模様替え
土曜日は、夜11時頃から飲み会に参入。そんでもって、日曜日は、突然、つれ合いが、模様替えをしたいと。長男がいなくなって、二男が2部屋占領状態を解消しようと、かなり大がかりな模様替えとなりました。結局、今日まで、まる二日がかりの作業に。私は、今日は、半日、仕事でしたが…。疲れました。
でも、まあ、書斎というか、大人の勉強部屋というか、そんな部屋ができました。つれ合いの部屋になるのか、私の部屋になるのか、さてどちらでしょうか。
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土曜日は、夜11時頃から飲み会に参入。そんでもって、日曜日は、突然、つれ合いが、模様替えをしたいと。長男がいなくなって、二男が2部屋占領状態を解消しようと、かなり大がかりな模様替えとなりました。結局、今日まで、まる二日がかりの作業に。私は、今日は、半日、仕事でしたが…。疲れました。
でも、まあ、書斎というか、大人の勉強部屋というか、そんな部屋ができました。つれ合いの部屋になるのか、私の部屋になるのか、さてどちらでしょうか。
アクセスカウンターが故障しちゃっているようです。今日の昼から、まったくアクセスがカウントされません。カウンターの故障と言うより、アクセス解析そのものが故障しているようです。さてさて。
今日は、朝から取材→筆者との打ち合わせ→会議→当番と、分刻みの一日でした。疲れました。
今日、重要な判決が最高裁でありました。中国人強制連行と、中国人「慰安婦」の裁判です。前者については、最高裁からの弁護団への質問状などの内容から、こういう判決が予想されていたとは言え、何ともひどい判決内容でした。ただ、強制連行、拉致・監禁・乱暴の事実認定は否定していません。そのことのもつ意味を私たちは深く受けとめるということをまず第一義的に考えなければなりません。
個人請求権放棄と判断 中国人原告の敗訴確定(共同通信)日中戦争中に強制連行され、西松建設(東京)が施工していた広島県の水力発電所建設工事で過酷な労働を強いられたとして、中国人元労働者2人と死亡した3人の遺族が同社に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷は27日、原告勝訴の2審広島高裁判決を破棄、請求を棄却した。原告敗訴が確定した。
中川了滋裁判長は「日中共同声明(1972年)によって中国人個人の賠償請求権は放棄され、裁判上、請求に理由はない」と判断した。請求権自体が否定されることで、午後に上告審判決の中国人元慰安婦賠償訴訟も含め、一連の戦後補償裁判は事実上終結した。…
判決は、強制連行・労働と安全配慮義務違反などの認定は否定したわけではありません。「自発的救済」の必要性は、判決文でも触れているようです。ただ、個人請求権を否定している。
中国人元慰安婦も敗訴確定 「個人請求放棄」と最高裁(共同通信)中国人元従軍慰安婦とその遺族が国に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷は27日、2審東京高裁判決の請求棄却の結論を支持、原告の上告を棄却した。原告敗訴が確定した。
才口千晴裁判長は、同日午前に中国人元労働者の敗訴が確定した西松建設強制連行・労働訴訟の判決と同様「1972年の日中共同声明で中国人個人の賠償請求権は放棄され、裁判では行使できない」と判断した。…
判決について、中国政府が公式に批判するということはないと思います。人民日報の電子版では、いまのところ、朝日の報道を掲載するたちでしかのせていません。しかし、日中の和解にとって、大きな障害になることは否定できません。そもそも、中国政府は、日中共同声明で、個人請求権が放棄されたという立場をとってはいません。それだけに、日中共同声明を根拠にするのにはするのは、無理があると思えます。
世界でも、ドイツとポーランドのあいだで、ポーランドが東ドイツに対する請求権を放棄していたことから、同じような問題に直面する歴史がありました。長い時間をかけて、個人の被害への補償にたどりついたのが、戦後ドイツの歴史だということができます。
政府が、個人請求権を認めていない立場をとっている以上、司法には、独自の役割がはるはずです。大きな責任は、政治が負うべきことはいうまでもありませんが、司法が国際社会に開かれたかたちで、国際法の流れに即して、法解釈をしているのかどうかも、今回の最高裁の判断から、垣間見える問題だとも思いますが。
最近、やたらと、変な夢を見ます。よく覚えていないんだけど、今日は、5時まえに、目が覚めて。へんな気分。でも、それで、ご飯を炊いていないのを思い出して、あわてて、お米を洗って…。何とかセーフ。
朝から、仕事の仕込み中心の一日。ぼちぼちと仕事は決まっていきます。夜は、5・20全国青年雇用大集会の実行委員会をのぞいてきました。先日紹介のネットカフェ調査の結果については、明日、記者会見をするそうなので、紹介は、その後に。今日は、NPO「もやい」の事務局長の湯浅誠さんの「ネットカフェ難民、貧困、そして社会の課題」という講演と、5・20全国青年雇用大集会にむけたとりくみの交流がおこなわれていました。
湯浅さんは、2003年頃から、ネットカフェで生活する若者からの相談がくるようになったと、その実態を紹介。対策についても具体的に紹介しながら、その背景に日本全体に貧困が広がっていること、その貧困は、一般世帯の労働と生活をめぐる状態がいわば「母子家庭」のようなパート、補助労働によるものになっていって、日本社会の「寄せ場」になっていること。その貧困をつらくむ構造として、①教育からの排除、②非正規雇用の拡大で企業福祉からの排除、③家族福祉からの排除、④公的福祉からの排除、そして最後には⑤自分自身からの排除という5重の排除があり、金銭的にも、人間関係の上でも、精神的な面でも、“溜め”=余裕がなくなり、そういった状態が歯止めがなくなっていると話されていました。貧困については、自己責任が問えない、貧困をなくすことが政治の機能であり、それができない政治は政治を語る資格がないという指摘はそのとおりだと思いました。この貧困の問題での、協力・共同は緊急課題です。
とりくみの討論も、なかなか面白かったです。若い人たちが、まだ部分的であるにしても、このようにたたかいを広げているのは、目をみはるものがあるし、私たち大人が正直学ぶべき点も少なくないとつくずく思います。この集会は、楽しみです。
なお、昨日紹介した、集会実行委員会のブログには、この集会にむけたとりくみの一貫として、最低賃金生活を体験している人たちの経験のブログがリンクされています。統計的にいえば、20代の若者の5人に1人が、この最賃レベルにあります。実際の若者の困難を知るうえでも、注目したいものです。
先日の、外国特派員協会での「慰安婦問題」の記者会見、資料が、日本の戦争責任研究センターのホームページにアップされています。
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/hodo/hodo38.pdf
英文であるところがつらいところですが、読む価値は多いにあります。ぜひ、ご一読を。
さて、このブログでも紹介した、南京事件七十周年の世界をめぐる、企画についてのホームページも開設されています。http://www18.ocn.ne.jp/~nanjisy/
世界九箇所でのシンポジウムは注目されます。日本では七十年目に東京であります。
若者の「格差」「貧困」を若者自身が告発しようというとりくみがすすんでいる。
ネットカフェ実態調査、ワーキングプア背景さぐる(読売新聞)ネットカフェや漫画喫茶を宿代わりにする若者が増えている問題で、労働組合やNPO法人のメンバーが24日夜、東京都内で利用者の実態調査を行った。働いても低収入の「ワーキングプア」と呼ばれる人たちが利用しているとみられており、こうした問題の背景を明らかにするのが目的だ。
首都圏青年ユニオンなどのスタッフ約25人が、東京・大田区の蒲田駅周辺で午後9時から約2時間、「1時間100円」「深夜から朝まで8時間で880円」などの看板を掲げるネットカフェ6店に出入りする若者らから、週の宿泊日数や、生活ぶりなどを聞いた。
自立のため都内の実家を離れたが、派遣社員としての給料が安く、家賃を工面するゆとりがないという27歳の男性や、3年前に夫の家庭内暴力から逃げ出して以来、月収9万円程度のパートなどで働きながら、寝泊まりしている30歳代の女性らがいた。…
彼らは、五月二十日に、「5・20全国青年雇用大集会in明治公園」という集会を開く。「まともに生活できる仕事を!人間らしく働きたい!」というスローガンだ。求人は増えたといわれるが、どうも、その働かされ方も含め、実際の、働くことをめぐる問題は根が深そうだ。若者たちのとりくみに注目したい。
集会のブログは、http://blogs.yahoo.co.jp/seinen_koyou_syukai
ここのところ読んだ本のなかで、いちばん面白かったし、勉強になった。刑事、家事の裁判を長く続けていた筆者は、定年までの8年弱、少年裁判にのめり込む。そのなかでは、あの少年Aの事件もふくまれる。「少年Aとの7年5カ月」では、審判決定にいたる、とくに精神鑑定で、少年の心を探る過程や、審判から少年院での更生へ、そのなかでの、少年の変化はおどろきでもある。このとりくみ自身は、日本の更生教育の最高水準のものの結果だと思えるが、その水準は、きわめて高いと驚かざるをえない。なぜ、こうした更生のとりくみがバッシングされ、少年法の厳罰化がすすむのか。それは、実態をあまりにもふまえていないというほかない。
この本のなかでは、著者がとりくんできた修復的とりくみなど、さまざまな少年裁判が、その本来の機能を維持、発展させるためのとりくみも紹介されている。読めば読むほど、「厳罰化」があまりにも、皮相なものであることは痛感させられる。同時に、被害者の感情なども厳罰化の理由とされるが、現在の刑事裁判による措置の範囲内では、充分の更生教育なども保障されないこともふくめ、かならずしも、この道が被害者にとって好ましいとも言えないことがよく分かる。
少年の更生の道は、内的な葛藤を促し、それを克服していくようなとりくみの支援にこそある。こうしたとりくみも、現在の「教育再生」の名による道徳の強制などが、まったく子どもの成長につながらないことを示しているとも言える。もともと、子どもたちが、暴力性のなどの困難をかかえる最大の原因は、社会的な「格差」や「競争」が背景とされ、排除をすすめるような社会的環境にある。そうした困難を、道徳の押しつけで解決しようというのは、百害あって一利なしだ。大人自身が、まずこの社会を見つめること、そして子どもたちの成長・発達を促すような、自由で豊かな教育環境こそ必要というほかない。まあ、競争社会のなかで、昨日もふれたように、私自身もふくめ、あまりにも内的な葛藤を回避してきた大人も多いわけだから、大人が自身を見つめること言うことも、子どもの問題を解決する大きな課題ではないのだろうか。
いじめや少年犯罪の問題を考えるとき、このような本が広く読まれることを、強く望むものである。
若いころ、ずっと若い、中学か、高校のころだろうか。人間関係がうまくいかなくって、ああ自分に感情というものがなければ、楽なんだろうなと考えていたことがある。感情をもたないように、つとめようとしていたような気もする。
最近も、実は、同じように考えることが、たびたびある。ある意味で、人間相手の仕事だし、人間のなかでする仕事だから、結果として、案外、傷ついたり、ものすごく疲れたりする。
そんなとき、そう考えて、その時の気分が、いつか感じたことと同じだとふと思い当たる。どうも、私は、人間的には、まったく成長していないようである。豊かな人間性というものには、だいぶ距離はありそうだ(苦笑)。まあ、うじうじしていても仕方がないんだけど(笑い)。
この研究所の調査は、このブログでも何度か取り上げてきました。たとえば、http://ono-blog.cocolog-nifty.com/sikou/2007/03/post_a0bf.html です。今回の高校生の調査からも、日本の高校生がかかえる苦しみをうかがい知ることができます。こうした、社会に生きる子どもたちに求められる学力とは何か? そう考えると、学力テストの問題もわかろうというものではないでしょうか。
高校生意欲調査:「出世意欲」、日本は断トツ最下位(毎日新聞) 日本の高校生は米中韓の高校生よりも「出世意欲」が低いことが、財団法人「日本青少年研究所」(千石保理事長)の「高校生の意欲に関する調査-日米中韓の比較」で分かった。「将来就きたい職業」では、公務員を選んだ高校生が日本では99年調査より約22ポイントも減少するなど、米中韓に比べ、明確な目標を持てない日本の高校生の実情が浮かんだ。…
研究所のHPに、その概要が出ていますので、ご覧下さい。http://www1.odn.ne.jp/youth-study/reserch/2007/gaiyo2.pdf
全国学力テストが実施された。
学力テスト:小6、中3対象に3万2700校で実施(毎日新聞)全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が24日、国公私立の約3万2700校で実施された。対象となる小6、中3の児童・生徒約233万人が取り組んだ。
テスト問題は国語、算数・数学ともに、身に着けておくべき「知識」(A)と実生活の場面に活用する「活用」(B)の2種類と、生活習慣などを尋ねる調査(アンケート)からなる。文部科学省は集計が終わり次第発表する方針。…
テストの内容は、
文部科学省は24日、全国の小中学校計約3万3000校で実施した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の問題について、設問の狙いなどを発表した。国語と算数・数学の応用問題では、日常的な場面設定で、知識・技能を活用する力を評価するなど、国際学力調査の設問を意識した問題が多かったといいます(共同通信)。
問題と正答例、問題趣旨は、http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/etc/gakuryoku.htmlでPDF版をダウンロードできます。
この学力テストは、日本の教育の根幹を変質しなけない、大きな問題を含んでいると言わざるをえません。参考=教育基本法改正情報センターの論説。しかし、おそらく、この学力テストの実施を、知っていたりする人も多くはないでしょう。まともな議論が、なされたとは思えません。なぜ、文科省が「全員参加」にこだわっていたのか、その本当の理由にこそ、その秘密があります。それは、子ども同士、学校同士の競争を激化されることにほかなりません。
この学力テストに抗し、乗り越えるような、教育についての国民的な議論は、ものすごく急がれていると思います。
先日の、外国人記者クラブの「慰安婦」問題での記者会見。韓国ではどう報じられているでしょうか。
たとえば、「東亜日報」では、この記者会見をふまえての取材だと思いますが、次のような記事がありました。
調査官「強制的に慰安所に連れていかれたのか」 (4月23日)安倍首相が、軍慰安婦を連行する過程での軍・官憲の強制的介入を認めない理由は、「いくら探しても、これを立証する公的な文書がない」ということだ。
安部首相は26日に予定された訪米を意識したかのように、21日の米ニューズウィークとのインタビューでも、「軍慰安婦問題と関連し、日本の首相として責任を感じる」と述べて謝罪の意を示して、河野談話を継承することを明らかにしたが、「強制動員の証拠はない」という言葉は遂に取り消さなかった。
しかし、東京裁判の証拠資料として提出された諸事例は、安部首相の主張に反する内容を含んでいる。
ある事例では、インドネシア・モア島の指揮官だったオハラ・セイダイ日本陸軍中尉が連合国オランダ軍の調査を受け、「現地女性を強制的に慰安婦にした」と供述する内容(1946年1月)には、次のような問答が続く。
問:ある証人は、あなたが女性たちを暴行し、彼女らを兵営に連れていき、日本人たちに提供したと言った。それは本当か。
答:私は部隊員のために、娼家を一軒建て、自分も利用した。
問:女性たちはその娼家に行くことを承諾したのか。
答:承諾した者も、しなかった者もいた。
問:そこで何人が生活したのか。
答:6人だ。
問:そのうち何人が強制的にそこに入ったのか。
答:5人だ。
問:なぜ女性たちは、娼家に入ることを強要されたのか。
答:彼女たちは、憲兵隊を攻撃した者の娘だった。
問:では、女性たちは父親がしたことに対する罰として娼家に強制的に入れられたということか。
答:そうだ。
この問答のすぐ前の部分には、憲兵隊を攻撃しようとした現地住民を虐殺した内容がある。
インドネシア・ジャバ島のマゲランの事例(1946年5月)では、一般の収容所に抑留されていた当時25歳のオランダ人女性が、他の若い女性たちとともに日本軍に引き渡され、3週間、娼楼に閉じこめられて強制的に働かされ、ある日本軍将校によって一般収容所に返されるまでの体験を語っている。 ……
関東学院大学の林博史教授は、東京裁判の記録でなくても日本軍が中国での慰安婦募集に関与したことを裏づける資料が、日本政府が1992年に公表した公文書に含まれていると指摘した。
1938年3月当時、陸軍省副官が、中国大陸に駐留している軍隊の参謀長宛てに送った「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(1938年3月)という通告には、「△(軍慰安婦)募集は派遣軍が統制し、担当者の人選を主導する。△募集する地域の憲兵、警察当局との連帯を密にする」という記録が残っている。
慰安婦の問題の強制性を示す資料として、この注目されているのが、上記にもある、オランダの資料です。先日、日本人のジャーナリストによる資料の発見という東京新聞の記事を紹介しましたが、同様の発見が韓国で報道されています。
慰安婦強制動員を裏付ける文書…ソウル大鄭教授チームが発見(中央日報)日本軍が慰安婦を強制動員したことを裏付ける公式文件が見つかった。これまで被害者の証言はあったが、慰安婦動員の強制性と暴力性について書かれた資料は極めて少なかった。
ソウル大の鄭鎮星(チョン・ジンソン、社会学)教授チームは12日、「1946年7月5日、オランダ軍情報部隊が日本軍の慰安婦強制動員と慰安所運営について作成した文書を確保した」と明らかにした。
「日本海軍占領期にオランダ領東インド西ボルネオであった強制売春に関する報告書」と題した文書は、その間、オランダ政府記録物保存所に保管されてきた。
この報告書は「日本の特別海軍憲兵隊が路上の女性を連れて行き、強制的に身体検査をさせた後、慰安所に入れた」「慰安所は厳格に統制・隔離された」など、日本軍の蛮行が書かれている。
また「女性が慰安所を脱出したという理由で母親が殺害されたケースもあり、慰安所の女性は脱出も考えられなかった」「女性は特別許可を受けてこそ慰安所から外出することができた」などと明らかにした。慰安所の女性の国籍は書かれていない。
報告書は「1943年、日本海軍駐屯軍司令官はこの地域の日本人に対し、インドネシア・中国の女性と親しくするなという命令を下した。その代わりに公式的な慰安所を設置しろという命令も出された」と記述している。
報告書によると、慰安所は当時、海軍専用と民間用の2つが運営され、 民間用慰安所は日本軍司令官の指揮で日本人事業者協会が運営責任を預かった。 以外な点は「慰安所で支払われた代金の3分の2が女性に入った」という部分。 これに続いて「女性は時々、一部のお金を受け、個人的な用途に使った」と書かれている。
鄭教授は「慰安婦に代金が積み立てられていただけで、実質的には支払われていなかったことを裏付ける証拠」と指摘した。
報告書は日本人戦犯に対する尋問や関係者らの証言を基礎に作成された、と書かれている。…
「強制性」をめぐる認識の問題性への批判は、とどまることはないと思います。
先日の、「従軍慰安婦」に関する外国人記者クラブでの記者会見について、ニューヨークタイムズが、記事を掲載しています。
http://www.nytimes.com/2007/04/18/world/asia/18japan.html?_r=2&oref=slogin&oref=slogin
やはり東京裁判に提出された報告書に注目をしています。記事では、「政府は今になってこの判決を否定し始めることはできないと思う」という吉見義明さんの発言を紹介しつつ、この記者会見に対する政治評論家のコメントも掲載。「これらの文書が、東京裁判判決を勝者の裁きと称して否定する企みを強化している保守政治家を左右することはないだろう」と。またアジアのいたる所で学者が、この研究者たちの証拠の提示、特にオランダ調査団の報告書が提示されたことを歓迎していることも紹介。「これは重大な発見だ」というソウル大学のチュン・チン・スン教授の発言を紹介しています。教授は、「証拠には、日本軍が女性を強制的に集めて性奴隷制に従わせたことを特記する唯一の公式文書が含まれている」と評価、「これは安倍の主張の偽りを暴く助けになる」と言っているそうです。
世間では、いっせい(統一)地方選挙が終わりました。私の仕事のほうは、今日で何とか大きな山場を越えそうな気配です。また、明日から、気分を思いっきり入れかえて、新しい課題に向かわなければなりません。
さて、選挙のほうは、さまざまなドラマがあったようです。何人か私の友人や知人も、出ていたのですが、当選の情報も寄せられています。私としては、いちばん気になっていたのが、沖縄の宜野湾の市長選挙です。
伊波氏が再選/宜野湾市長選 外間氏に3800票の大差(沖縄タイムス)任期満了に伴う宜野湾市長選は二十二日投開票され、無所属現職の伊波洋一氏(55)=社民、社大、共産、民主推薦=が二万一千六百四十三票を獲得、新人で前市教育委員会教育部長の外間伸儀氏(59)=自民、公明推薦=に三千八百四十二票の大差をつけ再選を果たした。普天間飛行場の移設問題や企業誘致などに取り組む、伊波氏の実績が評価された。投票率は60・39%で、前回の55・54%、過去最低だった前々回の41%を上回った。…
私は、2度、伊波さんにお会いしたことがあります。筋を貫く、しっかりした方という印象をもっています。
当選を決めた後、伊波さんは「市民は普天間飛行場の危険性を日常から感じている。一日も早い返還を望む市民の声を日米両政府にしっかりと伝えていきたい」と決意を表明したそうです。参院補選は、残念な結果ですが、もともと、自公との革新のあいだでは大きな組織力の差があることも、歴然とした事実です。それだけに、要求をたかくかかげたたたかいをひろげることが大事なんだろうなと、宜野湾の結果をみても思います。
辺野古をめぐる動きは、現在も、「米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設に向けた周辺海域の現況調査(事前調査)の準備作業が本格化することを受け、隣接する同市辺野古で座り込みを続ける反対派の住民や市民団体のメンバーらは二十三日、早朝から約三十人が集まり、抗議行動に向けて準備を進めた」(沖縄タイムス)と、緊迫した局面を迎えています。さらなる米軍基地の強化を許さないたたかいが重要になっているのです。
安倍内閣が、今国会の最重要法案として位置づける教育三法案の審議が、重要な局面を迎えています。このブログでお、この法案の問題を考えたいと思います。
昨年一二月教育基本法が、憲法の保障する思想・良心の自由、教育の自主性・自律性をふみにじり、憲法との一体性を断ち切る形で改悪されました。教育三法案は、この改悪教育基本法を具体化する位置づけにあり、今回提出された法案も同様の問題をもっていると指摘することができます。
教育三法案とは、学校教育法、地方教育行政法、教育職員免許法の各改定案です。このうち、学校教育法は、憲法の公布を受け、一九四七年に旧教育基本法と同時に公布された、戦後教育改革を方向づけた法律の一つです。学校制度の法定主義を具体化する法として、学校の設置・認可、管理と経費負担、教職員の種類と職務、各学校段階の教育目標・修業年限、児童・生徒の学校教育措置・懲戒を含む処遇など学校制度の骨格を決めている法律です。また教育職員免許法も、重要な戦後教育改革立法の一つとして四九年に公布されましたものです。これに対し、地方教育行政法は、一九五六年に、戦後改革立法の一つである教育委員会法を廃止し、それまで公選だった教育委員会を任命制とし、教育委員会の権限を弱め、文部大臣・都道府県教委・市町村教委の間に上下関係をもつこむものに改悪された経緯を持っています。この改悪が、その後の地方教育委員会のあり方に深刻な問題をもちこんだわけですが、それでも、戦後教育改革のなかでつくりあげられた独立した教育委員会の制度をある程度は維持するという面ももっていました。
今回の三法案は、こうした戦後、憲法のもとでつくりあげられた、教育制度の大きく改変する重大な内容を含んでいます。それだけに、子どもの日々の教育に深刻な影響をもたらすものとなっており、拙速な成立を許すことは決してできません。
教育三法案による法「改正」は、複雑で多岐にわたりますが、とりわけ学校と子どもたち、教員にどのような影響をあたえるのかかについて見ていきたいと思います。
法案の内容に入るまえに、三法案提出の経緯についてふれておきます。安倍内閣は、昨年秋、首相直属の「教育再生会議」を発足させ、教育研究者と教育現場関係者を排除したまま、密室の協議で安倍総理のかかげる「改革」を国民と子どもたちにおしつけようとしています。この教育再生会議が一月二四日に公表した第一次報告「社会総がかりで教育再生を~公教育再生への第一歩~」が、今回の教育三法案の原型というべき内容になっています。そのうえで、この教育三法案を中央教育審議会でわずか一カ月の審議で答申を出させ(二月六日に諮問、三月一〇日に答申「教育基本法の改正を受けて緊急に必要とされる教育制度の改正について」を提出)、法案化しました。教育現場にはどのような影響を及ぼすのかなどについての検証や、教育関係者からの意見聴取なども不十分で、いわば、アリバイづくりとしか言いようがありません。しかも衆院で特別委員会を設置してまでゴリ押しをはかる――本来、教育の基本原理にかかわるものだけに、慎重で専門的な議論が必要にもかかわらず、短期間で集中的に審議し成立させようという経過は、安倍内閣の強権的な政治のあらわれというほかないと思うのです。(つづく)
やっぱり韓国映画はおもしろい。この映画にも、正直、脱帽です。ストーリーも、絵も、俳優も、演出も、申し分がありません。
物語は、李氏朝鮮の燕山朝時代。チャングムの舞台になった中宗の世の直前です。希代の暴君と言われた王と宮中の政争に、
韓国で史上最悪の暴君と語り継がれる王・ヨンサングンに気に入られた旅芸人が、愛と嫉妬の渦に巻き込まれていく王朝ロマン。王と妾を皮肉った芝居を演じたチャンセンとコンギルは、王の目前で芸を披露することに…。
朝、10時過ぎまでベットのなか。久しぶりに、遅くまで寝ていると、やはり一日中身体はだるい。のろのろと起き出し、午前中に、まだ見切れていなかったDVDを。それから、とにかく職場に向かう。だるいのは二日酔いのせいかとも。
電車のなかで、途中、またまたT大のT教授といっしょになる。明日朝から、東北での講演のため、いまから、羽田に向かいという。15分ほど、慰安婦問題などで情報交換。
職場につくと、職場は工事中。喧噪のなか、まだ決着がついていなかった最後の10Pをなんとか着地。やっと、メドがでた一日。帰りの電車の中では、『少年裁判官ノオト』を読む。
さて、今日は、二男の誕生日。早いもので17回目である。やっぱり元気に育ってほしいとねがっていたから、17回目というのは何となく、うれしい。帰りにプレゼンとも買い、夜は三人で、イタメシ屋に。
今日、ネットでは首相が謝罪というニュースが流れた。たとえば、
首相「慰安婦問題は人権侵害」、責任認め改めて米誌で謝罪(読売新聞)安倍首相は、26日からの訪米に先立ち米ニューズウィーク誌のインタビューに応じ、いわゆる従軍慰安婦問題について「慰安婦の方々に人間として心から同情する。日本の首相として大変申し訳ないと思っている」と改めて謝罪した。
さらに、「20世紀は人権が世界各地で侵害された世紀で、日本にもその責任があり、例外ではない」と述べ、慰安婦問題を人権問題と位置づけ、日本の責任を明確に認めた。
また、「我々は歴史に常に謙虚でなければならない。彼女たちが慰安婦として存在しなければならなかった状況に我々は責任がある」と語ったうえ、1993年の河野洋平官房長官談話を継承する考えを重ねて表明した。訪米を前に、米メディアの批判の鎮静化を図ったものだ。…
アーミテージ報告Ⅱでも、名指して批判されたこの問題。対米関係で、この問題を解決することが緊急課題であることは、今日の朝日新聞での、日米同盟論者で有名な、知日派のグリーンのインタビューでもよくわかる。
ところが、そう簡単にいかないほど、実は、安倍首相の歴史認識は「強固」だ(笑い)。
安倍首相のホームページをたどっていくと、次のページにぶち当たる。
http://newtop.s-abe.or.jp/
ここには、発言録のページがあって、次のような発言録が掲載されている。
「狭義の強制性」が「広義の強制性」の議論に変わっていった
歴史はあくまでも歴史家に任せるべき
歴史は連続性の中で緻密な議論をすべき
「狭義の強制性」を裏づける証拠はなかった
いわゆるA級戦犯は国内法的な意昧での犯罪者ではない
平和条約第十一条はいわゆる戦犯の犯罪者扱いを約束したものではない
いわゆるA級戦犯として処刑された七名の方々は命をもってある意味責任を果たしている
いわゆる侵略戦争は国際的な定義として確立されていない
たとえば、次のような発言がわざわざ今年2月にアップされている。
当時、私が質問をいたしましたのは、中学生の教科書に、まず、いわゆる従軍慰安婦という記述を載せるべきかどうか。これは、例えば子供の発達状況をまず見なければならないのではないだろうか、そしてまた、この事実について、いわゆる強制性、狭義の意昧での強制性があったかなかったかということは重要ではないかということの事実の確認について、議論があるのであれば、それは教科書に載せるということについては考えるべきではないかということを申し上げたわけであります。これは、今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか。
また、私が議論をいたしましたときには、吉田清治という人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていたのでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったということが後日わかったということもあったわけでありまして、そういう点等を私は指摘したのでございます。
なんのことはない、慰安婦の「狭義」の強制性は認めない。たんじゅんに侵略戦争だったとは言えないとくり返しているのである。
もともと、彼のホームページの一部には、いまだに、
慰安所の設置につき、軍の「関与」があったのは事実であるが、それは大部分、慰安婦や兵隊にたいする、むしろ「保護的見地からの関与」であったという重大な指摘が複数の講師からなされた。
官房長官談話の評価については、その背景に高度な外交的配慮が必要であった事情は認めるとしても、やはり確かたる根拠もなく「強制性」を先方に求められるままに認めたことは浅慮であり、同談話の早急なる撤回、あるいは修正が必要である、との指摘が多数の講師からなされた。
という「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(当時)の報告が、掲載されているのである。http://www.s-abe.or.jp/index2.htm
そうである以上、安倍氏の歴史認識は、現在も問われる問題である。
昨日は、仕事で帰宅は、日が帰ってから。さすがに、この時間に帰ると、寝る時間も遅くなる。したがって、今日は、もう重い体を引きずって、出勤。穴埋め用の原稿と格闘する一日…。
夜、家に帰って、映画「LIMIT OF LOVE 海猿」を見る。感動する映画だったけど…。純粋に、人の役に立つような生き方をしたいというのは、だれでも思うことだろう。それだけに、物語は美しく描かれている。当然、見ていて、それには共感する。そうした生き方を、支え合うような仲間ってのも美しい。
でも、この美しさってなんなんだろうか。実は、この映画って、現実からきわめて切断される形で作られている。言ってみればあり得ない話。だいたい、事故っていうのも、もっと生々しい原因がある。その原因抜きの事故が設定される。何よりも、海上保安庁という存在自身が、実は生々しい組織であったりする。海難救助や交通安全だけではなく、治安維持や領海警備も任務としている、ある意味で準軍事組織であったりする。
感動は、はたして現実と離れて存在するのだろうか。人の役に立つ生き方をするのには、現実に向き合わなければならない。
浦野東洋一さん、佐藤広美さん、中嶋哲彦さん、中田康彦さんの手によるブックレットです。昨年一二月、国民の反対の声を押し切って強行された教育基本法改悪のもとで、子どもと教育をめぐるあたらしいたたかいがはじまっています。本書は、このたたかいに役立つものをとの立場で緊急に出版されたもの。教育の目標の明記をはじめとした改定条文に込められている政治的、政策的な意図を批判するとともに、憲法と子どもの権利条約の視点で、改定された教育基本法を読み直しています。
改定教育基本法のもとで、いかに子どもの権利の保障と機会均等を実現するのか、開かれた学校づくりをどうすすめるか、条件整備の運動すすめ教育行政をいかに国民・住民の手に取り戻すのかについて、ヒントや実践例を紹介します。 今後のたたかいへ新たな展望を与えるものとなっています。
とくかに、才能ある、先輩が、この出版社に移って、最初に手がけた教育関係書だけに、やや焦り、プレッシャーを感じます(笑い)。
ブログをはじめてまもなく2年と4カ月。10万アクセスの達成です。みなさん、ありがとうございます。
最近、あまりコメントもつかないし、へんてこなトラックバックばかりだし、そのあたりが少し、寂しい毎日です。もともと読者に想定していた、お友だち連中もほとんど反応ないし…。まあ、気をとりなおして、がんばります(何に)。
今日は、朝から、電車がとまったり、迷惑な一日。昨日は、つれ合いは泊まりの勤務。今日は、大学の授業もあり、私は夕食までの3食を準備してからの出勤の日。雑誌づくりの最後の段階なので、実務の多い一日。とは言っても、まだ入っていない原稿もあり、今月も、つなわたり、例によって胃の痛い日々が続く。毎月こんなんでは身体が持たないと、いつも思うが、それでも持たしているし、何とか、さまざまな手を打つところが、困ったもの。でも、今月は正直きついなあ。
電車のなかで、田中孝彦先生おすすめの井垣康弘さんの『少年裁判官ノオト』を読み始める。このなかには、「少年Aとの7年5カ月」という文章もある。先日もふれた、神戸の事件である。文章は軽いタッチだが、内容はとてつもなく重い。少年法の問題、少年の更生や教育の問題、少年犯罪の背景の問題、そして2人の親としての受けとめ。感想は、後日、もう少し、整理をして書くつもり。そのぐらい、重くて大きなことを提起している。
帰宅は、11時半。家族はすでに寝ている。みんな明日の朝は早いようだ。
今日、ちょっとおどろいたのが、少年法「改正」の衆院委員会通過のニュースだ。
少年法改正:警察権限強まり、厳罰化進む懸念も(毎日新聞) 少年法改正案の与党修正案が18日の衆院法務委員会で可決され、厳罰化がさらに進むことになった。14歳未満の少年事件で警察に強制調査権が与えられ、小学生でも少年院に送られる可能性がある。少年事件の遺族は改正の動きを歓迎する一方で、相次ぐ厳罰化を懸念する声も出ている。…
少年については、本来、刑事犯罪とは扱われない。いかに、少年による非行を減らし、少年の更生をはかるかが少年法の核心であるからだ。しかし、とくに今度の「改正」案は、14歳未満の触法(法にふれる行為をしたこと)や虞犯という「将来、犯罪をするおそれのある少年」を警察が調査対象にするというわけだ。まず、非行防止にもっとも有効とされる福祉的ケアを充実させるのが本筋であるはずだが、それを事実上否定する内容をもつ。そして、実状として、全国百九十一カ所の児童相談所で、非行相談の組織があるのは九カ所、担当者を置いている所は十三カ所しかない。児童福祉司が虐待対応に追われ、非行対策の受け皿が手薄になっているというのが実状なだけに、この「改正」なるものは、本末転倒以外なにものでもない。
しかも、少年院送致を、おおむね12歳までに引き下げるという。少年院における矯正教育の意義は決して否定されるべきではないし、ここでの、すばらしい実践もたくさんある。しかし、可塑性の富む子どもの教育を、発達年齢に応じてふさわしくすすめるという視点で考えれば、低年齢の少年を少年院に送致することへの問題を指摘する専門家の意見はしっかり傾聴すべきだと思う。やはり、ここもで、福祉的ケアを充実させることこそが求められるはずだ。
問題なのは、こうした重大な少年法の「改正」が、どれだけ、国民のあいだで議論され、そして、国会でもどれだけの審議がつくされたのかという点だ。「12歳」という修正が出てきたのも、つい数日前のことだ。しっかり監視をしておかないと、国会では、おどろくべきスピードで、問題ある法規が乱造される。おそろしいことだ。
少し空いた時間に、『土割の刻』という本のページをめくる。そう、田中昌人先生を偲ぶ教え子のつどい実行委員会の手による、追悼集といえるべき本である。田中昌人先生は、このブログでも何度か書いてきたが、発達保障理論をはじめ、生涯発達心理学、障害者教育学、発達診断学、教育権理論など幅広い研究領域に大きな足跡を残した。その弟子たちが、これらの研究を引き継ぎ、創造的に発展させる道を探る。先生の最後の講演も収録している。懐かしい人の名前もある。おそらく、このつどいに関われなかった弟子たちも少なくないのだろう。それにしても、この本で、多くの人から語られる先生の足跡の意味の大きさは何ていうものだろうか。私は、若いころ、現実の実践の弱点と理論のもつ深さとの区別がつかず、何となく図式的と単純に、斜めから見ていたりしていた時期もあった。なんと、浅い理解だったのだろうか。基礎というものを、法則と言うことを、ちゃんと、勉強していくんだった。もっときっちり、授業に出ておけば良かったと、後悔ばかりである。
胸が打たれるのは、先生の発達ということに対する、真摯で厳しい姿勢である。それは、人権ということに対する先生の姿勢そのものでもある。ああ、自分は、何をしているんだろうか、と、つくづく思う。もっと、真摯に生きなきゃなあ、と。
背中が凍りつくような恐ろしい事件である。
伊藤長崎市長撃たれ心肺停止 山口組系会長代行を逮捕(長崎新聞) 十七日午後七時五十二分ごろ、長崎市の伊藤一長市長(61)が同市大黒町のJR長崎駅前にある本人の選挙事務所前で背後から近寄ってきた男に拳銃で撃たれた。伊藤市長は長崎大医学部・歯学部付属病院に運ばれたが心肺停止状態。直後の同日午後七時五十四分ごろ、撃った男を選挙事務所の関係者が取り押さえ、殺人未遂の現行犯で逮捕。長崎署員に引き渡した。…
事件の背景には、どろくさい話もあるようだが、本質はそこにない。民主主義が暴力に屈するのか?が問われている。事件そのものと、同時に、事件を許さないような世論を国民とメディアがつくれるのか、政治家が語れるのかが問われている。
言論の世界に身をおく人間としては、つねに暴力に相対することは意識する。そうはいっても、自分はその直接の場に、身をおけばどうなのだろうか。加藤紘一氏の事件のさいには、世論やメディアの対応は必ずしも十分にひろがらなかった。容易に、暴力が跋扈することを許してはならない。抑圧ということを許してはならない。もう一度、政治とメディアの現状は、直視すべきでもある。
日本軍「性奴隷」=「慰安婦」問題をめぐっては、次々と、新しい(?)証拠――新しいというか、これまでの成果をあらためて確認、提示する作業がすすんでいて、「強制がなかった」などの発言は、まったく道理のないものであることが明白になっている。たとえば12日の東京新聞の記事。
軍指示で慰安所開設 「靖国合祀」の経営者、占領下インドネシアで(東京新聞)日本占領下のインドネシアで民間の慰安所を経営していた日本人男性に靖国神社への合祀(ごうし)が認められていた問題で、同慰安所の開設が軍の指示によるものだったとオランダ軍による戦犯裁判の判決文に記されていることが十一日、明らかになった。憲兵によって逮捕、監禁された女性の証言も記載されており軍が関与した「強制性」を示す資料ともなっている。判決文はベルリン在住のフリージャーナリスト梶村太一郎氏(60)がオランダの資料館から入手、近く週刊誌上で発表する。
同戦犯裁判は、インドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で民間の慰安所「櫻(さくら)クラブ」を経営していた男性が「婦女子強制売淫」の罪に問われたもの。男性は一九四六年十月に禁固十年の有罪判決を受けた後、服役中に死亡した。
判決文では、慰安所を開設した経緯について「被告は一九四三年六月二日、軍政監部(原文でもGunseikanbu)から売春宿を開設するよう指示を受けた」と記載。「被告は異議を申し立てたものの、二度目の指示で従った」と、軍の強い意向があったことを指摘している。 …
先日には、アメリカの議会調査局が、報告書を提出している。その全文は以下にある。
http://japanfocus.org/data/CRS%20CW%20Report%20April%2007.pdf(英文です)
この調査書に対して、産経新聞が、「『組織的強制徴用なし』 慰安婦問題 米議会調査局が報告書」と、報じた。これをうけ、ネットの世界では、この産経報道が、さまざまなネットウヨと呼ばれる人の手によって引用されている。
しかし、調査局の報告を見ても、「日本軍がオランダ女性を抑留所から軍の監督下で強制連行し(時々は抑留者が抵抗したにもかかわらず)、慰安婦となるように強制した多数の事例があり、オランダの政府文書に記録されている」と指摘、今年三月の安倍首相の一連の発言について、河野談話を再確認したものもあれば、その内容と矛盾するものもあるとしている。産経の報道はほとんど滑稽である。
さて、そんななか、今日、外国人特派員協会で、日本のこの問題の研究者の記者会見があったので行ってきた。記者会見したのは、吉見義明教授、林博史教授、そして西野瑠美子さん。はじめての特派員協会。ここは英語の世界なのでドキドキ。幸い、受付は日本語でもOK。
話の内容は、とても勉強になった。まず吉見先生が、この間の、研究の到達点を紹介。狭義の強制の狭めることが問題の本質をつかんでいるのか? 直接、慰安所にかかわっていないとしても政府と軍の責任は免罪されるのか?と問題提起。たとえば、法的には北朝鮮による拉致で言う強制性は、慰安婦で狭義という強制の外にあると指摘。そして、吉見先生は、狭義の強制の事実もすでに指摘されているとして4点を紹介。1つは、中国山西省
などでの強制は日本の裁判所でも事実が認定されている、2つは、フィリピンでの強制の事実の証言、3つが、オランダ政府による報告書(1994年)、4つが、東京裁判に出された7つの証拠資料。そして、責任が政府と軍にあったことをみとめ、日本政府は法的な責任を認めるべきだと指摘した。
林さんは、ハーバード大ライシャワー研究所にいる戸谷由麻さんが調べた東京裁判の記録をもとに、日本で調査した結果として、東京裁判における7つの証拠資料を紹介。西野さんは、日本の裁判における認定と、河野氏が談話のさいにどのように慰安婦の証言を受けとめたかを紹介した。
はたして、強制なしと主張する人々は、こうした事柄をどのように受けとめるのであろうか。日本政府は、責任を認め、河野談話の誠実な実践をまず行うべきである。
昨夜は、学童保育の人からよばれて、相談に行ってきた。実は、私の住む市の学童保育は、公立の学童保育と民営(公設)=市の委託事業の学童保育が併存しているのだが、その民営の学童保育への市の委託料が年間60万も突然カットされるという事件が起きている。何の事前の説明もなく、突然、決まったからという話だ。
民営の学童保育というは。この学童保育の制度が十分整備される以前(と言っても現在で十分整備されているとは言い難いのだが)から、父母と指導員が、ねばり強い運動のなかでつくりあげてきたものだ。現在でも、民営を運営するために、父母や関係者は、一般に考えられる以上に、相当の苦労をしている。それだけに、市の、学童保育の支援は、暖かいものであってほしいのだが、後ろから頭を殴りつけるような形で、委託料の切り下げが行われようとしている。
運営している父母たちは、みんな真面目だから、切り下げだと言われると、その60万をどのように工面しようかと、必死で考える。それはそれであまり前なのだが。指導員の賃金を切り下げるわけにはいかないし、かといって、このご時世に保育料を上げるなんてことはできないからだ。
ただ、考えてみれば、委託料の切り下げとは、父母負担を増やせと、市が言ってきている以外何ものでもない。学童保育の運営など、ほとんどが固定費だからだ。60万の切り捨てだと、1人1カ月1500円ほどの負担増になる。保育料を10%以上上げる計算なる。そんなことを市が提起していることに、まず起こるべきだ!
ところが、そこで、単純に、合意とならないところが難しいところ。もともと、制度的に不備で不安定な学童保育にたいしては、いろんな要求や不満が渦巻いている。そんな問題は、日常的に解決するための努力がなされていればいいのだが、クラブによってはいろんな問題もあるからだ。
ただ、そうであっても、解決するべき問題は、解決の方向を考えながら、やはり、父母負担増という今回のような問題については、まず、怒るべきだ。もともと、わが市の保育料は、民営で1万1000~2000円、公立で1万円と、決して安いとは言えない。だれもが利用できる学童保育であるためには、適切な保育料を設定できることをさまたげたり、急激な保育料の値上げにつながるようなことはすべきでない。
安心して、子どもが通える学童保育というのは、誰もの一致できる要求だ。そのためにも、権利としての学童保育の内容については、深く共有したいものなのだが…。
世の中は、いっせい地方選(統一地方選)の後半戦がはじまっている。ところが私の住む行政区、近隣の行政区はいずれも選挙がない。そんなわけで静かな地域だ。だからというわけではないが、今朝は、草とりから始まる。だるい体を引きずりながら、しかたがなく草とりに参加する。団地の人とつかの間のおしゃべり、貴重な時間でもある。これは私の仕事。今日の話題は、風呂の給湯システムの取り合えのことと、Bフレッツ。そうわが団地もいよいよ光である。
駅で、定番のカレーうどん(ミンチのせ)を食って、午後から、民教連9条の会の集会に。講演は田中孝彦さん。内容は、先日、紹介した、教科研3月集会の報告とほぼ同じ。でも、活字で読むより、話を聞く方がより理解が深まることもある。あらためて、いまの子どもの人間形成の危機の背景にある社会の危機、それにたいしての「子ども理解」の大切さを痛感する。
講演のあと、駅までの道と電車で一駅、先生とおしゃべり。田中先生の問題意識は、私がどれだけ理解できているかは別として、私のもっている問題意識と私の側から見れば、近いと感じている。それだけに、ちょっと勉強の方向を学んだりした。
職場によって、少しだけ仕事をして、帰路に。週に一度の、家族3人の夕食である(父のメニューは、サーモン・バター、ムーシーロ、ソーセージサラダ、みそ汁)。
何度も書いていることかもしれませんけれど、新聞を読んでいるとおやっと思う記事に出会います。たとえば、昨日の新聞には次のような記事がありました。
ホロコースト「虐殺を黙認」展示に法王庁反発、式典欠席へ(読売新聞)エルサレムにあるホロコースト記念館「ヤドバシェム」に、第2次大戦中にローマ法王がユダヤ人虐殺を“黙認”したとする展示があることに法王庁が反発、虐殺犠牲者の追悼式典ボイコットを記念館に通告した。
問題の法王は、ピウス12世(在位1939~58年)。記念館はピウス12世について、「(ホロコーストに)沈黙を続け、何の方針も示さなかったことが、欧州の教会関係者の態度を決定づけた」「ユダヤ人虐殺が報じられても抗議しなかった」との写真展示を2年前から行っている。法王庁のフランコ大使は「カトリック教会が多くのユダヤ人を助けたという記録もある。展示は一方的過ぎる」と主張。展示変更の要求が受け入れられなかったとして、15日に行われる追悼式典に参加しないとの書簡を同館に送った。これに対し、同館は「説明が誤りと言うなら、法王庁の文書を公開して欲しい」と反論したが、法王庁はこれまで公開要求に応じていない。
…
日本の政府も同じように、歴史認識にかかわって、外国政府との間で対立がある。でも、冷静に考えると、こうした対立や緊張が、国際関係をより豊かにする契機になるかもしれないと思う。戦後、ドイツの「過去の克服」という問題も、単純に、国内だけですすんだのではな決してなく、隣国やイスラエルをふくめ長い時間をかけての緊張とその克服をとおしてすすめられたと思うからだ。
日本の場合、対米関係がよくなれば、アジアとの関係もよくなるというような発言をした首相がいたけれど、残念ながら、外交とはアメリカ相手のことであったために、この緊張はふさわしい機能を発揮せず、解決にいたらなかったということだろう。
今朝の番組で、中川昭一自民党政調会長は、対中関係を論じていた。「歴史認識の問題を解決すべきだ」という他の参加者の発言に、「中国に従えというのか」と、毒づいていた。「従軍慰安婦」問題など、ここにきて、新しい資料や証言なども提示されているにもかかわらず、「強制はなかった」ということについて、反省の弁もない。こうした発言を聞いていると、アメリカの方を向くというのと同時に、その劣等感の裏返しともいえるのかもしれないけれど、日本では、俺達が仕切っているのだから、俺の言うことを聞けというような傲慢さを感じる。寂しい限りである。
ちょっとは体調は回復しただろうか? 今日は、無事、朝から仕事である。なんとか、ギリギリのペースで仕事をこなす。一応、大きな山場と言えるだろうか。
最近、あまり、本の感想を書き込んでいなかったので、最近読んだ本の感想を少し。
1冊は、元朝日の田岡俊次さんの『朝鮮・中国はどれだけ恐いか』(朝日新書)。「北朝鮮の核兵器開発はどこまで進み、ミサイルの標的は日本なのか。中国の軍拡・近代化で、『台湾侵攻』は現実味を帯びるのか。極東軍事情勢を豊富なデータをもとに鋭く分析、日本人に取り付く『不安』の正体を明らかにする」という、内容。感想は、詳しくは、松竹さんのHPと同感なので、そちらででどうぞ。著者が言うように、現代の政治や外交を理解する上で、軍事的な知識は不可欠だ。そのうえでも、さすがに田岡さんの本は役に立つ。個人的に興味深かったのは、田岡氏の人となり。彼のまとまった本を読んだことがなかったので。そこから垣間見えるのは、彼の立脚点の危うさ。軍事に関しては、いうまでもなく、一級の情報なだけに、政府による管理は厳しい(ただ、実際には、案外そうでもない部分も日本は存在する――いろいろな回路で、情報を集めると、ここがたたかわない軍隊しかもたなかった日本でもあることはわかる=笑い)。それだけに、政府に近い、氏の議論の危うさがこの本からも垣間見える気がしたりする。
2冊目は、『戦争責任と追悼――歴史と向き合う』 (朝日選書 )。朝日新聞に連載したものをまとめたもので、この本の紹介も、松竹さんのHPに詳しい。東京裁判や靖国をめぐる論点を、網羅的に紹介していて、それだけで役に立つ一冊でもある。朝日には、豊さんなど優秀な記者は多い。それだけに自分の欠けていた知識を補充したり、頭のなかを整理するうえで、それなりに面白かった。アメリカの知識人の議論なども、アメリカが何を考えているかを整理する上でとりわけ役に立った。だけど、物足りないというのが、実感。あまりにも網羅過ぎて、一つひとつの論点に迫り切れていないというか、作り手の主張が見えないのだ。これは、読売の『戦争責任』に比べても、その内容上の是非は別として、強く感じる点である。ジャーナリズムとしての朝日のありようを象徴しているようにも感じてしまう。
3冊目は、魚住昭さんの『官僚とメディア』 (角川oneテーマ21)。この人の書いた『沈黙のファイル』などは、ジャーナリストが書いた本のなかでは、ダントツに秀逸と言えるもの。個人的には好きな書き手だ。まだ読み始めたばかりだが、共同のありようや彼が共同をやめるにいたった経過なども書かれている。俗っぽく言えば、ジャーナリストとしての生き様を語りかけてくるような内容にもなっている。田岡さんの本、朝日の本続けて読むと、どうしてんもジャーナリズムの今を意識して比較して読んでしまう。いま求められている批判精神とは何なのか。そして、ジャーナリズムに何が出来るのか。
昨日の「読売」に面白い記事が載っていて、話題になっている。
首都圏のキヨスク、3分の1が臨時休業…リストラ補充失敗(読売新聞)電車に乗る前に雑誌を買おうとしたら、売店のシャッターが閉じていた――。最近そんな経験をした人が少なくないはずだ。首都圏のJR駅で、スタンド型売店「キヨスク」の3分の1が臨時休業するという異常事態が続いている。
店舗を運営するJR東日本の子会社が人員整理を進めた結果、販売員が十分に確保できなくなったという。休業店再開のメドは立っておらず、駅利用者の不満は高まる一方だ。
JR東管内でキヨスクを運営する「東日本キヨスク」によると、東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県の約560店舗のうち、現在185店舗が臨時休業中。閉鎖は昨秋から都心の主要駅で始まり、今では近郊の駅にも拡大している。…
写真は、私の通勤経路のもの。左の写真が、乗換駅のもの。右の写真が、職場の近くの駅。乗換駅のキヨスクは、平日の午前中だけ営業しているが、職場近くのキヨスクは、ずっと閉店したまま。たしかに、不便である。
ちなみに、キヨスクは、ことし7月から「キオスク」に名前が変わるという。
毎日新聞のWEBで興味深い記事。
ゆとり教育:学力は「改善の方向」 文科省調査(毎日新聞)文部科学省は13日、「ゆとり教育」を掲げ学習内容を削減するなどした現行学習指導要領で学んだ全国の高校3年生約15万人を対象に、初めて行った教育課程実施状況調査(学力テスト)の結果を公表した。ゆとり教育導入前の旧指導要領で学んだ高校生を対象にした前回調査(02~03年度)と同じ問題181問で正答率を比較すると、145問(80.1%)が前回並みで、26問(14.4%)が前回を上回った。学習意識のアンケートでは「勉強は大切」と答えた生徒の割合も増加。調査を行った国立教育政策研究所は「(学力は)改善の方向に向かっている」と分析している。
……また、アンケートでは、「勉強は大切だと思う」との設問に、43.1%が「そう思う」とし、「どちらかといえばそう思う」も41.1%に達した。「そう思う」は03年度調査より3.6ポイント、02年度調査より5.2ポイント増え、学習に対する意識の向上傾向を示した。国立教育政策研究所教育課程研究センターの惣脇(そうわき)宏センター長は「現行学習指導要領は児童・生徒の学習意欲を引き出す狙いがある。意欲面も高まっており、指導要領の狙いが生きつつあるのではないか」と分析した。
調査そのものも興味深い内容です。詳細を、知りたいものですが、同時に、調査なるものの結果が、現実の政策を導き出さないということです。この調査の結果が、ゆとり見直しにストップをかけることはないでしょうから。
考えてみれば、全国学力テストは、「調査」が目的だとされています。しかし、この「調査」にもとづいて、教育政策がつくられるのではなく、それとは無関係に、「教育再生会議」で教育政策は、どんどん推し進められているのです。日本の政治にとって、「調査」は何のために行うのか。よく考えるべき問題だと思います。
体調が最悪の一日。仕事の合間に読んだのか、この文章。
「今、子どもの生きている世界とどう向き合うか」――教育科学研究会の3月集会での基調報告の内容。
田中先生は、まず「日本の社会が、『負け組』にも『勝ち組』にも、複合的な『心的外傷』とでも呼ぶべき傷を負わせる社会となっていることを示している」と問題提起。「支配的な『教育改革』論が強調する『競争』『秩序』『厳しさ』は、こうした子どもたちの生活感情や問いや要求と明らかにすれ違っている」とも指摘する。学童保育の指導員の亀掛川さんの実践と、神戸で「児童連続殺傷事件」(1997年)を起こした少年Aの審判を担当した裁判官の井垣康弘さんの取り組みを紹介し、こうした社会のなかでの援助者・教育者の実践の模索と展開に注目する。ここで、田中先生は、ハーマン『心的外傷と回復』に注目する。「社会的な偏見による「心的外傷」を全体的に理解し、彼・彼女らの「自己」の発達を全体的に支える共同の実践の必要が強く意識されるようになっている」というのだ。
こうした取り組みのなかで、「47年教育基本法第二条」の読み直しにも注目している。ここから、「政府による『教育目標』の設定、それに基づく競争の組織と管理へ」の動き、「教師が教育の計画・目標を描く」ことに対し、一方で、「教師たちによる『子ども理解のカンファレンス』の試みの重要性」。政府による上からの「教育改革」の対抗軸を、先の実践の取り組みからとき起こそうとしている。その際に、とりくみとして、恵那の石田和男が提起する「教師が三人でも集まって『自主塾』を」に注目する。こうして実定法に即した子どもの権利と教育の自由・共同の論理の再構築を呼びかける。
短くすると素っ気ない、勉強になった点がいくつもあった。とりあえず井垣さんの本やハーマンの本は読まなくっちゃと思った次第。さて、われわれ政治ジャーナリズムの人間は、田中先生の問題提起をどう引き取ることが必要なのか。ちょっと、自分なりの意見もふくらませながら、いろいろ考えた文章だった。
昨夜、風邪薬を飲んで、ベッドに入ったら、なぜが胃のあたりが痛くなって。あとはずっとむかむかし通し、結局、ほとんど眠ることができずに朝を迎えるはめに…。飲んだ薬がよくなかった? それとも、逆流性食道炎の症状がひどくなった? 結局、肥満の病気が、ワンセットになってどんどん攻めて来るというのだろうか。ほとほと、生活の節制をしなければと痛感させられる。なんとか、しなきゃとは思うのだけど。
そんなわけで、朝、5時台に子どもの弁当を用意したあと、少し、横になることに。そして遅刻して職場に。今日は、実務もたくさんあり、結局、仕事はどんどん溜まっていくハメに。これもまた辛い。なかなか、前が見えない闇の中だな。
休むと疲れがドッと出ると言いましたが、今日は、ちょっとだるくて熱っぽい!? もしかしたら風邪か?って感じです。二男が、明日は6時に学校に行くと言っていますので、その1時間前には起きて、弁当づくりなどもしなくてはいけません。そんなわけで、今日は、寝ます。
「わたしたちの教科書」というドラマを見た。春の連ドラでは、いちばんの野心作かしら。ここのところ、あまりドラマで面白いものがない。前クールは、案外「ヒミツの花園」が面白かったりして。そんなわけで、今度のクールもあまり見るべきものがないが、オリジナル作品、演出もエースをもってきた野心作がこれ。一回目の印象は、ちょっと、コテコテ盛り込まれているなあという感じ。現実離れしすぎてるって感じはするが、伊藤くんの先生役は当たりかも。テーマは重そうで、まじめに向き合おうという予感はある。ちょっと、見続けたいというのが感想か。
では、お休みなさい。
いろいろな意味で、日本の歴史に残る映画である。軍艦以外はなんでもきたといわれる、東宝争議をうけ、良心的な映画人(俳優もスタッフも)が参加して作られた映画。テーマも、埼玉、本庄での実話をもとに、朝日の奮闘を描く。映画としても、日本にはあまりない群像映画である。とりたてて、主人公がいるわけではない。街の民主化にとりくんだ、ジャーナリストと町民が主人公なのだ。こうした映画を演出が散漫だという人もいるが、山本薩夫は、個性的で力量をもった役者を、巧みに配置して、群像づくりに成功しているように思う。登場人物は生きている。
朝日新聞浦和局のキャンペーン記事「ペン偽らず」をもとに、山本薩夫監督が実在の事件をドキュメンタリータッチで描いた作品。暴力団や警察の癒着を描く。東宝争議後に技術者、俳優が枠をこえて製作に協力、独立プロの発足につながった。
メディアの今の課題を考える上でも、興味深い。朝日もふくめ、いまの大手メディアは、住民=読者と、こうした距離を築いているだろうか? もちろん、この時代と違い、住民の意識も多様で、敵も見えづらい。にしても、まだ、社会が、民主主義の面でも成熟過程にあった時代に果たした役割をメディアは果たせないのはなぜか。これは、政治運動も同じであろう。住民の意識が多様化し(消費者化し?)た、ある意味で成熟した時代なりの役割、ありようがある。そのことに、あまりにも鈍感になったのはなぜか。そんなことも、問いかける映画でもある。
自宅の給湯システムの取り替え工事のため、今日は自宅でお休み。この前休んだのは、団地の総会の日だから、3週間ぶり。工事の間、仕事をしようかなとも思ったけど、落ち着かないので、テレビを見ていた。完全休養の一日である。休むと、ほんとうに疲れがドッとでる。いま、ドッと疲れている(笑い)。
DVDで、「暴力の街」を見た。これは、別項で。
そのあと、テレビドラマの再放送。「ランチの女王」である。このドラマの竹内結子はいい。少し、影もあり、母親みたいな優しさがあり。「不機嫌なジーン」もすきなドラマだったけど。「ショコラの見た世界」もいい感じですよ。あまり、ものを考えず、ぼーっとした一日でした(笑い)。
石原慎太郎が東京都知事に三選された。なぜ、石原のような人間が当選するのだろうか、と、私のような感覚の人間からは、いろいろ言いたくなる。
が、実際の投票結果をみるといろいろ面白いことが解る。たとえば、絶対得票率。つまり有権者比での得票率は、実は石原氏は27.5%と全国最低である。280万票というと、とてつもなく大きい数字に感じるが、その基盤は、ものすごく弱いことがこの数字だけでわかる。
では、その少数の支持の中身はどうか。今日のテレビなどを聞いていると、必ずしも政策が支持をされたわけではないことはわかる。たとえば東京オリンピックには過半数が反対だ。どちらかと言えば、実行力といったような項目が、石原支持の上位ののぼる。そして、その石原氏は、世論にめざといから、選挙中に、福祉の充実なども口にしはじめたわけだ。実行力。、改革派というつくられたイメージと、福祉を口にするのかで、石原氏なら、何とかしてくれるかもしれないという気分が働いたということは一つの側面としていえる。もちろん、東京には、新中間層と言えばいいのか、一定富裕な、中間層が存在する。その支持を集めているという面もあるのだろうか。
いずれにしろ、そんなに石原は強くないということは言えるのではないか。大事なことは、われわれが、あきらめたり、慣れたりせず、声をあげることではないだろうか。
つれ合いは、新年度から全開?である。 今日も、家事もせずに、職場の同僚と…。文句は言うまい(笑い)。仕事に、職場づくりに、力をつくすのも大事なことだ。
こちらは、なかなか調子が悪い。腰は相変わらずだし、体調は全体として最悪だ。気分はそんなに悪くはないのだが。時間外でも、読んだり考えたり、仕事は、結局、終わらない。新しいことは考えられない。家事やいろいろな雑務もふくめ、トータルに生活が滅茶苦茶な感じ。花粉症の薬の影響もある。生活のコントロールがうまくいかないと、イライラする。落ち込まないように心がけるが、焦燥感が強い。すると、身体に力が入るのだろうか、身体自体がカチガチに固くなっている。何かしら、うまくない。くそー。
愚痴ってしまった。
読売の調査に続いて、NHKも憲法の世論調査です。見出しを「世論調査 憲法改正必要47%」としているのが、いかにもNHKらしいと言えば、らしいですね。しかし、9条をめぐっては、読売のそれと、同じように改憲に反対、慎重な世論が浮き彫りになりました。「9条の会」を中心とした、憲法学習の広がりや、イラク戦争の破綻などのもとで、武力でさまざまな問題を解決することは不可能という世論があらためて、広がっていると言えると思います。9条の意義はあらためて、いま光が当たっていると言えるのです。
NHKは今月6日からの3日間、全国の20歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかけるRDDという方法で世論調査を行い、61%にあたる1177人から回答を得ました。… さらに9条を改正する必要があると思うか質問したところ、「改正する必要があると思う」が25%、「改正する必要はないと思う」が44%、「どちらともいえない」が25%で、改正する必要はないと答えた人が1年前より5ポイント近く高くなっています。
しかも、9条を改正する必要があると答えた人にその理由を尋ねたところ、「自衛力を持てることを憲法に明記すべきだから」が41%、「国連を中心とする軍事活動にも貢献できるようにすべきだから」が38%などとなっているというのです。つまり、海外での武力行使のための改憲に賛成しないという枠組みで考えると過半数にのぼるということも言えます。
改正する必要はないと答えた人に理由を尋ねたところ、「平和主義を貫くことで国際平和に貢献すべきだから」が72%、「アメリカの戦争に荷担するおそれが増すから」が16%などとなっているといいます。
12、13日で改憲手続き法案の採決という大きな山場を迎えている。民主党が修正案を提出したが、与党は採決強行の姿勢をくずしていない。この法案自体のもつ問題点について改憲国民投票法情報センターのHPが「改憲手続き法案・9つの問題点」という論説を掲載している。
さて、その一方で集団的自衛権の見直しである。今日、沖縄タイムスが「[集団的自衛権]二度と戦争しない国に」という社説をかかげた。大事な社説である。
見直しの内容は、(1)日本のミサイル防衛(MD)で同盟国を狙った弾道ミサイルの撃破(2)公海上で自衛隊艦船と並走する艦船が攻撃された場合の反撃(3)一つの目的で活動する多国籍軍で他国軍が攻撃された場合の反撃(4)国連平和維持活動(PKO)で任務遂行への妨害を排除するための武器使用―の四つの具体例について、今月中に有識者会議を立ち上げ検討するという。 自衛隊に海外で「反撃」や「武器使用」が許されることになれば、戦後六十年間、一度も改正されなかった「平和憲法」の根幹部分(九条)が完全に見直されることになりかねない。 これは、「(集団的自衛権行使の)一部容認」どころか、専守防衛の枠を取り払い、同盟国・米国の戦争に日本が参加するという憲法解釈上の大転換を意味する。 戦争放棄、戦力不保持を掲げた憲法九条をほごにし、日本国家の「交戦権」を復活させることにほかならない。
PAC3の配備など、ミサイル防衛の問題、東京・横田基地への「日米共同統合作戦センター」を運用する計画をあげながら、「集団的自衛権の行使を禁じる憲法九条との両立が困難になりつつある」と指摘する。防衛庁が「省」に昇格し、自衛隊の海外派遣が本来任務となり、「海外活動で米軍と自衛隊の一体化がより進めば、集団的自衛権の行使と武器使用の議論はますます避けられず、集団的自衛権の行使に突き進むことが十分予想される」と。
「安倍首相は、自身の宿願たる『改憲』にこだわっており、このままいけば日本の平和憲法は米国好みの憲法に仕立て直されかねない。自衛隊を「戦争のできる軍隊」にしてはならず、日本を二度と「戦争をする国」にしてはならない」――これが沖縄の主張である。
今日は、朝から関西に出張。昨日は、選挙結果も気になっていたし、ブログをいろいろいじったりしていたので、寝るのが深夜になった。したがって、新幹線のなかでは結果的に爆睡。ブログをいじったのは、もう1つのブログで、カウンターをつけてみた。SO-NETのブログというのはよくわからなくて、管理のページに閲覧数というカウントがある。これが、どうも怪しい。昨日つけたカウンターは、普通の無料カウンター。これも、ほんとうに正しいのかどうかわからないが、もう一つのブログのそのカウンターは76という数字なのに、so-netの管理のページの閲覧数は、実に1367。20倍ぐらいの数字がでている。どうしてだろうか。
久しぶりにいった六甲の風景は、ちょうど桜が満開できれいだった。神戸の街は、関西で育った人間だが、あまりなじみはない。たぶん小学校のころにきたことがあるはずだけど。慌ただしく、日帰りの一日。睡眠不足の成果、電車のなかで読んでいた本を、新大阪の駅のどこかにわすれてしまった。結構、夢中に読んでいたので、しかたがなく、東京でその本をもう一度買い直す。ああ…。
二男も、つれ合いも、新学期だ。二男は新しいクラス。私学の高校は成績別という過酷な世界。仲のいい友だちはどうも、「上」のクラスか。つれ合いは、大学院の学生証をもらってきて嬉しそう。変わらないのは、私だけか。
昨日、おそくまで見ていた、選挙結果。朝刊だけでは、どうも全容はわからない。夕刊で、だいたい理解したけれど。この有権者の選択をどう受けとめるべきなのかま、まだもう少し、調べてみたい。ただ、東京で、石原が当選したように、知事選では現職は強かった――その現職はたいてい改革をとなえている。県議選では民主が躍進したところが多そうだ。しかし、自民と民主の改革争いに、有権者は一票を投じたかと言えば、そう単純でもなさそうだ。東京で吉田さんが予想以上の得票をとったように、新自由主義的な改革をきらう、第三の選択をする流れが、それなりの意思として表明されたのも特徴ではないか。などの感想ももつ。
ただ、この第三の「対抗の流れ」は、まだまだ太いものではない。現実政治のなかでは選挙に競り勝つ強さが求められるのだろう。そういえば、昨日の帰り、となりまちに住む、ある中小企業の社長さんといっしょになった。革新的な考えをもつ社長さんで、地域の政治活動をいっしょにとりくんだりしてことが何度かある。その社長さんが、革新の政治運動に対する注文として、経営者にあるような、中長期的な目標をもって、構成員を一つにまとめ上げる議論が少ないと言っていた。強さを持つためには、そういう成熟も必要なんだろうか。
『日経ビジネス』という雑誌が、「 “抜け殻”正社員 派遣・請負依存経営のツケ」という特集を組んでいる。興味深い内容である。偽装請負が問題になり、派遣など非正規雇用の拡大が
社会問題となり、企業も正社員の削減は、技術の継承ができないときづき始めたという内容。一面として、いまの新自由主義的な経済政策のもとでの企業の矛盾をつく。
番組を作れないテレビ局、プログラムが書けないIT企業――。気がつけば、日本中が「正社員だけでは何もできない会社」だらけになった。コスト削減を優先するあまり、多くの企業が陥った派遣・請負依存の構図。偽装、捏造、不具合が頻発するのは他人任せの“抜け殻”正社員が増えたから。非正社員の正社員化や高卒採用拡大の動きも、まだ付け焼き刃の域を出ない。 ・ “抜け殻”正社員 ・ 派遣・請負依存経営のツケ ・ 俺たち、いなくなっていいの? ・ どこもかしこも自分じゃできない症候群 ・ 始まった「社員作り直し」
ただ、日経らしくあくまでも企業サイドの議論。しかし、実際には、単純ではない。企業の手は血まみれだ。正社員化をすすめるにしても、コストダウンをあくまで狙う。あらゆる、脱法行為、法の抜け穴を狙う。よりリアルに企業にせまらないと本質は見えはしない。
先日、NHKスペシャルで放映されていたもの。当日は、ちゃんと見ることができなかったので、今日、BSでやっていたアンコールを見た。何とも言えない格差の実態である。
個人資産300億円以上、巨万の富をたった一代で築き上げた会社社長。改革開放の波に乗って、不動産投資などで成功を収め、今も1回に何億もの金を株などの投資につぎ込む。富がさらなる富を生み、笑いが止まらない。かたや日雇い労働で手にする日当はわずか600円ほどの農民。家族を養うために農村から都会に出てきたものの、ようやく見つけることができた仕事は建設現場の厳しい肉体労働。毎日、自分が暮らしていくのが精一杯で、そこからはい上がることはできない。中国では、今、こうした光景は決して珍しくない。社会の中で格差が広がり、勝ち組と負け組の差が鮮明になっている。中国政府は、今、経済成長を最優先してきた結果、生まれた歪みの是正を最優先課題に位置づけ、「調和の取れた社会」「みなが豊かになる社会」建設をスローガンに掲げている。 なぜ格差は拡大し続けるのか、貧しい人々がはい上がるのが困難な理由は何か。 貧・富それぞれの現場に徹底的に密着し、中国政府が今、最大の課題とするこの問題に迫る。
格差のなかで、必死になってはい上がろうという層の姿は、それはそれで一方で、悲しいぐらい切ない話でもあるけれど、そのなかに力づよさも感じる。世界の工場と言われながら、マネーのちからが経済を覆う姿は何とも言えない。
中国政府は、調和社会へ大きく舵取りを変える。医者にもかかれない実態。試行錯誤の課題はとてつもなく大きそうだ。そのことをあえてさらけ出すことろに、いま中国が向かおうとしている意味があるということも垣間見える。中国という国からは目が離せない。
今朝の朝日新聞の報道です。あすの再生会議で議論されるそうですから、明後日ぐらいにはHPにアップされるでしょうか。
教員給与、査定で20%増減 再生会議提言へ(朝日新聞)政府の教育再生会議は、ほぼ一律だった公立学校教員の給与を査定によって80~120%の幅で決められるようにし、あらたに「上級教職」をつくるなど、成果を反映させる新制度を提言する方針を固めた。予算を学校の児童・生徒数に応じて配分し、企業や個人が学校に直接寄付できる制度も提言する。道徳教育の強化と並んで、学校現場への競争原理導入という安倍首相の教育改革の二本柱が鮮明になった。
……また、公立学校の統廃合を進め、教職員や経費を削減、浮いた財源を設備や図書の充実、学校独自の取り組みに振り向けられるようにする。学校選択制を拡大して競争を促し、「児童・生徒1人当たりに着目した予算配分」も打ち出す。安倍首相が著書「美しい国へ」で導入に前向きな姿勢を示した教育バウチャー制度の考え方に基づく。
各市町村ごとに教育予算の使われ方を一律の基準で公表する「公教育費マップ」(仮称)の作成も提言。自治体間の競争も促す考えからだ。
教員間に格差をつけ、競争にさらすことの問題は言うまでもありません。同時に、大きな問題は公立学校の経営に競争的経費を導入する問題です。この外側には、学力テストにもとづく学校評価があるわけですから、学校はきわめて深刻な(教育的ではない一面的な)評価と競争にさらされることになります。新教育基本法による教育改変は軽視は出来ない事態になっています。
今日、教育基本法改正情報センターの教育三法案検討のシンポジウムに行ってきました。その報告は後日。
集団的自衛権見直しの作業の続報も入っています。
集団的自衛権の一部容認へ 首相、憲法解釈を見直し(共同通信)安倍晋三首相は憲法9条の解釈上、これまで政府が禁じてきた集団的自衛権の行使を一部容認する方向で検討する方針を7日、固めた。政府関係者が明らかにした。米国を狙った弾道ミサイルの迎撃などが対象で、政府が今月中に立ち上げる予定の有識者会議で詳細な議論を進める方針だ。
有識者会議は塩崎恭久官房長官が事務局長役、柳井俊二前駐米大使が座長を務める。(1)日本のミサイル防衛(MD)で同盟国を狙った弾道ミサイルの撃破(2)公海上で自衛隊艦船と並走する艦船が攻撃された場合の反撃(3)一つの目的で活動する多国籍軍で他国軍が攻撃された場合の反撃(4)国連平和維持活動(PKO)で任務遂行への妨害を排除するための武器使用-の4類型を検討項目とし、秋までに一定の結論を得る見通しだ。…
見直しのおおよその内容に言及されていることに注目する必要があると思います。
この間のエントリーの続報です。6日に経済財政諮問会議の労働市場改革専門調査会が第1次報告を論議、「働き方を変える、日本を変える」 ―《ワークライフバランス憲章》の策定―という報告案を、確認したようです。
労働市場改革へ「行動指針」策定 経財諮問会議(北海道新聞)政府は六日、経済財政諮問会議を開き、労働市場改革で「ワークライフバランス(仕事と生活の調和)」の実現に向け、政府の政策的な方針を示す「行動指針」を策定することで合意した。一方、ハローワーク(公共職業安定所)事業の民間開放は意見が分かれ、結論は先送りされた。
諮問会議に設置された労働市場改革専門調査会が、女性の就業率向上や労働時間短縮などについて数値目標を盛り込んだ第一次報告を諮問会議に提示。「行動指針」は、調査会の第一次報告などを参考に基本的な考え方をまとめる。政府が六月に策定する「骨太の方針二○○七」に盛り込む方針だ。 …
報告案の原文がすでにアップされています。
http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/07/item1.pdfでPDFファイルが開きます。
沖縄では、こんなことが起こっている。
米公文書によって、一九九六年十二月の日米特別行動委員会(SACO)最終報告草案で、日米両政府が米海兵隊の垂直離着陸機MV22オスプレイの米軍普天間飛行場代替施設への配備を明記していたことが分かったというのだ。最終的に日本政府の反対で削除されたが、オスプレイの沖縄配備は九六年当時から「既定路線」だったというわけだ。そもそも、米国防総省は昨年、海兵隊の次期主力機であるオスプレイの沖縄配備計画を明らかにしているが、いずれにしても「配備計画は聞いていない」と繰り返してきた政府説明がうそだったことがはっきりした。結局、普天間移設は、当初からオスプレイの配備を前提にした計画だったということにほかならない。
周知のようにオスプレイは、事故が続き安全性が疑問視されている。しかし、垂直離着陸と固定翼機の利点である長い航続距離や高速が両立されるというものだけに、開発の計画は決して中止されることがなく、現在もすすめられている。そんな、高性能で、攻撃型の、兵器でもある。
一九九九年には、河野洋平外相(当時)が「具体的な(配備)予定はないとの回答を(米側から)受けている」とまでいっていたのだ。
米軍再編が、沖縄の負担軽減であるという口実のウソが、F22の配備につづきまた明らかになったといえる。大事なことは、隠される。だからこそ、常に監視の目を緩めてはいけないのだ。
読売の世論調査に見られるような国民の憲法意識に対して、自民党の改憲派はかなり危機感をもっているのだと思われる。その自民党は、改憲国民運動推進本部を新たに設置し、本部長に安倍晋三首相が就任予定だという。改憲世論の盛り上げをはかる国民運動を展開する方針だという。
このことに関して中川秀直幹事長が先月、自民党議員の会合で、四月中に党主催の改憲大集会を開催するとのべている。中川氏はまた、改憲運動団体として自民党議員を中心につくる自主憲法期成議員同盟(会長・中曽根康弘元首相)へ自ら再加入したと明らかにし、「自主憲法はわが党の立党の原点だから、(自民党衆参議員)全員に入ってもらうように私からお願いする」と言っている。
その自民党などの議員でつくる自主憲法期成議員同盟は、新しい憲法をつくる議員同盟という別称もつくって、活発な活動をすすめようとしている。この同議員同盟は今年一月に中曽根元首相を会長に迎え入れ、(1)憲法改正草案の検討(2)改憲実現の手順・工程の研究(3)各党との連携協力(4)国民的な運動の展開―を柱に新たな組織化方針で活動強化をはかっている。「9条の会」に対抗する改憲運動をめざすというのだ。
この改憲だけを目的にかかげる自主憲法期成議員同盟は、一九五五年七月に旗揚げした老舗の組織で、岸信介元首相(安倍晋三首相の祖父)が八七年死去するまで会長を務めましたという代物。安倍首相の思い入れもある組織だと考えられる。
実際に、5日には、中曽根氏が安倍首相を訪れ、議員連盟の活動を報告し、側面的な支援を要請している。改憲派の焦りは明らかだが、同時に、手続き法の強行突破という事態の前に、こうした動きは注視しておく必要があると言える。
読売新聞が、憲法意識の世論調査の結果を発表した。この調査については、昨年も、一昨年も、書きました。
http://ono-blog.cocolog-nifty.com/sikou/2005/04/post_c652.html
http://ono-blog.cocolog-nifty.com/sikou/2006/04/post_c4ad.html
改憲を掲げる新聞の世論調査ですから、慎重な検討が必要です。まず、WEB版の記事から。
憲法「改正」賛成46%、3年連続で減少…読売調査(読売新聞)読売新聞社が3月17、18の両日に実施した憲法に関する全国世論調査(面接方式)によると、憲法を「改正する方がよい」は46%で、「改正しない方がよい」は39%だった。
1993年以来15年連続で、改正派が非改正派を上回った。
ただ、改正派は昨年調査に比べて9ポイント減り、3年連続で減少した。非改正派は昨年比7ポイント増えた。
憲法改正については、安倍首相が強い意欲を示し、改正手続きを定めた国民投票法案が今国会で審議されている。憲法改正が現実味を帯びてきたことで、これまでの改正賛成派の中に改正の動きを慎重に見守りたいとする人が出てきていると見られる。……
これだけでも、重要な内容だ。しかし、さらに詳しく見てみると
憲法9条についての質問では、「解釈や運用で対応するのは限界なので、改正する」「これまで通り、解釈や運用で対応する」がともに36%、「9条を厳密に守り、解釈や運用では対応しない」は20%で、9条を「改正」しないという意見が、56%になる。昨年が53・5%、一昨年の45・7%なのでより増加していることになる。
9条のうち、戦争放棄をうたった第1項については、改正の必要が「ない」が80%。戦力不保持をうたった第2項は、改正の必要が「ない」が54%。これも、昨年が1、2項もと「改正」の必要なしが、41%に比して、大幅に増加している。
「集団的自衛権」に関しては、「これまで通り、使えなくてよい」が50%。「憲法を改正して、使えるようにする」「憲法の解釈を変更して、使えるようにする」は各21%。
施行60年を迎える憲法のこれまでの役割を「評価している」は、「大いに」「多少は」を合わせて85%、「評価していない」は計10%。
きわめて、貴重な内容になっている。その意識を無視してまで改憲に踏み込むのが安倍内閣である。そのことをしっかり議論されなければならないと思う。
いよいよ今月24日には、全国学力テストが実施されます。多方面からの批判に対して、文部科学省が、次のような事務連絡を出しました。
平成19年度全国学力・学習状況調査における個人情報等の取扱について (pdfファイルです)
わざわざHPで
全国学力・学習状況調査は、文部科学省が実施主体となって、学校の設置管理者である都道府県教育委員会、市町村教育委員会等を参加主体として実施します。問題作成、採点基準の作成についても文部科学省の責任で実施しますが、調査のうち一部の業務(調査問題の発送・回収、調査結果の採点・集計、教育委員会及び学校等への提供作業等)については、確実な業務遂行、迅速かつ客観的な採点の実施、学校等への負担軽減等の観点から、民間機関(小学校事業:株式会社ベネッセコーポレーション、中学校事業:株式会社エヌ・ティ・ティ・データ)に委託することとしています。
委託先における個人情報にかかる安全確保の措置等については、個人情報保護に関する法令の要請を受け、万全の対策を求めております。
また、委託先との契約書においても、個人情報や機密情報について厳重な取扱を定めております。
と弁解する始末。
さて、教育基本法改正情報センターでも元気だった愛知の人たちが「全国学力テスト110番」というブログを開設しました。
アドレスは、http://blog.goo.ne.jp/gakute110/
です。
今日の朝日新聞にシネカノン代表の李鳳宇(り・ぼんう)さんが、いまの邦画人気について、一文を載せていた。とても印象的な文章だった。そういえば、先日、「しんぶん赤旗」で、山田和夫さんと対談していて、それも面白かった。
李さんの文章は、ぜひ、朝日の紙面で読んでほしいのだけど。李さんは「映画文化がいい方向に進んでいる実感はもてない」という。原作が優先され、テレビ局や配給会社が参加し、俳優、主題歌を決め、最後に監督を決める。監督の顔が見えなくなったといっている。ありえないような娯楽的な映画が、極端に増え、よくねられた脚本、監督の哲学に裏打ちされた世界が見えないという。それは若い世代に目を向けすぎ、本を良く読み物事をよく知っている世代を映画館に呼び戻すことをしていないという。映画館がテレビになってはいけないと李さんはいう。「日本に映画はあるけど、映画文化はない」という批判を受けかねないという、李さんの指摘は同感である。
さてさて、李さんプロデュースの「パッチギ!LOVE&PEACE」。見に行きたいですね。
今日の北海道新聞の記事から
集団的自衛権で有識者会議 解釈見直し、今月中に設置(北海道新聞)政府は五日、集団的自衛権の憲法解釈を見直す具体例の研究について有識者会議を設置する方針を固めた。安倍晋三首相が就任直後からこの研究に取り組む意向を示しており、自らの自民党総裁任期中に、現行憲法の下でも可能な武力行使の類型を提示する意向だ。
有識者会議は月内にも設置し、五月の大型連休明けに初会合を開く方向。
座長に柳井俊二前駐米大使、委員に国連代表部次席大使を務めた北岡伸一東大教授、外交評論家の岡崎久彦氏らの起用が取りざたされている。
首相は昨年九月の所信表明演説で「日米同盟がより効果的に機能し、平和が維持されるようにする」として、集団的自衛権の行使を違憲とする現行の政府解釈を前提としながらも、個別的自衛権の範囲で可能な具体例の研究に着手する方針を表明している。
具体的には、北朝鮮から米国へ発射されたミサイルを日本が迎撃できるかどうかや、公海上で米艦船が攻撃された場合の海上自衛隊艦船の反撃などが想定されている。 …
座長に柳井氏って、ちょうど本を読んでいたから驚いた。これって出来レース。柳井氏は、国連憲章や憲法の理念などそっちのけで、武力行使や武力での威嚇を、集団的自衛権の解釈にすり替えて、90年代に強引に海外派兵をおしすすめた張本人。アメリカの意向をくんで、きわめて政治的な役割をはたしてきた官僚だ。答えが先になるというのは、経済財政諮問会議などとも同じ手法だろう。
集団的自衛権の見直しという問題もきわめて危険な位置にある。
今日のNHKクローズアップ現代で、いのちの授業で有名な、金森先生の最後の授業をとりあげていた。数年前のNHKスペシャルの中身を前提にしたような番組だったので、これを見ただけで、どれだけ伝わるか、わかならいけど、わずかな時間からも、伝わることはたくさんあった。子どもたちのつながりを大切にする金森先生の授業。それを支えているのは、技術だということではなく先生の子ども観であり、教育観であると思う。それは、まちがいなく教育再生会議の対極にある。
もう1つ。たくさんの先生たちが、金森先生の授業の見学にきていた。授業研究というのは日本の教師の良き伝統だと思う。まだ日本の学校は、すてたもんじゃない。
この金森先生のことを実は、そんなに知っているわけではない。日生連の先生というレベル。さっそく、角川文庫の『いのちの教科書』を帰りに買って、電車のなかで少し読む。最初から泣かせる。感想はまた後日。
いじめや子どもの自殺が全国各地で相次ぐ中、子ども一人一人に向き合い、その声や心に耳を澄ませる「いのちの授業」を実践してきた名物教諭、金森俊朗さん(60)が、3月末、定年退職を迎え38年間に渡る教員生活を終えた。金森さんが長年こだわってきたのは、心に秘めた正直な気持ちを「手紙ノート」に綴り、伝え合うことで仲間とのつながりを子ども自身が実感すること。さらに、死と向き合った難病患者や妊産婦などと接する機会を作り、命の大切さを伝えること。その取り組みは全国の教育関係者から大きな注目を集め続けてきた。番組では、金森学級の最後の1ヶ月に密着。金森さんと子どもたちの対話の中から、子どもとどう向き合えばいいのか、今問われ続けている教育現場に、どんなメッセージを残してゆくのか見つめる。
先日ブログでエントリーした、沖縄戦における集団自死の記述の、検定による改変。これに対して、その理由とされた裁判の被告とされている大江さんたちが抗議文を発表しました。
「集団自決」検定に抗議 岩波書店と大江健三郎さん(中国新聞)
三月三十日に公表された高校教科書の検定で、沖縄戦の集団自決に関し、日本軍の「強制」の記述が削除されたことについて、当時の日本軍指揮官と民事訴訟で係争中の岩波書店、作家の大江健三郎さんが四日、連名で「元指揮官側の主張のみを取り上げて教科書の記述を修正させる理由としたことは遺憾で、強く抗議する」との声明を発表した。
抗議文は伊吹文明文部科学相に郵送する。
……
以下が抗議声明の原文です。
沖縄「集団自決」に関わる06年度教科書検定に抗議する 文部科学省が3月30日に公表した06年度の教科書検定で、沖縄戦において発生した「集団自決」について、「日本軍に強制された」という内容を修正させたことが明らかになった。 その理由のひとつとして、05年に、沖縄戦時座間味島守備隊長であった梅沢裕および渡嘉敷島守備隊長であった故赤松嘉次の遺族によって、岩波書店及び大江健三郎が名誉毀損で訴えられていること、その中で原告が隊長命令はなかったと主張していることが挙げられている。また、「文科省が参考にした集団自決に関する主な著作等」の中には「沖縄集団自決冤罪訴訟」という項目がある(この「冤罪訴訟」という言葉は原告側の支援者の呼び方であり、中立・公正であるべき行政の姿勢を著しく逸脱するものである)。 しかし、 (1)訴訟は現在大阪地裁において継続中であり、証人の尋問さえ行なわれておらず、 (2)岩波書店及び大江健三郎は、座間味島及び渡嘉敷島における「集団自決」において、①「軍(隊長)の命令」があったことは多数の文献によって示されている、②当時の第32軍は「軍官民共生共死」方針をとり、住民の多くを戦争に動員し、捕虜になることを許さず、あらかじめ手榴弾を渡し、「いざとなれば自決せよ」などと指示していた、つまり慶良間諸島における「集団自決」は日本軍の指示や強制によってなされた、として全面的に争っており、さらに、 (3)「集団自決」をした住民たちが「軍(隊長)の命令があった」と認識していたことは、原告側も認めている。 文部科学省が「集団自決」裁判を参照するのであれば、被告の主張・立証をも検討するのが当然であるところ、原告側の主張のみを取り上げて教科書の記述を修正させる理由としたことは、誠に遺憾であり、強く抗議するものである。 2007年4月4日 (株)岩波書店 大江健三郎 沖縄「集団自決」訴訟被告弁護団 文部科学大臣 伊吹文明殿
8日の投票日が終われば、国会は、改憲手続き法の重要な山場を迎えます。十分な審議がなされないままで、改憲に直結するこの法案の強行を許すことはできません。
インターネット上では、改憲国民投票法案情報センターが開設されています。
アドレスは、http://web.mac.com/volksabstimmung/iWeb/Welcome/E627A129-F133-48C1-A616-F100DA89AB59/2BFB1515-7E5D-4ACB-BE28-4911610F2B23.htmlです。
まずは、情報をしっかりつかんで、行動を広げなければなりません。
憲法ができて60年。改憲をめぐって重大な局面が続いている。この改憲の山の起点は、いうまでもなく90年代の「普通の国」という議論からはじまる。朝日の『論座』が、「90年代の証言」というのを刊行していていて、このシリーズは興味深く読んでいる。1冊目の小沢
のインタビューも、それほど目新しいものがあったわけではないが、それでも、彼の改憲論の特徴をよくつかめる一冊だった。
今回、柳井俊二元外務事務次官のインタビューが刊行されたが、これが興味深い。小沢のそれを含め、改憲論を(正確には自衛隊の海外派兵)を外務官僚がリードしたさまがよくわかる。国連の名での武力行使や、後方支援なら派兵は可能という論理を生み出したのが外務官僚なのだ。もちろん、この外務官僚の裏には、アメリカとの強い関係がある。
まだ、最初の2章ぐらい。読み終えたら再び感想を書くつもり。
今日、埼玉ではこんな一幕があった。
「自衛官は、人殺しの練習をしている」 上田・埼玉知事(朝日新聞) 2日行われた埼玉県の新規採用職員の就任式で上田清司知事が「自衛官は人殺しの練習をしている」と発言し、後に「適切ではなかった」と釈明する一幕があった。 発言は県庁職員としてのやりがいなど、使命感について触れた場面であった。「自衛官の人は、平和を守るために人殺しの練習をしている。警察官も、県民の生命や財産を守るために、人を痛めつける練習をする。だから我々は『偉い』と言って褒めたたえなければならない」と話した。 ……
上田知事は式の後で、「適切ではなかった」と言っているそうですが。
さて、この発言の問題は何かです。 「自衛官は、人殺しの練習をしている」というのは、一面として(実態として)は、当たっているということができるでしょう。しかし、自衛隊という組織が、「人殺しの練習」をするということは、法律のうえからがありえない話でもあるのです。なぜなら、日本は憲法上、交戦権がありません。したがって、自衛隊員による武器の使用ということも、自身の身を守るということに限定することを含め、2重3重の規制がこれまでかけられてきたわけです。それは、イラクにおける自衛隊の活動を見てもわかることですし、ましてや、イラク以外の自衛隊の海外での活動は多くの場合は丸腰です。それが、近年、アメリカ軍と一体となった活動が広がるなかで、武器使用の基準の緩和がおしすすめられようとしているのです。昨年、自衛隊法が「改正」されましたが、この時期に、部隊行動基準(ROE=海外では交戦基準という)の改定をしています。この流れの裏には、憲法「改正」で、自衛隊を「軍隊」にしようということがあるのは言うまでもありません。
つまり、「人殺しの練習をしている」というのは、自衛隊が「軍隊」であるということを認めよと言うことでもあるのです。あからさまに、改憲を主張するに等しい発言として、批判されなければならないと、私は思います。
山本薩夫による映画版である。つれ合いからのリクエストもあり、借りてきて見た。なにしろ3時間を超える大作であり、一日では見る時間はなかったけど、何日かにわけで、見た。けれど、飽きさせない面白さがある。
オールキャストの、豪華な俳優陣だけど、それがうまく配置されている。役者の一つの言葉が、印象に残る。テレビのヴァージョンとちがって、登場人物の葛藤や考えが、一言の言葉で表現され、見るものに伝わってくる、そんな緊張感が心地よい。
テレビの作品の最大の失敗は、主人公を、長男の鉄平にしたことにあると思う。それが、主題を隠し、何か人間関係を軸としたドラマにしてしまった。一方、映画は、大作を軸に、政界までも配置して、この「一族」の物語に奥行きをつくっている。主人公の圧倒的な存在感、政界もふくめ、闇の深さ、そして、登場人物の葛藤――たとえば銀平の台詞はすくないが、終盤の「僕がかわりに死ねば良かった」の一言で表現されている(テレビではあれだけ長く登場させたのに)。
キムタクファンのつれ合いもずいぶん満足していました。おもしろかったです。
経済財政諮問会議で、八代議員が、あらためて「労働ビッグバン」をふちあげて、その議論をすすめてきた労働市場改革専門調査会の第一次報告の骨子案が、経済財政諮問会議のHPにアップされています。規制緩和の核心的な部分とも言えるのが労働の規制緩和。それがどこに向かおうとしているのかが伺えます。
http://www.keizai-shimon.go.jp/special/work/06/item1.pdf
はじめにで、「第1 次報告は、働き手の視点から日本の働き方の現状を検討し、10年後に目指すべき労働市場の姿を描くととともに、若年、女性、高齢者の就業率向上、労働時間の短縮、ワークライフバランスの実現に焦点を絞ってとりまとめる。残された課題については、今後議論を重ねたうえで、速やかに第2次報告を取りまとめる予定」というわけですが、内容を見ていると、「働き方を巡る環境変化」として、グローバル化と少子化を強調しています。つまり、経済の発展のなかで、現在の「規制緩和」はいわば、宿命で、経済発展のなかでの「壁」をうち破ることこそが、問題解決のポイントなのだという主張です。結局、そこから導き出されるのは、「働き方の多様化」であり、そのための「ワークライフバランス」にすぎません。ここからは、雇う側の、利潤の追求のためにすすめる「労働の流動化」「非正規雇用の拡大の背景」は、どこかに追いやられてしまっています。「ワークライフバランス」だとか、「働き方の多様化」の美名に隠された、「規制緩和」が、「働く」ということをどこにもっていこうとしているのか。しっかりした、議論が必要だと、つくずく痛感します。
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