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2006/03/12

学力をめぐる問題

47503216804750322733 久しぶりにここ数日、教育問題にとりくんだりしている。そこで、この『希望をつむぐ学力』と『日本の教育と基礎学力』という本を読んだりしている。前者の冒頭に、中山文相(当時)の発言が掲載されている。子どもたちに「社会に出たら厳しい競争の世界が待っている」ことを自覚させて、「なぜ勉強しなければならないか教える」「基本的なことをもっと徹底して教える」というものだ。文相は変わっても、政治のほうから教育行政に加わっている圧力はそう変化はないように見える。文部科学省との思惑の違いも見えてくる。PISAショックという言葉がある。OECDがおこなっている学力テストのことだが、その結果では日本の子どもの学力が低下しているのだ。そこから、いろいろな議論がおこり、先の文相の発言となり……。
 学力テストの比較では、慎重な検討が必要だ。何が学力問題を考えるとき必要なのか。東大の先生方による後者の本は、その意味では、研究者の主流の議論と言っていいんだろうが、現在のメディアの議論には批判的だ。いろいろ読んでいて、漠然と僕が思うことは、子どもにたいする見方がキーポイントになるんだと思う。子どもが主人公と言えば、それだけで論争的になってしまうんだろうけど、発達の主体たる子どもに即して考えるような子ども観が大事だと思おう。もう1つは、問題は教育のことを論じているんだから、それだけに教師の専門性というものをどう考えるのかが大事だと思う。「教育改革」というのは、いい意味でも、悪い意味でも、教師も専門性というのが、一つの焦点として議論されるべきだと思うから。
hikarikage さて現在の教育をめぐる議論のなかで、なかなか、焦点化されないんだけど、実は大きな問題がこの特別支援教育の問題だと思う。いまおこなわれている国会でも、この問題で学校教育法等の改正案が提案されている。
 LDやADHDなど発達障害と言われる、これまで障害児教育の対象とされてこなかった教育的ニーズをもつ子どもたちを対象とする教育の充実をはかるというが建前だ。ところが、なかなかいろいろな問題を含んで、この問題も展開している。あえて、教育の問題を大ざっぱに論じてしまえば、いろいろ目の前になる子どもたちの問題に向き合おうとしたとき、金は出さない、いやむしろ金を使わないような効率的な事業のすすめ方をしなさいというのが施策の出発点になる。しかし、教育は、人を育てるとりくみだ。効率という尺度でははかれない。ムダも、余裕も必要なものでもある。そこから、子どもたちの発達をはばむようなことが危惧される政策展開が実際には提起されることになる。発達支援学校で、はたしていまのように、重度の障害ある子どもたちの教育が守れるのか。ほんとうに学校で特別な教育的ニーズをもつ子どもたちが十分なケアがされるのか。こと教育のあり方の根本にかかわるような議論が、いまなされようとしているのでもある。

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