官邸主導
『官邸主導―小泉純一郎の革命』という本を読みました。正月に読み始めたので、ちょっと、時間がかかりました。90年代、細川内閣以後の、官邸主導の政治への模索をふりかえったものですが、同時代の歴史をふりかえることは十分刺激的で、いろいろ考えさせられることの多い一冊でした。
90年代以後の政治をふりかえると、長いスパンで考えたとき、自民党政治が貫いてきたことには、1つは財政再建、もう1つは規制緩和などによる産業構造の転換ということがあげられます。つまり、それまでの、公共事業と対米輸出のよる経済の拡大という路線が破綻し、一方でグローバルな経済の展開の中で、金融自由化に大きくふみだすという方向です。そのためには、それまでの族議員のルートでそうした経済界の要望を政治に反映するというシステムから、中心的な産業を核とした経済団体がその要求を直接、自民党=政権に反映させるシステムへの転換が求められたのだと思います。そのはじまりが小選挙区制であり、その後の2大政党制やマニフェスト政治の展開だったのですから、小泉首相によるコイズミ政治の展開はある種、必然性をもっていたことがよくわかります。
ただ、よくわかるのは、この政治の転換は、政権内部の、支配層のなかでの、権力争いという性格から出るというものではありません。重点が変わっただけで、財界奉仕、大企業奉仕の政治と言うことは純化されこそする、なんら変わりはないのです。だからこそ、この政治には大きな弱点があることがわかります。それは、政策的には、「構造改革」というものが、ごく限られた人の利益を代表するにすぎないからこそ生まれる脆弱性です。そして、官邸主導という方法ですすめたがゆえ、政策に国民の多くの利益が反映されないと言う弱点です。これまでは、族議員というルートで、まがりなりもに自民党は国民と接点をもち、その要求を一面としては反映するという面をもっていました。今の自民党は国民との接点が弱まろうとしています。マニフェストをかかげ、国民の審判を仰ぐというルートでしか国民とのむすびつきをもてない。自民党が、国民との多様なむすびつきをもって政策にその要求を反映するというシステムを見つけることができないでいるのです。今後も、自民党の支持基盤は解体していかざるをえないのです。案外、コイズミ政治というものは、脆くて弱いのです。そんなことを考えながら、この本を読んでいました(もちろんそんなことが書いてあるわけではありませんが)。
問題は、そんな「構造改革」の正体や、自民党政治の性格について、しっかり議論することだと思います。異常な政治なんですから。ただ、この本は、小泉さんの異常な外交やアメリカ追随の安全保障にはまったくふれられていません。トータルに、小泉政治までの流れを考えてみたいなとも思いました。
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