感動や笑いが薄っぺらくなっていないか
職場でも、テレビの話をします。最近のお笑いの話だとか。まあ、ついていけているような、いけていないような。もともと、大阪で生まれ育った私は、子どもの頃、花月などによく連れて行ってもらった。中学や高校時代には、上方落語をよく聞きにいった。笑いには、伝統芸能としての一定の形がある。同時に、現代の笑いは、新しい創造性がたっぷりと付け加えられている。見ていて、すごいなあと大笑いしながら見るときもある。
が、いまのテレビはショービジネス化されすぎている。ちょっと考え込んでしまうこともある。たとえば、タレントがいろいろなことにチャレンジする企画。それを見て、笑ったり、感動したりするが、そこで、考え込んでします。いわば、うそっぽさ、薄っぺらさを了解しながら笑ったり、感動したりしてはいないか、ということだ。
それは、最近の映画やドラマにも通じる。泣ける映画、感動する映画は、よく考えればあまりにも作られすぎている。そのうそっぽさを了解しながら、感動する。
本当は、感動も笑いも、感情の裏には、いろいろな思考がある。想像がある。それが、ちょっと薄れていないか。そんなに難しく考えなくてもとは思うが、でも、そんなことを問いかけたくなるんだけど。
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