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2006/08/23

学生論にどう接近するのか

 つれ合いが、いま大学にも通ったりしています。そこで、研究室のありようをめぐって、さまざま事件もおこったりするようです。全国教研でも、小中高の受け手としての大学教育の実態も、一つの角度からの問題となりました。
 ある30代の研究者は、若い世代の右傾化について、危惧の念を語っていました。昨日の、朝日の特集にあるような指摘です。どうやら、ナショナリズムの昂進というのは1つの傾向として否定できないようにも思えます。が、同時に、若者の実際にそくして考えれば、もっと民主的な、広い視野での議論もできそうな要素もあります。何よりも、中国や韓国に反発するのも、共感するのも若者なのです。先日、政治教育という角度の議論をこのブロクでも紹介したこともありますが、「学力」という視点の一つの角度として、国民という規模で、教養の形成をどう考えるかは、もう少し、議論してみたい問題でもあります。一方で、雇用の不安定という実態のもとで。
 つれ合いの大学でも、どうしても学生の姿として問題になるのが、なかなか学ぶ主体になりきれない学生の姿です。実際の問題として、初等教育からの「負」の蓄積を、中等教育や高等教育がどう引き受けていくのかは、かなり重大な問題でもあるようです。
 私の前には、「長男」という、まあ、私の世代から見ればなかなか理解しがたい?子どもの姿があります(笑い)。彼らをどう励まし、いかに自立への道筋をともに考えていくのかも、私たちにとって、大きな課題でもあるんでしょうね。たくさんの宿題を、いつまでも宿題にしてはいけませんね。
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