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2007/02/28

3.1独立運動の鎮圧を詳述 朝鮮軍司令官の史料発見(朝日新聞)

今日の朝日の一面トップです。

3.1独立運動の鎮圧を詳述 朝鮮軍司令官の史料発見(朝日新聞)
 日本統治下の朝鮮で1919年に起こった3.1独立運動の際に朝鮮軍司令官だった宇都宮太郎大将(1861~1922)の15年分の日記など、大量の史料が見つかった。独立運動への鎮圧の実態や、民族運動家らに対する懐柔などが詳細に記されている。宇都宮は主に情報収集を任務とし、日露戦争前後に英国で世論工作に携わったほか、辛亥革命では三菱財閥から活動費10万円を提供させ、中国での情報工作費にあてた。旧軍の対外情報活動をはじめ、日本のアジア政策の裏面史を含む貴重な記録といえそうだ。…

 日本の残虐な植民地支配をめぐる葛藤というか相克というか。実際がよくわかります。おそらく、これ以降、より、日本軍の残虐さは、国際法の流れも無視し、残虐になっていったのでしょう。こうした葛藤の側面を見ることで、歴史の流れの中で、ものごとを見られるようにも思います。日本における歴史認識を豊かにしていく上でも大事な、資料だと思います。
 同時に、注目すべきは、戦前の情報活動なるもの。
 機会があれば、読んでみたいものですね。

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朝日の記事の続きです。

 3.1独立運動が朝鮮全土に拡大し、朝鮮軍などが鎮圧する中で19年4月15日、「堤岩里事件」が起こった。宇都宮日記によれば、ソウル南方で日本兵が約30人を教会に閉じこめ虐殺、放火。宇都宮の知らぬ間に発生した事件だったが、朝鮮軍は発表で虐殺や放火を否認する。そこに至る経緯が日記に詳しい。  「事実を事実として処分すれば尤(もっと)も単簡なれども」「虐殺、放火を自認することと為(な)り、帝国の立場は甚(はなはだ)しく不利益」となるため、幹部との協議で「抵抗したるを以(もっ)て殺戮(さつりく)したるものとして虐殺放火等は認めざることに決し、夜十二時散会す」(4月18日)。翌19日、関与した中尉を「鎮圧の方法手段に適当ならざる所ありとして三十日間の重謹慎を命ずることに略(ほぼ)決心」。実際、30日間の重謹慎処分となった。  独立運動が始まった当初、宇都宮は従来の「武断政治」的な統治策を批判し、朝鮮人の「怨嗟(えんさ)動揺は自然」と日記に記した。そして、後の「文化政治」の先取りともいえる様々な懐柔工作を行った。朝鮮人の民族運動家や宗教者らと会い、情報収集や意見交換に努めたことが日記から分かる。  日記以外の史料は、書簡5000通、書類2000点など。日露戦争期に英国公使館付武官だった時に、ロシアの革命派らを支援して戦争を有利に導こうとする「明石工作」を、資金面で支えたことを示す小切手帳もあった。  これら多様な史料によると、宇都宮は英国で対ロシア包囲網を作るため、新聞に英軍改革を求める投書を匿名で出すなどの活動をした。また、辛亥革命時は海外情報・諜報(ちょうほう)担当の参謀本部第2部長だったが、政府方針に反して孫文らを援助。日記によれば、三菱財閥の当主・岩崎久弥に革命派への工作費10万円の提供を要請して受け入れられ、軍人らを派遣して革命拡大を図り、中国内の分裂を目指した。  宇都宮の長男は、軍縮問題や対アジア外交への取り組みで知られた故・宇都宮徳馬参院議員。日記は「日本陸軍とアジア政策 陸軍大将宇都宮太郎日記」(全3巻)として4月以降、岩波書店から刊行される。

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