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2005年12月

2005/12/31

よいお年を!

 たぶん、ことし最後のエントリーです。
 今年は、いろいろありましたね。よく働きました(お金にもならないのに)。かたまったお休みなんて、GWの3連休以来です(あのときは、キャンプに行きました)。そうじをしていると、「あなたのような仕方では1年かかるよ」って、つれ合いの声。ん、まあ。

 考えてみれば、今の家に引っ越して新年を迎えるのははじめてです。いつも、帰省してましたから。
 もっとすごいの結婚して20年。つれ合いと、2人きりで新年を迎えるのははじめてです。なぜって、長男は、彼女と初詣のため、長野から帰ってこないし、二男は、なんでも塾で年越して、そのまま初詣にいくそうです。これから、こういう機会が自然に増えればいいんですけどね。

 今年は、心の痛むことの連続の1年でした。よく働いたなあという思いもありましが、正直、いまから考えると後悔の連続です。自分は何をなすことができたのか。でも、何もなせないのが、残念ながら、自分のいまいる地点です。

 たぶん、コツコツという、私のいちばん苦手なことこそが、大事なんだと思います。来年がいい年になるように、少しでも、何かしらなすことができればと思います。ともに。では、よいお年を!

兵士の死に方を考えたい

 いくつかのブロクで、「男たちの大和」を評価する記述がエントリーされています。私、個人のこの映画への感想は、一度、書かせて頂きました。最近、三四郎日記というブログを読んで、もう一度この映画について、論じたくなりました。私は、どうしてもこの映画は、ほめてはいけないと思うのです。

 実は、26日に、歴教協の関東ブロックの研究集会に行ってきました。敬愛する吉田裕さんの講演を聴くためにです。吉田さんの講演は、いつもの戦後の戦争認識にについての変遷と、最近の特徴を、的確に指摘されたものでした。そこで、印象に残ったのは、加害と被害の重層的な関係を認識すること、そのためにも「死に方の実学」というのが、大事だと言うものです。つまり、戦争の加害をしっかり認識するためにも、日本の兵士たちがどのように死んだのかの事実を直視すべきかと。これは、藤原彰先生の、日本の戦死者の過半が餓死だったという研究や内海愛子さんの遺骨放置の問題ともつながります。

 さて、ここから私の言いたいことです。本当に、この映画は真実を描いているのかです。たしかに、佐藤純弥さんの戦争への思いは伝わってこなくはありません。でも、考えたい点が3つあるのです。
 1つは、なぜ、この大和の特攻に至る経過を省くのかです。悲劇につらなる日本の戦争の事実があります。この戦争の事実をどうしてこの映画はあえて、簡単な経過の描写だけで、捨て去るのかという点です。
 2つは、なぜ男たちはたたかったのか? この点で、天皇の存在をまったく捨て去っているという点です。私も何人かの戦争を体験された方の話をお聞きしましたが、やはり、戦争の目的は天皇のための戦争です。
 3つめに、だから、「愛するためにたたかった」というのは、ほんとうに真実なのかです。この「愛するためにたたかった」という「神話」は、この戦争で、兵士たちに悲劇の死を強いたものを知るという思考を停止させるそんな役割をはたさないのかという点です。これは、石原慎太郎の議論(かつて書きました)に通じるものとしか思えません。

 たしかに、この映画は、戦争の悲劇を描いています。そういう点では、批判されるべきものではないのかもしれません。が、決して、ほめてはいけない。残念ながら、この映画の作成にかかわっては、監督の思いを超えて、さまざまな政治的な思惑もあったように聞いています。少なくとも、私たちが、おこなわなければならないことは、この映画をステップに、兵士たちの死の真実を、いま改めて考えることだと思うのです。

2005/12/30

「国保停止」という問題

 今日の沖縄タイムズが、「国保停止」の問題をとりあげている。

[国保「停止」]弱者救済の仕組み作りを
 国民健康保険(国保)の保険料を滞納して保険証を返還し、医療機関の受診の遅れから病状が悪化、死亡したとみられる患者が過去六年に少なくとも十一人いたことが、共同通信の調査で判明した。…

 この数は、実数より遙かに少ないものだと思う。実際に保険証の返還は広範囲に及んでいる。「保険証を返還した世帯は昨年六月時点で約百三十万世帯に上る」という。「特別の事情がないのに保険料を一年間滞納すると、保険証を返還する。自治体は代わりに被保険者資格証明書、短期保険証を交付する。資格証明書では医療費をいったん全額支払うことが必要で、患者の負担は重くなる。短期保険証は通常の給付を受けられるが、数カ月ごとに更新が必要になる」というのだ。「死亡した患者のほとんどは不況の影響などによる低所得者という。具体的事例を見ると、「強者の論理」がはびこる、最近の世相を象徴する出来事のようにも映り、何とも痛々しい」と。
 社説は訴える。「人の命にかかわる医療の問題で、「弱者切り捨て」というわけにはいかない。悪質な滞納者は論外だが、弱者、貧困者への共感力を失った社会の先に展望はない」。そのとおりだと思う。

大掃除? 年賀状!

 今日は、朝から年賀状づくり。毎年、私の仕事です。さすがに子どもの写真の年賀状ではありません。お笑いと真面目と2ヴァージョンです。印刷にかけているあいだに、大掃除をはじめます。結局、半日かけて、脱衣場しかすすみませんでした。日ごろまともな掃除をしていない家庭です。しかも、この家にうつりすんで、約10年。毎年、夏も冬も帰省していましたから、大掃除などやったことがありません。しかがって、汚いこと汚いこと、わずか2畳もないようなスペースの掃除に6時間もかかってしまいました。そして、いま、年賀状の宛名の刷りだし。ふるいふるいパソコンに入っていて移し替えていないので(ソフトがない!!!)、時間のかかることかかること、慌ただしく1日が過ぎていきました。ふー。

2005/12/29

談合はなくなるのか、なくなるけれど

 もう1つ、今日の新聞の一面をかざっていたのが、談合問題。入札談合にたいする罰則を強化した改正独禁法の施行を前に、大手ゼネコンが談合をなくすという宣言をしたという記事です。が、一方で、「しんぶん赤旗」が、「大手ゼネコンが独禁法逃れ 高値受注へ新方式画策」という記事を掲載しています。

 入札談合にたいする罰則を強化した改正独占禁止法の施行(一月四日)を前に大手ゼネコンが、独禁法をのがれて引き続き高値受注もできる入札方式を拡大しようとしていることが二十八日、本紙の取材で分かりました。これにより談合がなくなったとしても、公共工事によるゼネコンが大もうけする構図は是正されないことになります。

 これまでの評価制度とちがう、大手ゼネコンに圧倒的に有利になる入札方式を導入することで、利益を温存しようというのです。すでに、羽田空港の拡張工事の時点で、こうした問題は指摘されていたようですが、いずれにしろ、「改革」の名で、結局は大企業の利益の温存。その正体は冷静に議論すべきでしょう。

米兵が子どもを轢き逃げ

 今日の東京新聞一面が、鋭かったというのが印象です。全国紙で唯一、22日に米兵が東京八王子でおきた、米兵による子ども3人の轢き逃げ事件を1面トップで報じていました。

米兵男児3人ひき逃げ 地位協定で身柄米軍に 東京都八王子市で二十二日、米海軍厚木基地(神奈川県)の二等水兵の女(23)がひき逃げ事故を起こし、小学生男児三人が重軽傷を負っていたことが二十八日、分かった。警視庁八王子署は業務上過失傷害と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで水兵を逮捕したが、米軍から「公務証明書」が出され、日米地位協定に基づき即日、米軍に引き渡した。……
 子どもの安全に関しては、事件が続き、メディアもヒステリックなほどの状況があります。にもかかわらず、子どもの安全の根幹にかかわる事件であるにもかかわらず、なぜ商業メディアは、この問題を大きくとりあげないのでしょうか。しかも、容疑者は、釈放され米軍も手にあります。政治はなぜ、怒らないのか。子どもの安全に政治がどう向き合うのか、改めて問われている問題です。

2005/12/28

最近買った本など

 今年の正月は、二男の受験もあり、私は帰省しません。少しのんびりできるかなあ。全然、掃除をしていないので、ちょっとがんばって掃除三昧でしょうか?
 本を、どれだけ読めるのか楽しみです。
 さて、年末にあわただしく買った本はと言えば
・『ジェンダーと史的唯物論』鰺坂真ほか、学習の友社
・『グローバル化と日本の課題』高橋彰伸、岩波書店
・『容疑者Xの献身』東野圭吾 文芸春秋
・『黒字亡国』三國陽夫、文春新書
・『国際政治の見方』猪口孝、ちくま新書
・『構造改革政治の時代』渡辺治、花伝社
・『官邸主導』清水真人、日本経済新聞社
・『学校って何だろう』苅谷剛彦、ちくま文庫
・『韓国現代史』岩波新書
・『沖縄現代史』岩波新書
 

2005/12/27

河井継之助

 なんとなくぼーっと、テレビドラマを見てました。河井継之助。主演が勘三郎、脚本は金子成人ですから、安心してみられます。米百俵の小林虎三郎が重要なポイントででてくるのも注目です。

 主人公の河井継之助は歴史上有名な人物ですから、何度か、本で読んだことはあります。たしか司馬遼太郎の小説にもなっていたでしょうか。たしかに、戊辰戦争で、会津側にたちながら、官軍のとのあいだをとりもとうとしたその役割は興味深い人物です。ただ、このドラマの描き方もふくめ、あまり好きにはなれません。時代を読めなかったんじゃないかなんて、強く思ってしまうのですが…。
 テレビを見ていて、改めて、この明治維新の性格が、あるいみでは、政治変革期の勢力争いという側面をもっていたことを感じます。河井の「志」よりも、この時代の「変革」の限界性みたいなものを感じていまいます。何となく、小泉「改革」をだぶらせてしまうのですが。いかがでしょうか。

日本政府、自殺者数削減のための政策を発表

リンク: @nifty:NEWS@nifty:日本政府、自殺者数削減のための政策を発表(ロイター).

日本政府はこのほど、今後10年間で自殺者の数を約8000人減らすための政策を決定した。これにより、先進国グループの中で高いレベルにある自殺者の減少に取り組む。……
 政府統計によると、昨年の自殺者数は3万2325人で、人口10万人あたり25.3人の比率となっている。うち3分の2以上が男性。……
 国際統計によると、日本は先進国G8の中でロシアに次いで2番目に自殺者が多い。

 何とも言えない話題です。私も数年前に友人に先立たれました。残されたもののショックは表現しようがありません。でも、何ができたかも未だわかりません。たしかに、対処療法的な施策も必要です。同時に、この話題が世界に発信されたことも考えたいと思います。日本社会のあり方にも向き合わなければなりません。

弁護士たちの声に耳を傾けよう

 Nosbonさん、KATEKさん、ありがとうございます。今日は何とか元気です。できるだけ、引きずらないことがもっとうです。
 さて、本題。自民党の新憲法草案にたいして、弁護士の団体が批判の見解を相次いで出しています。自由法曹団の意見書「戦争国家への道-自民党・新憲法草案批判-」は、「憲法の基本原理を変質・変容させる前文の全面書き換え」と批判しています。
 青法協も意見書を出したそうです。法律を暮らしに生かす専門家たちの憲法についての議論にも耳を傾けたいものですね。

つぶやき

 僕らは、いつまでたっても、大人になれない少年で。
 孤独を一身に背負いながら、信じる明日をめざして、もがき、さまようしかないんだろう……。

 ちょっと、つらく、悲しい日です。
 まあ、いつでもがんばりますから、私は。

2005/12/25

息がつまりそう

 今日は、お休みです。今年の年末は、少し余裕がありそうです(でもないかなあ)。
 新聞を読んでいると、増税の予算案の決定、痛みだけという感じの行革重要方針の決定…。そうそう、耐震偽装事件は、大手ゼネコンを巻き込んだ構造的なものになりそう。大林組やJR西の名前がでてきましたねえ。沖縄ではまたずろ米兵の犯罪が続いています。ちょっと、息がつまりそうです。まじめに、新聞を読むのが辛いぐらいですね。
 ちょうど、お昼の時間帯に、3年B組金八先生をやっていたけど(このシリーズは好きでなく見ていません)、たまたまテレビを見たとき、生徒に「あなたの夢は何ですか」と聞いていました。私は、とても子どもに、将来の夢は何って聞くことができませんよう。

2005/12/24

ハッピー クリスマス

 今日は、朝から仕事です。会議続きの一日。あと職場の年賀状をやっと作成。

 今日は、クリスマスです。家族で、ささやかなクリスマス・パーティです。今年もあと一週間です。考えてみれば、今年もいろんなことがありました。どちらかと言えば、つらい、悲しいことが多かったと思います。とても忙しい1年だったと思いますが、同時に、いったい、今年1年、何ができたのかという思いは強く残ります。なんと、中途半端なことだったでしょうか。

 クリスマスは、宗教的な行事ですが、”人びとが幸福になれば”という思いは、共通の思いです。ジョン・レノンの歌にHappy Christmas (War Is Over)というものがあります。War is over If you want it War is over now
来年こそ、幸福な年でありますように。今年、残る日々も悔いのないように過ごせればと思います。

2005/12/23

実は、ガンダム展に

 ガンダムが現代美術にであうと……。上野の森美術館で開催されている「ガンダム展」(展覧会「GUNDAM 来たるべき未来のために」)に行って来ました。若い美術家たちがガンダムをテーマにした、作品を出し合う企画展です。遊び心もある楽しい美術展でした。

 ガンダムを議論しはじめるはてしなく、議論が続くだろうと思います。私が大学生の時にはじまいりました。アニメーションの技術をあえて封印し、低予算でストーリーにこだわっただけに、ストーリーそのものは重く、大きい物があります。そのなかでとくに「戦争」「進化」「生命」をテーマに、作者自身がガンダムのメッセージを読みとり、そして、未来への新しい問題提起を示すという試みです。

 いっしょにいったつれ合いは、「ザク」という会田誠さんが藤田嗣治の戦争画を下書きにしたものが気に入ったようです(ただしつれ合いは「ザクって何」と聞いていましたが。二男は、特製ガンプラをゲットして幸せそう?? 私はなにがよかったかって、もちろんマチルダでしょう。(セイラはなかなかインパクトがありましたね。ニュータイプのコーナーもよかったですよ)。

 家族してオタクだって? うーん、そうかなあ。

2005/12/22

田中昌人先生 逝く

 今日は、朝から、実は動揺しつづけていました。できるだけ普通の振りをしていたのですが、心は千々に乱れ。田中先生が、11月18日に亡くなられていたということが、新聞と、全障研、人間発達研究所のHPに掲載されたからです。ごく少数の人以外は伏せられていたそうです。

 大学で直接指導を受けていたわけではありません。が、まちがいなく、自分の物の見方、考え方の影響をうけた人の一人です。家にある『発達保障への道』は、私にとってもバイブルのような本です。数年前、いっしょにお仕事をさせていただいたのが思い出です。
 最近、先生に関する本を2冊読みました。1冊が、糸賀一雄さんの伝記とも言える『異質の光』です。そこでは、近江学園で、田中先生が「発達保障」という考えでその実践を飛躍させたことが描かれています。もう1冊は、『あの頃の大学生たち』という戦後直後の京大教育学部の学生たちの手記です。先生が学生時代から、どのように発達という学問に向き合ってこられたか。それぞれ、ある雑誌で紹介させていただきました。

 なくなったことは、1カ月、公表はされなかったそうです。いかにも信念の人らしいと思いました。少しでも、その道を受け継ぐことができればと思います。民主主義と人権、そして社会進歩のために。
 合掌。

熱り(ほとぼり)続

 ほとぼりを辞書で引くと、(1)まだ残っている熱。余熱。ほとおり。 (2)高まった感情が尾を引いて残っていること。ほとおり。 (3)事件などに対する世人の関心。とでてきます。消されることのない、思いとでも言えばいいのでしょうか。

 さて、第3幕は、一転して舞台は日本。まず大阪での在日コリアンの日本帝国主義への抵抗運動が描かれます(ここで、知人の俳優さん=ricoさんが登場します)
 さらに舞台は、尹奉吉が秘密裏に処刑される金沢へ。在日コリアン家族の葛藤を織り交ぜて、その思いが胸を打ちます。
 日本の朝鮮支配への憤りと独立への思い、たたかい、それは、消えることのない熱りとして、ラストシーンに展開されていきます。ラストは、少しわかりにくかったのですが、独立への思いを胸に、重慶にうつった臨時政府を探して、在日コリアンの兵士が脱走してくる、その手にはやけどのあとが、これは象徴的です。

 今年は戦後60年。活字を生業にする人間としても、いろいろなことを考えとりくんだ1年でした。文化面でも、パッチギからはじまって、最近で言えば、白バラの祈りまでたくさんの感動も味わいました。ただ、こと歴史認識については、『嫌韓流』に代表されるようにひどい目にも直面しました。そうしたなかでのこの舞台です。今年、最高ランクの感動をもらいました。
 芝居としても、テンポのいい展開で、2時間半があっという間にすぎさっていき、成功した内容だと思います。なによりも、韓国公演をへた後だけに、作り手たちの意気込みが伝わってきます(韓国の人たちからの温かいサンゲタン付きで!)。
 もちろん、ラストなど注文もないわけではありません。が、問題なのはなぜ、この舞台が東京で1ステージなのかなのです。たしかに難解な面があります。速いテンポで、人物をつかみにくいなどの評価も聞こえてきます。が、たぶん、歴史的な背景が残念ながら、なかなか今の日本では共通されないという問題なのだと思います。逆に説明を入れれば、感動は半減します。演劇が、作り手と受け手との共同作業であるならば、むしろ、これは、受け手の側が暮らす、社会的文化的な状況の問題です。そのことそのものを問わなければなりません。
 尹奉吉にしても、李奉昌にしても、韓国では小学校の教科書にも登場するだれもが知っている人物です。隣国となぜ歴史がこれほどまでに共有されないのか?

 それをふくめ、こうした舞台をつくりあげた人たちに感謝の思いでいっぱいです。センポスギハラから尹奉吉へとたどった作者の思いは、来年は、亀戸事件にたどりつくそうです。朝鮮人と労働運動の闘士たちを虐殺した1923年の亀戸事件。戦前の日本自体にメスを入れようと言うのでしょうか。平沢計七の物語の舞台化。いまから、期待に胸が膨らみます。

2005/12/21

尹奉吉の遺書

 先ほど、紹介した尹奉吉の遺書は、「義挙」決行の2日前に上海で書いたものであるそうです。中央日報のWEBで、次のような記事をみつけました。

義挙2日前に書いた尹奉吉義士の親筆遺書が初公開へ
記念事業会によると、この遺書は尹義士が義挙から2日前の1932年4月27日、中国上海・虹口公園を踏査した後、宿舎の東方公寓で白凡・金九(ベクボム、キム・ク、1876~1949)氏の要請によって書いたもの。それ以降、金九氏が保管していた同遺書は、独立の直後、フランスなど海外に流出したが、現在は国立中央博物館が保管中のもようだ。

2005/12/20

男たちの大和をめぐって

 男たちの大和をめぐって、ちょっとした問題がおこっているようだ。今月の『シナリオ』という、シナリオ作家協会がだしている雑誌にその顛末が掲載されている。つまり、こういうことだ。もともと、この映画の脚本は、野上龍雄さんのもとですすめられていた。それが、製作の角川春樹氏と監督の佐藤純弥氏の手によって、なんの相談もなく、書き換えられ、一方的に製作発表された。したがって、野上氏は、おりた。が、映画そのものは、佐藤脚本の名で、野上脚本をベースにつくられている。

 野上氏は、この作品を書くにあたっての思いを次のようにのべている。

「60年たった今、なすべき鎮魂は、『大和』に憧れ、その乗組員であることに誇りを持ち、『出て来い、ニミッツ、マッカーサー!』と、無意味に、『大和』ともども海底深く沈んでいった若者(子供)たちをそのまま描くことだ。それが人間のみならず、『戦艦大和』そのものの鎮魂になるのだ」

 明らかに、出来上がった、映画は野上氏の、思いとはちがうところにある。
 が、シナリオのベースは野上作品であることも事実。こういう映画界のありようにも、疑問をもつが、同時に、どう歪められたのか? 興味を持って、野上版のシナリオを読んでいる。

広がる米軍再編反対の声(続報)

 米軍再編に対する反対の声は、引き続き広がっています。今日の新聞を見ていても、昨日、神奈川新聞と沖縄タイムズの共催で開催された、シンポジウムで神奈川と沖縄の知事がそろって「反対」を表明。「(中間報告は)のめるものではない。国につきかえしているところ」(松沢)、「容認できない」(稲嶺)ときびしい発言があいつぎました。全国を見ても、宮崎県議会が、新田原基地の米軍使用反対の意見書を採択、岩国基地強化にたいし広島の三次市議会が「容認できない」との意見書を採択しています。

 なぜ、これだけ強い反対が広がるのでしょうか。ここを考えることが大事だと思います。
 それは、第一に、負担の軽減を口実にしながらも、どこでも実質的に米軍基地の強化という形ですすめられていることでしょう。沖縄はいうまでもありません。神奈川の、座間への米陸軍第一軍団司令部の移設は、機動力の強化という目的が明白です。岩国へのF18の移転なども、すべて米軍の軍事的なメリットが最大に優先されているからでしょう。
 第二に、その強化が、アフガンやイラクでおこなわれたような先制攻撃という、必ずしも、国際法にもとづかない、アメリカの一方的な言い分でおこなわれる戦争の出撃基地にされるということです。沖縄などの基地からファルー
ジャに出撃したことは記憶に新しいところです。
 第三に、その負担の大きさから、これまで基地をおいていたところでも、一時的な措置というとりきめがあったのにもかかわらず、今回の基地の強化で、その基地が永久化されようとしていることです。
 そして、第四に、あまりにも頭ごなしで、一方できにものごとがすすめられていることです。
 「中間報告」にたいして、アメリカはローレス国防副次官が「中間報告ではない。変更はない」と言っています。まるで、地方にたいしてだまし討ちです。

 今後とも「反対」の声は、強まらざるをえません。日本の国のあり方を考える重大問題として、これらの地域と連帯してものごとを考えていきたいと思いますね。

熱り(ほとぼり)

 すでに書き込んだように、先週の金曜日に、「熱り」という芝居を見てきました。
 ストーリーは

韓国併合時代。
日本帝国支配下のもと、 韓国人ユン・ボンギルは上海事変終結祝賀会で、
帝国陸軍最高司令官めがけて爆弾を投げます。
最高司令官、軍幹部は死亡。
ボンギルは死刑判決後、秘密裏に金沢に移され、銃殺刑に処されます。
遺体はゴミ捨て場の下に埋められ、その場所は極秘扱い。
死んでからもなお、人々に踏みつけられるという暗葬というかたちを
とられます。 舞台は上海、大阪、金沢。
ボンギルを取り巻く韓国人、在日韓国人、日本人のそれぞれの心の揺れを
描いた物語。
   出演者の一人・藤家さっこさんのホームページより

 夏に、ユン・ボンギルのことについては一度エントリーをしました。ここでおさらいです。
 今年、話題を呼んだ、日中韓3国歴史教材『未来をひらく歴史』にも、このユン・ボンギルについての記述があります。

 1932年4月29日、尹奉吉は韓人愛国団長金九と朝食を終えた後、誓いの言葉を読み上げました。
 「私は祖国の独立と自由を回復するために、韓人愛国団の一員となり、敵軍の将校を殺戮することを誓います」
 その日の午後1時ごろ、上海虹口公園で天地を揺るがす爆発音がとどろきました。爆発が起こったのは、上海を占領した日本軍が開催した天皇誕生日の祝賀会場でした。壇上に座っていた軍司令官・白川義則をはじめとする高官らが死傷しました。修羅場となった会場で、声を張り上げて「大韓独立万歳」を叫ぶ青年がいました。その日の朝、「敵の将校を殺す」と固く誓った尹奉吉でした。
 ……
 一身をなげうっての尹奉吉の「義挙」に、中国の民衆と国民党政府は感激し、朝鮮の独立運動を積極的に支持するようになりました。全世界の人々も朝鮮の人々が日本の侵略にどれほど憤っているかを知るようになりました。

 さて、物語は3幕の構成です。1幕は、尹奉吉が上海に流れ着き、そして、李奉昌が東京で天皇が乗った馬車に爆弾を投げたが失敗した、逮捕された殺されるという話の展開。なぜ、奉吉が、独立運動に参加するようになったのか。朝鮮半島での日本人の手による土地にとりあげの方法や、その後、中国で三光作戦として展開される、日本の暴力的な支配についても、織り込まれています。

 2幕は、奉吉が「義挙」をおこなうまで。舞台では、奉吉は教養がある人物として描かれています。実際に、奉吉が処刑されるさいの遺書なども残されているそうです。

おまえたちにも血が流れ、骨があるのなら
きっと朝鮮のために勇敢な闘士となれ
太極の旗を高く掲げ
私のなきがらのない墓を訪ね
一杯の酒を注いでおくれ
お前たちは父がいないことを嘆くなかれ
愛する母がいるのだから

 この遺書からも、たしかに教養の豊かな文人だったんだなあということを忍ばせます。
 (つづく)

2005/12/19

今日も忙しい日 でも1つの発見

 今日も、忙しい日。結局、家にはやっとさっき帰ってきました。でも、今年の仕事はほぼ山を越したかなあ。
 実は、昨日、早く寝たのですが、久しぶりにあるていどの睡眠時間を確保したと言うこともあって、逆に今日は、疲れがどっと出てきてしまいました。

 ところで、今日、ひとつの発見。少し、オタクっぽいですけど。「防衛力の在り方検討会議」のまとめ(平成16年11月)という文章があります。先の「防衛大綱」作成にあたっての防衛庁の側の作業です。大綱は、こんどの「2+2」に連なっていくわけで、防衛庁の側の思惑を見るうえでも大事な文書。ずっと読んでみたいと思っていたのです。が、全文は、防衛庁のサイトでは公表されていなかったのです。
 朝雲新聞という防衛庁専門紙のホームページになぜか全文が公表されていることを発見したんです。 ちょっと読んでみようと思っています。

2005/12/18

眠ーい! 疲れたあ!

 昨日は、子どもがかつてかよっていた、学童グラブの親・OBたちとの忘年会。夜遅くに参加してました。
 今日は、朝から団地のすすまらい&もちつき大会。昼から、家の大掃除までいかない、小掃除、食事づくりと、まあまあ小忙しい一日。ワイン飲んだから眠いっす。

2005/12/17

ものすごく良かった!!!

 平石さんという方の「熱(ほとぼ)り」という、芝居を見てきました。上海義挙ととばれる事件を題材にしたものです。韓国でことし公演もあったんですけど、ものすごーく良かったです。今日は、遅いので感想は明日。つれ合いと待ち合わせをして見に行きました。二男は塾なので、晩ご飯をつくって。ところが家に帰ってみる(深夜12時半)と、だれもいない。しっかり、カギを忘れて、友人のFくんの家に…。うーん、ひどい親なのか、どうしょうもない息子なのか??? ちなみに息子はFくん宅から、リンゴのおみやげをもって、帰ってきました。ちょっと、すごいなあ。

2005/12/16

発見を求めて

 仕事の山場ですが、目の前を仕事だけをするわけに行きません。今日は、午後、とある憲法の学習会に参加しました。そこで、いちばん心に残ったことは、憲法9条を東アジアのなかで生きたものにするためにも、その基礎にある戦争にたいする反省、とくに中国に対する戦争についての正確な理解が必要だということ。ちゃんと系統立てて、まとめるような学び方をしたいなあと思いました。

 今日は、古本を買う機会がありました。そこで都留重人先生の『日本の資本主義 創造的敗北とその後』をゲット。ちょうど、宮崎勇さんの証言を読んでいるので、都留さんのこの時代のものを読みたいと思っていたのです。これままだ読んでいたいのでラッキーでした。あと何冊か買いました。

 それから、『中村屋のボース』を本屋さんで買いました。中村屋のカレーのいわれについては、大月書店から出ている、漫画日本歴史で知っていました。インド独立をめざし、日本で生きたもう1人のボース。日本のなかにひろがっていたアジア主義によりそいながらほんろうしたその人生を少し知ってみたいと思ったので。大佛次郎論壇賞の受賞作品です。若い研究者の感性もちょっと知ってみたいですから。

2005/12/15

ダイエットに挑むぞ!!!

 急に寒くなったせいか、持病の腰痛の具合がここんところあまりよくありません。早朝、痛みで目覚めるという日々です。あるていど痛みがおさまるまで時間もかかります。原因ははっきりしているんですよね。太りすぎと運動不足。ここいらで心を入れかえて、体重管理に乗り出さなければやばいっすよね。ブロクでも、宣言して、ちょっとがんばらなければなりませんね。まあ、仕事の山を越えてからだけど。でもでも、がんばるぞい! 今年は、二男の受験勉強につきあって、帰省はしないつもりですから、年末から、少し運動しようと、密かに決意しているのですが。

今年最後の山場かな?

 仕事が、ピークです。結局、帰宅はこの時間帯です。帰りの電車の中で、数日前に書いた、近所の友人とまたいっしょになりました。真剣に、日々生きている人と話をするのは、楽しい限りです。

 国会で証人喚問がありましたよね。証人にも怒りをもってしまいますが、だいたいこういう事態を生んだ政治の責任を自覚しない人たちにも怒りを禁じ得ません。
 怒りという点では、小泉さんの記者会見、そして麻生さんの演説なんて、いったいどういう神経なんでしょうか。
 いま、怒りをもつこってすごく大事だと思いませんか。ワンフレーズ・ポリティックに対抗するのは、直感的な怒りというのが大事だと思います。怒りを表現すること、それがまず私たちがはじめることだと思っています。

2005/12/14

今年の言葉は「愛」?!

 今年の世相を表す言葉は、「愛」だそうですね。そんなわけで?、ちょっとつれ合いについて紹介してみようと思います。

 知り合ったのは彼女が18のとき、つきあいはじめたのが19歳。もう25年も彼女とともに歩んできたことになります。人生の半分以上ですね。長くつきあっていると、嫌なことは、不十分だと文句を言いたくなることは、ほんとうに山ほどあります(K2クラスかな??)。でも、それにも比して、いつもすごい人だなあと感心します。

 なにしろ、こんな、ヤクザみたいに勝手に生きている「夫」に、動じもせず、淡々と生きているのですから(笑い)。職場では実践の軸として、組合ではそれなりにパワーを発揮して欠くことのできない存在です。「母」として、「妻??」としての顔もあります。長男なんて、尊敬しまくってますから。いつも、不満だった、なぜもっと勉強しないのという面も、週1回大学に通うようになって、びっくりするほど勉強してますから。こちらが、そんなに無理して大丈夫って心配するほど。十分すぎるほど刺激と励ましをもらっています。これって「愛」?(笑い)。

 今日は、その「愛」の結晶の長男の19回目の誕生日です。メールで誕生カードをおくっておきました。そう、ハッピー バースデイ トュ ユウですから。

2005/12/13

底の浅さが見えてくる

 例のみずほの株取引問題に関して東証のシステムの不備の問題がメディアを賑わしている。ほんとうにあきれてものが言えない事件だ。ただ、そこから見えてくるのは何か。

 私はいまの経済政策の中心には、金融市場原理主義というものがあるとうに思っている。金融の自由な市場が経済を引っ張るという考え方だ。郵政民営化なんてその最たるものだ。その要となる証券市場が、結局、この程度のシステムに過ぎないんじゃないのか。

 はたして、これが国民を幸福にする経済システムなんだろうか。無責任で、無思考で。いまの経済のあり方の底の浅さが見えてこないか。

発見と感動こそ

 大幅に仕事は遅れていますが、そんななかで何とかペースをつくりだしています。活字の仕事をしていると、やっていておもしろなあと思うのは、やはり、取材などに人にあって感動があったときと、自分の知らないことを知って、視野が広がったと思えたとき。いまの仕事のそれなりのというか、かなりもおもしろさは毎日感じています。
 ただ、仕事がたて込んでくると、なかなか新聞を読み込んだり、新しいことを考えたりする余裕がありません。ここ数日は、積極的なテーマでのエントリーはむずかしいかもしれません。

 ただ、通勤のなかの読書にも発見はあります。昨日書いたように、宮崎勇さんの証言を読んでいますが、ひきつづき発見はあります。戦後、アメリカのもとで、日本の戦争に対する賠償は、軽減され、実質、なくなっていきます。「冷戦」が強められていく過程で、経済安定本部のなかでは、いろいろな調査・研究がすすめられ、日本が西側の一員として役割をはたすために、経済的にないが必要かなど細かい検討がされ、GHQと議論がおこなわれていくなかで、その賠償の軽減、解消がすすめられていく。日本政府は、こんなこともしていたのかというのが今日の発見です。

 家に帰って、今日は、つれ合いが夜勤などで、ゲームに熱中していた二男と二人。少し、勉強の話もして(受験生だあ)。その後、テレビのニュース。東アジアサミットでの小泉首相の、中国の非難は「理解できない」という発言に暗澹たる気持ち。高橋哲哉さんがいうように、この人は国民主権や立憲政治というものを何も「理解していない」。
 昨日、一昨日と、テレビで唐の時代の井真成についてとりあげていた。阿倍仲麻呂は唐の高官までなっている、かつて、中国と日本はお互いを認め合っていたと。悲しい気持ちになった。

12月は大変だ、深刻だぁ

 12月というのは、たいへんな月なんです。月のはじめに出る月刊誌の場合、年末年始の休みで、雑誌の発送ができないため、1週間ほどくり上げて作成することになるからです。おまけに、先月、たくさん仕事をかかえていたので、今月の仕事の着手が遅く、たいへんな事態になっています。

 さて、そんなわけで、話を聞きにいったり、パソコンに向かったりの一日ですが、いま電車のなかで読んでいるのが『証言 戦後日本経済―政策形成の現場から』という本。経済評論家の宮崎勇へのインタビュー本だ。岩波は、同じような形で、宮沢喜一の回顧録を出しているが、こちらのほうがはるかに面白い。安本(経済安定本部)がどのようなことをしていたのか。満州人脈との関係も出てくるし、戦後直後の統制経済の様子もよくわかる。日本国憲法を氏がどのように受けとめたかも興味深い。まだ4分の1ぐらいなので感想は後日。

 家に帰って夕刊を見ると、心の痛む京都の事件の続報。そのよこには、自殺の記事が並ぶ。なんということなんだろうか。お風呂で斎藤さんの本の続きを読んでいると、続きはネット論。ネット自殺について書いていた。
 いずれにすろ、自殺がこうも広がるのはなぜだろうか。生きづらい世の中。人が大切にされない社会。そんなことも感じる。斎藤さんの文章を読んでいて、自殺を拡大する社会のありよう――たとえばネットというものをとうして、自殺が広がる関係というものにも目をむける必要があると思った。目を背けたくなるような現実だが、背けるわけには決していけない。

2005/12/12

「負けた教」の信者たち

4121501748 私の読書タイムの最大の時間帯は、通勤の電車のなかなんですが、お風呂の時間も、貴重な?読書タイムです。ちょっと、読みやすい新書や文庫をもちこんで、お風呂につかりながら、読みます。いま、読んでいるのが、この『「負けた教」の信者たち』。ご存じ斎藤環さんの新書。

 この人の議論は、聞いておきたいなと思う論者が何人かいる。大手メディアに出るような人で言えば、姜尚中さんだとか、藤原喜一さんとか。社会問題で言えば斎藤環さんもその一人。ひきこもりの第一人者でもあります。
 この本は、『中央公論』に連載していた時評をもとにしたものですが、前半は、メディア論とともにひきこもりの問題にあてられています。とくに、ひきこもりの高齢化を論じるところは、ほんとうに考え込まされる。厚生労働省が委託した調査では、ひきこもりの問題をかかえる家庭は四〇万世帯にのぼるといいます。私の友人にもこういう困難をかかえた人は少なからずいるし、その前段階とでもいえる登校拒否・不登校も少なくありません。そういうわが家も、長男は、中学のとき三年間で七〇日近い欠席がありました。二男は、欠席はそれほど多くはなかったが、低学年のころ、どちらかと言えば、「閉じこもり」系。何かあるとすぐ固まって、動かなくなったものです。世にいうコミュニケーション能力などは、厳しいものがあるのかもしれません。

 ひきこもりの問題にとりくみ人たちと何人か知り合いました。ものすごい努力をされています。こういうとりくみは広がっています。が、事柄の実際の事態に対して、社会の側の理解はいまだ不十分です。さまざまな政策的なとりくみもないわけはありませんが、残念ながら効果的な手が打たれているとは思えません。もし、あと一〇年このままの事態が推移したら、ひきこもりのものすごい高齢化が進行してしまう……。保険も年金も、そういう制度から外にいる人たちです。問題を正面から問いかける議論に、私たちも真摯に参加していかなければと思います。

2005/12/11

ブログのモラルと責任

 五十嵐仁先生の「転成仁語」を読んでいて、「秘密結社・ひま党の機関紙」さんとのちょっとしたやりとりに、感心しました。ひま党さんが、五十嵐さんの新著『活憲』の簡単な批判的感想を書かれていて、それにたいして五十嵐さんが、ていねいなコメントをよせられて、その「この記述には、私も「落胆させられ」ました。批判するのであれば、せめてきちんと読むというのが、当然の作法であり、礼儀でしょう。「『書店の店頭でざっと流して読んだだけ』で、何が分かるというのでしょうか。その程度の認識で自衛隊や自衛官のあり方を論ずるということが、いかに不誠実で不真面目な態度であるか、お分かりにならないのでしょうか」という指摘にたいして、「適当に本を読んで発泡酒を片手に適当に書いた文章にこのような真摯な意見を頂いて恐縮するばかりです。確かにしっかり読み込んでから感想を書くべきであったかなと思いますな」としっかりした自己批判をされていることです。

 かつてメーリングリストで、いろいろな議論をしていたころ、ちょくちょく、メーリングリストで、どぎつい論争になり、論者が感情的に対立することがありました。そのときに、私はすごく思ったのは、メーリングリストは、基本的には、不特定多数に訴えかけるという性格のものであり、私的な議論と違うモラルと責任があるということでした。
 ブログも同じです。匿名であろうが、なかろうが、不特定多数にたいして、意見を発しているわけですから、それは社会的意味をもちます。まして、特定の主張などについてコメントする場合、その発言にはそれなりの責任感をもつべきだとは思います。そんなことを考えさせられました。私も精進が必要ですね。

イライラ

 職場で仕事です。眠くって、眠くって、なかなか仕事はすすみません。夕方、職場のネットワークの管理の仕事もしなくっちゃいけなくって、それにとりくみ出すと、簡単な作業のはずが、どうしてかうまくいかない???? イライラ、イライラ、イライラ。だいたい素人にこんな仕事をやらせるなんてなんだと――こんなのいじめだあ、などと弱音。2時間ぐらい格闘したけど、解決せず。頭を冷やして明日に先送り。

 結局、帰るのが遅くなっちゃったけど、今日は、つれ合いが、札幌に会議に行っていて留守。日曜日の家事はたっぷりある。幸い、近所の友だちが、激励と言って、夕飯をとどけてくれる幸運も。うれしい! ありがとう!
 それでも、掃除や炊事、洗濯などなど。まだ、アイロンかけが残っています。ほんとうは、今日は借りていた映画のDVDを見ようと思っていたのに、そんな元気もなく。こうして一日が終わっていく。また普通の一週間がはじまる。日曜日休めないと、正直つらいですけどね。気分を変えて!!

久々の買い物と外食

 今日は、つれ合いが山梨で学習会の講師。夕方、仕事に出ていた私と新宿で待ち合わせをして、買い物をしました。つれ合いのボーナスも出たし。つれ合いは、靴を買いました。子どものコートを買い、私のコートも買いました。私のは、子どもの学費が心配なので、無印で、お手軽なものを(笑い)。
 それから、家にもどって、二男も合流して、外食です。今日は、二男は、数検のテスト。その慰労も兼ねて???。とりあえず、数学は得意科目。何しろ数学と英語で二〇〇点満点の一〇〇点、うち数学は九〇点、英語は一〇点という極端な成績……。あと三カ月、受験生の苦しみは続きます(まあ、あんまし、本人は苦しんでいないかもしれないところが、親としては苦しいところなんですが)。

2005/12/10

感動や笑いが薄っぺらくなっていないか

 職場でも、テレビの話をします。最近のお笑いの話だとか。まあ、ついていけているような、いけていないような。もともと、大阪で生まれ育った私は、子どもの頃、花月などによく連れて行ってもらった。中学や高校時代には、上方落語をよく聞きにいった。笑いには、伝統芸能としての一定の形がある。同時に、現代の笑いは、新しい創造性がたっぷりと付け加えられている。見ていて、すごいなあと大笑いしながら見るときもある。

 が、いまのテレビはショービジネス化されすぎている。ちょっと考え込んでしまうこともある。たとえば、タレントがいろいろなことにチャレンジする企画。それを見て、笑ったり、感動したりするが、そこで、考え込んでします。いわば、うそっぽさ、薄っぺらさを了解しながら笑ったり、感動したりしてはいないか、ということだ。

 それは、最近の映画やドラマにも通じる。泣ける映画、感動する映画は、よく考えればあまりにも作られすぎている。そのうそっぽさを了解しながら、感動する。
 本当は、感動も笑いも、感情の裏には、いろいろな思考がある。想像がある。それが、ちょっと薄れていないか。そんなに難しく考えなくてもとは思うが、でも、そんなことを問いかけたくなるんだけど。

昨日書きたかったこと

 昨日、書きたかったことは何よりも、12月8日だったので「開戦の日」についてです。開戦の日ですが、決して真珠湾だけではなく、広く、東南アジア諸国への本格的侵略のはじまりでもありました。同時に、それまでに、朝鮮半島や中国への侵略と支配の拡大があったこともわすれてはいけません。

 「東京」の社説に、ジョン・レノンのことが書かれていました。その言葉が心に残りました。

 

「愛は真実、真実は愛」「君が願えば、戦争は終わる」と歌うまっすぐなジョンの言葉とメロディーは、ビートルズ世代にはより懐かしく、若い世代には新鮮に、あるいは深刻に心に響くのだろう。

 だが、ヨーコ夫人はかつてこう言った。「いつか世界が本当に平和になり“平和”という言葉がなくなることを望みます。そのためにだれが何をしたかは忘れてもいい」。ジョン自身も「僕らは指導者じゃない。自分で考えて」と語っていた。

 十二月八日。この国がかつて長く悲惨な戦争を始めた日。それぞれの「愛と平和」を静かに自分で考える日に、なればと思う。

2005/12/09

アクセス・カウンターの異常

 アクセス・カウンターが異常です。niftyのアト・ホームページにリンクさせて使っているのですが、そちらのほうがサーバーの関係で、現在使用できないようなのです。ご心配なく。早く直らないと、もう1つのブログのアクセスが2万を超え、4000前後の差にまで迫っているので、追いつかれてしまいますね。

 さて、昨日は、いろいろ忙しく、思ったことを十分エントリーできませんでした。たくさんのことがらのある日だったですけどね。12月8日だし。今日は、朝から、仲間内の、学習会のレポーターをして、昼からは取材でした。そうそう米軍再編関連です。夕方からは、その作業ですね。

 帰りの電車のなかで、近所に住む友人といっしょになりました。医療関係の団体に勤務しながら、いろいろな社会的な活動をしている方です。今年はニューヨークの平和の行動に参加したり、全国を忙しく駆け回っているようです。最近、いっしょに飲んでいませんね。少し、刺激と元気をもらいました。

特別支援教育

 特別支援教育という言葉をご存じですか? 障害のある子どもたちの教育についての新しいとらえ方で、発達障害といわれる学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、高機能自閉症など特別な教育的ニーズをもつ子どもたちへの教育を充実させることを目的に制度改正がすすめられようとしています。今日(昨日)、中教審の最終答申が出たようです。

 この問題が、提起されるようになったのは、文部省が、99年にLDについての報告をだしたころからでしょうか。ずっと、この問題は、関心をもってきました。そもそも私が教育の問題に関心をもつようになった、1つの契機が70年代の障害児の学校への全入運動です。権利としての教育ということをずいぶん言われたものです。その点からも、こうした課題が、社会的に光をあてられたというのは、貴重なことだと思います。

 ただ、すでに答申は、案の段階のものが先月、文部科学省のHPにアップされていましたが、それをざっと見ただけでも、少し悲しい思いをせざるをえないのです。大きく「構造改革」がすすむなかで、本来あるべき特別支援教育の理念から、ずいぶん離れてしまったなあという印象をもたざるを得ないからです。最初は、文部科学省は、リストラ圧力の中で、つじつま合わせに汲々としている印象でした。が、いまでは、少し「投げやり」という印象もないではないのです。すでに障害児教育の関係のMLなどでは、「地域の実情にあわせて」という名の下で骨抜きにならないのかという危惧が表明されています。

 もう1つ、これまで、蓄積されてきた、障害児教育の豊かな実践とその専門性が生かされる形ですすむのかという点です。ややもすれば現場では「就労」など、効率的な観点が優先され、発達がないがしろにされないのか?
 これまで社会の片隅に沈殿していた困難が、教育という社会的な課題にふさわしく社会化されるのか? 重大な岐路にたたされていることをも感じさせれてしまいます。

2005/12/08

今日は鬱々と

 今日は、鬱々とした日。睡眠不足で眠いです。寒いし。
 だいたい一日、米軍再編の資料とにらめっこ、頭のなかをF22が飛んでいたり、ストライカーが走っています(笑い)。
 夕方、久しぶりに宣伝行動に参加しました。新宿ですが、人並みが、今風の若もので、少し気持ち悪くなってしまいます。でも、署名に協力してくれる10代の女の子たちと話をして、元気になります。ほんとに今風の子たちでしたが、がんばってくださいと励まされると、俄然、新宿の風景が輝いてきます。
 家に帰って、あすの学習会のレポーターの準備と思いきや、つれ合いの土曜日の講義の準備のつきあいと、子どもの数学のおつきあい。なかなか準備がはかどりません。

家族の中に沈殿する困難

 母親が娘を18年間「軟禁」していたという福岡の事件がマスコミをにぎわしている。少なくとも、テレビのワイドショーは、かなり興味本位で報道し、母親を責め立てる。報道によれば母親は少女に「発達が遅れていた」と言っているという。十分な情報がなく、軽率にこの事件についてコメントすることはできないが、少し暗い気持ちになる。

 もちろん両親の責任は問われるべきだとは思う。それはそうなのだが、困難が家族に中に沈殿していないのかと心配になる。障害をもつ子どもについては、私たちは70年代、全入運動で巨大な成果をかちとってきた。この間、介護や引きこもりなどの困難についても社会化されるような努力がすすんでいる。それは重要なことだとは思う。でも、それでも、すくいきれない困難は存在するのだ。とりわけ、90年代に入っていこう、ずいぶんと自己責任という言葉が使われるようになってから、こういった困難が広がっているとは言えないかもしれないが、十分意識されたりされなくなっているのではないのか。社会の片隅、家族の中に沈殿してしまっている困難というのは、実は、その社会のありようを映し出しているような気がするのだが。

2005/12/07

安保の現場から・米軍再編を追う

 職場でいろいろしんどいことがあって、しんどい毎日です。そんななかでも米軍再編の資料などに目をとおす一日です。
 沖縄タイムズと神奈川新聞が合同で連載している「安保の現場から・米軍再編を追う」という特集記事を、つらつらと読んでいます。昨日、紹介した江畑さんの本や先日の久江さんの新書が、どちらかといえば政府などの動きや軍のハードを追っているのに対し、基地再編の現地の話をリポートしています。こんな、1月から連載していて、現在、100回を超えているのですが、こんなにおもしろいものを読めていなかったことを、ほんとに反省させられます。ちょっと、長いですけど、十分読み応えはあります。もちろん、新聞の記事ですから読みやすいですし。ぜひ読んでみてください。おすすめです。

防衛国際貢献省って?

 防衛庁を、省に昇格させる話が政府・与党のなかで急ピッチですすんでいる。なんでも、児童手当を就学まで拡充する見返りとして、公明党が承諾したという話もある。政府は、来年の通常国会に防衛省設置法案を提出する方針だという。公明党の冬柴幹事長は、「防衛国際貢献省」という名称を使うように要請したという言われている。
 国際貢献という名を付しても、軍隊として、外国にでていこうというその本質は変わるものではない。
 なぜ、防衛省か、かつてその理由を自民党は次のように説明していた

①国の防衛は国家存立の基本であって、国家行政組織においてはそれにふさわしい位置づけをすべきである。省庁再編のこの機会に、主任の大臣をおく「防衛省」に移行すべきである。
②現在、防衛庁が総理府にあることにより、様々な防衛関係事務について、総理府を通じた手続きを余儀なくされている。行革の趣旨である簡素で効率的な行政を行う上でも、防衛庁を「防衛省」と位置づけ、これらの事務の簡素化を図るべきである。
③行革会議の中間報告に示されている省庁再編案では、国務大臣を長としながら「庁」と位置づけるのは防衛庁だけである。内閣府の中で金融監督庁などと同列に扱うことは、防衛庁の任務の重要性、組織の規模等から見ても合理的理由に乏しいと考える。
 また、「庁」、すなわち対外的に「エージェンシー(Agency)」と称することは、諸外国との折衝を行う際など国際的な関係において好ましくない。
④戦後50年以上を経て、自衛隊は、近年の大規模災害等への対応やPKO活動などにもより国民から大きな期待と信頼を寄せられる存在となってきている。この際、これらの国民の声に応えるためにも、また、新ガイドライン決定後の責任ある対応を進めていくためにも諸外国と同レベルの「防衛省」へ移行することが望ましい。
⑤さらに、「省」への移行は、使命の重要性について隊員の一層の自覚をもたらし、その士気が高まることになる。
⑥内閣総理大臣の自衛隊の最高指揮官としての地位は、自衛隊法に明記されており、また、総理は閣議にかけて決定した方針に基づいて行政各部を指揮監督するとした内閣法第6条の趣旨や安保会議にかかる問題点についても、「防衛省」へ移行したとしても何ら変わるものではない。

 注目されるのは、3点。1つは、閣議に直接提案できるという権限。最近、制服の力が強まっていると言われるだけに、そのことのもつ意味は小さくない。2つは、外国との関係、はっきり言って、米国防総省との関係だ。これまでは、外務省が間に入るケースが多いという思いがあるのだと思う。第3は、隊員(兵士)の志気だ。
 これって、ものすごい問題ではないか。よく考えたい!

2005/12/06

小泉首相と武部幹事長の憲法観

 「朝日」が社説で、「小泉外交 対話の扉が閉じていく」という論評をしている。そもそも、「思想、良心の自由は憲法で保障されている。それ(参拝)がどうしていけないのか、わたしは理解できない」――こう言って小泉首相は靖国参拝を合理化し、中国・韓国を批判している。しかし、憲法は、もともと国民の自由を規定しているのであって、その自由を侵すことを、国家に禁じているものだ。決して、国家がその自由をもっているわけではない。小泉首相は、19条のみならず、政教分離の原則をふくめ、国民の権利を擁護する責務がある。明らかに、小泉首相は、憲法観が逆転している。同時に、前文にものべられこその憲法の根本にある侵略戦争への反省という立場をふみにじることは許されない。対話を閉ざす小泉外交の根底には、こういうあやまった憲法観があることをよく見る必要がある。

 そんなことを言っていると、武部幹事長が、水戸でのパーティーで(まだパーティやってんの政治資金のあり方としても懲りないなあ)、「日本は天皇中心の国だ。中心がしっかりしているのと同時に、中心を皆で支えていく国柄だ」と述べたという。思わず、森さんを思い出してしまうけど、いずれにしろ、国民主権の現憲法の立場とはかなりかけ離れた発言としか言いようがない。政権中枢の憲法観とはこんなものか。

米軍再編

4828411895 ご存じ、江畑さんが、現在すすめられている米軍再編の背景をくわしく紹介しているのがこの本。米軍再編の背景をもう少し知りたくて、買って読み始めています。これが結構、おもしろいのです。まだ3分の1ほどですけど、9・11を画期として、アメリカ軍のトランスフォーメーションが何を目的に、どのように展開されているのか。そのもとで米軍基地の再編がどうすすめられているのか。とくにトランスフォーメーションが陸軍を軸にすすめられ、ストライカー旅団や、UExなどの何を目的に配置されているのか。在日米軍基地の比重が高まっていることがよくわかるし、なぜ「座間」が大事なのかもよく分かります。
 さて、この間、買い込んだ本は、と言えば
『岩波講座 アジア・太平洋戦争<2> 戦争の政治学』(岩波書店)
宮崎勇『証言 戦後日本経済』(岩波書店)……こういう人がいまの構造改革をどう見ているのか知りたいから
クラウス・フィールハーバー他編『権力と良心』(未来社)……白バラの映画を見たので
本田由紀『多元化する能力と日本社会』(NTT出版)……選挙前朝日の論壇がすごく良かったんで
『ニート・フリーターと学力』……これは買わなければいけない事情もありますし
榊原英資『アジアは近代資本主義を超える』……中国、インド、ちょっと彼の議論も知りたいですから
ユルゲン・エルゼサー『敗戦国ドイツの実像』……ドイツがいちばんの関心です。木戸先生の考えていることも知りたいし。

西原さんの発言についての補足

 12月3日の教育基本法の集会での西原博史さんの発言を紹介しましたが、重要な論点が1つ紹介し忘れていましたので、補足しておきます。
 先日の紹介のとおり、西原さんは自民党の新憲法草案の9条、前文、12条について批判したのですが、もう1つ、96条の憲法改正条項について、現在は両院の3分の2での発議と国民投票での過半数と規定している。これは、ときの過半数では改正してはいけないという主旨だと、それを両院の過半数と国民投票できめるというのは、憲法の性質を根本から変えるということを発言されていました。

2005/12/05

政府が軍事秘密協定締結を検討

 昨日、いくつかの新聞に、次のような記事が掲載されている。たぶん共同の配信だろうが。

 政府は3日、日米間で共有する防衛秘密の漏えいを防ぐため2国間の新たな「軍事情報に関する一般的保全協定」(GSOMIA)の締結を検討する方針を固めた。在日米軍再編に関する中間報告に、日米間で軍事情報の共有拡大が盛り込まれ、これまで以上の秘密保全措置が必要と判断したためで、再編が完了する見込みの2012年ごろまでに、国内法整備も図る。

 言ってみれば国家機密法をつくるというわけだ。世界の中の日米同盟の強化のなかで、日本の法体系のいっそうの軍事化が図られるというわけだ。9条をふみにじることが、日本をどこに導くのか。沖縄タイムズは次のように主張する。
 協定は米軍と自衛隊との軍事的一体化を前提にしており、集団的自衛権にかかわる問題を含んでいるとの見方があるのも事実だ。
 また広範な防衛情報の秘密保全法制が整備された場合、私たち国民の「知る権利」や「報道の自由」など基本的人権が侵害される可能性があることを見過ごしてはなるまい。
 憲法をなし崩し的に解釈改憲し、米国との軍事同盟を強化していく中で国民の人権を損ねる可能性が高い協約に対し、監視を強めていく必要がある。

2005/12/04

ウダウダした一日

 今日は、本当は、取材にお出かけするつもりだったんだけど、いろいろ事情があってやめました。まあ、体調が悪いし(少し、風邪ぎみ)。何でも、つれ合いが来週、山梨のほうで学習会の講師をするとかで、結局、その準備につきあわせれ、時間があっという間にすぎでしまった一日。

 ちょっと一段落ついたときに、早明ラグビーを見た。今年の早稲田は強いねえ。かつて早明戦といえば、バックスで展開する早稲田に、フォワードで突進する明治というイメージだったけど、パワーで早稲田が圧倒。フォワード、バックス一体となって縦に切り裂き、ワイドに展開する。うまくいけば社会人に勝ているかも、少し期待しましょうか。

 自分の仕事の準備もあまりできず、夜は、久しぶりに日本酒を飲み、酔っぱらって、ウダウダ。一日が終わろうとしています。

学校説明会

 実は、今日(いえいえ昨日)の午前中は、子どもの学校説明会に行ってきました。まあ、とにかく売り込む学校の説明を聞くだけですけど。昼からは、つれ合いが、別の学校の説明会。たぶん、今日で、とりあえず終わりかなあ。子どももとりあえず、どこを受けようか決めたみたいだし。何というか、普通と違うなあ。学校を決めるのも何ともはやマイペースだもん。
 お昼に、ポータブルオーディオがほしいっていって、ちょっとのぞいてみた。クリスマスプレゼンとに買ってあげようかなあ。でも、この子も音楽に興味があるんだと、ちょっと面白かった(ごめんね)。

教育基本法全国集会

NEC_0037 教育基本法・憲法の改悪をとめよう!12・3全国集会(日比谷野音)に行ってきました。すごく寒かったです。午前中、用事があったので、少し遅れて、最初の小森陽一さんの話は聞けませんでした(こめんなさい)。三宅晶子さんの話は、グローバリズムのもとで、新自由主義的な政策がすすめられ、労働者が競争と攻撃にさらされていること、それは教育の場にも持ち込まれていること、そのことに正面から対峙しようと。西原博史さんが、自民党の新憲法草案を批判、これぐらいならというようなものではなく、9条の改悪によって戦争のためになんでもできること、前文の改悪によって、国民の国を支え守る責務が規定されようとしていること、12条の基本的人権に規定が、国家が規定する公益を守るための規定に変わろうとしていることなどを批判。高橋哲哉さんは、最近の小泉首相の靖国参拝は思想・信条の自由だという発言について、憲法が何のためにあるのか、権力を国民が縛るためにあることを知らないと批判、そしてその首相を戴く国民が憲法や教育基本法の水準に立っているのかと問題提起。大内裕和さんは、公務員攻撃は国民を分断し中心的な労組の力をそごうとしていることにその本質があること、教員や公務員が憲法・教育基本法改悪反対の先頭にたたなければならないと訴えました。

 あまり宣伝もしてないから、どれぐらい集まるのかなあと思っていましたが、会場いっぱいの3200人ぐらいの参加。この集会の特徴的なのが、みんな真剣にそれぞれの訴えを聞くこと。元気の出る集会です。雑多な団体の参加する集会ですが、ただ、今回は市民運動より規制の団体の動員が多いかなって感じ。教育基本法の運動も息の長い運動になってきているので、市民運動のしんどさは伺える。
 今井紀明くんが特別発言で登場。事件以降もいろいろな攻撃があったそうですが、そのなかで彼が感じたことは、自分たちは残念ながらマイノリティだけど、だからこそ対話が必要、話せば変わってくれるということ。若いのにえらいなあ。郡山くんも会場をカメラをぶら下げてうろうろしていました。

2005/12/03

終りに見た街

 山田太一、中井貴一、柳沢慎吾といえば「ふぞろいの林檎たち」。この「終りに見た街は」、実は、23年前に1度ドラマ化されたことがあるそうです。発想的には「猿の惑星」だけど。

 話は、SEの主人公が家族ととに、昭和19年にタイムスリップする。当時の人々に怪しまれ、住む家を転々とする。ものもない戦時中の過酷な生活が描かれる。そして、ラストに見たものは、1945年の東京大空襲ではなく、現代の破壊された東京だった……。

 戦争中の多くの日本に暮らす人々は、困難な生活を強いられた。作者は、そのことを伝えたかったのだと思う。戦争中のこうした被害が、誰の責任で、どうしてもたらされたのか、そのことを私たちはどれだけ問いかけてきたのだろうか? そんなことを感じながら見ていた。
 ラストは強烈。きっと、現在起こっていることと、昭和19年をダブらせて、問いかけているのだろうと思う。
 戦争体験をもつ、作者の問いかけに、正面からこたえなければならないと思う。

2005/12/02

いよいよ12月、冬ですねえ

NEC_0036 あっと言う間に、12月になってしまいました。ずいぶん寒くなっています。みなさん、風邪には気をつけましょうね。インフルエンザもはやりはじめていますから。

 今日、新宿駅をとおったら、新潟から? 雪が運ばれていました。あわただしい師走です。みなさん忙しいでしょうが、無理のない年末にしたいものですねえ。私も、少し肩の力を抜かなきゃと思っています。

竹中平蔵という人について

hon 金融相、経済財政相そして今回、総務相をつとめる竹中平蔵さんについて、月刊『現代』が連載を掲載しています。この人がどのような経緯でいまのような地位にのぼりつめたいのか。その思想はどのように形成されたのか。

 小泉内閣で、ブレーンの役割をはたす竹中さん。原理主義とも言える彼の思想の正体が、アメリカで流行した市場絶対化の経済理論を、日本に機械的にあてはめるというものであることが、このリポートからはよくわかる。考えてみれば、小泉内閣の構造改革のなかで、ものすごく、一貫性を発揮しているのは、不良債権処理であり、郵政民営化であるなど、金融的な側面が突出している。考えてみれば、大蔵省をベースに学者としての自身を形成した竹中さんにとっては、その出自から、バックボーンとして、官の力を背景とした、企業活動というものがある。そのことを最大に効果的にすすめるのがこの金融「改革」であるというわけなのだろうか。

 連載は、来月も続く。現在は、大学教授になるまでの話だ。
 ただ、小泉「構造改革」を論じるとき、どうしても、欠落しがちな側面が2つある。1つは、彼が、アメリカに追随して、日本の軍事大国化に大きく舵をきっていること。もう1つは、靖国の問題を含め、極端な外交。こういうものを含め、総体として小泉内閣を見つめれば、何を優先し、何を基準にしているのか。実は、大きくはないその力を見ることができるのかもしれない。 

美しさとは?

 先日、「白バラの祈り」という映画を試写でみて、その主人公のゾフィー・ショルの魅力(役の女優さんの?)に思わず、引き込まれた。そして、自分の学生時代のことを少し思い出した。

 学生時代の友人に、今はお母さん弁護士として活躍している人がいる。もう25年ぐらい会ってないのかなあ。その彼女は、女性の美しさとは、「やさしさと知性と実行力だ」といつも言っていた。たぶん、宮本百合子かだれかの言葉だったとは思う。

 映画でのゾフィー・ショル像の魅力から、そんな彼女の言葉をふと思い出した。

2005/12/01

広島女児に思う

 つれ合いとケンカをして、結果的にだいぶ、睡眠不足。休みたいなあという気分でいっぱいになっている。でもねえ、次の号の頭の企画も決まっていないし。気分を変えて、お仕事に向かう。まあ、一日、企画のツメで走りまわったり、電話をかけたり。あんまりうまくいきませんけど。途中、米軍再編関係の資料をいろいろ集めて、ストライカー旅団の資料など読んで、なかなか面白いですが。みなさん知ってます? ストライカー旅団って? 米陸軍の機動部隊なんだけど、それらの司令部が座間にくるってわけ。学習の成果はまた、今度。

  さて、広島の女児殺害事件の容疑者が逮捕された。なんとも不可解な事件だが、その真相は捜査の進展を待つほかはないが、絶対に許せない事件だ。
 同時に、こんな事件が続く、このごろ、人々は、やはり漠然として不安感を拡大せざるをえない。子どもをめぐる事件が続くわけだけれど、そんな不安な時代だからこそ、あらためてどんな社会を私たちはめざせばいいのかを考えたいと思う。不安に駆られて監視を強める社会がいいのかも含めて。いまの社会は、たくさんのその社会の主要な流れからはじき出され、片隅に沈み込んだ人々がいる社会だ。「小さなパイ」をめぐって、弱いものがそれを奪い合うかのような、そんな状況に切なさも感じる。
 ほんとうに私たちがのぞんだ社会はこんな社会なんだろうか。この事件をきっかけに、そんなことを考えた。

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