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2005年9月

2005/09/30

税制って何のため?

 衆院の予算委員会がはじまりました。民主党の時間の長いこと。「改革」の競いあいだから、つっこみの弱いこと。聞いていると眠くなる? 前原さん、ほんとうは頭のいい人なんだから、もうちょっとつっこめばいいのに。なんて思いながら、こういう日は、職場ではずっとテレビはついています。一方で、共産党や社民党の質問時間は短いですよね。参院では代表質問すらできない。国民の投票がストレートに国会審議の時間にはむすびつかいんですよね。

 さて、テレビを見ていておどろいたのは、共産党の志位さんの質問への小泉首相の答弁。志位さんの質問は、庶民大増税と大企業への減税の継続についてのもの(共産党らしい質問です)。小泉さん税制の目的は、経済的な効果のためって答えたんです。これにはびっくりしました。どんな教科書でも、税制の目的の第一は所得の再配分でしょう。そのうえにたって、いろんな議論は成り立つとは思います。が、ただ、経済的な効果のためというのです。

 考えてみれば、これまでの構造改悪も、すべてサプライサイドの改革。いわば大企業の経済活動を効果的にすすめるためのものだったのです。それを、税制の面でも全面的にすすめようというのでしょうね。おそらく小泉さんの視野には、所得の再配分で、保障されていた経済的「弱者」の権利などこれっぽっちも目には入らないんでしょうね。
 そう言えば、今度の国会では、障害者自立支援法案が、ふたたび審議されます。明日からは介護保険の改悪も実施されます。 そら恐ろしい思いをした1日でした。

首相の靖国参拝は違憲 大阪高裁

首相の靖国参拝は違憲 大阪高裁判決(共同通信)

 小泉純一郎首相の靖国神社参拝は政教分離を定めた憲法に違反し、精神的苦痛を受けたとして、台湾先住民ら188人が国と首相、靖国神社に1人当たり1万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁(大谷正治裁判長)は30日、参拝を「公的」とした上で「憲法の禁止する宗教的活動に当たる」として違憲と認定した。
 判決は参拝の公私の別に対する小泉首相の姿勢について「政教分離原則が論議されている中で、公に明確にすべきだ」と批判した。賠償請求については「参拝や信仰を奨励したり、自らの行為を見習わせることを意図したものではなく、思想、信教の自由など権利を侵害していない」として退け、控訴を棄却した。
 小泉首相の靖国参拝を「違憲」としたのは昨年4月の福岡地裁に続き2例目で、高裁では初めて。今後の靖国参拝をめぐり内外で慎重な対応を求める声が高まるのは必至だ。
 弁護団は判決後の集会で「上告しないことが賢明だ」と提案したが、原告側の一部は「家族と相談したい」と述べた。

 判決は、首相は、公用車を使用し首相秘書官を伴っていた/公約の実行としてなされた/首相は私的参拝と明言せず、公的立場を否定していなかった――などから「内閣総理大臣の職務と認めるのが相当」と判断。昨日の東京高裁の判決が、もっぱら後日も首相の発言を根拠にしているのにたいし、常識的な判断だと思います。
 さらに3度にわたって参拝、1年に1度の参拝をする意志を表明するなど意図が強固だったと認定しています。

 また、「国と靖国神社の間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ち、一般人に国が靖国神社に特別に支援している印象を与えた」としている点なども大事な点だと思います。

 画期的であり、かつ重要な指摘の判決だと思います。同時に、アジアの国がこの問題で問いかけているのは、首相の参拝が政教分離の原則に反しているかどうかではなく、首相の歴史認識です。その点も忘れずに、この問題での首相の立場を問わなければなりません。

2005/09/29

toto累積赤字150億円

 朝日新聞によると、独立行政法人「日本スポーツ振興センター」が運営するサッカーくじ(toto)の累積赤字が、昨年度の決算で150億円になることが、会計監査院の調べで明らかになったそうです。

 totoは売り上げが年間420億円程度あれば黒字決算になる仕組みだそうですが、01年シーズンの604億円をピークに、02年408億円、03年203億円、04年156億円と年々落ち込んでいます。そのために銀行への初期投資(おぼえてますか、いま破綻して国有化されているりそな銀行ですよ!)費用を、02年で20億円、03年が70億円を先送りしているというのです。累積赤字は150億円と言います。

 もともと、totoそのものが考えられないぐらい甘い試算でスタートしたという批判がありました。同時に、問題なのは、日本のスポーツ振興、とくに選手強化費が、このtoto収益による助成にたよっているという構造。
 こうした問題もふくめ、totoのあり方を、スポーツ振興の本来のあり方に立ち戻って反省する必要がありそうです。 

祝 阪神優勝!

 大阪生まれの僕としては、やっぱ阪神優勝はうれしいです! 大阪は盛り上がっているかい?

辺野古の今をさぐる

 迷走をつづける辺野古をめぐる問題。その動きをていねいに伝えるブログを紹介します。題して「 ジュゴンネットワーク沖縄(暫定ブログ)~緊急の課題:絶滅の危機に瀕している沖縄ジュゴンの生息海域への海上基地建設計画は認められない~」。ぜひ、チェックしてみてください。

「辺野古崎横断埋立案」(TBSリポ「普天間移設問題」、TV・RBC報道)

 TV局のRBC(琉球放送)は9/28夕方、TBSリポ「普天間移設問題」を報道した。縮小リーフ内案、キャンプ・シュワブ内陸案のほか、両案の折衷案として、いわば「辺野古崎横断埋立案」が浮上していると伝える。辺野古崎(岬)(写真)を横断させ滑走路の両端を海上に突き出させて、突き出た両端の沿岸海域を埋め立てるというのだ。【参照】TBS News i「沖縄の米軍再編めぐる政府案の全容」(9/28午後6時31分)

 毎日9/28朝刊は、>沖縄県名護市の岸本建男市長は27日の市議会で、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設先について「陸上案というのか海上案というのか分からないが、(同市辺野古沖に2500メートル規模の埋め立て施設を建設する現行計画の)滑走路を縮小し内陸部に寄せる案は選択肢として考えられる」と述べた。<と伝えていた。

 どうも、日米政府は、陸上案と縮小案の折衷案ですすむという報道です。
 問題の本質は、普天間の辺野古沖への移転を決めた、SACO路線は、破綻したということです。ならば、なぜ、辺野古に固執をするのか? なぜ県内移設に固執するのか? 米軍再編の動きの一方で、沖縄の政治は、名護市長選、知事選と向かっています。
 これ以上の県民の負担をつづけさせない。日本政府もこの立場で動くべきではないでしょうか?

大統領の理髪師

barbar やっと、大統領の理髪師をみました。韓国大統領府の隣りにある孝子洞で理髪店をひらくソン・ハンモ(ソン・ガンホ)は、ある日、大統領の理髪師になる。商売も順調にゆき、万事うまくいくかに見えたとき、北朝鮮ゲリラの青瓦台襲撃事件が…。ゲリラたちは下痢をして、捕まったことから、「下痢をしている者は、スパイに接触したに違いない」と言われ、“マルクス病”と呼ばれ、次々と情報部に逮捕され、拷問をされる。ハンモの息子ナガンも下痢になり、情報部送りに。ハンモは必死にナガンの行方を捜す。やがてナガンも戻ってくるが、ナガンは歩けなくなっていた…。

 こんなストーリーです。もちろんフィションですが、4.19革命(1960年)、軍事クーデターによるが朴正熙大統領就任、、青瓦台襲撃事件、朴大統領の中央情報部長による射殺事件…と60年代から70年代にかけての韓国政治上の事件が見事に、コミカルに、皮肉たっぷりに描かれています。これはすごい映画です。

 主人公役のソン・ガンホが魅力的。韓流俳優はイケメンだけがいいのではありません!

2005/09/28

さあ、今年もあと4分の1

 9月も終わりに近づいてきました。今年もあと3カ月ちょっと。この間に、あと3冊+1冊の雑誌をつくります。

 気持ちをきりかえて頑張らなければなりません。テーマはたくさんあります。自民党政治をもう1度問いたいと思います。その根幹は憲法です。60年目の国連をはじめ、国際社会のあり方も考えたいテーマです。その点で、転機を迎えるのがイラクです。そして、考えたいのが、沖縄です。米軍基地再編のなかで迷走する普天間、辺野古問題ですが、そこに貫かれているのは、SACO路線の破綻です。ホームグランドの義務教育の問題も重大局面にあります。ことしの大テーマであって、歴史認識の問題は、最後までいろいろ考えたいですね。

 自民党の大勝のあとにやってくる大きな問題もたくさんあります。まだまだ勉強がたりません。気を抜かず、しっかりがんばろうと思っています。そのためにも、たくさんの人としゃべろうと思います。

パ・リーグ シーズン終了

 かつて、所沢に住んでいたというだけで、実はライオンズ・ファンである。今年は結局3位。いよいよ、プレーオフがはじまる。たしかにルールだけど、これでいいのかなあなんて、ファンでも考えてしまう展開。この成績で、プレーオフってあり。勝率が5割にみたないのに。
 最後には、へんなルールであることが露呈した。西武がソフトバンクに負けることで、プレーオフ進出が決まるというルール。
 改革元年のプロ野球。ほんとうにおもしろいシステムづくりにはまだ途上にある。

フォトジャーナリスト13人の眼

4087203034 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会に所属する13人のジャーナリストたちの写真ルポ。イラク、パレスチナ、アフガン……。いまなお戦争のもとにある世界の現実を私たちに知らせてくれる。紹介には次のようにある。

激変する世界を見つめるジャーナリストの眼。 9.11以降時代は恐ろしいスピードで動き、人間の尊厳は脅かされ、世界は混沌の度合いを増している。世界の現実を切りとる13人のフォト・ジャーナリストたちの写真と文章を紹介する。

 彼らの眼は、私たちの眼ともなる。私たちは、この世界の現実から眼を背けてはならないと思う。
 印象に残ったものにリベリア子ども兵士の話がある。西アフリカのこの国のことをどれだけの人が知っているんだろうか? 停戦からほんとうに平和が築けるのか。60年目の国連は、こうした問題にはたしてどれだけこたえることができるのか。正直、こういった問題をしっかり勉強しきれていない自分がなさけなくなってしまう。

 少年兵の問題は、以前、子ども兵を生んだのは誰かでエントリーをした。ルポを読むたびにつらく、切ない。

 13人のジャーナリストには、懇意にしている人もいれば、まだ話したことのない人もいる。1人ひとりの考え方などはよく知らない。
 ただ、とどけられた「眼」によって、世界の未来を決めるのは私たちだ。個人として何ができるのか、そして、国際社会が国家というものによって担われるというのなら、9条をもつ日本という国が、こうした現実世界にたいして、どう向き合うべきなのか。しっかり学ばなければならないと思った。

2005/09/27

ひとり団地の一室で

 先週の土曜日に放映されたNHKスペシャル「ひとり団地の一室で」の再放送が昨夜(今日の午前1時ごろ)やっていて、ついつい見てしまいました。

 千葉県松戸市の団地が舞台。いま全国の団地では、”孤独死”が相次いでいるという。この団地でも、3年間で20人以上が孤独死しているといいます。その半数が40代から60代前半までの男性だというのです。リストラ、離婚そして病気。その結果、だれにも知られずに死んでいくのです。番組では、この地域の孤独死防止センターの活動を追っていました。

 ひきこもりが、正式には社会的ひきこもりと言われるように、社会からの孤立ということが大きな焦点だと思います。考えてみれば、社会から孤立していく状態は、なにも若者だけの問題だとは限りません。リストラ、離婚など、社会から切り離されるきっかけなど大人にも十分存在します。そして、その過程では、社会的な競争など激しいストレスにさらされるのも同じです。ひきこもりがちな生活に、成人病がおそえば、それこそ生死の問題になるのです。もちろん、老人の問題と若者の問題は同じではありませんが。

 このとき、その切り離される「社会」とは何なんだろうと、考えてしまいます。いかに、その人にとって、あいまいで、不確かな存在としてしか社会はないのか。番組では、防止のとりくみが地域の住民の努力だけに限られていることがそれとなく伝わってきます。でも、それで何が解決するのか? 私たちが生きる社会って、何なんでしょうか。どうすれば、豊かになるんでしょうね。

 いろいろ考えさせられる番組でした。

風邪かな?

 月曜日から、ちょっと熱っぽいなあと思っていたんですけど、今日、朝起きたら、頭も痛く、熱もありそうで……。やっぱり、土曜日に雨に打たれたのがよくなかったのかなあ。それでも、昼までとりあえず寝て、午後から職場に。ちょっとつらいですけどね。まあ、熱は下がったような感じだし。どばって寝たのは久しぶりの感じ。最近はあんまり眠れないし。少し、気分を変えないとね。

 

2005/09/26

小泉首相の所信表明

 小泉首相が、所信表明演説をおこないました。朝日新聞は以下のように、報じます。

「郵政」改めて決意 首相が所信表明演説
 小泉首相は26日午後、衆参両院本会議で所信表明演説を行った。総選挙での自民党圧勝を受け、郵政民営化について「『暴論』との指摘もあったが、総選挙の結果、国民は『正論』との審判を下した」と、特別国会での郵政民営化法案の成立に向け決意を表明した。成立後の課題として「構造改革の断行」を挙げ、国家公務員の定員の「純減目標」を設定する方針とともに政府系金融機関の改革などの課題を列挙したが、数値目標や達成年次などの具体的な提示に乏しい。……

 しかし、どうでしょうか。3200字の異常な短さ、その大半を郵政民営化にさています。
 内容は、これまで選挙で主張してきたことのくり返しです。これまでもこのブログで批判してきましたが、あらためて、読んでみても、郵政公務員を、自衛隊員に比して論じるなら、自衛隊のムダや既得権をなぜ、問題にしないでしょうと聞きたくなります。薬漬けになっていても、問題にならない職場なんでしょう!そういえば、郵政では国民の意見を聞きたいといった小泉さん、自衛隊のイラク派兵については決して国民に意見を聞こうとしなかったよね。

 問題は、そのあと、朝日は具体性を欠くといいますが、小さな政府を強調して、なんでもやっちゃうぞという不気味さだけを私は感じてしまいます。そして、政治の課題とあげるのが国民の安全と安心、そして安全保障の課題だけです。社会保障も、安心の名による「持続可能な制度」という視点というきわめて限られた角度、つまり、給付の「削減」と負担の「増大」という角度からのみふれているだけです。

 本人はおごっているなど、まったく自覚はないのだと思います。でも、この所信表明と、国民生活の実態との乖離を、しっかり明らかにしていくことが大事なのではないかと思います。
 

 

サマリア

 韓流ブームには乗り切れなかった韓国映画? 先日の映画につづきてまた、きびしい映画です。
 ストーリーに即して書くとまったくネタバレになるので…
 紹介は、この映画のホームページに譲ります

ヨジンは父と二人暮らしの女子高生。 彼女の親友は同級生のチェヨン。 いつからだろうか、援助交際をしている。 ヨジンはそれを嫌いながらも、チェヨンが心配で見張り役として 行動をともにすることに。そんな矢先ヨジンが見張りを怠った隙に ホテルに警官の取締りが…その手から逃れようと チェヨンは窓から飛び降りてしまう。 いつもどおりの笑顔を浮かべたままチェヨンは死に、 ヨジンはひとつの重大な決心をする。 「チェヨン、あなたの罪滅ぼしのためにお金を返してあげる」 そして、そんな自分の行動を父が見守っていることに、 ヨジンはまだ気づいていない…

 援助交際がテーマになった映画ですが、こんな映画は日本ではつくれないでしょう。たぶん、日本という社会が、若者たちにちっとも優しい社会じゃないからかもしれません。
 映画の結末は、絶望の中の光=希望でしょうか。紹介が言うように、若者たちの同伴者として、彼らの未来をみつめたいと思わせてくれる作品でした。思ったよりよかったです。

2005/09/25

いまどきの「常識」

025967990000 ごぞんじ香山リカ――俗に?リカちゃん人形と言われる――の新著。いまどきの「常識」といわれるものへの違和感、疑問、それでいいのかと問いかける1冊。「『反戦・平和は野暮』『お金は万能』『世の中すべて自己責任』…。身も蓋もない『現実主義』が横行し、理想を語ることは忌避される。大きく変わりつつある世間の『常識』を浮き彫りにし、それらを形作る現代社会を考察する。

 エッセイって感じで書かれているもので、緻密に書かれているわけではありません。ここんとこたくさん本だしているしね。だから、少し矛盾してんじゃないとうけとられるところもないわけじゃありません。でもね、それはそれ、いろんな問題の答えは1つじゃないし、多様であっていいんだよって十分感じさせてくれます。

 正直、この言論界というか、マスメディアが「常識」ってしているものには、すごく、しんどさを感じる今日この頃です。そんな思いを十分代弁してくれているという思いにさせられます。マスメディアの世界にも彼女のような存在があるから、救われるのです。ほんとうに。たぶん出勤の行き帰りで十分読み終えることのできる本。でも彼女が紹介する、こんな見方ができるんだよっていうものからは、そこに紹介されている本や議論もふくめ、もうちょっと知ってみたいと思えるような内容がたくさんつまっているのです。

若者たちと靖国神社

 若ものたち15人ぐらいと靖国神社に行って来ました。みんながそれぞれの見方をしたいという要望だったんで、見所みたいな資料をつくっておいて。遊就館では、まず、「私たちは忘れない」という、あの戦争は自存自衛の戦争だったという映画を50分。それから、1時間ほど館内を見てまわりました。私はと言えば数人を相手にポイント解説。館内にはなにやらあきらかに平和団体と思える集団が2団体ほど。いま、平和団体のツアーもすっかりふえたよです。

 見終わった後、40分ほど、感想をかねた交流会。やはり、平和運動をになっている若者たちだから、感想もしっかりしたものです。あまりにも一方的な歴史観、戦争観にいろどられていて、普通の人がすぐに共感できるとは思えないなどなど。私はと言えば、ほんとうは40分ぐらいの学習内容は準備していったんだけど、5分ほどしかしゃべれませんでした。でも若ものたちのこういう感想を聞けたのはよかったです。少し、資料も持参していったので、それを配布しようとすると、みんな熱心ですね。資料を求めます。学習の場や、学習の材料がまだまだ少なすぎるのです。

 そう考えると、いま若ものは学習しないっていわれるけど、むしろ問題は大人の方なのかもしれません。学力の崩落という言い方がされるけど、知的なことを敬遠するのはむしろ大人の方。こういうところに勉強しにくる大人たちは、平和運動をやっている人たちだって、人の話を聞いてそれで終わりってこと多いじゃないですか。むしろ若者のほうが飢えています。もし、大人たちがもう少し、学ぶことが当然視される社会をつくれば、社会は大きくわかるのかもしれません。でも学習はだれにもできるというわけじゃありません。だからこそ、もう少し、学ぶ輪をつくりたいものですね。

 帰りに、市ヶ谷で、『ブラックジャックによろしく』と『ドクターコトー』の最新刊とミスチルのCDを買って、途中、秋葉原の駅で、メイドさんに会いました。これも、若者文化の1つの形なのかもしれません。そんなに生きやすい社会じゃないし、そんなに簡単にわかるものでもないのが若者。そんなことも感じます。それなり疲れて帰って、すぐに団地の規約関係の委員会の会議、細かい字とむずかしい理屈で2時間、いやあむちゃくちゃ疲れた1日でした。

2005/09/24

今日はあまり仕事は進まず

 今日は、職場で3つぐらい仕事をしようと思っていたけど、結局、学習会の準備と、あと少しの仕事しかできませんでした。あれやこれや、どういう内容にしたらいいか思い悩み、相手とのあいだでも、つめがなかなか決まらず……。まあ、細かい時間などが決まったのも、ぎりぎり今日の夜だから、そこが今時の青年相手のとりくみなのかもしれません(笑い)。成功すればいいのですがね。

2005/09/23

is A.

 レンタルやさんで、何となく借りた作品。
 内容は、14歳の少年が渋谷で爆破事件を起こし逮捕される。少年法の規定により、4年後に少年院を出所した彼を待っていたのは教師を辞して清掃員として働く父と、事件によって家族を失った刑事だった。立場の違う二人の父親の葛藤と少年事件の実態……。
 内容が内容だけに、見ようかどうか、悩んで、見たあと結局、見なきゃよかったと半分ぐらい思う重い作品。俳優はそろっているし、出来が悪いわけじゃないですけど。また、この作品を「少年法」を問いかけた作品という人もいるけど、実際には、まったくそんなことはありません。
 被害者の親、加害者の親、その切なさは痛いほど伝わってきます。淡々と、冷淡に事件を描く展開、過剰ではなく押さえた演技。結局、そこから見ててくるのは、僕ら親(大人)は、子どもの苦悩は何もわかっちゃいないんじゃないかということ。
 僕らは哀しみを知らない
 僕らは痛みを知らない
 僕らは何も感じない
 僕らの静かなる戦場
 最初の犯罪のさい、小栗旬(好演)の少年が書いた詩です。そして少年は、最後に「お父さん、僕はどうしたらいいのかな」と言います。 エンドロールの後に、生き残った少女の姿があります。でも僕には、少年の思いを知る手がかりはありません。
 たぶん、見た人によって、評価も、解釈もまったく分かれるような作品です。

またまた深夜の飲み会

 昨夜は、またまた深夜の飲み会です。11時頃、仕事から帰ってくるとき、その日予定されていて、私は仕事で参加できないと言っていた会議の場から、メールが。どうも、その会議の重要人物(?)が、なぜかこないという話です(結局、日にちを勘違いしたそうですが)。電話をしてみると、かにとワインがあるとの話。誘惑に負けてその場に。会議の日にちをまちがえていた人もやってきて、そのまま、朝近くまで飲んでました。
 さて、私は、こういう場でも、議論するのがわりかし好きです。そういう人は、私以外にもいて、よく大激論をします。端から見れば、飲んでいる場でなんでそんなことをするのかと、ちょっと嫌がられているのかもしれませんね。でも、まあ、大激論をやっている本人たちは、後からふり返るとわりかし深まっていたりもするんですけどね。
 今日は、昼間で寝ていて、その後、ただただ一人でボーっとしていました。1カ月半ぶりのお休みですけど、まあ、どこかにいくお金もないし。明後日の学習会の準備をしなくてはいけなんだけど、なかなか気分ものらず、ほんと、ボーっとしていました。その後、夕食をつくって(今夜は、肉豆腐、サンマ、つみれのみそ汁)。その後、うとうと。

2005/09/22

プラップジャパン

 だれが、小泉劇場をしかけたのか? ネットをいろいろ読んでいると、今年1月から自民党が、プラップジャパンというPR会社と契約していることが出てくる。東京新聞にも同様の記事がある。この会社はいったい自民党にどんな知恵をつけたんだろうか。
 民主党とフライシュマン・ヒラード・ジャパンという米系のPR会社の関係は有名で、マニフェストの持ち込みなどはこの会社の成果などとも言われているが、このプラップジャパンの役割などについても、知りたいものである。

放送中止事件50年

025744840000  「テレビは何を伝えることを拒んだか」とのサブタイトルがある。この点をテレビ五〇年のあいだにおこった一六五の「事件」をとおして検証したのか本書である。
 五〇年代の「ひとりっ子」、六〇年代の「ベトナム海兵大隊戦記」など、放送中止事件と聞いて、連想する事件は少なくない。時代を正面から描いたドラマやドキュメンタリーは権力と衝突し、その介入を招くことになった。七〇年代に入ると、放送局が権力との衝突をさけ、娯楽化路線に舵をとる。八〇年代以降、極端な自主規制がすすみ、NHKなどの政治報道は、政権政党のためのものという色合いを強く出すようになっている。まず政治家に説明する――先のNHK政治介入問題が明らかにした問題だ。放送の到達点を鋭く問う一冊となっている。

2005/09/21

後藤田正晴氏逝く

 かつて中曽根内閣の官房長官、その後、副総理もつとめた後藤田正晴氏が亡くなった。イライラ戦争のさい、イランによってペルシャ湾内に機雷が敷設されたため、アメリカから自衛隊の掃海艇の出動要請があった。中曽根首相(当時)はこれを認める姿勢を示していたが、後藤田氏が大反対をし、実現しなかったことはあまりにも有名。私も、『情と理』など、氏の著作は何冊か読んだことがある。90になってもなお、積極的な発言は、たとえば、今年『世界』に掲載されたインタビューや、朝日や日経に掲載されたものなど、読み応えもあり、正直、共感することが多かった。
 戦前の内務省官僚から、戦後、自治省そして警察庁の官僚トップをつよめたこの保守政治家とは、もちろん、立場は大きくちがう。ただ、今の政治状況と比較したとき、どうしても「道理」や「理」というもののあるなしを感じてしまう。政治は、その政策が、どれだけ国民の利益に合致するのかの「理」をあらそうものであるはずだ。いまの論戦が、そこから遠く離れた、言い合いであったり、情緒的な議論であったり。それは、いずれは国民の離反をまねくはずだが。

自民党を壊した男

 首班指名で、340票。3分の2を大きく超える数字です。あらためて、その巨大な「力」をまのあたりにして、何とも言えない気分です。
 さて、先日、少し書いた『自民党を壊した男』をとりあえず読み終わりました。副題に「小泉政権一五〇〇日の真実」とあります。読み終えて、苛立ちだけが残ります。もちろん、読売新聞政治部の手によるものですから、小泉政権がすすめている政策の中身を検証したりするものではまったくありません。彼が、就任以来掲げてきた「自民党を壊す」ということがどうすすめられてきたのかが描かれています。党内での妥協や駆け引きを展開しながらも、構造改革をすすめるという点では、一定の流れがはっきりと見ることができます。
 これまで、橋本内閣以降の政権では、この改革は、成功しませんでした。小泉内閣でも「妥協」をくり返しているわけですから、この流れに、自分のなかで「過小評価」みたいなものはなかったのか、と考え込んでしまいます。ましてや、三位一体であるていどの妥協や先送りをはかりながら(でも、貫いている)も、郵政民営化にかけた攻勢。おそらく、早い段階から筋書きがあり、今年のある時期には、解散への準備も考えていたのでしょうね。そういうことも読みとれます。そう考えると、今年の前半は、私は、なんてお気楽な政治に対する見方をしていたのだろうかと落ち込んでしまいます。
 アメリカサイドの要望、そして、財界のこの間の、強いとりくみを考えれば、小泉さんがすすめようとした方向はちゃんと見えてくるはずです。一方で、財界は、二大政党制を視野に入れています。しかし、それは、手段であって、目的を達するためには、局面局面で、力の入れ方は変わってくるはずです。ここでも、政治の力学の見方が、とても甘かったと感じてしまいます。
 ただ、内部にさまざまな矛盾をはらみながらの小泉大勝です。そのことは、この本からのわかります。いちばんの矛盾は、じっさいになそうとしていることと、国民の要求との乖離でしょう。政治の動きを、しっかり見れるようになりたいものです。

ドイツへのつきない興味

 ドイツの総選挙が18日おこなわれた。現時点での暫定選挙結果は以下のとおりだ。 

  政党           議席数         得票率
 キリスト教民主・社会同盟   225(248)  35.2%(38.5)
 社会民主党           222(251)  34.3%(38.5)
 自由民主党            61(47)    9.8%(7.4)
 左翼党               54(2)     8.7%(4.0)
 90年連合・緑の党        51(55)    8.1%(8.6)
 ( )は前回2002年の結果。左翼党は前回は民主的社会主義党

 ここで、注目されるは、野党のキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU・CSU)が、与党社会民主党(SDP)を抜いて第1党になったが、実際には前回比23議席減のマイナスであること。連立予定の相手、自由民主党(FDP)が伸びたとはいえ14議席増なので、野党連合全体でもマイナス9議席だということ。過半数には及ばなかった。
 もちろん、与党のSDPは、前回比29議席減で、90年連合・緑の党が4議席減で、合計33議席のマイナスだ。が、ドイツの国民は決して、保守・中道という選択をしなかったことも注目される。

 躍進したのは、新しく誕生した左翼党で予想を上回る、54議席を獲得した。いわゆる「構造改革」を主張する、2大政党に対し、異議を申し立てた。東ドイツの生まれの民主的社会主義党と、シュレーダーの改革路線に異をとなえて社会民主党を離党した勢力が、共同してつくった左翼党だが、この経過も興味が尽きない。
 ドイツの現代史は結構おもしろそうだ。ワイマール、ナチの経験、そして戦後の「冷戦」のもとでの分断国家、いわうる「過去の克服」、長く続いた社民党政権と保守中道政権。
 この夏は、ドイツ現代史を勉強しようと、随分本を買い込んだけど、結局、夏休みはとれず、本棚のなか。遅くなってしまったが、秋の夜長の読書の楽しみにしたい豊富なテーマがありそうだ。

2005/09/20

街の姿が変わっていく

 職場の最寄りの駅から、職場までのほんの短い数百メートルの距離のあいだにある、酒屋さんが、2軒も姿を消した。一軒はコンビニに転身した店、もう一軒は、日本酒とワインの専門店に特化した店。きっと、都心の酒屋さんだから、飲食店への卸なども大きな仕事だったんだろうか、ゼネコンの本社がいくつかたあったこの街は、その整理のなかで、そういった企業が縮小し、飲食店もどんどん姿を変えている。コンビニも小型の店が乱立し、規制緩和でどこでも、酒などをおく。
 酒屋さんという呼び名からも印象をうけることができるように、街には欠くことができない要素がある。それがどんどん姿を消す一方で、高層ビルのは増えるばかりの東京の姿だ。
 一言で言えば、こんな街には住みにくいんだろうなと思う。深夜の交通機関が発達する一方で、年を重ねるなかで、職場に泊まり込んで仕事をするということはほとんどなくなった。が、自分はこの街には住めないんだろうなとは思う。都心にマンションもずいぶん増えた印象だけど。
 街の姿はだれが決めるんだろうか。街の設計というのは結構、論点も多い、困難な課題だとは思う。だからこそ、そこで住む人、そこで働く人の声が反映されるような街づくりがもっとすすんでもいいようには思う。ある意味でそれこそが地方分権ではないのか。構造改革のなかで、地方分権はくり返され使われてきたスローガンだ。が、そんな、生活者の視点の街づくりがすすんでいるとは到底思えない現実が、そこにはある。

涼しくなるかと思ったけど

 少しは、秋らしく涼しくなるかと思ったけど、やはり暑かったですね。いま帰ってきたばかりで、汗がダラダラです。
 今日は、朝からさすがに、体がだるかったけど、昨日のインタビューをなんとしてもメドをつけなければと、朝は、マシンの性能もよく、しかもデジタルの録音データを処理しやすい家のパソコンで午前中、仕事。午後から、職場で、その続きをしました。ほかに打ち合わせ、そして表紙やグラビアの処理などなど。インタビューのほうは快調に飛ばして、ほぼ九割形にするところまでがんばりました。頭は、激しく回転しています(笑い)。労働政策研究・研修機構の分厚い報告書から、イギリスやアメリカの若者政策について、いろいろ勉強もしました。インターネットの時代、ほんとうにいろいろな資料が豊富に手に入る時代ですねえ。
 結構、仕事の緊張が揺らいで、疲れが表にでる時間帯もあるんですが、何とかがんばったという一日でしょうか。
 グラビアなんかは、作者の思いをしっかりうけとめながらの作業ですから、それはそれで、すごく刺激をうける作業でもあるのですから。まあ、楽天的というや、人からは楽しく仕事をしているように見えるんだろうなあなどと思いながら。

2005/09/19

識者は語る

 総選挙の結果を、識者の方がいろいろ述べられています。
 五十嵐仁さん……改革幻想と変革願望、自民党に押し寄せた「変革願望」の波、「小泉マジック」と「小選挙区制マジック」の合体による巨大与党の出現、民主党の失敗と教訓、共産党と社民党への期待と注文、近寄るのではなく、遠ざかるべきだ
 浅井基文さん……共産党と社民党の健闘が意味すること、平和憲法を活かしきる国民的な運動を作り上げる可能性と条件、自民党の「大勝利」はその弱点をも露わにしたこと、自己責任における主体的意思決定能力を備えた国民が多数を占めることへの期待
 水島朝穂さん……「9.11総選挙」とは何だったのか
 山口二郎さん……再分配を否定した政治とは何か、戦後政治の終わりと小泉政治の始まり、民主党再建の方向性
 大谷昭宏さん……野党は、もう利害集団と甘えあうな!!― 戦慄…憲法改正議決可能な327議席 ―

 そのほか、いろいろ。
 個人的には、浅井先生の発言に注目しています。ぜひ皆さんも研究してみてください。

自民党は変わったのか?

 今日は、たっぷり寝て、昼前に、家を出る。三鷹のほうで取材。とても充実した内容。テーマはずばり「ニート」。家庭に囲い込まざるをえないようになっている深刻な実態。それをどう社会化していくのか。重い重いテーマだ。
 職場によって、取材の整理をはじめながら、夕飯前には帰宅して、今日は食事当番。ブリの照り焼き、やさい炒め、カボチャのスープ!
 さて、電車のなかで、読んでいるのが『自民党を壊した男』。本当は選挙中に読むつもりだったけど、本格的には選挙後になってしまった。読売新聞の政治部の手によるものだから、独自の政治家とのつなかりのなかでのレポートになっていて、書いてあることに同意するかは別としていろいろ知れることが多い。ほんとうに小泉で自民党は変わったのか。そんな問題意識で読んでいる。公明党と自民党との関係はどうなっているのか、民主党議員の生態など興味はつきない内容。テレビをみていても、今度の選挙でも、刺客といわれた候補の選挙も、実際には地方の建設業界がになっていたりする。これをどう考えるのかなど、私自身、結構、興味のつきないテーマをもっていて、いろいろ読んでみたいなあと。

やっぱり仕事してます(苦笑)

 職場では、十分消化しれなかった夏休みをとる人もパラパラ。が、残念ながら、私は、まだ1日も夏休みをとれないばかりか、この連休も仕事をしています。昨日はさすがに二日酔いで午後からの仕事。今日も、取材が入っている。
 働きすぎを問題にしながら、そこから脱却できずにいる自分がいる。大きな矛盾である。

前原民主党の危ない船出

 最初から危うさが見える前原民主党。前原氏は大学の後輩にあたるのかあ。もともと彼の所属していた高坂ゼミは、この大学の法学部のなかでも特異な世界であったと記憶する。ちょと5年ちがうので、大学であったりはしていないだろうけれど。

 さて、彼は、幹事長に鳩山由紀夫を選んだ。事前には野田佳彦氏だと思っていたので、びっくり。なぜ鳩山氏なのか。
 疑問はすぐとける。政調会長に松本剛明氏、国対委員長に野田佳彦氏という布陣。松本剛明氏は前原代表とこれまでネクスト・キャビネットの防衛庁副長官としてタッグを組み、軍事力重視の9条改憲派のバリバリである。野田氏は保守政治の本流といえるような対米関係重視の政策論客。そして、鳩山氏は、改憲案を出版するほどの改憲派の旗頭の1人。これでは改憲強硬派の執行部ではないのか。
 小泉首相が、郵政民営化で自民党を変えたことに学んで、前原氏は9条と安全保障問題で民主党を変えようと言うのかと勘ぐりたくなる。危ない前原民主党の船出である。
 

2005/09/18

働きすぎの時代

4004309638 途中、ほかの本を読んでいたりしていたので、やっと読み終えることができました。
 さて、本の内容は、岩波のホームページには

 6月中旬の土曜日、学会主張のついでに岩波書店に立ち寄り、本書の編集について打ち合わせをした。そのなかで「働きすぎ」に関連して、書店のアマゾンが「一分一秒の世界」だという話を聞いた。
 帰宅後、ネットで検索し、アマゾンの巨大な物流センターでは、時給900円で注文された本を「一分に三冊」のノルマでひたすら探し回るという新聞記事を探し出した。翌日曜未明、アマゾンに先の記事に出ていた本を注文した。すると「二四時間以内に配達する」という触れ込みどおり、月曜の午前中には家に届いた。送り元は千葉県、家は大阪府。この間600キロを宅配便はひたすら走ったのだろうか。
 アマゾンや宅配便のことは他人事ではない。今この国では正社員もフリーターも働きすぎで悲鳴を上げている。
 本書では、さまざまな職場の過重労働の実態を掘り下げ、世界に広がる働きすぎの原因に迫る。そして、まっとうな働き方ができる社会を創っていくために、いま何が必要なのかを提起する。

 との著者からのコメントが紹介されています。このアマゾンのエピソードはあまりにも象徴的。
 働きすぎということが、いまや世界に広がっている。東アジア諸国、アメリカ、イギリス…。経済のグローバル化、情報化社会の進展で、24時間、それも家庭のなかまで仕事はおしかけてくる。消費社会で、その働きすぎは生活すべてを包み込みことになり、一方でその形態は、労働の規制緩和で2極分化していく。フリーターの時代である。働き方のみならず、人生のおくり方そのものが、その方向で追いつめられている。社会の根本から変えなければならない。
 21世紀のグローバル経済と情報化社会のなかで、働きすぎにブレーキをかけるには何をすればいいか。著者は、最後に提言を多面的におこなっている。「市場」が人間のすべてを支配し、命までも奪っていくこの社会。この本で提起されている問題はものすごく重い問題だと思った。

生きづらさと自分の価値と

 昨日。よるの12時前によびだされて? 結局、朝の4時すぎまで飲んでいました。いつもの近所の人たちですが。まあ、子育ての悩みからはじまって、仕事の悩みなど、「悩み」だけでも話はつきません。人生、いつまでたっても思い悩むことの連続ですね。
 この話にもかかわるのですが、最近、いろいろな人と話をしていて、多くの人が「生きづらさ」を感じていることを痛感します。いったい、この「生きづらさ」の正体は何なんだろうか? 社会の中で、自分を評価される際、「能力」だとか、「個性」だとかで評価されることがあまりにも多くなりすぎているからなような気もします。それは、職場の労務管理だけではなく、地域も含め社会のありとあらゆる面に広がっているように思えるのです。しかも、自分自身が、自分をそのような目でいつも見ているからしんどいんです。私も、直接、「能力」を切り売りするような仕事だから、そのことを痛感します。
 「ニート」だと、ひきこもりの取材などをしていると、私たちが感じる「生きづらさ」と、共通する部分があるように感じることがあります。大人のほうは、あるていど人生の積み重なりの中で、居場所となるような人間関係が、よくも悪くも形成されていて、そこで生きていってます。でも、そういう人間関係がなければ、ひきこもりになったとしても不思議ではないのかもしれません。
 では、そんな生きづらさから、どうやったら脱出できるんでしょうね。肩の荷をおろすということがよく言われますが、なかなか簡単ではありません。そういう社会から抜け出すというわけにもいきませんし。私は、そんな自分の置かれている位置を、社会の現実をできるだけトータルに理解する努力をつうじて、いつも確認していることが大切なような気がしています。まあ、勉強していないとわからなくなると言えばいいのでしょうか。
 「能力」や「個性」などにとらわれない、人間としての「価値」が1人ひとりにはきっとあるのだろうと思います。そんな「価値」を知ることができればいいとは思います。でも、それは、社会そのものが、そんな人間1人ひとりを大切にするような社会にならないと、なかなかむずかしいんだろうなと思います。あまり「無理して」生きづらさからの「脱出」を考えるのではなく、自然と社会に向き合うような姿勢であれればと思います。

ノルウェー イラク完全撤退へ

 ノルウェーがイラクから完全撤退するそうです。さる十二日の総選挙で、労働党、社会主義左翼党、中央党の三党合わせて過半数を獲得しました。選挙戦で三党はそろってイラクからの将校引き揚げを公約に掲げていたのlです。次期首相に就くことが確定しているストルテンベルグ労働党党首は十五日、ブッシュ米大統領に対し、イラクに派遣しているノルウェー軍要員約二十人を引き揚げ、完全撤退させる方針を伝えたのです。
 もともと、ノルウェーはイラク戦争を支持していなかったのですが、フセイン政権崩壊後は米英の要請に応えて当初、百五十人前後の部隊を派遣していました。しかし昨年五月にはそのほとんどを帰国させ、現在は英、ポーランドの部隊に連絡要員が、またNATOのイラク治安部隊訓練要員として、計約二十人の将校を派遣しているそうです。そのすべてを撤退するのが今回の決定。
 私たちは、ここから、どんなことを学べばいいのでしょうか。

2005/09/17

そこそこ刺激的な日々?

 少し朝予定通り寝坊して、職場へ。今日は、インタビューを仕上げて、6本ぐらいバタバタと原稿の処理。軸は、雇用の流動化。帰りの電車のなかで、働き過ぎの時代なども読んだけどまとまった感想は後日。ただ、いまの若年層を中心にした、労働の実態やおかれ方の状態を見たとき、ものすごく考えなければいけない問題は多い。少し、その問題で若手とメールのやりとりも。政府の文章もこなし、一方で、するどい問題提起の著作も読み。結構、いろいろ刺激的にものごとを考える1日。
 しっかり8時過ぎまで仕事をして。
 帰りにビデオやさんへ。最近、ブログのエントリーが固い話に偏っているなと反省。映画も見てないなあ。ちょっと、何とかせねばと、DVDを2本借りて。
 刺激的な日は悪くはありません。
 

国民投票法(補足)

 senseさんから、ていねいなTBをいただきました。ありがとうございます。ブログで、まじまな議論ができるってことは、すごくいいことだと思うし、刺激にもなります。とくに若い方の意見を聞けることはうれしいかぎりです。senseさんのいうように、9条の問題について、しっかり議論したいところですが、私も同じく、忙しい身の上、少し時間的に、余裕が出たら、こちらからエントリーしてみたいと思います。いかがでしょうか。
 今日のところは、senseさんへの反論というより、短時間で書いているブログでもあるので、昨日のエントリーに、舌足らずの点があったので、それを補足したいと思います。つれづれ日記さんからも、コメントとTBをいただきましたの、その指摘にもこたえることにもなると思いますので。
 国民投票法については、実は、出てきている法案に即して、議論するというのが、本来のスジでもあると思います。すでに2001年11月に発表された憲法調査推進議員連盟の日本国憲法改正国民投票法案というものがあり、与党は、これを基礎に、若干の修正を加えたものを日本国憲法国民投票法案骨子(案)というものをつくっています。これらへの批判は、日本弁護士会が、すでに、批判の意見書を作成しているので、それを参考にしていただければと思います。
 問題は、では、一般的に、国民投票法を考えたときはどうかという問題です。憲法そのものが、「改正」を前提につくられているわけだから、国民投票法は必要ではないか、と言われると、それ自体はなかなか、否定できるもではありません。しかし、「しかし」がつくのです。
 なぜなら、どんなに国民の意思を民主的に反映できる、国民投票法をつくったとしても、それによって国民の意思が十分反映されないような巧妙なしかけを、改憲をすすめようという自民党が考えているからです。それが「改正」の手続きにもとづく、「新憲法」の制定です。おそらく中曽根さんあたりが考えたことなのでしょう。そのことによって、「一括」による投票にもちこもうというねらいが見えているからです。
 現在の改憲のねらいが、9条にあることは、第一次案を発表したさい、桝添事務局長が明言しています。この9条の改憲を、その他の項目とならんで「一括」でおこなおうというのです。
 つまり、「いまのような憲法をめぐる状況のもとでは、いかなる国民投票法にものるべきではない」――こういえば、私の真意が伝わるでしょうか。

2005/09/16

ほんとは言いたいことがたくさんある?

 この三日間ぐらいは、先週おこなったインタビューの原稿と格闘している。少しメドはついたとは思っているが。
 ほんとうは結構、ブルーな日々である。政治ジャーナリズムに身を置く人間として、冷静に考えて、今度の政治選択をそんなに悲観しているわけではない。問題は、その後の議論のありようである。本来、発言すべき問題にメスが入れられているのか、という苛立ちである。
 あいかわらず働き過ぎである。電車のなかでは、その働き過ぎの本を読んでいる。書かれていることは、いずれも自分にあてはまっている。でも、自分の仕事が、政治的な議論の成熟に、役立つのであればいい。が、選挙の議論は、あまりにもお気楽すぎないのか? そんな苛立ちの思いが募る。という愚痴を言ってみたかった(笑い)。

国民投票法は必要か

 結局、憲法委員会は、常任委員会としてではなく、特別委員会として設置されるようです。公明党内から「常任委員会だと、憲法改正の流れが加速する」との慎重論が出たためだそうで、同調査委には憲法改正原案の審議権は付与せず、国民投票法案の審議権だけを認める方向だそうです。(「憲法調査委」は特別委に…自民、公明の慎重論に配慮(読売新聞))
 しかし、国民投票法の審議がはじまるわけですから、事態は、やはり重大です。

 senseさんから、 「『国会の発議』を経ての『国会の提案』と『国民の承認』について、その手続方法・判断方法を明確にすることが、憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負う国会議員の責任ではないだろうか」というTBをいただきました。そこで、国民投票法についての私の意見をまとめておきたいと思います。
 私は、国民投票法の制定については反対だし、必要がないと考えています。
 なぜなら、第一に、これが、憲法9条を改悪することを目的とした法律であるからです。自民党の新憲法第一次案を見ても、その目的が9条改憲と96条の改憲にあることは(自身も語っていますが)明白です。
 しかも、第二に、この国民投票法が、憲法改正手続きを明確にするものなのかどうかという問題です。これまで、何回か、国民投票法案なるものが提示されています。しかし、そのいかなるものを見ても、たとえば一括投票か、条文ごとの投票かという肝心な論点については、先に提示されていたものは、政令で定めるとし、現在提示されているものの、別途法律で定めるとされていて、先送りされているのです。
 国民投票法が制定されていないことが、国会の責任を回避しているという指摘ですが、この法律が制定されていないことがはたたして、国民の権利を何か侵害しているのかということが大事だと思います。現時点では、国民の権利を侵害しているとは考えられません。国民の議論が成熟する過程で、この法律を制定してもなんら遅くはないです。
 こう考えると、改憲派の九条改憲を目的として、国民投票を制定することには問題がありすぎます。しかも、いま自民党は、新憲法制定という形で憲法「改正」を提案しようとしています。ここにはもちろん、現在の憲法がおしつけられたものだという思いが込められているのでしょうが、同時に、新憲法であるのだから、一括で国民投票にかけるべきだという思惑も見え隠れするのです。つまり、どんな国民投票法が制定されようが、実際の投票が一括でおこなうということがねらわれいることは否定できません。だから、私たちは、国民投票法には十分な警戒心をもって、接するべきだと思うのです。

2005/09/15

国連をめぐって

 今日の朝日新聞に次のような記事があった
 

安保理改革、時期明示せず 国連総会、成果文書案を承認
 国連総会は13日、14日から始まる国連特別首脳会議で採択する成果文書案を承認した。首脳会議最終日の16日に採択される。加盟国間の激しい対立で「軍縮と核不拡散」が全面的に削除されるなど、内容は大幅に後退。日本などが求めていた安全保障理事会の拡大も「早期の改革を支持する」という表現にとどまり、その決定期限を設ける文言は盛り込まれなかった。
……

 記事は、続きます。「成果文書案には、現行の国連人権委員会の「人権理事会」への格上げや、紛争後の地域の復興や安定のための『平和構築委員会』の新設、国連安保理を軸にした人道的介入を可能にする『保護する責任』などが盛り込まれた。当初案より表現が簡素になったものの、国連憲章から『旧敵国条項』を削除することも明記された。
 一方で成果文書の目玉とされている『人権理事会』は、その目的や役割、機能などを今後、1年間をかけて検討する、として先送り。開発やテロリズム対策などの分野でも、加盟国の意見が対立した部分を削除したり、表現をぼかしたりした部分が目立った。」などなど。
 国連ミレニアムサミットなどを通じ、課題となってきた、国際社会の問題に、いま、国連がどれだけ、こたえようとしているのか。慎重な検討が必要な地点にいるのは事実でしょう。議論の経過からみれば、総会を舞台とした途上国の発言の力強さが目立つような印象です。「 『軍縮と核不拡散』が全面削除されたことについてアナン事務総長は記者会見で『本当に恥ずべきことだ。今年に入って(このテーマで)2度も失敗した』と述べ、今年5月に核不拡散条約(NPT)の再検討会議が、何の合意もなく閉幕したことに続く失態であることを認めた」ということですが、軍事大国の責任の所在こそ追及されるべきです。だからこそ、常任理事国入りに汲々とし、アジアから孤立をを深める日本政府が、トータルでこの国連の課題にどのような態度で接しているのか、いまこそ問われているのです。日本政府は、いったいアメリカとの関係だけではなく、国際社会のなかで、どのような役割を果たそうというのか、いまこそ語らなければなりません。
 うー、説明不足かぁ?



若者たちに何が起こっているのか

4763404261 ずっと読み切ろうと思っていてなかなか読み切れなかった本です。この間、だいたい? 読みました。論文集ですし、これまでパラパラと読んでいたこともありますし。
 参考になるのは、若ものをめぐる文化的状況。振り子方の成長の環境から、トライアングルな世界の形成。消費文化という世界が若ものをつつむ。もう1つは、その中で、個体化と中西先生がいう問題。つねに個としての自分が世界にさらされる。一方で、縁辺化といわれる、社会のなかで参加を拒否され、きわめて劣悪な処遇で据え置かれる現実もある。
 若ものの生きづらさ、人間との関係をつくる困難さは、決して若ものの能力の問題ではなく、若もののいる社会そのもののあり方にこそ問題がある。だからこそ、いまなお、若ものの能力の問題として迫る、若ものにかかわる政策の枠ぐみ、大人社会の認識そのものが鋭く問われなければならないのだと感じた。

本性が出てくるぞ!

 昨日は、大増税宣言とともに、国会では、自公が憲法常任委員会の設置の提案をおこない、民主党がこれに応じるということがありました。21日からはじまる特別国会に、そのための国会法「改正」案を提案するというのです。これまでの憲法調査会は、形式上は、その役割は「調査」に限定され、いかなる法案提出、審議権をもたない調査会でした。常任委員会として設置することにより、改憲の手続きを定める国民投票法や国会法「改正」案の審議をすすめようとしているのです。
 改憲にかかわっては、すでに自民党が新憲法第一次案を8月に発表。11月に草案として発表にむかっています。国民投票法の原案もつくられています。国民投票については、そこで護憲派も勝負すべきという意見もありますが、新憲法という形で自民党が提案することで、条文ごとではなく、一括投票にされてしまえば、国民投票そのものが9条改憲について、正確に民意を反映できなくなる危険性もあります。だからこそ、その前の段階で、いかなる9条改憲につながる提案に反対していくことが大事なのだと思います。
 自民党の本性が見えてきた今、その阻止のためのたたかいも急速につよめなければなりません。

2005/09/14

闘えない軍隊

406272331X 読書生活へも、やっと戻ることができそうだ。まずは、『闘えない軍隊 肥大化する自衛隊の苦悶』。著者は、地方紙出身の東京新聞の記者。防衛庁防衛研究所で特別課程を修了している、防衛庁、自衛隊問題の専門家だ。イラク派兵の経過をたんねんに追いながら、自衛隊の変貌を描く。そこには、軍隊ではない自衛隊といしての苦悶と、それをのりこえ軍事的な自己主張をはじめつつある自衛隊の姿がある。テロ特措法あたりから、独自の動きをはじめる制服組、シビリアンコントロールが形骸化しつつあることが伺える。自衛隊に近い位置にある著者だが、その主張は、自衛隊が軍隊としなっていく道ではなく、現状の制約のなかで、国際貢献の道を探るべきだというもの。「憲法改正して『普通の国』となり、軍隊となることにあこがれる人は自衛隊の中にもいるだろう。だが、日本が海外で武力行使をしない特殊な国として戦後六十年過ごした実績を捨て去るのは愚かしいことだと思う」と言っている。

小泉劇場をつくりだすもの

 今日も、テレビニュースでは、やれ小泉首相が新人議員に派閥入会を自粛するように指示したとかがくり返し流される。派閥のありようの変貌なども追っかけられている。が、所詮、派閥がどうなろうが、それは自民党の内部の問題だ。国民にとって大きな問題は、この新政権が、何をやろうとしているのかという問題であるはずだ。夕刊フジは、「小泉早くも大増税劇場開幕、定率減税07年にも全廃」と題して、谷垣禎一財務相は13日、「(定率減税は)異例の措置で整理する必要がある」と述べ、今年度末の06年度税制改正で、07年にも定率減税を全廃させる意向を示したのだ、と報道している。こういった、ニュースをテレビではしっかり分析する気配はない。
 昨日のエントリーで、今回の投票動向は、議席でしめされているほど大きな変化があったわけではないことを示したわけだが、自民党大勝とバカ騒ぎしているのは、メディアのほうかもしれない。考えてみれば、小選挙区制という制度であるかぎり、こういった一方的な勝利は、どこの政党では、いくらでもおこるのだから。選挙後も、ひきつづき政治の動きを劇場のように報じるメディア、そこに目を奪われず、本質を見つめたいものである。

2005/09/13

国民の政治意識は

神戸女学院の石川康弘先生は、今度の総選挙の結果をうけ、HPに次のように言っています。

市民の政治意識の時代ごとの変化,ジャーナリズムや知識人の役割の変化, 「期待される人間像」のスローガンに象徴される教育「改革」の「成果」など, 政治をめぐる今日の市民的意識の形成を深くとらえなおす研究がいるように思う。 権力史としての政治史ではない,権力と市民の攻防の政治史である。  …… さて,日本の市民の政治意識をどのように説明すれば良いものか。 外から見れば,そりゃあ,右傾化だよなあ。

 政治学者の五十嵐仁さんはも小選挙区制の問題にふれながら、

今回の与党圧勝には3つのポイントがあるように思われます。一つは、郵政一本を争点として造反議員に「刺客」を放った小泉首相の「劇場型」選挙戦術であり、第2は、これを広く茶の間に浸透させ、結果的にこの「戦術」に乗せられたマスメディアの役割であり、第3に、それに魅了されて一票を投じてしまった有権者の変貌です。

 と言っています。この有権者の変貌について、五十嵐先生は、さらに考察をすすめ、改革幻想には国民の変革願望があるとして、
この523万票(自民党の得票増)は決して「バカな国民」などではなく、日本の政治を変えたいという「変革願望」の特殊な現れ方のように思われます。選挙のたびごとに、その受け皿を求めてさまよい続けてきた「変革願望」が、「改革幻想」に惑わされて小泉自民党に向かったというのが、今回の結果なのではないでしょうか。

 とのべています。

 衆院選党派別得票数(比例代表)の前回との比較してみると(万票)、
 自民党   2589←2066  +523
 民主党   2104←2210  △106
 公明党    899← 873   +26
 共産党    492← 459   +33
 社民党    372←  303   +69
 と、自民党以外にそう劇的に得票の変化があったわけではありません。あいかわらず、2大政党制の枠組みはあるわけです。これが何を意味するか?
 今回、新たに投票に行って、自民党に投票した人などの中には、明らかに、五十嵐先生のいう「変革願望」があると思います。
 もう1つ、私は、東大の蒲島先生が分析しているような、80年代、90年代に大きく築かれてきた、保守的な政治意識つまり、経済を大企業の動向と一体と考えたり、安保条約を日本の政治の前提と考えるような政治意識のもとで、その枠内で、批判的な投票動向を、自民党と、その補完的な政党、組み合わせによっては共産党への投票もふくめて行うような政治行動のパターンというのは、ある程度的を射ているような気がしています。
 だからこそ、もっともっと本質的な政治的成熟が日本では課題になっているのではないのか、そう思うのですがいかがでしょうか?

サマワ撤退か?

 昨日は、英豪がイラク撤退かと書きましたが、今日の読売新聞によると、サマワ撤退が正確な情報のようですね。

英・豪軍、サマワ撤収を検討 自衛隊駐留に影響
 自衛隊が復興支援活動を行っているイラク・サマワの治安維持を担当するイギリス軍とオーストラリア軍が、サマワからの撤収を検討していることが明らかになった。すでに日本政府に打診している。
 英・豪軍は来年夏ごろの撤収を念頭においていると見られる。両軍の撤収時期は、自衛隊の駐留の延長期間に影響を与えるのは確実だ。
 外務省幹部は13日朝、「1、2か月前に英豪両国がサマワからの撤収を検討していると伝えてきた。撤退の時期については、明示はなかった」と語った。

 いずれにしろ、12月の期限切れに向け、自衛隊のイラク派兵延長の問題も目を離せませんね。

暑い ちょっとブルーです

 相変わらず、暑い日が続きますね。疲れからか、少し風邪を引いたのか、朝から胃がきりきり、調子の悪さを引きずりながらの出勤。疲れてます。仕事は、先週のインタビューの整理、結構手間がかかりそうです。昼からは会議です。現在の政治情勢をどう見るか? 今年いっぱいの企画をどうするかなどが議題ですが。勉強すべきテーマとやるべき仕事だけがたまっていきます。
 職場でも、いろいろな会話がなされます。お気楽な会話にもつきあったりしますが、あんまりお気楽すぎると、少しブルーになったりしてしまいます。

2005/09/12

英豪がイラク撤退?

 夜のTBSのニュースで、英豪がイラク撤退を日本に打診という報道がされていました。任務完了のメドがたたないため、イラクの憲法制定の国民投票を契機に撤退を検討しているともいいます。さて、どうなるのでしょうか。
 アメリカでは、ハリケーンの対応をめぐって、ブッシュ政権にきびしい批判も広がっています。日本でも、小泉・自公政権は大勝しましたが、そんなにうまくいくものではありません。このイラクの問題も、派遣期間が切れる12月は1つの山場になります。英豪の動向次第では大きなゆきづまりに直面することになります。靖国の問題は何も解決をしていません。目の前には6者協議があります。そして、ねらう大増税。
 たしかに、自公の大勝は、決して、楽観はできない事態です。が、そう悲観ばかりしててもしかたがありません。言ってみれば、改憲勢力のなかで、議席が動いたに過ぎないですから。むしろ、ますます、政権のやることと、国民の生活とは、距離が遠くなるに違いありません。だから、自信をもって、言うべきことを言う必要があるのです!

通常の仕事です?

 忙しい日々から、通常の忙しい日々に戻ります。
 それでも今日は、昨日、ダラダラと飲んでいたので、少し遅めの出勤です。が、途中、電車がとまって……。
 とにかく、職場では、たまった実務を処理することからはじまります。猛烈に、仕事をしなければ追いつかない状況ですから。
 選挙の忙しさのなかで、読書もあまりできませんでしたから、今日から、本もいっぱい読むことにします。今日は、自民党と自衛隊でした。

 さて、昨日のお酒のさなかは、子育てって大変! というテーマでしょうか? ほんと事件は続きます。わが家の悩みはやっぱり、学費でしょうか。長男の学費と仕送り、二男の高校も学費、そのうえ、つれ合い殿が、学校に行きたいなどと言っています。3人目の学生が生まれるのでしょうか。私の薄給ではとても展望がありませんが、どうなるんでしょうね。

総選挙の結果に思うこと

 総選挙の結果は、自民の圧勝、民主の惨敗、共社の現状維持という結果に終わりました。報道によると開票を受けての、「新政権に一番やって欲しいことは?」の質問に、「景気回復」が318票を集め、最も要望が強いことが分かった。小泉首相が全面に押し出した「郵政民営化」は62票で5位だった、というのです。いったい何のための選挙だったというのでしょうか。
 なぜ、自民党が圧勝したのか? 比例区で自民党は2589万票、民主党が2104万票ですから、自民党の快勝と言っても、議席のうえで、296議席対113議席という差とは格段の違いです。ここまで、自民党が圧勝するほどの差ではありません。つまりポイントは小選挙区制という制度にあるということができます。少しの票の差で、地滑りてきな勝利をもたらす仕組みがここにあります。
 もう1つは、何と言っても、小泉劇場と言われた、”郵政民営化”をめぐる首相の主張――何回も言いますがそれはウソのうえにおこなわれたものですが――と、改革をとめるなという主張が、閉塞感を感じている有権者の心をとらえたということがあると思います。もちろん、そこには、そのことをあおったマスコミの責任もあるし、CFに見られるような自民党のうまさもあります。
 ここで、問題なのは、なぜ、小泉さんのウソにもとずく主張が国民の心をとらえたのかということです。圧倒的な人々が感じる、閉塞感と不満という面と、自己責任という言葉が流行したことにしめされたような、競争にうつかつことこそが明日をひらくという国民の意識の側の「とらわれ」? があるように思います。もっともっと国民のあいだでの議論が必要なのです。郵政民営化の目的をふくめ、小泉改革にたいして、その本質を国民がしっかり理解する、そんな議論はまだ過渡期なのでしょうか。
 これから、政治の舞台では、郵政民営化とともに、大増税も大きな対決点になっていくにちがいありません。憲法の問題も含め、もっともっと議論が必要なのだと思います。
 

2005/09/11

わかものとの勉強会

 総選挙の当日ですが、地域の若ものたち数人と、戦後の政治史について、勉強会をしました。いったい、こんどの異常な選挙が(結果も、出口調査では驚くようなものであるようですが)、どのような位置になるのかを考えました。そのとき、日本の政治につらぬかれている異常。侵略戦争について”名誉回復”をはかろうとする異常、アメリカの窓からのみ政治をみる異常、そして、大企業のための”ルールなき資本主義”という異常が日本の政治に貫かれていること、そして、小泉首相の言う「改革」なるものが、80年代後半からすすめられてきた、より大企業優先の政治、アメリカに追随する政治を究極におしすすめようとするものであること、その矛盾をのりきるために、90年代以降さまざまおこなわれた、国民の批判を違う形のその枠のなかに押しとどめようと言う策略のものであることなどの話をしました。少人数の学習会ですが、いろいろ疑問も出し合いながら、1時間半ほど、話し合いました。全然準備なしでしたが、ためになったのかなあ。

ひっそりと1万5000カウント

 今日、1万5000カウントを突破しました。1万カウントから37日間。平均は、1日135カウントです。少しずつ、カウントは増えていてうれしいです。しっかり、がんってエントリーしたいですね。今日までは忙しかったです。明日からは、通常行動。力を入れてしっかりしたエントリーに努力しますね!

2005/09/10

李香蘭

 今日の、朝日新聞の夕刊にかつて自民党の参院議員だった山口淑子さんが、「歴史学び、痛み知って」という一文を載せていた。中国の大地に生まれ、日本人でありながら、中国人女優「李香蘭」として活躍した彼女は、次のように言っています。

 ……
 中国では多くの人が死んでいます。日本人は水に流したつもりでいるけど、日本が何をしたか教科書で若者に教えなければ。戦争を二度と繰り返さないために。
 今度の選挙によせた、「私も『ワンフレーズ』」というコーナーです。その経歴だけに重みのある言葉だと思いました。

凛として

 今日いやいや昨日、ちょっとした機会に、かつてともに運動した、近隣の市の学童保育の指導員の先生にあって話する機会がありました。ご存じの方はご存じだと思いますが、学童保育というのは、相変わらず、不安定な制度です。これだけ子育て支援が叫ばれ、ていてもです。むしろ、将来を見れば、市場原理の嵐が目の前にせまっているような気配です。いまは、各地で指定管理者制度というものが、大きな問題になっています。
 こうしたなかで、子どもたちとしっかり向き合って、実践で格闘する。そして、自分たち自身の人間としての権利をしっかりと足を地につけて主張しながら、学童保育の制度について考える。その根本にある社会や政治の問題にも目を向けながら。本当に、毎日くたくたになりながら、たいへんですよほんとに。うまくいかないと悩みながら、それでも手放さずにがんばっている姿には、心がうたれ、こちらもがんばろうと思ってしまいます。みんなえらいなあ。

2005/09/09

しっかりした選択を

 つれ合いは、近所のいつものメンバーで、9時に9条に乾杯! としゃれこんだみたいです。私は、遅くまで、仕事というか、活動というか。もうお気楽なんだと、やっかみ気分です。ただ、9条の問題は、本来は、総選挙の重大な争点であるはずです。だって、自民党は、すでに具体的な改憲案(新憲法案)を出してきているんだもの。民主党や、公明党も、しっかり改憲の議論をすすめています。憲法調査会では、改憲派の調整もそれなりおこなっています。
 文字どおり、日本を、海外で戦争できる国にするというのが改憲のでしょう。自民党の案には、明確に、9条2項を削除すること、軍事的な国際貢献をうたっています。
 冷静で、しっかりした選択を。この問題でも願うばかりですね。

2005/09/08

人間が大切にされる社会を!

 今日は、職場経由で、横浜の金沢八景へ。大学の研究者に企画の相談です。若ものの就職の問題、フリーターやニートの問題などについて2時間弱話を聞いたりしました。若ものをめぐっては、さまざまよく考えなければならない問題があります。ただ、話をしていて、ものすごく思ったのは、社会の側は人間を大切にしなくなっている、そのことが、若ものの成長のありように歪みをあたえているということです。そして、われわれも、そういう社会で困難をかかえているということです。うーん。

2005/09/07

サマワの自衛隊

 今日の報道ステーションで、綿井健陽さんが、「自衛隊イラク派遣から一年半 『復興支援』の今」というレポートをしていました。7月に彼が、サマワに入ったときの報告です。『世界』の10月号でもサマワ現地報告として、「崩壊した『友好』、自衛隊に向けられる『敵意』」というリポートをしていますが、いまサマワで、日本の自衛隊がどのようにうけとめられているかに関する貴重な報告です。とにかく、日本の大手マス・メディアは、現地に行っていないですから。古館氏も、「私たちは何の情報もない」と言っていましたが。
 ひとつだけ、綿井さんのブログから紹介しておきます。

Q「自衛隊がサマワで何をしているのか知っていますか?」
サマワのある男性「何も知りません。自衛隊は道を通り過ぎるときに『バイバイ』と言ってます。それだけです。ほかには何もありません」「自衛隊はただ私たちに『バイバイ』と手を振っているだけです」(05年7月25日 サマワ商店街にて)
鋭い皮肉・表現だ。

 これだけ、問題のある自衛隊のイラク派兵。この点も、ぜひこの選挙の争点として考えてほしいと思います。ほんとに。


2005/09/06

恐ろしい!

 自民党のCMがテレビでいっぱい流れています。あの「郵政民営化はすべての改革につながっているんです」というやつ。27万人の郵政公務員の既得権うんぬんとって、あたかも郵政民営化が、国の財政赤字の問題を解決につながるようなことを言っています。微妙に言葉をにごしていますが、見た人はそう思うでしょう。でも、何度もいいましたが、郵政に国民の税金が一銭も投入されていないことは政府自身が認めていることです。職員の賃金もふくめ、すべて独立採算でおこなわれているのです。郵政の民営化は、行政改革にはなんら結びつかないのです! なのになぜこんなことを強弁するのでしょうか。いろんな人と話していて、この点を誤解している人って多いんです。こんなことで、日本の政治の明日が選択されてはたまりません。CMを見ていると恐ろしい! と感じてしまいます。
 それに、民営化が、どうしてすべての改革につながっているのでしょうか。国の税金を使っていない以上、財政赤字の解決にはつながらない。外交のもつ難問の解決にもつながりません。アジアの国とうまくいかないのが、どうして郵政民営化のせいだというのでしょうか。
 先日、杉田敦さんの小論を紹介しましたが、問題なのが、官から民へといったときの、民の中身です。民営化ということが、市民の声が反映されることにつながるのかということです。この問題では、TBをいただきました。お返事のコメントは、後日、差し上げたとは思いますが、ここで言っておきたいのは、小泉さんたち現在の政権担当者がすすめている、民営化、民の力の活用というときの民で、想定されているのは、あくまでも大企業です。郵政民営化の場合は、アメリカの金融資本までふくみます! 民の補完を官でおこなうということを一概に否定はしませんが、官が責任を負うべき分野もあるはずです。何を官が責任を負うべきなのか。郵政の問題も、教育の問題もしっかり、考えなければならないと思います。

俺は、君のためにこそ死ににいく

 洋さんのエントリーに刺激されて、先月、「近ごろの日本映画は」でも書いたことだけど、愛する人のために死ぬということについて。昨年9月の『文芸春秋』に石原慎太郎が「特攻と日本人」という一文を寄せている。このエントリーのタイトルの映画のもとになっているものだ。石原の主張は、特攻は、愛する人のために死ぬという純粋な行為だというもの。軍部首脳愚かさや過ちとは無縁の行為だという主張。このことについて、ずっと考えていた。靖国の思想にしても、小林よしのりの主張にしても、結局は、この特攻の美化を核としているという点では共通している。
 戦前の日本の軍隊は、住民の虐殺に代表される対外的な残虐と一体となった、兵隊を虫けらのように扱う体質があったと思う。愛するためという行為と、特攻という行為には明らかに飛躍がある。この議論は、そこを一体にすることでこの軍隊の本質を巧妙に覆い隠しているのではないか。
 そのとき、この飛躍を乗り越えるために、もちだすのが小林よしのりなどの「公」の議論であったり、故郷の自然と一体となるような愛国心だ。ここには、「愛する」ということを、国家にとりこんでしまうレトリックが存在している。いつのまにか、あの戦争自体を美化したり、その戦争を遂行した天皇制そのものを礼賛するようなしかけが忍び込まされている。
 実は、ことの本質は、では若者の「生きがい」ってなんだろうという問題もあるんだと思う。ここに、いまの若者、とくに男の子たちが、気分として、この「愛する」を受け入れやすい、「生きがい」をめぐる、困難さ、むずかしさもあるのだと思う。歴史認識の問題、平和にかかわる問題であると同時に、きわめて、現実的な生活にかかわる問題でもあるのではないのかと感じたりもするが。
 このテーマは、私にとっては、2カ月ほどまえ、ある現代史の研究者から問題提起されたもの。どうしあげればいいか、進行中の課題である。

2005/09/05

なぜ正論が通らないのか

 テレビで党首討論を見ていて、どうしても道理ある議論がおこなわれているとは思えません。郵政民営化、1つをとっても、郵政事業に一円の税金も投入されていないと指摘されても、首相は、郵政民営化リストラにつながるんだと強弁しつづけます。なぜ、正論が、この政治の世界で通用しないのでしょうか。
 その1つは、世界で数少なくなった、企業献金が日本ではなお残されていることだと思います。主権者ではない企業がどうして、献金をおこなえるのか? 企業献金と賄賂はいったどうちがうのか? かつては指摘されていた問題が、最近ではすっかり後景にしりぞいているようですが、日本経団連は、自らの発表で、自民党に22億2000万円、民主党に6000万円の献金をおこなっているそうです。
 もう一度、原点にもとづいて、この国の民主主義のあり方を問いかけるべきなんだと思います。

急がしいっす

 政治関係の仕事ですから、選挙はほんとうに忙しいです。選挙戦は、各党派の政治的主張ががっぷりとぶつかりあいますから、やっぱり面白いですね。日本の正体が見えてきます。

2005/09/04

官から民へとは

 昨日の朝日新聞の、オピニオンの欄に、法政の杉田敦先生が、かつて市民運動は「官から民へ」という言葉を使っていたが、そのときは、NPOなど市民の力を活用するということだった。しかし、いまは市場の力という意味でつかわれているという一文を載せていた。たしかに、官から民への民は、市場のプレーヤー、勝者となるべき大企業をさしているにちがいない。しかも、その市場というとき、私たちは、一般に、市場の力を否定はしないが、そういう市場ではなく、すべてのものが、市場で競争にさらされ、効率化されるべきだと主張する、そういう「市場」を意味している。いわば市場原理主義とでも言える。そう、なんでもかんでも競争だ。われわれの資金すべてが、リスクを背負って、市場に現れなければならないととく、それが郵政民営がなのではないのか。

2005/09/03

郵政民営化で資金の流れは

 今日の朝日新聞に、郵政民営化で、資金の流れはどうなるのかという特集の解説記事がのっていました。わかりにくい文章なのですが、ようは、郵政を民営化したとしても、日本の国会財政の膨大な赤字が解決しない限り、資金は結局、国債など公的な資金に民間から流れ込むとの結論です。実は、その、根拠として、経済財政諮問会議が6月1日におこなった議論の際の、慶応大学の跡田さんの議論をあげているのです。跡田さんは、竹中大臣の強力なブレーンです。跡田さんが民にお金が流れると主張する、最大の根拠は、お金を集める段階で、官がなくなるということにすぎません。財政赤字がある限り、官の資金需要は大きく、そこにカネが流れるのです。だからこそ、民にカネが流れる必要があると跡田さんは主張します。理由はリスクを負うような経済活動をしないと、カネは官にながれ、経済は活性化しないというものです。えっ、リスクを背負って、銀行にいくら税金を投入したのでしょうか。そのことはまだ、総括されてはいないのですが……。官から民へという主張の欺瞞、よく考えたいものです。

つくる会の結果について

 新しい歴史教科書をつくる会が、今回の教科書採択結果について、声明を発表しています。会見でも、「採択結果は、歴史が約0.4%、公民が約0.2%となり、目標とする10%には及ばなかった」としながら、その原因として、「今回も朝日新聞はメディアにあるまじき不当な誹謗をし、国内の反対勢力は中韓の外圧、とりわけ韓国の政府・民間を引き入れての採択妨害活動に熱中した」と非難しています。
 採択を実数で、カウントすれば、歴史が5000冊、公民が2500冊ていどで、通常なら採算割れの数字です。市民の良識が今回も大きく示されたと思います。
 しかし、それでも、つくる会は、「4年後の教科書採択に三たび挑戦する決意をここに宣言する。中学校社会科の地理の教科書、家庭科、国語など他の教科の教科書にも進出するなど、新規事業についても検討する」としています。そして、その方向を、「教育委員会制度、教科書採択制度を全体的に見直し」においています。今回は、つくる会が直接、運動したというより、日本会議という右翼団体や、自民党の政治家が直接全面に出た地域が多かったようですが、「教育委員会制度、教科書採択制度を全体的に見直し」というのは、より政治が教科書の採択に介入しやすいようにしようというものにほかならなと思います。「採択地域ごとに見ると、2対3で敗れた地域も多く、いわゆる「惜敗率」は極めて高い。勝利宣言をしたい思いだ」とも言っています。今回の、政治主導の動きがそれなり、教育委員を動かすことに成功しているという判断をしているのだと思います。
 大事なことは、実際に教育をおこなう専門家である教師の意見がしっかり反映されること、そして教育をうける権利の主体である国民の意見が反映されることなのだと思います。私たちも、守りの姿勢ではなく、より教育をよくしていくための議論を今後に向けて広げていかなければなりません。

「改革」とは何だったのか(Ⅲ)

 この6月まで、国連の常任理事国入りに向け、政府が、狂騒と言っていいほど、熱中していた。しかし、その結果は無惨に終わった。アジアのなかで共同提案意思表示をしたのは、モルジブ、ブータン、アフガニスタンの三カ国! 隣国も支持するヨーロッパにおけるドイツとは大きな違い。インドやドイツの政治家の中には、日本と手を組んだことを悔やむ人もいるという。
 問題は、そのことをこの選挙で何も語らないことだ。郵政民営化さえうまくいけば、国連の常任理事国入りができるというのだろうか? アジアを無視した外交姿勢。そのことが問われている。
 もう1つ、外交の問題ではイラク問題がある。治安は極端に悪化し、内戦へと向かいかねない情勢である。アメリカがイラクに介入した最大の口実は、大量破壊兵器だったが、その口実が破綻した。100歩ゆずって民主主義国家をつくることだといっても、それがどんな結果をもたらしているのか。もともと、民族的な対立の要素がある国家で平和な権力をつくることは特有の困難さがある(イラクに民族的な対立が根深くあったとは思わないが、フセイン政権の崩壊を契機に、対立がもちこまれることになった)。誤解を恐れずいえば、民族的な力の差があるこの国では、形式的な民主主義は、民族対立を激化し、その国を不安定化させた。問題の本質に向き合える第三者でないと、仲介の資格はない。この点でのアメリカの責任も問われるべきだ。日本の責任も同じである。

2005/09/02

戦後史のなかで自民党政治を考えたい

 不破さんの『私の戦後60年』などを読んでいてもつくずく感じるのだが、日本の戦後史のなかにつらぬく、自民党政治の特徴がある。それは、露骨なアメリカに追随する政治であるということと、もう1つは、大企業応援の政治ということだ。いまから30年前の、不破さんの国会質問の回想からも、そのことがよくわかる。核密約の問題、日本列島改造論、そしてトヨタの看板方式の問題。日本の経済が大きな曲がり角に直面する80年代、自民党政治は新しい対応をおこなう。それが中曽根政治であり、臨調行革であったのだと思う。バブルをへて、いまの小泉政治は、この政治のあり方を極限まですすめたものとしか言いようがない。「自民党政治の終わりのはじまり」のこの局面に、選挙での選択を誤ってはいけないと思う。

長めの会議

 今日は、職場に出勤です。少し先までの企画のアウトラインの確認です。いろいろな問題を出し合いながら、研究課題も計画にしていきます。法人税制の動向、労働法制の規制緩和の行方、イラクの今後、義務教育の問題など、いろんなテーマがあります。
 昼から、夜にかけて、執筆者や専門家に何人か電話で話、また、何人かの人とのディスカッションの場ももちました。選挙がたたかわれ、政治がドラスティックに動くなかでも、企画ものといわれるものを、少しずつ固めていく作業をさなければならないのです。
 電車のなかでは、共産党の不破議長の『私の戦後60年』を読んでいます。もうすぐ読了です。これ、面白いです。

2005/09/01

政治の「戦後化」と「安保翼賛化」

 法政大学の五十嵐仁先生が、自分のホームページ、「政治の『戦後化』と『安保翼賛化』」という論文を、掲載しています。短い論文ですが、戦後の日本政治の流れの本質部分を理解するうえで格好の材料を提供してくれています。戦後の政治の動きを「戦後化」と「非戦後化」という概念でとらえ、とくに中曽根内閣以降の日本の政治の流れ、いいかえれば「改革」というものが、本来ある、日本の「戦後化」という政治過程から、非常に逸脱して姿だと指摘しているのです。
 小泉内閣がすすめる「改革」とはどういうものなのか。それが歴史的にはきわめて、異様なものであることを浮き彫りにしてくれています。ぜひ、ご一読を。

二足の草鞋

 今日は、職場には出勤せずに、地域でのいろいろな活動。なかなか説明しにくいのですが。まあ、仕事での主張を地域でもするというのでしょうか。いろいろ、地域の人の話を聞いたり、若ものたちと討論したりです。空いた時間は、通常の仕事の資料に目をとおします。中教審の義務教育の審議の中間報告をよみはじめています。義務教育の問題は何とか料理したいなと思っています。
 今日から、新学期ですね。早いものです。さっそく、二男が、カギをわすれていったようです。が、つれ合いが、なかなか帰ってこなかったようで。ちょっと、大変だったようなんですが。
 しばらく、2足の草鞋で忙しい日が続きます。またまた、休みのない日々です。

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