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2006/10/22

伏竜特攻像

 私が、遊就館に行って、いちばん衝撃をうけたものの1つに、伏竜特攻像というものがあります。
 その碑文には次のようにあります。

 太平洋戦争末期、連合軍の本土上陸作戦迎撃のため十六・七歳の若人を以って伏竜特攻隊が編成された。簡易潜水器、竹竿の先端の五式撃雷(通称、棒機雷)により、頭上の敵上陸用舟艇群に体当りする苛烈な訓練を重ね、多くの殉職者を出した。…

 これって、どういうものか想像できますか? 簡易のアクアラングみたいなもを着想して、爆弾を竹槍の先につけて、敵艦に突撃するというものです。驚くべき究極の特攻です。浮き上がらないように、かなり重い装備をつけて海に入るわけで、実際には、訓練中、海のなかで倒れて、起きあがれず溺死したり、器具の不備のため相当数の人が死んだそうです。実戦投入されることもなく終戦を迎えたそうです。歴史研究者の岩井忠熊先生のお兄さんもこの訓練に参加した経験があるそうです。
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 遊就館の一階にひっそりと飾られているのですが、これこそが、日本の戦争が、いかに兵士の命というものを軽いものと考えていたかを示しているように思えてなりません。そう思って、いっしょにいった若者たちには、いつもこの像は、しっかり紹介するようにしています。みんな、おどろきます。
 東京新聞の(私より)若い記者が、『人間機雷「伏竜」特攻隊』という本を出しています。
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コメント

じつは 私は かつて伏見で岩井先生の息子さんと一緒に …。懐かしいな。この間「出口のない海」を見ました。とても考えさせられる映画でした。

投稿: yasu | 2006/10/23 00:15

 岩井先生の息子さんは、私も学生時代、仲良くしていましたよ。同一人物なのか? 兄弟がいたのか? 私の知る彼は、その後某病院に就職して、そこで、看護師さんと結婚して、その後は、連絡をとってませんが。口から先に生まれたような、懐かしい友です(笑い)。

投稿: YOU→yasu | 2006/10/24 00:03

彼とは、一緒に 少し活動していました。私より後輩で…。ただ岩井先生の息子だと聞いて とても印象に残っていました。YOUさんとは ひょっとすると 伏見 のどこかで あっていたかもしれませんね。ちょうど 市田委員長が いてたあの頃のことです。わたしは、その後 共同作業所づくり・体操クラブなど…。

投稿: yasu | 2006/10/29 18:28

 何か同一人物そうですね。私は岩井くんとは、東山七条の、某青年の組織でいっしょでした。私の20前後のころは、主要な活動場所は、左京区であったり、上京区であったり、北区であったりというところです。その後、22歳のころから、南区とか伏見区とかにも出没するようになりましたけど。今、伏見の委員長をやっている団野くんなんかは、よく知っていますが。市田さんと面識があるのは、府の委員長をされているころ以降かな。

投稿: YOU→yasu | 2006/11/01 00:22

たぶん ぼくも 東山七条には 時々行ったりしました。当時 増田さんにご指導されたこともあったり…。でも うれしいですよ。市田さんが 頑張っている姿をいつもテレビで見て励まされています。ぼくのようなものでも メールを出すと ていねいに 返事をくれたのですよ。ハートのある ひとですね。当時 夜遅くビラを刷っていると いつも 声をかけてくれました。

投稿: yasu | 2006/11/03 10:24

 わあ、なつかしまっさんの名前。ずいぶんあってないなあ。けど、ずいぶんお世話になったですねえ。

投稿: YOU→yasu | 2006/11/09 23:40

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