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2006/08/18

教育におけるイマジネーション

 へんなタイトルですか? 今日は、全国教研にいってそんなことを感じていました。
 私のまわりには教師がたくさんいます。だから、なぜ、教師にとってかくもたいへんだ状態なのか、などをどうしても考えます。全国教研はそんなことを考えながら、いつも参加する「教育課程・教科書」の分科会に参加してきました。そして激しく感動したのが、ある関西の小学校の卒業生の子どもの権利章典という贈り物の実践です。これを、私の問題意識にひきよせて言えば、教育におけるイマジネーションです。報告者の先生に話をすると、「教育はいつもイマジネーション。話し合いのなかでイマジネーションがあるし、子どもがどんな反応するのかと」と。
 変な話ですが、先日「ゲド戦記」の話をしましたが、宮崎吾郎さんの映画もおもしろかったですが、駿監督と比較すると全然ちがいます。ドキドキ、ハラハラと物語に引き込み力がちがいます。そのイマジネーションの差ということを感じました。教育現場とは、直線的に同じでありませんが、子どもと教員がつくる文化的な空間としての教育の場に、そういったイマジネーションが発揮できるのかという問題がとても、ほんとうはいまの教育にとって大事なのではないのかと思うのです。それは、とりあえずが個人の感性にたよっている面もありますが、本来ならば、教育現場というところで、集団の力で、維持できる世界でもあると思います。そういった、生き生きした人間的な営みを学校に再生するために何が必要なのか、これだけ管理と競争が支配するなかでの答えのヒントをもらいなかが、考えています。
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