつくりあげられていて、この独裁政権、残虐な戦争の遂行者の心理の深層にも迫ろうとしていて、そこが面白かった。
それだけに、戦争を裁くということに決定的な差が東京裁判とのあいだであることが浮き彫りになる。つまり、ニュルンベルクの裁判では、ヒトラーの犯罪は当然のごとく裁かれ、その罪との関係で、被告たちの罪が問われるという構造になっているのに対し、東京裁判は、天皇が免責されている。これは単に天皇免責という問題にとどまらない、日本においての戦争の実際との向き合い方に、その心理面も含め、大きな問題を残したということができるのではないのか、そんなことも遅まきながら気づかせてくれたドラマだった。
この夏の時期は結構、見るべきテレビ番組が多くて、たいへんです。昨日、今日は、ドラマ「はだしのゲン」が放送されていました。ぜんぶ見れたわけではありませんが。
この原作の漫画は、ぼくが中学から高校のころ連載されていた。だけど、そのころはあまりにも辛すぎて正面から向き合ってこの漫画を読むことはできなかった。はじめて読んだのはたぶん20代。ドラマは、漫画の前半部分の大きな流れを、多少、順番や設定を変えながらつくられている。十分見応えはあった。ぼくらが〈継承〉しなけれればならない体験がここにはある。これは決して風化させてはいけない。そして、その背後には、もっと想像力を働かせて、受けとめなければならない「戦争」の実際がある。そう加害の記憶も含め。…
昨日は、途中でチャンネルを変え、「尾崎豊がいた夏」という番組も少しだけ、見た。なぜかNHKは尾崎が好きだ。ぼくらより一回りも下の尾崎だが、20代半ばに高校生向きの週刊紙をつくていたから、尾崎はよく聞いた。彼の笑顔がまぶしい番組だった。
職場で暑い暑いと言っていたら、むかし、暑いといったら罰金10円で。そのお金をためて、アイスを買ってなんていう話がでた。どこでもありますよね、こんな話。でもやっぱり暑いんです。
今日は、結局、教科研集会はパスして、職場で原稿を格闘。とりあえず、夜までにはメドを出す。これで、何とか日程通りの仕事の進行にはなりそう。さすがに疲れは、ピークの状態。肩がパンパンにはっているし、背中がかなり痛い。休まないといけないんだろうけど、いまのところ、その予定はまったくないのが辛いところ。ここのところ、映画を見るどころか、DVDを見る気力さえ出ない。
つれ合いが組合の学習会で留守。したがって家事は全部こちら。家事をこなす意欲も気力もでない。それでも、朝から頑張って、弁当をつくり…という生活。
夜は、集会を途中で抜けて、家事に戻る。原爆の関連のテレビを見て、そして、これからニュルンベルグ裁判関連の番組を見る予定。
国会は、参院で与野党が逆転したことで新しい事態が生まれている。民主党のマニフェストを精査したわけではないが、大きな変化をつくりだす1つの条件となっていることは事実なようだ。安倍首相は、改憲をかかげ、改憲をすすめることが、大きな役割だと言われているが、この点でも、安倍首相の前には大きな壁が立ちはだかりそうな気配だ。たとえば先の改憲手続き法成立で設けられた改憲にむけた協議機関である憲法審査会の設置が先送りされそうだ。
野党3党、憲法審査会の定数・会長人選で協議に応じず(読売新聞)民主、社民、国民新の野党3党は8日、国会内で国会対策委員長会談を開き、国民投票法に基づく憲法審査会について、審査会定数や会長の人選などに関する与党との協議に応じないことで一致した。
民主党の高木義明国会対策委員長は記者会見で「国民投票法は成立したが、混乱の中で強行採決された。(審査会の定数などを定める)運営規程といえども議論する環境にない」と述べた。今後の対応については「与党にも『憲法より生活だ』という意見が出ている。十分時間をかけるべきだ」と語った。…
それだけではない。
小沢代表、シーファー米大使が初会談…テロ特措法で平行線(読売新聞)民主党の小沢代表は8日、党本部で米国のシーファー駐日大使と初めて会談した。大使は、インド洋で海上自衛隊が米英などの艦船に行っている給油活動の根拠となるテロ対策特別措置法の期限延長に理解を求めたが、小沢氏は応じなかった。
会談は約45分間行われ、小沢氏の意向により記者団に公開された。大使は「(米英軍などは)テロに反対する国際的な活動部隊であり、日本の貢献は非常に重要だ。日本が燃料提供をやめたら、英国やパキスタンは参加できなくなる」と述べ、11月1日に期限が切れる同法を延長する必要があると主張した。さらに、「(米軍に関する)機密情報も提供する準備がある」と語った。
これに対して、小沢氏は「アフガン戦争はブッシュ米大統領が『アメリカの戦争だ』と言って、国際社会のコンセンサス(意見の一致)を待たずに始めた。日本と直接関係ないところで、米国あるいは他国と共同作戦はできない」と述べ、海自の支援活動は認められないとの立場を示した。…
さらには、イラク特措法廃止法案を再提出するという報道もある。もちろん、小沢さんも改憲主義者だし、自衛隊を海外に派兵することは否定しているわけではない。そこうえでの、国連も大義がない限り自衛隊は出さないという動きは、いまの局面では十分意味がある。はたして、国会はどういった展開になるのか。これが、自民党の安倍おろしの動きと連動するのか??など、定かでないことは多いことはたしかであるが。
それにしても、今日も、年金に関する法案や、郵政民営化停止法案などが提出されたが、秋の国会では、障害者自立支援法の改正など、国民にとって意義ある動きが報じるのはまちがいがない。こうした条件を国民要求の
実現につなげるような、国会と国民とのたたかいが秋を面白くするに違いない。
朝から、地域での仕事で、大汗をかき、シャワーを浴びてから職場に向かう。もう仕事はする気はないぞって感じ。しかし、たまった仕事を追いかける。昼過ぎまで仕事をして、町田にある和光大学へ向かう。
今日から3日間、和光大学で、教科研集会です。はじめの全体集会はパス。大分科会から参加。会場につくなり、T先生に遭遇。「ささやかな思考の足跡」を読みましたと言われて、かなり焦る。このエントリーも心して書かなければ。会場で、大学時代に同じゼミにいた(しかも同級で)Sくんと実に28年ぶりぐらいで会う。向こうは、すぐにはわからなかった様子。少し話をすると何とか思い出したようだ。まあこちらがあまり大学には行っていなかったしね。いまは私立大学の教授先生のようだ。
大分科会は、「憲法・四七教育基本法・子どもの権利条約」に参加する。最初の報告が、安倍内閣の教育政策の分析にあてられたこともあり、討論の大半は、もっぱら、教師の仕事ということに焦点があたる。なかなか教師が自分の仕事を深めるような話し合う場をもてない。父母とむすびつきがもてないなどの討論を聞いていて、感じたのは、先生からはなかなか、父母の姿が見えないのだなあということ。
以下は討論の内容ではなく、私の思い。
東京都立の高校の保護者でつくる保護者ねっとわーくというところが「都立学校保護者のつぶやき」というブログをやっている。そこで、ある保護者の方が、中学校での高校への推薦と服装指導に付いて書いている。PTAの懇親会で、管理主義的な主幹が、ちゃんとズボンをはいていない生徒には推薦は出さないと発言したことで、その先生とやってしまった話である。
なぜ、この話を紹介するかと言えば、われわれ、普通の父母が接する教師の少なくない部分が、この主幹のような面を少なからずもっているということだ。つまり、いくら民主的な教師ががんばっていても、普通の父母からは、先のような教師を通して、不信をもってしまうということ。民主的な教師の発信はそれを乗り越えるようなものでないと、父母には伝わらない。
しかし、同時に、その父母たちは、教師不信と動揺に教育政策への不信をもっているのも事実である。今度の参議院選挙の結果だって、そういう意味では、「美しい国」をかかげ、「教育再生」を掲げた安倍内閣の強権的な教育政策に対してノーの声をあげたという側面があるのは否定できない。実は、父母は、民主的な教師たちがかかえる思いと、かなりにかよったような教育政策への視点をもっているという部分も多分にあるということも言えるのだ。たぶんそれは教師が考える以上に強く(もちろん潜在的流動的でもあるのだが)。ただ、教師不信の大きさを前にして、そうした父母の教育要求を教師の側が十分に評価することができなくなっているのではないのだろうか。大切なこと、そして重要な課題は、どう教師と父母がつながるのかだ。そんな感想をもった討論だった。 たぶん研究者の人たちにも、同じことは言えなくもない。
分科会終了後、今年は、交流会はパスをして、そのまま帰路に。分科会の報告者でもあったK先生と鶴川まで歩き、そして新宿から赤羽まで、おしゃべりをする。途中、院政のOくんも加わって、最近の関心や、情報の交換なども行う。
暑い一日でした。疲れた・・・。
あいた時間に読み進めているのが、このハーヴェイの『新自由主義 その歴史的展開と現在』。これがやっかいな本である。翻訳がわかりにくいというのもあるけれど。帯には次のような説明があった。
新自由主義とは、「市場の公平性」こそが「倫理」であり、国家、社会の機能のすべて、人間の行為のすべてを導くことができる指針である、という教義である。1970年代以降、小さな政府・民営化・規制緩和・市場の自由化などを旗印にして、先進国から途上国までグローバルに浸透していき、思想的にも現実的にも21世紀世界を支配するものとなった。
では新自由主義とは、どうして発生し、どのように各国政府に取り入れられ、いかに各国民の同意をも取りつけていったのか? それは誰によって、誰のために推し進められてきたのか? そして世界をいかなるものに再編しているのか? 本書は、世界を舞台にした40年にわたり政治経済史を追いながら、その構造的メカニズム、その全貌と本質を明らかにするものである。
たしかに政治経済史の本としては、魅力的で、刺激的な本だ。新自由主義を類型別に、その契機を解説してくれる。しかし、もう一つしっくり来ない点もある。定義の問題もそうなんだけど、本書でいうように、定義は重要なことではない。
新自由主義は、その基本は経済政策にあるのではという問題意識もあるせいか。その背景には、資本の過剰蓄積があり、そのことが金融の投機とむすびつくなかで、世界の経済をどう変えたのかという問題意識も頭をもたげる。ならば、アメリカを軸におこなわれたことと、他の国ですすめられたこととは、意味も違ってきはしないか??
やはり、苦手な経済の分野。こりゃいかんなあ。本気で、勉強しないと。何か頭がごちゃごちゃしてしまう。
巻末の渡辺治さんの論考も、ちがった意味があるなあなども、もやもやしながら読んでいる。
今日から、国会がはじまりました。秋の臨時国会も早期に招集されるような気配です。はたして、この国会で、民主党はどういった態度をとっていくのでしょうか。テロ特措法の延長問題が注目されていますが、さまざまな経済政策にどういう態度をとるでしょうか。
政府の側の動きとしては、昨日、今日おこなわれた経済財政諮問会議が注目されるところでしょうか。
最終的には、今日、「平成20年度予算の全体像」がとりまとめられました。
一般歳出上限額47・3兆円 08年度概算要求基準固まる(東京新聞)2008年度予算編成の大枠を示す概算要求基準(シーリング)で、一般歳出の上限額が47兆3000億円程度となることが7日固まった。公共事業関係費を前年度比3%減とするなど歳出削減路線を継続するが、高齢化の進展に伴う年金・医療費などの自然増があり、07年度(46兆8000億円)に比べて約5000億円膨らみ、2年ぶりに47兆円台となる。
財務省は年末までの予算編成作業で、さらに歳出を抑制する考え。しかし、参院選での大敗を受け、与党内では地方に配慮し公共事業などの確保を求める声も出ており、激しい攻防は必至だ。…
昨日には、経済財政白書の報告をふくめた議論が経済財正諮問会議でなされています。
くわしくは、http://www.keizai-shimon.go.jp/で。
相変わらず、民間委員(財界委員と言っていい)が議論をリードしていることが伺えます。
ここで注目したいのは、今日発表された経済財政白書についてです。現物はここにあります。http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je07/07p00000.html
新聞の報道では、やはり格差への注目が、注目されています。
広がる格差の放置に警鐘 07年度経済財政白書(中日新聞)大田弘子経済財政担当相は七日の閣議に、二○○七年度の年次経済財政報告(経済財政白書)を提出した。白書は日本経済が戦後最長の景気回復を続けていると評価する一方、広がる所得格差を放置すれば全体の国民生活水準が低下すると警鐘を鳴らした。格差拡大を抑えるため、税と社会保障を組み合わせた所得再分配の重要性を指摘し、低所得者層への支援も要請した。
今回の白書は経済成長がもたらす格差問題への対応に踏み込んだのが特徴だ。成長と格差の関係について「近年、先進国においては(成長に伴い)格差が拡大する傾向がある」と分析。経済成長が必ずしも、格差縮小につながらない可能性を指摘した。…
民主党の大勝で、経済政策をすすめるうえでも、経済成長一辺倒では立ちゆかなくなることが予想されます。そのことを経済財政白書は意識しているようにも思えます。が、経済財政諮問会議の議論には、そこまでに模索はないようにも思います。さて、いずれにしても、税制改革や社会保障、公共投資などの経済政策は、秋の一つの焦点になりそうです。苦手な分野だからと避けてはいられないと、つくずく思っています。
仕事を終えて、NHKスペシャルをみなきゃいけないなあと思いながら、帰ってきたけど、ついというか、やはりこの番組の方を見てしまった、NHKのほうは再放送もあるし。
浦商定時制は、教育課程づくりなどを、専門として取材してきたものにとっては、ある意味シンボルみたいな学校。久しぶりに平野先生の顔が画面から出てきて、ついつい見てしまう。番組のHPは、http://www.ntv.co.jp/teijisei/index.html
今夜の内容は、
1年の終業式の朝、事件が起きた。〈マリ〉が行方不明。実は、児童相談所に保護されていた。父からの暴力が発覚したのだ。〈マリ〉は 早くに母親と死別した。4人姉弟の長女。昼間いっさいの家事をこなし、夕方始まるこの学校でようやく年相応の子供らしい時間を得ていた。このままでは、〈マリ〉は学校をやめなければならない。担任の平野教諭は、児童相談所に掛け合い、復学の道を探る。そして、〈マリ〉を施設から連れ出すためにクラス遠足を計画する。 次から次へと起こる騒動。ついに最悪の事態が…。『浦商統廃合計画』。2001年埼玉県は、定時制高校を統廃合するために、浦和商業高校の生徒募集を2005年以降停止する計画を発表していた。在校生・保護者・卒業生、皆が反対運動に立ち上がった。引っ込み思案の〈メグミ〉が街頭演説に立ち、元ひきこもりの〈クボケン〉が道行く人にチラシを配る。そして、教育委員会との対話の場。 卒業生の一人がつめ寄り、涙ながらに訴えた。…
1、2回目を見ていなかったので、何とも言えないけれど、このドキュメントは、この学校のすべてを伝えているとは思わない。この学校の真骨頂は、8つの力を教育目標にして、教員が生徒との関係で教育内容を豊かにしていくことにある。生徒のほとんどは、中学まで不登校・登校拒否の経験をもつ。だからこそ、期間内の卒業は強いないが、同時に、生徒をこぼすことはない。そんな学校だったのが、行政の手で壊されていくのが痛々しい。学校を奪うということはいったい何を意味するのか。
東京の特別支援教育についてのエントリーでも書いたことだけど、適性配置などの名目で、すすめられることは、教育予算の削減によって、困難にある子どもたちの教育の機会を奪うこと以外なにものではない。激しい憤りを感じながら、この1時間のドキュメントを見つめた。今ごろやるな! なぜ、もっと早く、やらないのか。そんなメディアの姿勢にも、ちょっと怒りを持ちながら。
去年の夏に放映された、番組。そのときは見過ごした。日中戦争や満蒙開拓団の番組は、話題になったし、見たけど、昨日、再放送されたこの番組もおどろいた。
太平洋戦争の最激戦地となった硫黄島で何が起きていたのか。戦後61年目にして改めて歴史の光が当たろうとしている。 昭和20年2月から1か月の死闘の末、2万人の日本軍守備隊は援軍や補給を断たれて「玉砕」、その戦いは本土決戦に向けて国民を鼓舞する象徴とされた。しかし兵士たちはどのように玉砕戦を戦い、命を落としていったのか、これまでその詳細が語られることはほとんどなかった。負傷した結果、米軍の捕虜となり、奇跡の生還を遂げた元兵士もいたが、犠牲者への配慮から口をつぐんできたためだ。 今回、捕虜尋問記録をはじめ米軍資料やわずかに残る生還者の証言から浮かび上がった真実。それはいわゆるバンザイ突撃のような玉砕ではなく、兵士一人ひとりが楯となり、米軍の占領を遅らせ皇国に寄与する、という凄まじい持久戦だった。 日米双方の兵士の証言、人が住めない島になった硫黄島の現況、新発掘の資料を徹底取材し、近代戦争の転換点と言われる硫黄島の戦闘の真実を明らかにする。
あまりにもむごたらしい戦争の実相が明らかにされている。軍隊というものが、ここまで過酷で、非人間的なものなのかは、正直、容易に想像できない。やがて、はじまる生きるための、内部でも争い…。今なお、硫黄島には1万人以上の兵士の遺骨が収集されずにいるという。靖国に神として祀られた彼らにはたして国はどのようなことをしたというのだろうか。
想像を絶する悲惨がそこにあったからこそ、多くの残存兵士たちは、この実相を語ろうとしなかった。いま、そういう兵士たちが思い口を開いている。もちろん、あの戦争の全容を語っているわけではないし、加害の事実がそこで語られるということではない。しかし、あの戦争と、それをになった日本の軍隊の姿を伝えている。だから、こそ意識的に、そうした兵士の声を聞くべきだし、伝えることも、われわれの世代の仕事だと思った。
基地のある街への政府の圧力はたいへんなものになっています。日本の各地で、沖縄化といえる事態がひろがるということでしょうか。
米軍移駐反対したら補助金カット 岩国市長 国の横暴訴え(しんぶん赤旗)米軍空母艦載機部隊の移駐に山口県岩国市が反対したために、国が現在建設中の市庁舎への補助金三十五億円をカットしたことに対して、井原勝介市長は四日、東京都中央区の銀座数寄屋橋でマイクを握り「艦載機受け入れに反対する市民の意思は明確。国はいじめのようなやり方をするのではなく、まず誠意をもって協議すべきです。次の世代のためにも、地方自治を守るためにも、岩国市民の心意気を示したい」と、街頭から庁舎建設募金の訴えを行いました。…
じつは、この市庁舎への補助金は米軍再編前に決定していたもの。それが、米軍再編計画の中で神奈川県厚木基地の空母艦載機の岩国基地移転計画が持ち上がり、岩国市民が昨年3月の住民投票と、同4月の井原市長三選の二度にわたる「再編反対」の民意を示す中で、同12月、国は突然、約束をほごにしましたものです。
怒りをもち続けることというのが、大事でもあるような気がするのです。
今日は、朝から全障研大会に行って来た。会場は違うが、つれ合いとお出かけというのは、年に数度(笑い)。私は、午前中は、障害者の権利条約と国内法の課題という特別分科会。もちろん、それなりの目的があって参加。昨年末、国連で採択されたこの条約については、このブログでもふれたことがあるが、条文そのものを読んでも(http://www.normanet.ne.jp/~jdf/shiryo/convention/29March2007CRPDtranslation.html)どうも難解で、何を言っているのかよくわからないところがある。もちろん、これは国連の文書に共通したものでもあるんだろうけれど。
世界の人権の発展、そして障害者の権利の発展というなかでの、この条約の意義はわくわくする。同時に、日本国内での障害者の権利の発展の歴史やその到達点に、思いをはせる。課題となってくるような条文の内容はたとえば、「合理的配慮」と「特別な措置」などについては、これまで、よくわからなかったけど、何となく、飲み込めたような気がした。ただ、ものすごくテクニカルな話であるだけに、日本の障害者の権利の歴史のなかで、つかむということをしっかりすることが大事なのかなあなどと、何となく問題意識をもった。あまりにも勉強不足を恥ながら、熱心の討論されていた関係者の苦労や努力に、ものすごく頭が下がる思いとともに、刺激も受けた。
午後からは閉会集会にも参加してみた(これはつれ合いといっしょ)。全国障害者協議会、きょうされんの藤井さんと、茂木俊彦先生の対談。これは面白かった。先の問題意識とからんで、いろいろ考えていた。とにかく勉強不足だなあ。会場で、何人か、いろんな人にあった。
家に帰って、団地の自主防災の会議。その後、夕食。さすがに疲れてしまった。9時からのNHKスペシャル「核クライシス」はちゃんと見なければいけなかったに、半分以上寝てしまった。
今日になって、あらためて、こんな記事ができるのは? 少なくとも、保守層の中での「靖国」派なる人たちの存在の矛盾はかなり大きいなあと感じさせてくれます。
A級合祀「禍根残す」 昭和天皇が懸念(中日新聞)▽「靖国の性格変わる」、元侍従長、歌人に明かす
靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に対する昭和天皇の考えとして「戦死者の霊を鎮めるという社(やしろ)の性格が変わる」「戦争に関係した国と将来、深い禍根を残すことになる」との懸念を、故徳川義寛(とくがわ・よしひろ)従長が歌人の岡野弘彦氏(おかの・ひろひこ)(83)に伝えていたことが三日、分かった。
昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示していたことは、富田朝彦(とみた・ともひ)元宮内庁長官のメモなどで判明しているが、具体的な理由までは明らかになっていなかった。A級戦犯合祀をめぐる論議にあらためて一石を投じそうだ。
合祀への懸念は、昭和天皇の側近トップだった徳川元侍従長が一九八六年秋ごろ、昭和時代から皇室の和歌の指導に当たってきた岡野氏に明かした。岡野氏も昨年末にまとめた昭和天皇の和歌の解説書「四季の歌」の中で触れている。…
昭和天皇と靖国の戦後史、現在のナショナリズムの動向と天皇などについては、きっちり論じ方を考えた方がいいなあ、などとぼやーっと思う一日です。
今日は、朝から東京経済大学でおこなわれていた、全国進路指導研究会の大会に行って来ました。おとといからおこなわれているのですが、なかなか忙しくて行けません。でも、なんとか時間をつくって。いろいろな人の話を聞いて、栄養をつけないとやはりこの仕事はやっていくことはできません! そういうことをしない人が、結構いるのですが、意識的に視野を広げたり、刺激をうけたりしようとしないと、企画なんて生まれません。夏は、絶好のチャンスなんだけどねえ。
さて、東京経済大学は国分寺の駅から歩いて結構あります。暑かったので、到着するまでに結構へばりました。ちょうどオープンキャンパスをやっていて、親子づれが結構いたのが驚きでした。いまどきの大学入試は、親子づれですか。自分の息子たちには、そこまで考えたことはありません(もっとも絶対にいやがるでしょう=笑い)。
さて、全進研の午前中の企画内容は、朝日新聞の労働担当編集委員の竹信三恵子さんとNHKの「ワーキングプア」などのプロデューサーの春原雄策さんの対談です。以外にというか、想像以上に、刺激的で、面白かったです。
NHKスペシャルやクローズアップ現代のプロデューサーの春原さんのほうは、番組はたくさん見ていますが、しゃべったり、書いたりしたものを見たことはまったくありません。すくれた人だなあというのが率直な、感想です。対談では、現代の労働をめぐる3つのキーワードをまず対談者があげるのですが、春原さんは、「ワーキングプア(ただしこれは主催者指名)」「自己責任」そして「マネー」をあげました。しかし、このワーキングプアという企画を彼らがすすめるさいの最初の企画は「日本の貧困」ということだったそうです。「格差社会」という言葉への違和感から「貧困」の現場を徹底して取材し、番組の制作の段階で、「働く貧困」にしぼりこんで、その他の取材については、「生活保護」など他の特集に振り替えたそうです。ここには、なるほとと思わせるたしなか視線があります。
おもしろかったのは、さすがにがちがちの組織ジャーナリズムの人間としての建前と本音です。竹信さんとの対談ということもあり、結構本音の垣間見えるのですが、しかし建前もきっちりしゃべります。政治からの介入などはないのかの質問にも、NHKは結構自由にできるとさらり。そのさい、真実は単純に1つしかないわけではく、両論を並べながら、問題の本質について視聴者に接近してもらうようにするという主旨のことをのべられていました。たしかに、ワーキングプアⅡのさいにも、内橋さんや岩田正美さんとともに、八代さんなどを登場させていたし、彼が担当した最近の番組に、このブログでも紹介した、クローズアップ現代の沖縄戦の番組あるのだけど、そこでも、大城将保さんや林博史さんとともに、つくる会の藤岡さんを登場させていた。しかし、番組の視点は、はっきりしていて、やりようによってはいろいろできるんだというのが彼の本音の部分なんだろうなということを感じさせた。
だから、春原さんは、「従軍慰安婦」問題のNHKの番組にかかわる部分では、担当者のすすめ方が悪かったととも考えているようでもある。たしかに、やりようによってはいろいろできるんだという彼の主張は、十分に実践されているとも思えるが、同時に、より本質的な問題にふれようとしたとき、はたして、どこまでジャーナリズムの精神を発揮できるのだろうかなどは、少し考えてしまう。自主規制という諸刃の刃でもあるのではないのだろうか。
竹信さんが選んだキーワードが、「ワークライフバランス」「エクゼンプション」そして「偽装請負」。これだけでも、彼女のセンスを十分感じさせてくれる。彼女のような人の書くものや発言は、私のような人間からすれば、共感をもちつつ、どうしても警戒心?を感じてしまうところがあるのだけど(どうも主観的すぎないかなど)、結構、意外な面があるんだなあと、思えた対談だった。
会場とのやりとりでも、なかなか展望を見いだせない実践家に対して、「大人の敗北主義はダメ」という強い言葉には、すごく共感したし、閉塞感が強まり、労働現場がまるで19世紀のようになっている状態の中で、もはや「革命しかないのでは」という質問に対し、まず春原さんが、「若のもの中に、閉塞感から戦争を求めるような声があるのは注意が必要。まず、事実を共通することが大事」という見事な回答に加え、彼女が、「つながること、連帯することが大事で、小さいけど、その芽があることが大事なんだ」というような発言をしたのは、なかなか。
まあ、NHKや朝日には、いろいろ言いたいことは山ほどあるけれど、こうした人たちの知恵や経験からは、山ほど学ぶべきことはあって、なかなか充実した2時間でもあったのだった。
ワーキングプアは年末に第三弾を放映するという。これも期待して良さそうだ。
R30というテレビ番組で、エムクルーの社長の人生について紹介していた。ホームレスからはいあがったという話だ。いまやベンチャーの旗手でもあるようだ。
ある日、生活費を援助してくれていた女性の給与明細を見て、その低さにあまりにも驚いて真剣に働き、企業するようになったという話だ。それはそれでなかなか切ない話でもある。
ただ、エムクルーという企業は、フルキャストやレオパレスと同様な、明らかに「貧困」を食い物にするビジネスである。このレストハウスのシステムは、日雇いで働く人が、そこから抜け出せないような形で、食い尽くすという性格のものであることを湯浅誠さんが分析している。かつての、「よせば」では、「カクオチ」と呼ばれていた、劣悪な仕事の形態そのままのものにすぎない。
「貧困」にあえいだ人が、「貧困」を食い物にする。そのことをあたかも、「再チャレンジ」の典型例のように、もてはやす。メディアも含め、この国はいったいどうなっているのか。ものすごく悲しくなるような番組でもあった。
以前、いっしょに仕事をしていて、いま沖縄に住む知人から、ブログを読んでの感想をメールでもらいました。「あなたの生活は変わりませんね」と(苦笑)。
いえいえ、もっとひどくなっています(爆)。
「ブログを書く時間があったら、資料を読んだら」という痛烈な皮肉も。くそ。
さて、今日は、ほんとは、次の記事の、原文の最低概要ぐらいは読んで書こうと思っていたのですが、それは後日かな。
景気回復の成果、均衡配分を…労働白書が格差懸念(読売新聞)厚生労働省は3日、2007年版「労働経済の分析」(労働経済白書)を発表した。
好調な企業業績が賃金上昇に結び付いていない点を問題視し、「今後は企業部門で先行している回復を雇用の拡大、賃金の上昇、労働時間の短縮へとバランスよく配分し、持続的な経済発展を実現していくことが求められている」として、労働分配率の強化を課題に掲げたのが特徴だ。
雇用情勢について「改善に広がりがみられる」とする一方で、「勤労者家計について、消費は全体として力強さを欠き、教育、住居などの支出項目で所得階層別の格差も拡大している」と指摘。格差問題に対する懸念を示した。
その要因として〈1〉賃金が低い非正規雇用の拡大〈2〉業績・成果主義的な賃金制度の導入による正規雇用の中の賃金格差の拡大〈3〉裁量労働制の拡大などによる長時間労働と短時間労働への二極化の進展――などを挙げた。…
格差と貧困が、政治の底流で大きく波打っていることだけは事実のようです。
「政治とカネ」の問題についても、選挙後の大きな焦点になっているが、その総括の仕方については、どうも自民党の先生方はよくわかっていないようだ(笑い)。
「1円以上」で自民迷走 政策立案も機能不全に(中日新聞)自民党で3日、事務所費の透明化策をめぐり、政治資金規正法の再改正で領収書添付の義務付け額を「5万円以上」から「1円以上」に引き下げる執行部案について「事務作業が煩雑になる」との反対意見が噴き出した。安倍晋三首相は早急の取りまとめを指示しているが、結論は今月下旬に予定される内閣改造、党役員人事以降に先送りされる見通しだ。
…一方、民主党の鳩山由紀夫幹事長は3日の記者会見で、公表すべき領収書の額について「国民の目線は厳しく、領収書を取れない買い物はするなとの発想が求められる」と述べ、「1万円超」としてきた民主党案を「1円以上」に修正する方針を表明。秋の臨時国会では政資法再改正が焦点になりそうだ。
柳沢先生などは、1円にすれば事務が煩雑になるということを言っています。しかし、そもそも政治資金規正法は、政治団体のカネについては、すべて領収書の収集を義務付けているのです。法律で免除されているのは、選挙管理委員会等への添付義務があるかどうかだけです。
添付義務がなければ、そもそも領収書など集めていなかったとでもいうのでしょうか。だいたい赤城さんも、領収書の束を記者会見にもってきながら、公開はしない。ほんとうにすべて収集しているのでしょうか。やはり、領収書など収集せずに、付け替えている、そう思われても仕方が内容は発言が続いているということなのだということを、理解していないということです。
今日もむし暑い一日。だるい一日です。会議が多かったので、正直、閉口しつつ。
出来上がったばかりの二宮先生の『格差社会の克服』が本屋にならんでいたので、とりあえずパラパラと読んでみる。「貧困」「格差」を科学するという感じだろうか。ちょっと面白そう。その二宮さんの講演が昼と夜に埼玉と東京であったけど、それはとりあえずパスする。後者は、弁護士会。そうそう『検証 日本の貧困と格差拡大』も読まなければならない。昨年の人権擁護大会を契機につくられた本。この大会の決議は、弁護士会として心がこもっていると思う。
自公の政治への大きな批判の根底には、生活を破壊する政治への怒りがある。自民党の支持基盤の崩れというものがいちばんの特徴だけど、今日の朝日新聞の一面にのっていたようなたたかいもその要因にあることは間違いない。新しいの記事で
フルキャストに事業停止命令=最大2カ月、不正派遣で-東京労働局(時事通信)東京労働局は3日、大手人材派遣のフルキャストが今年5月、労働者派遣法で禁じられている港湾運送業務への派遣を行ったなどとして、事業停止を命じたと発表した。処分期間は違反の行為のあった3支店が2カ月、それ以外の拠点(6月末現在、313カ所)が1カ月。全事業所を対象に1カ月の事業停止処分を行うのは、全国的にみても初めて。…
グッドウィルに続いて問題となったこの事件は、いわゆるスポット派遣、日雇い派遣が焦点となっている。行き着くところまでいった労働のダンピング、たたき買いの世界だ。人間をものとして扱い、貧困の連鎖のなかに叩き込む。湯浅誠さんは、このスポット派遣を貧困ビジネスと呼んでいる。
規制緩和とはつくずくおそろしいもので、当初は、ぜったいに商売になるはずがないというような分野についても、それを市場に放り出し、さまざまな規制を取っ払うことで、ちゃんと大企業がもうけを出すような方法がつくりだされる。介護の世界はその一歩手前で破たんしたということか。
いずれしても、こうした無法に対する怒りが、政権に向かい、そしてこうした捜査をつくりだしたのは事実。これが本質的な解決に向かうかは未知数だけど、ここにも前向きの変化はある。今後を注目したいものだ。
二男が近所の人に頼まれて、ちょっとしたバイトをはじめた。今日は、学校の夏期講習を終え、夜はバイト。したがって、わが家は遅くまで誰も、いない(笑い)。あの不器用な二男が、はたしてうまく働けるのか? って、ちょっとオロオロする親である。まあ、2日目、なんとかこなしているようだ。
私の方は、選挙が終わって、少しは仕事は楽になりそうなものだが、かえって仕事がたまってしまい。この8月も仕事に追いまくられている。この8月も、先(終わり)の見えない仕事の山。夏休みどころか、どうも休みをとる展望すら見えない。資料をかかえ、そして、家に帰っても、その資料を眺める時間がつづく。
知らぬまに、梅雨も明け、夏本番かと思えば、台風が来ている。外は、蝉の声。帰りにあった学童保育のお父さんは、どうやら、明日からキャンプなんだろうか。そんな楽しみもない。ここは、とりあえず、安酒を飲むしかない! これってワーカーホリックではないか。
さて、ここのところあまり腸のぐあいが良くはない(苦笑)。朝ちょっと、出勤のさいに困ったりすることもあるのだが、おまけに今日は、途中で、電車が止まった(爆)。何とか、職場にまでたどりついて、原稿との格闘がはじまる。その仕事をすすめながら、資料をあさったり、そろえたり、読んだり。ここまでしかすすまないのかって感じ。
湯浅誠さんの『貧困来襲』を読み終える。若いのにわかりやすく、シャープ。これまで、あまり注目されなかった見方も提示してくれる。今度の選挙で政党がかかげた「貧困」といういうことと、「生活者」ということの意味や意義が議論になる。個人的に、いまの政治の課題として考えるべき問題として、いろいろな思いもあるが、それはまた、別の場所で(笑い)。
焦らず、のんびり。できるだけそう心がけて。
予想以上によかったです。そうNHKの「そのとき歴史は動いた」です。瀬長亀次郎のたたかいを正面から描いていました。
太平洋戦争末期の沖縄戦以降、アメリカ施政下に27年間置かれた沖縄。あまり知られていないその実状と復帰までの長い道のりに迫る。 戦後、本土から切り離されアメリカの直接統治下に置かれた沖縄は、東西冷戦下、反共の拠点として基地化を進められる。沖縄では、何よりもアメリカ軍の軍事利益が優先し、人びとの土地は基地建設のために強制収用されていった。戦後に本土の人びとが得た基本的人権の保障とはほど遠い状態が続いた。 しかし、やがてそうした状況を打開しようとする模索が始まる。その一人が、のちに那覇市長を勤める瀬長亀次郎だった。瀬長は軍事優先のアメリカの政策を非難し、沖縄に平和と人権を取り戻すために「祖国復帰」を訴えた。 そんな瀬長をアメリカは逮捕や政界追放などで追いつめる。しかし瀬長の姿は沖縄の人びとの心をつかみ、アメリカへの抵抗は「島ぐるみ」の運動へと発展。そして沖縄の人びとの声は本土で高まっていた反戦運動と結びつき、ついに日米両国政府を動かし、沖縄の日本返還が実現する。 番組では、祖国復帰への道を開いた沖縄の人びとの知られざる闘いの道のりを描く。
ぼくは、正直言って、95年の事件まで、沖縄の歴史などについては、あまりよく知りませんでした。とくに戦後、銃剣とブルドーザーで、沖縄の人の土地が奪われたことなどは。瀬長の本は、若いころ読んだはずですが、あまり頭のなかには残ってはおらず、むしろ95年以降に、本を読み直し、沖縄に関係する人に会ったりするようにもなりました。そう言えば、このブログの最初のほうには、沖縄に取材にいったときのことがアップされています。あのときは、宜野湾の伊波市長にお会いしました。
95年にもりあがった、沖縄のたたかいは、SACOなどを作り出しますが、それは大枠としては、結局、日本がよりいっそうアメリカとの同盟関係を一体化させる道へとすすむこととといったいにすすみ、沖縄の問題を解決することにはつながりませんでした。ここに、日本の政治の一つの特質があらわれていると思います。そして、それが、いまなお私たちに突きつけられた大きな課題でもあるのではないでしょうか。
番組では、瀬長の国会での発言を紹介していました。
「この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する。基地となることを拒否する。あの紺碧の空、サンゴ礁に取り囲まれて、あの美しい海。沖縄県民の手に返って初めて平和な島が、沖縄県の回復ができるんだということを二十六年間叫び、要求し続けてきた。」
いまなお、それは、糸数さんの大差の勝利にしめされた沖縄と日本の課題にほかなりません。
ちなみに、現在、琉球新報で、「不屈 瀬長亀次郎日記」が連載されているそうだ。ネットでは読めないので、図書館で探して読んでみようと思った。
今度のクールのドラマは、ほとんど見ていません。が、必ず見ているのが、この「探偵学園Q」。推理とサスペンスも面白いんだけど、大人がほとんど出てこない。親が出てこないというのが一つの特徴。そこで、少年たちのドラマが展開します。わりあいとはまっています。おかしいですか(笑い)。
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