ブログのモラルと責任
五十嵐仁先生の「転成仁語」を読んでいて、「秘密結社・ひま党の機関紙」さんとのちょっとしたやりとりに、感心しました。ひま党さんが、五十嵐さんの新著『活憲』の簡単な批判的感想を書かれていて、それにたいして五十嵐さんが、ていねいなコメントをよせられて、その「この記述には、私も「落胆させられ」ました。批判するのであれば、せめてきちんと読むというのが、当然の作法であり、礼儀でしょう。「『書店の店頭でざっと流して読んだだけ』で、何が分かるというのでしょうか。その程度の認識で自衛隊や自衛官のあり方を論ずるということが、いかに不誠実で不真面目な態度であるか、お分かりにならないのでしょうか」という指摘にたいして、「適当に本を読んで発泡酒を片手に適当に書いた文章にこのような真摯な意見を頂いて恐縮するばかりです。確かにしっかり読み込んでから感想を書くべきであったかなと思いますな」としっかりした自己批判をされていることです。
かつてメーリングリストで、いろいろな議論をしていたころ、ちょくちょく、メーリングリストで、どぎつい論争になり、論者が感情的に対立することがありました。そのときに、私はすごく思ったのは、メーリングリストは、基本的には、不特定多数に訴えかけるという性格のものであり、私的な議論と違うモラルと責任があるということでした。
ブログも同じです。匿名であろうが、なかろうが、不特定多数にたいして、意見を発しているわけですから、それは社会的意味をもちます。まして、特定の主張などについてコメントする場合、その発言にはそれなりの責任感をもつべきだとは思います。そんなことを考えさせられました。私も精進が必要ですね。
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