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2005/08/11

戦争体験は無力なのか

00023653 いま、電車のなかでは、石川真澄さんの、『戦争体験は無力なのか』という本を読んでいる。いま一章を読み終えたところ。昨年、亡くなった石川さんには、生前、何度かお会いしたり、電話でお話を聞いたことがある。いちばんじっくりお話をお聞きしたのは、今から8年前、氏が朝日新聞を退職し、新潟の大学で教鞭をとられていたころ、新潟までいってお話をうかがった。ちょうど、その日が二男の小学校の入学式の日で、二男には申し訳なく思いながら、新潟に向かった記憶があり、よく覚えている。
 いまから8年前といえば97年、政治改革が破綻し、橋本内閣のもとで、「改革」なるものがすすみはじまた時期だったろうか。政治の現状にたいする危機感を全面的に表明する方で、朝日のOBというのは悲観的な見方をする人が多いのかなあなんて感想を、生意気にももったのだが。
 一章のタイトルは「昔の影がのびてくる」というもの。読んでいて、いまにして思えば、石川さんの危機感の表明は、残念ながらそのとおりに政治が動いているとしか言いようのない事態になっていることには、息がつまる。そのもとで、戦争の体験というものが、継承されているのかという問題の提起は、ハッとした。
 先日、被爆体験を聞く会に参加した。僕らは、どれだけ、かつての戦争のことを直接、聞いてきたのか。文献ではなく、生きた経験として継承してきたのかということは考えさせられた。加害の、被害の痛みをどれだけ、理解しているのだろうか。そして、どれだけ、それを若ものや子どもたちにつなぐことができているのか。
 いまどきの若もの、いまどきの子どもという前に、考えなければならないことがある。思索というのは、知識や経験の継承があってこそ生まれる。いまの政治のなかで、考えなければいけないと思う。
 さて、総選挙に向かう政治の混迷。石川さんが、生きておられたら、どんなことを考えただろうか。二章は「いまの政治は腐っている」。その答えは、読み進めたうえで後日。

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» ☆ 戦争体験は無力なのか ある政治記者の遺言 [始めようホームシアター]
石川 真澄 (著), 国正 武重 (編集) 岩波真澄  本書は、1933年生 -2004年没(71歳)の政治記者「石川真澄」氏の記事等をまとめたもの。  「戦争体験は無力なのか」というタイトルは、おそらく著者の心情を良く表現したものであるし、本書の中軸にあるテーマでるが、それは感傷ではなく、体験を次世代に伝えていくことの難しさという事になろうか。  1945年の終戦時に中学1年生であったという著者は、戦時中は「教育勅語」も暗唱させられたし、小学生時代には、いわゆる「鬼畜米英」の気持ちも多少はあ... [続きを読む]

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