いろいろ考えた一日
今日は、朝から関西に出張。昨日は、選挙結果も気になっていたし、ブログをいろいろいじったりしていたので、寝るのが深夜になった。したがって、新幹線のなかでは結果的に爆睡。ブログをいじったのは、もう1つのブログで、カウンターをつけてみた。SO-NETのブログというのはよくわからなくて、管理のページに閲覧数というカウントがある。これが、どうも怪しい。昨日つけたカウンターは、普通の無料カウンター。これも、ほんとうに正しいのかどうかわからないが、もう一つのブログのそのカウンターは76という数字なのに、so-netの管理のページの閲覧数は、実に1367。20倍ぐらいの数字がでている。どうしてだろうか。
久しぶりにいった六甲の風景は、ちょうど桜が満開できれいだった。神戸の街は、関西で育った人間だが、あまりなじみはない。たぶん小学校のころにきたことがあるはずだけど。慌ただしく、日帰りの一日。睡眠不足の成果、電車のなかで読んでいた本を、新大阪の駅のどこかにわすれてしまった。結構、夢中に読んでいたので、しかたがなく、東京でその本をもう一度買い直す。ああ…。
二男も、つれ合いも、新学期だ。二男は新しいクラス。私学の高校は成績別という過酷な世界。仲のいい友だちはどうも、「上」のクラスか。つれ合いは、大学院の学生証をもらってきて嬉しそう。変わらないのは、私だけか。
昨日、おそくまで見ていた、選挙結果。朝刊だけでは、どうも全容はわからない。夕刊で、だいたい理解したけれど。この有権者の選択をどう受けとめるべきなのかま、まだもう少し、調べてみたい。ただ、東京で、石原が当選したように、知事選では現職は強かった――その現職はたいてい改革をとなえている。県議選では民主が躍進したところが多そうだ。しかし、自民と民主の改革争いに、有権者は一票を投じたかと言えば、そう単純でもなさそうだ。東京で吉田さんが予想以上の得票をとったように、新自由主義的な改革をきらう、第三の選択をする流れが、それなりの意思として表明されたのも特徴ではないか。などの感想ももつ。
ただ、この第三の「対抗の流れ」は、まだまだ太いものではない。現実政治のなかでは選挙に競り勝つ強さが求められるのだろう。そういえば、昨日の帰り、となりまちに住む、ある中小企業の社長さんといっしょになった。革新的な考えをもつ社長さんで、地域の政治活動をいっしょにとりくんだりしてことが何度かある。その社長さんが、革新の政治運動に対する注文として、経営者にあるような、中長期的な目標をもって、構成員を一つにまとめ上げる議論が少ないと言っていた。強さを持つためには、そういう成熟も必要なんだろうか。
« “抜け殻”正社員 | トップページ | 集団的自衛権 沖縄の社説 »
「日記」カテゴリの記事
- 「大軍拡阻止と歴史の教訓、憲法の原点と平和外交を進めるために」(2023.05.27)
- 「フェミ科研費裁判が問うてきたもの」(2023.05.26)
- 「独ソ戦 地獄の戦場」(2023.05.25)
- 君はヒロシマを見たのか(2023.05.24)
- 「望みを打ち砕かれた」 G7広島サミット、被爆者から批判の声も(2023.05.22)
「政治」カテゴリの記事
- 「大軍拡阻止と歴史の教訓、憲法の原点と平和外交を進めるために」(2023.05.27)
- 「フェミ科研費裁判が問うてきたもの」(2023.05.26)
- 「独ソ戦 地獄の戦場」(2023.05.25)
- 君はヒロシマを見たのか(2023.05.24)
- 「望みを打ち砕かれた」 G7広島サミット、被爆者から批判の声も(2023.05.22)
コメントは久しぶりですね。
神戸に行ったんですか? 私の場合、六甲山が原風景です。だから、海と山が同時に視界にない場所は、やっぱり違和感を感じるんですよね〜
選挙結果で民主党のこと。全国の傾向はよくわかりませんが、青森で言えば、民主党は埋没しました。議席数でもそうですが、選挙中も、民主党の候補者が民主党を語らずに選挙をやってましたし。「二大政党は青森では受け入れられなかった」というのがマスコミ記者の論調のようです。
最後の中小企業の社長さんの話。なんかうなずけます。先週まで現場にいましたが、「一つにまとまって」ということを大事にしない現場の姿が、かなり不思議でしたし。
投稿: 洋 | 2007/04/10 09:25
ごくろうさまでした!
さて、私は生駒山です(笑い)。
選挙は、今回は現場にはいけなかったので、消化不良です。後半戦もそうかなあ。どちらかと言えば選挙大好き人間なので、あまり精神的に健康な過ごし方ではありません(苦笑)。
さて、ほんとは洋さんのブログにコメントをつけたいところなのですが。中身は、長谷部憲法学をどう見るか! 違和感はそうなのですが、政治的にはそれで良いのですが、理論的にはいわゆる「立憲主義」をどう位置づけるかは、やや微妙な点があります。俗っぽく言うと、マルクス主義の立場から言えば中途半端というか、形式論というか。そう考えれば、一般で言う立憲主義も、長谷部の立憲主義も、かなり相対的なものとも言えて。このあたりのコメントを付けたかったのですが、あまり深まってこなせていませんので、とりあえず、この場での問題提起にしておきますが。
投稿: YOU→洋 | 2007/04/11 00:12