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2007/03/19

日本での戦争記憶の語られ方

 朝日新聞の読者のコーナーで「戦争体験を語り継ぐ」という企画が行われている。そこで、違和感を感じざるをえないのが、すべてが日本での空襲などの体験のみが、語られているということだ。いわば戦争被害の体験の継承である。それが、問題だというつもりはない。むしろ、被害としての戦争体験の継承は、日本の平和意識を形成するうえでも、重要な役割をはたしてきたし、現在でもそのことについては変わりはない。しかし、なぜ加害の体験が語られないのであろうか。
 もちろん、加害の事実は、多数の陣中日記などの書かれた資料をふくめ、たくさんの貴重な資料がある。被害者による告発も現在では、多数蓄積されている。ほぼ全容が明らかになった事件も多数存在する。しかし、とりわけ、中国戦線には、多数の兵士が動員されているにもかかわらず、その体験を語る兵士はあまりにも少ない。そこには、語ることを躊躇わざるを得なかった事情も推測される。
 ドイツとちがい、隣国からその罪を裁くことを継続的には強いられなかったという、国際環境の違いは大きい。だからこそ、残された資料から、日本の国民がその大変を再構築することが求められていると言えるのではないのか。
 しかし、残念ながら、この国では、そうした資料や、資料発掘をすすめた歴史学の成果を無視する傾向も存在する。たとえば、歴史研究者などの努力で膨大に発掘された資料よりも、いわば素人の書いた雑文をに依拠した議論を平気でおこなう人もいる。歴史を向き合うと言うことは、まず、残された資料と証言に向き合うことからはじまる。私たちは、その事実に向き合うことから、戦争の記憶の継承をはじめるべきだと思うのだが。

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