10代の事件が続くが
今日も、高校生が学校で同級生を刺すという事件があった。教室に爆弾を投げ込んだという事件、父母を殺害し家を爆発させたとされる事件、兄を殴り殺したという事件などが続く。マスコミはセンセーショナルにこれらの事件を報道し、その背景をさぐる。
事件となる背景は、それぞれ個別に大きな問題をかかえていることが多い。しかし、たとえば、それぞれの家庭事情の問題など、個別的な問題をこんなにもセンセーショナルに追いかけることが本当に、どれだけ重要なのか(まったく意味がないとは思わないが)。しかも、個別の原因の究明は、その個別の原因の抑止、つまり厳罰による対策などに、むすびつきがちでもある。報道により、問題をミスリードすることはないのだろうか。
個別に光をあてる、その当て方はあくまでも大人の目線である。もっと、子どもの目線で物事を考える必要はないのか。子どもの生きずらさをもっと子どもの目線で見つめていく必要はないのか。事件報道と違った目線での議論も広がらないといけないと思う。
« 空疎な沖縄論でした | トップページ | 金沢八景へ »
「教育」カテゴリの記事
- 保育士の配置基準見直し求め 園児の保護者らが新たな団体設立(2023.05.17)
- 血液中のPFAS濃度が全国平均の3.4倍 東京・多摩7市の住民、水道水から摂取か(2023.05.16)
- 【教員不足をなくそう】自民党特命委員会提言のポイントは(2023.05.14)
- 「『不登校』から生きづらい社会を問い直す」(2023.05.13)
- なとく 寄宿舎の記(2023.05.12)
« 空疎な沖縄論でした | トップページ | 金沢八景へ »
コメント