教育3法案 中教審答申を読む(そのⅠ)
中教審答申「教育基本法の改正を受けて緊急に必要とされる教育制度の改正について」を、少していねいに読んでみました。結構、矛盾に満ちた、面白い内容です。
「総論」では、教育3法案の必要性をのべているわけですが、そのなかでも、教師について、「教育の成否は教員にかかっている」と言っているところが注目されます。全体として、教員を縛り、管理・統制を強めると言うことを特徴としているのですが、結局、教育を語る限り、その教員の専門性に依拠しなければならないということを示しているのです。ここには、いますすめようとする「教育改革」に内在する矛盾が最も示されているということができるのではないでしょうか。
さて、まず「学校教育法」の「改正」案です。ここでは、「改正」教育基本法の第2条にもつこんだ徳目なるものを、とりわけ義務教育の「目標」に、流し込むことが最大の目的とされています。教育基本法が、法的には、学校教育法などの上位法とは言えないものであるだけに、あらためて、憲法や子どもの権利条約という上位法にもとづいて吟味し直す必要があるのは、言うまでもありません。
そのうえで、学校教育法のなかでは、「評価」と「情報」の発信が強調されていることが注目されます。
この「評価」と「情報」については、『教育』05年10月号で、久冨善之さんが、「評価はなぜ特権化するのか」のなかで、強調されている特徴点が、参考になります。
①、個々の子どもの到達を評価して、その子どもを励まし、教育者側の反省ともする教育評価よりも、教師・学校・教育委員会をその外側から評価することに重点が移動している。共通学力テストの結果もそのために利用される。
②、そうした評価結果は、教師への差のある給与や処遇、学校への格付けや差のある予算配分などにすでに使われている例もあり、また使われていないケースでも、今後も使われないとの断言は難しい。
③、教師や学校に任されていた「教育活動の反省的評価」に関して、その統制権・評価権が外部に確立し、「反省的自己評価」が外から強要され、公開が迫られ、それがチェックされて、さらにより上位の外部評価がそれにかぶさって来る。
この指摘に被さるように、今度の「改正」では、教員を「副校長」「主幹」「指導教諭」などにランク付けし、待遇のうえで格差をつけることも提案されています。
ただ、久冨さんも指摘するように、学校における教育活動が、父母などから見えないことが、こうした「評価」「情報の発信」について、一定の共感をよぶ素地になっているだけに、「改革」のいう「評価」「情報の発信」ではない、あり方の提示がもとめられていることも事実だとは思います。
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