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2006/03/28

教育の自由をめぐって

 KATEKさんが、ブログで西原博史さんの『良心の自由と子どもの権利』の感想を書かれていたので、私も。いつもKATEKさんは、私のブログの紹介をしてくれるので恐縮してしまいます。
 さて、この本は、先日、紹介したもののまだ全部読み切ったわけではありません。が、半分ほど読んでいてどんな問題意識をもったかと言えば。西原さんの議論は、精緻だなあというのがまずもっての感想。私たちが、憲法や教育基本法の議論をするとき、陥りがちな、政治主義をみごとにひっくりがえしてくれています。法律論としては、隙のない、憲法や教育基本法「改正」論、蹂躙する議論の批判になっていると思います。
 西原さんの議論は、国民の教育論のもつ弱点への指摘にも言及しています。私自身、KATEKさんと同じように、堀尾・兼子=国民の教育論のもとで育った世代です。そんな人間からすると、この西原さんの教師の権力性についての指摘は、痛いところつくなあという印象をもちます。しかし、違和感もないわけではありません。必ずしも、堀尾教育法学の批判としてはかみ合っているとも思えない点もあるのです。たとえば、なぜ、堀尾教育法学は、教育の公共性を私事性の組織化としてとらえたのか。この議論のかみあいのなさは、もしかしたら、教育固有の条理をどうとらえるかだとか、子どもの学習権の根底としてとらえるべき発達権の理解にかかわるのかなあなどと思いながら読んでいます。
 教職員組合運動にきわめて近い位置で、その理論を発展させていった堀尾教育法学と、ややそこに距離をおく西原さんの議論という違いもあります。ある意味では、西原さんの議論にたいし、堀尾教育法学は、やや動的という言い方もできるかもしれません。逆に言えば、運動に寄り添ったときにおこる、視点の欠落を西原さんの議論は埋めているもかもしれません。それは、ここにきて、かさにかかって、押し寄せてきているきわめて反動的な憲法・教育基本法をないがしろにする議論に、必ずしも有効な、国民の心をとらえるような議論を構築できていない(?=ここまでいえば言い過ぎですね)国民の教育権の側の議論を飛躍させるヒントを提示してくれているような気もします。
 ここ数年、積み重ねられている国民の教育権にかかわる議論なども、西原さんの議論をきっかけにしっかり学んでみたいなあと思っていますが。

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コメント

私が通う教会の青年会の仲間が一人、今年から横浜市立の小学校の教師として、念願かなって採用されました。
ただ、不安なのは、かれが「思想信条」ゆえに、日の丸、君が代を、「職場」で強制されないかです。
東京都では、日の丸掲揚君が代斉唱の際、起立しない教員を懲戒処分にしています。

「日の丸、君が代」を歌わない教員は、怠慢から歌わないのではなく、2度と戦争を起こさない、そして国の指導者による、子どもの信仰の自由を奪う政策に反して、君が代を歌わない。優秀な教員たちです。
君が代を歌う教員は、愛国心があるか、長いものには巻かれろ、場当たり的で、教頭や公共に媚面う、子どもではなく、自分と自分の出世、上司の顔をうかがう教師と言っていいでしょう。

>天皇陛下の世の中は(神の国)
>千年も、八千年も(永遠に)
>細石が巨大な岩になりコケが生えるまで。
こんな歌、国家神道信者以外歌えません。
君が代の「君」が、もし「あなた、You」ったら、私は、声を大にして歌いたいです。

投稿: エクサ | 2006/03/29 02:23

 たくさんのコメントありがとうございます。平和のために、そして民主主義のために。やっぱり、いま、がんばらないと、と、つくずく思います。

投稿: YOU→エクサ | 2006/04/01 23:03

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