再びいじめについて
LEE JI HOONくんから、韓国のいじめについてのコメントをいただきました。JI HOONくんの質問に答える形で、今日は、エントリーをしたいと思います。以前にも書いたと思いますが、自分の子どもたちを見ていても、以前の”いじめ”とは何か様相が変わってきているような感じを受けています。中西新太郎さんの議論などを参考に、自分なりに描いてみれば、子どもたちの価値観が、学校的な価値や家庭を基礎にしたような価値と違う、子どもをターゲットにした商業主義的な価値観や、メディアによる価値観に大きく左右されるようになっているということがあります。そこでは、あまり人間を大切にするような価値観が重要視されずに、人間の尊厳がいわば軽く扱われる。たとえば、日本のバラエティ番組などは、人間を尊厳をふみにじるようなひどい内容が氾濫しています。非人間的な大人社会のありような反映以外何ものではないのでしょうが、こうしたなかで、子どもたちは、身近な人間関係のなかでも、お互いの人間性を尊重し会うような関係を築くのがとてもむずかしくなっているということでしょうか。
いじめは世界のどこでもありようです。こうした日本の状況が、外国と共通するのか、そうでないのかは、まだよくわかりません。ただ、共通している面もあるようで、同時に、日本的なゆがみもあるような気もします。
もう1つ困難だなあと思うのが、いじめ事件がおきた後の問題です。この間の事件の学校の対応が異常であったことは否定のしようがありません。教育委員会の問題も、同じです。しかし、メディアとの関係も、むずかしいなと感じざるを得ません。もちろん、問題を正面から真面目にとらえ努力されている報道関係者もいます。真摯で有効なコメントを出されている専門家もいます。が、同時に、視聴率を気にして、センセーショナルに取り上げている番組もあるのです。
現場の先生にとっては、事件が明らかになったとき、被害者の人権を最優先で考えることは当然ですが、同時に、加害者や傍観者だった生徒にたいして教育的な対応が求められるのも事実です。単純な犯人探しや告発だけでは、問題は解決しません。しかし、メディアの目は、なかなかそういった問題に落ち着いた対応をする条件を与えてくれません。
もちろん、現実には隠蔽体質とよばれるような傾向も、生まれているのでしょうから、メディアの目は必ずしも否定するものではありません。が、同時に、教育的な空間を、どう保全するかということも重要です。何か答えのある問題ではないのかもしれませんが、むずかしいなと思います。いくつかの番組を見ていて、少し腹立たしくも思えるのも事実です。
最初に書いたように、子ども理解がむずかしくなっているだけに、この問題はつねに頭の中に入れて考えておきたいものです。それだけに、個々の学校での、学校・教員と父母や地域との連携の正念場とも言えるのかもしれません。はたして、その願いに学校がこたえることができるのか…。
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