日本のこれから いじめ
NHKで今日、放送された「日本のこれから いじめ」という番組を見ました(最初の30分ほどは見られなかったのですが)。なかなか、面白かったというのが半分と、もう一歩深まりきれなかったというのが半分です。深まりきらなかったのは、最後に子どもたちがいっていた言葉に表されているけれども、なぜ子どもの声を軸に考えなかったのかということ。とくに、いじめている子どもの苦しみや病理、いったい子どもの世界に何がおこっているのかについて、子どもの声をよく聞いて入り込まなかったこと。
ただ、番組を見ていて、なんだかんだいって、やっぱり学校や教師に対しての期待は、少なくとも当事者には小さくないこと。全体として、誠実で真剣な議論がなされていたこと。教育再生会議バリのゼロトレランスや強い処罰を求める意見もあったけど、全体としてはそういう方向に向かわなかった。もう少し、ひろい意見も聞きたいとも思った。
真剣な議論の積み重ねの中で、豊かな教育的な合意ができればと願いばかりである。
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この番組は僕も途中から見ました。が 結論から言えば「いじめを許さない集団づくり」が大切だと考えます。以前は同和教育で「差別を許さない集団づくり」ということで クラスの中で立場の弱い子どもに視点をあてた教育をどう進めるか職場や職員会議で良く論議したものでした。しかし90年代後半からそうした論議がなくなりかわって出てきたのが「個性を重視した教育観」「子どもたちに生きる力をという教育観」が上から注入されてきたように思います。そして、教育の「新自由主義化」で子どもたちも教師も一層バラバラにされ「競争」の中に投げ込まれていくことで「いじめ」「不登校」などがつくられてきたように感じます。20年前の中曽根教育「臨調」が事の始まりではなかったのかな なんて思ってしまいます。教育の場に「連帯」と「共同」をつくり出さなくては 一層困難な教育現場になるような気がします。今の僕の経験から「いじめ」については、「処罰」的な発想では解決できないけれど、「出席停止」のようなきびしい対応も必要かも…(残念ながら現場教師の力のなさ)とも思います。実際解決が非常に困難です。現場教師も容認してしまうこともあります。「いじめ」を「いじめ」と考えないことで無難に学級経営をする。また、取り上げてトラブルが表面化して親も出てくるようになれば、教師評価に関わることから正面から取り上げることを逃げることだってあるのです。もちろん職員会議では論議がしにくいし、形式的な話にしかなりません。とにかく「真剣な議論の積み重ね」ができる職場と学校づくりの形成が大切だと思います。そこでこそ「子どもに向かった」豊かな合意が出来るはずです。
投稿: yasu | 2007/03/04 18:22
そう、教育の現場に「連帯」と「共同」ですね。やはり、子どもの発達する権利の第一の擁護者で学校はあってほしいと思います。「出席停止」も、その視点をつらぬくことを大事にしてほしいですね。教育再生会議の突出した議論に対して、学校を中心に、ねばりづよく議論がすすめばと思います。
投稿: YOU→yasu | 2007/03/07 23:56