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2006/02/11

2・11集会

 今日は、午前中は、千葉松戸市で開催されていた集会に、午後からは、東京の星陵会館でおこなわれた集会に行ってきました。東京の集会は、かつて若いころ、渋谷の山手教会で行われていた頃に、直接運営にかかわっていたことがあります。それだけに思い入れもあり、毎年、参加するようにしています。
 さて、松戸の集会は、都留文科大の笠原十九司さんの講演です。日本と東アジアの市民が直接交流するようになった時代のもとでの、日本の政治がそれについていけず「過去の克服」という課題を追っていること、そのもとで新しい動きとしての3カ国での共通教材づくりの意味や内容について話されました。あいかわらず、情熱的なお話でした。
 昼からは、澤藤統一郎さんと吉田裕さんの講演。澤藤さんは、明治憲法下の信教の自由の構造が、神道は宗教ではなく、神社参拝は「臣民たるの義務」とされていたことにふれ、自民党の新憲法草案が、現在の日本国憲法20条をどのように変えようとしているのかを分析。三項の国、地方自治体の宗教行為の禁止について、77年の津地鎮祭最高裁判決の目的効果基準のうえにたってつくられていることを紹介。現在の動きについて、とくに、この20条が、ふたたび国家神道の復活を防ぐという意図、宗教的情念で国民精神を戦争遂行に動員することへの歯止めを目的としてつくられたということに、なるほど、と思いました。20条3項について、目的効果基準にたつにしても、歯止めになっていること、9条2項と同じように条文に書かれることによって、その歯止めはなくなるということなども興味深い指摘でした。憲法は、国民が政府をしばるものということはよくいわれることですが、国家と国民の関係を考えさせられた講演でした。
 吉田さんの話は現在のナショナリズムの特徴を解明、小泉首相の靖国参拝など攻撃的なナショナリズムの広がりにふれながら、実際には、伝統的なナショナリズムは退潮傾向にあることを指摘。国民の意識のうえでも天皇を中心としたナショナリズムは後退していること、靖国神社の崇敬奉賛会会員も減少傾向が止まらないことなどを紹介。対アジア外交が袋小路に入っているだけではなく、遊就館に代表される特異な歴史観(自存自衛の戦争)がアメリカやヨーロッパに知られるようになって欧米からも反発をまねいていると指摘しました。「保守派」のなかにも分岐が生じ、皇室典範改正問題や改憲問題もからみ、靖国問題は矛盾の焦点になっている、と指摘しました。小泉流のナショナリズムが、復古的な皇室の権威にもとづかない国家的な統合の強化にあること、そのあたりが皇室典範改正問題で復古派との分離と生んでいるとの指摘は、うなさせました。
 若者との共感関係を模索するのは吉田さんならでは、でした。

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